ブレイクアウト〜非合理的な選択

 

 平和学を提唱するのであるから、戦争についても自身の見解を提示しておく必要があると考えているが、なかなか2000文字程度に収める事は難しい。

 このため、これまで投稿することがなかったのだが、先日、松本人志東野幸治MCを務める「ワイドなショー」において、妖艶なる女性国際政治学者、三浦瑠麗さんと、ご存知武田鉄矢との間での、戦争における合理性をめぐっての論争を見て、強く感銘を受け、自分の思うところに部答えが見出せたと感じたので、投稿しようと考えた。

 なお、当該論争においては三浦女史が徹底的な合理主義に立ち、戦争がいかに非合理的かを解き、これに対し武田鉄矢は侍を例に挙げて、たとえ非合理的である事は重々承知であっても、引けない状況が有ると主張すると言う構図で展開された。

 感銘を受けた点は、両者が非常にスマートで、テレビに出てくる国会議員がよくする、相手の発言を待たずに、食い気味に自論を強弁するような見苦しい事はせず、お互いが間を取り、卓抜した語彙を駆使し、美しさすら感じられる表現で、コメントをコンパクトに整理して、それぞれの戦争観をぶつけ合っていた点だ。

 

 私が両者の内どちらの見解を支持するかと言うと、三浦女史の徹底的な合理主義を支持する。

 

 実は、今回の投稿では、「教育は国家百年の大計3 自由」を執筆していて、「殺人は問題を解決する手段として最も非合理的だ。」という記述していた(なぜ自由を題材している中で、殺人の話が出てくるのかは、後日投稿にて)。また、先日、「歴史の勝利」という投稿の中で、戦争で利益を上げようとする人達に、如何にそれが馬鹿馬鹿しい事かを説く手段を考えていると話していたが、そこへ三浦女史の見解がすっぽりはまって、今回の投稿に繋がった。

 

 戦争は、人モノともに尋常あらざる浪費を行う。しかしそのコストに見合った利益が受けられるかどうかと言うと明らかに損失である。

 

 シリアを例にとって、数字で検討してみよう。

 シリアの内戦勃発(2010)前の原油産出量は、日産40万バレル。原油価格は、たまたま2010年と現在が似たような数値だが、1バレル/70米ドル(8,000)

 これを基に単純計算すると、年間11,680億円になる。

 これが政権奪取の見返りだ。

 これだけ考えれば、何年かかろうとも、何人犠牲にしようとも、奪取したいものだ。

 しかし、その恩恵にあやかれるのは、その勢力における、極一部の支配者層である。

 肉親を殺された恨み辛みを煽りに煽られ、あるいは、真っ当な教育を受ける機会を奪われた結果、それだけが正義であると信じ込まされて、地球より重いとも言う人の居る「命」を差し出した人への代償は、おそらく、日本でいうところの、遺族年金程度だろう。

 ちなみにシリア内戦で犠牲になった人々の人数は、7年間で35万人と言われている。仮に、政権を奪取した者が、その遺族に均等に遺族年金を払うとすれば、先程の11680億円を全て遣っても、一家族当たり年間333万円である。

 もちろん、自分に反抗した側の死者や遺族に年金を支給するというのも滑稽だが、アメリカは負けた日本の飢餓を救った。戦争に勝利するということはそういう事であり、勝者が敗者に慈悲をかけることは、勝っている状態を維持し、定着させるには、最も安上がりなのである。

 しかし、戦争の費用は死者だけでは無い。身体的負傷者と精神的負傷者、兵器購入にかかる借金、インフラの再整備、それを阻む地雷等不発弾の撤去、いずれ各国から要求される難民の帰国。

 小学生とまでは言わないが、中学生なら十分に理解できるだろう。「この戦争は最早、いくら完全勝利を収めても、大赤字だ。」と。

 

 ところで、前述で、日産40万バレルと書いたが、内戦勃発後は、日産25千バレルらしい。国内の消費量もまかなえず、輸入に頼っているそうな。専門的に経理処理すると、その差額は、「機会損失」と言って経費に計上されるのだが、その額、年間2兆円だ。

 その損失で、命を張っていないたくさんの人が儲けている。

 まさに非合理的だ。

 

 しかし、武田鉄矢は言う。

 人が戦いを起こすのは、利益だけが目的では無く、大義や信条によるところが多い。と。

 

 これに対し三浦女史は言う。(ここがシビれた❗️)

 「本来理性的であるべきジャーナリストも、戦場に身を置くと、エキサイトし、感情的になり、表現が猥雑になる。」「だからこそ、敢えて私は合理主義を唱えるのだ。」と。

 彼女は、武田鉄矢が言うように、人はそんなに合理的に割り切れないものである事は分かっている。しかしそれに身をやつす者は、その環境に呑まれ、いつしか理性を失い、「猥雑」(ワイザツ:いろいろなものが入り混じって下品な事)になってしまう。

 つまり、いくら肉親を殺されたと言う事情などが有ろうとも、暴力に訴え始めた時、「猥雑」(この言葉のチョイスが格好良い)_つまりヒトとしてはレベルの低いものになると言うべきなのだ。

 

 じゃあ、アサド大統領の横暴を黙って我慢していろと言うのか?

 

 そうではない。

 暴力以外の解決策を用いる事である。

 ガンジーの非暴力不服従も素晴らしいが、学校で習ったよりも、現実は残酷だったようだし、何より相手がすでに立派な大人の英国だった。

 

 私が考える独裁国家を最も効率よく民主化する方法は、以下の通りだ。

 

①独裁者側の統治時の罪は不問とし、身の安全を保障する。

  弾圧されたり身内を殺された人達にとっては、到底飲めない条件かもしれないが、ここで敢えて理性を取るべきなのである。

 独裁国家が滅ぶ度、民衆は狂気して独裁者の首を掲げ、銅像を引き倒してはしゃぎ踊る。以前は微笑ましい光景として歓迎していたが、段々違和感を覚えるようになった。

 そう、人が人を殺してはしゃいでいるのだ。

 なるほど、これを「猥雑」と言うのか。

 自由という目的を果たすためであれば、一旦過去を水に流すのが、残酷ではあるが、更なる残酷を産まない事も含めての最善策なのだと考える。

 

②独裁者を民主国家に招き倒し、開明パラダイムシフト(常識の転換)を起こさせる。

 

③国連に民主化プロセスの検討と実行を専門とする機関を置き、民主主義の原則、権利及び義務をすべからく周知し、憲法を起草し、普通選挙に至らしめる。(端的に言うと「GHQ」と同じ。)

 なお、私は、すべての国が民主的になるべきだとは言わない。それはその国民が決めることだから。ただ、発言、思想が弾圧されているなら、上記のプロセスの対象になると考える。

 また、その実行において、国際協調による圧倒的な武力をもって圧力をかけることは否定しない。ただ、日本は憲法に照らし合わせて、武力を提供せず、特に②のプロセスで活躍してもらいたいと考えている。//

  う~む、やはり、戦争観を語りだすと、あっという間に3000文字になる。まだほんの入り口なのに。自分の語彙力の無さを実感する。

 最後まで長文に付き合ってくれた方に感謝する。

 

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サルバドール・ダリ「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」

 スペイン内乱を予言したとされるダリの隠れた名作である。

 複雑怪奇な表現が、飽和点に達しようとする、戦争を引き出すフラストレーションとインフレーション(急激に膨張する何か)が、数字や理性では割り切れない、難解なものであることを示している。

 しかしそれを解決する労力は、それを諦めて失う損失に比べると、ごく僅かであろう。

 

複眼でモノを見る

 私は、極一般的な二児の父親である。

 娘は、幼少期より利口で、一貫して優等生だったが、英語のリスニングが人並みはずれているという面を除けば、変わった特技は持ち合わせていない。

 息子は、学業の方はいつも落第ギリギリだが、ゲームや遊びとなると、一暼でルールやコツを理解し、必勝法を練り始める。おかげで奇妙な特技だらけだ。

 どちらの性格も私は気に入っているし、二人とも議論が得意なので、よく教わることがある。

 

 本日は、息子のエピソードから。

 息子は、大学に入ってから、軽音楽部に入った。

 楽器に触れるのは、保育園の時の鍵盤ハーモニカ以来だろう。

 最初、いわゆるリードギターを始め、半年でマスターし、ベースに凝りだした。

 1年か2年の前半には、今度はドラムをやり始めていた(機材は学校のを借りていたが)。

 勉強以外はなんでもすぐマスターする。にしても、すげーなと思う。

 妻は「なんの役にも立たない事にばかり時間を使っている。」というが、夜学の大学を出た私には、絵に描いたような大学ライフを送ってくれる事が、とても嬉しかった。

 そんなある日、息子が興味深い話をしてくれた。

 「なんかさあ、ドラム始めてから、すっごい周りの楽器の音が聞こえるんやよなあ。曲の楽譜も、先へ先へと先読みができて、すごい余裕を感じるんや。

ギターしか知らんかった時は、なんか曲に追われて弾いているような、楽譜を追うというより、追われているという感じで、どうも余裕がなかったんやけど。」

 私は楽器の知識は無いが、それがどういう状況なのか直感した。

 いわゆる音楽ゲーム音ゲーでは、楽器を弾くタイミングや場所を示すマーク(ノースというそうだが)に合わせて、ボタン等を操作すると、それらしく曲が弾けてしまう仕組みになっているが、彼はそのノースを受ける立場から、サーブする立場になったのだろう。

 そこで彼にこう伝えた。

 「お前は、単純にタイミングを受ける立場と、それをサーブする立場の両方を経験した。結果、両方を会得した人だけが体験できる「複眼」で、セッション全体を見ているんやろう。ギターだけでは気付けなかったろうが、きっとドラムだけでも気付けなかったろう。

 一般的に複数の視点からモノを見ることができれば、対象を平面的でなく立体的に捉える事ができるというけど、音楽でもそういう事があるのかな?」

 「確かに、それぞれの楽器の音に上下を感じ、立体的というか空間を感じる。」

 「いいなあ、羨ましいなあ。

    視点においては、1+1は必ずしも2にはならない。と言う事やな。

 社会に出ると、相手の立場に立って考えるようとしつこく言われる。「複眼」という表現は俺の即興だが、少しでも相手の立場に立つ経験をすると、まるで違う景色を見ることができるという意味で覚えておいて損はない。」

    とまあ、互いに教養を深めた。サークルだって、決して無駄なものではない。

 

 後日、就活中の息子が言う。

 「あかん、「サークルから得たもの」って何?なんも浮かばんねんけど。」(-_-;)

 「「複眼でモノを見る」は?」と問いかけると、「おう、そうやった!そうやった!」。だから彼は、いつもギリギリセーフなのである。

 役に立ったかは不明だが、就活は早々に終えたらしい。

 

 さて、彼には当然の良識のように話したが、実社会において「複眼」を持つ事は容易ではない。

 

 餃子のタレの袋を開けようとして手を汚してしまう度に、「これを作っているやつは、餃子を食べたことがないか、タレを付けずに食べるんだろうな。」と詰ってしまうもんだが、その実、私自身も人の事を言えない。

 職業柄、記帳義務と重要性を説くが、自分は小遣い帳の記帳の経験すらほとんど無い。家業が会計事務所だったので、ほとんど無いと書いたが、そうでないその他の職員は、結局はサラリーマンなのだから、記帳の経験の有る者はまず居まい。

 相手の立場を経験したくても、切迫した必要性が無い。材料が無い。環境や条件が整わない。

 しかも、息子には話さなかったが、彼が実感した視点は、おそらく、平面上の複眼では無い。

 ドラムという指揮者の視点から、俯瞰的にセッション全体を見ている、ホークアイあるいはイーグルアイと言われる、上下に配置された複眼だ。

 会得できれば、その効力は絶大と予想されるが、どうなのだろう?

 管理職にある者は、部下と顧客のやり取りを第三者の目線で見られるわけだが、逆に当事者からの視野(平面的視点)を明白に捉えているかが問題になる。

  「じゃあお前がやってみろよ!」は、悲しい兵隊の心の声の常套句だ。

 

 まあただ、微に入り細に入り見える必要も無いのだろう。

 あまりにわかりすぎて、過剰に同情し、偏った判断や事実誤認の原因となるのも問題だし。

 『単眼より複眼、平面より上下』、と意識するだけで違ってくるだろう。

 

 余談になるが、まだ出世を諦めてなかった頃、「ホークアイ」と書いたファイルと「タートルアイ」と書いたファイルを持っていた。「ホークアイ」には、本庁の中長期的構想、それに向けての各事務年度の目標、上位組織がビジョンやプランについて発遣する指針や情報等を綴り、「タートルアイ」には、自分が従事している職務に関する根拠条文、法令解釈、通達、実施要領等を綴っていた。 

  そういうものが必要となる職務に就きかけた事があり、その職務に在った当時の上司(つまり私は次席だったわけ)に習って作るようになったのだが、その機会を逃して以降は、情報の刷新やプライオリティ・使用頻度の変化に合わせて加除整列するという、メンテナンスが煩雑な割に、それほど使う機会はなかった。不要な努力をしていたのか、職域がその程度のレベルだったのか?

「複眼でモノを見る」ことは良いことだと、私は信じている。

 しかし、会得し、活用できる猛者は、それを意識し、不断の努力をした者に限られるのだろう。

   

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 「アビニオンの娘たち」キョビズムの扉を開いた、かの有名なパブロ・ピカソの、もはや傑作とも言えぬ渾身のテーゼである。

 キョビズムについて、あれこれ解説する人も多く、その中で「複数の視点からの映像を同時に表して立体を描こうとしている。」という人がいるが、立方体を立体に見えるように書くことを考えると、子供にもできる話で、しかも、こうはならない。

 ピカソは立体を描きたかったのではない。複数の視点から見たときに、印象に残ったものだけを組み合わせたら、こうなったのだ。

 ある女性は、二の腕の裏が印象的で、ある女性は、布から覗く足を誇示し。ある女性は背中と振り向くあごのラインが気になって仕方なかったのだろう。

 

形名参同

 私の勤務先では、半期ごとに、職員が自ら三つの業務目標をたて、半期末にその達成率を自己申告する制度がある。

 聞くところによると、十数年前、年功序列の牙城のようだった我が組織が、業績重視に転換を図る際、どこかの民間企業で採用されていたものを登用したのだと言われている。

 しかし、導入当初からこの制度を疑問視する人が多く、毎年10月と4月の更新期になると、目標を設定する部下はおろか、それをチェックする上司まで、「面倒くさい」「この制度なんの意味があるんや」「こんな制度やめたらいいのに」と平気で漏らしている。

 そもそも、当局の運用も変なのだ。

 私はポジションに応じて具体的に書くようにしていたのだが、「あまり具体的なことは書くな、特に数値目標は書くな」と言われる。

 数値目標については、役人という職業柄、公正を欠く行為の誘因となり得る意味で不適正というのはわかるが、具体的な目標を立てないというのが理解できない。

 そして、予め参考として、系統別・職階別に例示された記載例をなるべくコピペするように言われるのだ。

 私が張り切って、「今期はこれを成し遂げたい!」と書いても、「これは、例文で言うところの、これに含まれますよね?」との指摘を受け、抽象的なものに変換されてしまうのだ。

 要は尖った目標が不都合なわけだ。

 

 これでは、制度の趣旨を正しく理解出来る者なんて現れない。

 

 部下職員達も、意味が分からないまま、毎回同じというのもなんだから、文例を適当に使いまわしているだけ。

 しかも最近、この入力シート、過去に使用した文例をわざわざ参照できるように改良されたのだ。形骸化も甚だしく、嘆かわしく思う。

 そして、先日、私の年下の上司が、「無意味な制度だ。やめた方が良い」という。

 この上司は、現場実績が突出していて現職の地位にあるが、いわゆる体育会系で、頭を使うのは苦手だと自ら公言している。ただ人柄よく、何より勤勉で、人の話は聞く人なので、事後の栄達を願い、お恐れながら私から制度の趣旨を説明する事にした。

 

 この制度の趣旨って一体なんなのか?

 自分で目標を立てて、その達成率を報告する意義?

 

 業績を評価するなら額や量が多ければいいのだろう。

 上司の命令に従い、時にはアドリブを加えたにしても、より多額の、あるいはより多量の職務を遂行した者が評価されればいいわけで、「なんでわざわざ、先に目標を定めるべきなのか?」と。

 「いやいや、目標も無く漫然と働いていたら、いろんなものを浪費してしまうんだ。近い目標を立てることで、大きな業績につながるのだよ。」という答えも有る。

 因みに目標と目的は似て非なるもので、目的を達成するための一つ一つのステップが目標である。

 そういうことで、各個が自己の職能において、当該期間の目標を立てることの必要性は理解できる。

 しかし、それの達成率が、業績評価になるというのは理解しがたい。

 よく言われるようように達成率を評価対象とするのなら、予め達成見込みの高い目標を立てれば、達成率などいくらでも操作できるではないか?

 実際、そのような設定が横行し、システムが形骸化しているため、この制度を取り下げる企業も増えている。と前述の上司も主張している。

 

 そこで、表題の「形名参道」の説明が必要となる。

「形名参同」(けいめいさんどう)(by 四字熟語辞典オンライン All right reserved)

口に出して言った言葉と行動を完全に合わせること。

「形」は行動、「名」は言葉、「参同」は比較して一致させること。

中国の戦国時代、韓非子ら法家が唱えた基本的な思想で、実際に起こした行動や功績と、臣下が言ったことや地位を比較して、それが合っているかどうかで賞罰を決めること。

 韓非子は、冠係と衣係の逸話(「侵官之害」で検索願います。)に代表されるように、事あるごとに、職分、すなわち職権及び職務の範囲について厳重な線引きを求めている。職分に不足する実績はもちろんのこと、職分を超える行為も固く禁じている。

 韓非子における形名参同の名(放った言葉)、即ち目標は、職分であり、届かない事も減点であるが、容易に届く事も減点なのである。

 各個は、その職能から、自ら、一定期間内に完了可能な分量を正確に査定しなければならない。それがポイントなのである。

 そしてもう一つ重要なことは、そもそも目標とは、先程も記述したように、ある目的が有って、そのためのそのステップであるのだから、自分が属する組織がどのようなビジョンを持ち、そのために自分の部署が求めらている成果物とその期限を意識し、その上で、自分の目標を設定するべきなのである。

  つまり、制度は良いものなのだが、「名」において、深い考えの無いことに問題があるわけだ。

 とまあここまで説明したのだが、私の説明が悪かったのもあって、上司の方は、ちんぷんかんぷんの様子だった。

 業績査定は上司の仕事、差し出がましく雄弁を振るっては立場がなかろうと、「私もある本で読んだだけで、よくわかってないのですけどね。」と付け加えたところ、「そんなに深い意味があるとは思えませんね。」とバッサリ切り捨てられてしまった。

 「形名参同」若しくは「韓非子」という響きだけでも耳に残っていたら、いずれ幹部の寄り合いでも話題に出た時に思い出してもらえるかもしれない。

 ただ、導入以来、一人として、このように、この制度の趣旨を説明している幹部を見たことはないが。

 

 実際、彼の言うとおり、我が組織も、他の企業からこの制度を登用するに当たり、「目標設定」という一面しか見ていなかったのかもしれない。

 形名参同のポイントは、単なる目標設定でないことである。

 単なる目標設定なら、査定の要素にならない。

 重要なのは、組織のビジョンと戦略を理解し、自分の持ち場のアジェンダ(必須課題)を理解し、そに達成のために、自分の職能(職権と技術)から、一定の期間内に何が出来るかを正確に査定すことである。

 形名参同は、いわゆる平社員(兵隊)だけが適用されるものではなく、むしろ上層部ほど、その設定は重要な意義を持つ。

 ビジョンを掲げ戦略を展開する司令部、戦略を遂行するため人材資源を操作する現場指揮官、指令を実行し局地的成果を挙げる兵隊。それぞれに形名参同が有るわけだ。

 因みに、我が組織では、現場指揮官が、その部署としての半期目標や、心掛け、あるいはスローガンといったものを掲げる、「部門マネジメント」という制度も導入されている。

 これも、ビジョン・戦略から、局地的作戦を掲げろといっているわけで、なかなか素晴らしい制度だと理解している。

 全体の構想、いわゆるストラテジーを理解する参謀を現地に派遣し、戦略的見地から作戦行動をマネジメントするアイデアは、ナポレオンが導入し、その時代において他を圧倒するに至った要因と言われる。

 しかし、残念ながらこの制度も、幹部連中には不評なようで、定形文の焼き回しが目立ち、形骸化が進んでいる。

 せっかくの制度も運用する上でしっかり趣旨を理解させておかないと、逆に時間と物資の浪費になるだけである。

 

 経済学部を出て、「金融でも財政でもなく、税制こそが最も有効な経済政策だ」と息巻いていたころの私は、国家戦略を語ろうとしない、上司や先輩方に失望したり、酒席では、国税庁のビジョンとストラテジーについて熱く語り、上司や先輩方でもやり込めてしまうところがあったが、出世コースから外れて以来は、求められない限りは語らないようになった。

 ただ、若い人達には、表立って批判することは勧めないが、せめて、テンプレートを張り替えるだけの目標設定を続けるような事はないように願いたい。

  

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ミケランジェロ・ブオナローティピエタ

 「私は、大理石の塊に埋まっていた女神を取りだしたまで」

 シビれる表現だ。まあ、彫刻家なら皆同じようなことを言いそうだが。

 彫刻は、粘土細工と違って付け足しが効かない。絵画と違って塗り直しが効かない。

 白い大理石の塊の中の彼だけが見える、その課題における最終的解決、すなわち「完成形」を目指して突き進むしかないのだろう。

 何度も言うように、目標とは目的を達成するためのステップである。明確な目的の無い目標は、「完成形」を見ずにノミを振るうようなものだ。

 それは、ある時には無駄な時間や労力を浪費することにつながるし、少なくとも「面白くはない」と思う。

歴史の勝利

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ヨハネス・フェルメール「絵画の寓意」

(9/15 痛恨です。作品名「画家」ではなく、「絵画の寓意」です。訂正してお詫びします。)

今回は趣向を変えて、先に絵画を紹介する。

フェルメールは、17世紀オランダの画家で、北欧のモナリザと呼ばれる「真珠の耳飾りの少女」の作者といったほうが有名だろう。

作品名の「寓意(アレゴリー)」というのは、絵画でしばしば用いられる手法で、あるものや事柄を象徴するアイテムを描き込んで、意味合いを連想させるというものだ。

わかりやすいもので、ドクロは「死」、狐は「狡猾」、天秤は「公正」など。老人は「時の流れ」と取るという趣深い物も有る。

掲載の絵では、フェルメールのトレードマークであるウルトラマリンの青い装束の女性が、歴史の女神「クレイオ」を指し、彼女が栄誉を表す月桂樹を冠している事から、「歴史の勝利」という寓意が表現されていることになる。

他にもたくさんの寓意を織り交ぜた作品であるが、私は画中の画家が、月桂樹を書きかけていることから、やはりそこが一番表現したかったように感じるし、そもそも「歴史の勝利」という言葉が好きである。

 

「歴史」・・・敬愛する田中芳樹原作「銀河英雄伝説」の登場人物で魔術師的傭兵家、ヤン・ウェンリーは、「人類の歴史はめくるページめくるページ戦争ばかり。戦争の歴史と断じても過言では無い。しかし、その合間にも何十年かの平和で豊かな時代は存在した。その期間の効用は、その1/10の期間の戦乱に勝ること幾万倍だと思う。」(2場面の会話を統合しています。)と語った。

 

歴史を鑑み、戦争が科学を進歩させたと主張する人は、自分か自分の身内を人体実験の検体として提供してくれればいいとして、戦争というものが、国々の成長の格差が縮むなか地位向上を求める運動から生じたもの、民族混合の再整理・宗教文化対立など、やはり避けられなかったものが多いのは確かだ。

 

前回投稿で、「平和学」というものの創設を提案したが、実際この考えには特別の思い入れが有る。前回は終戦記念日に間に合わせたくて、中途半端な提起になったが。

 

「平和学」という言葉や学問が実際有るのか調べてみたら、ウィキペディアに掲載されていた。※平和学 - Wikipedia

一部の大学では、講義に盛り込まれ始めているらしい。

でもまだ生まれたばかりの学問で、戦争の根絶や原因となる土壌の廃絶という、目的や概念については、おおむね似たようなものでも、アプローチの仕方は様々なようだ。

いくつか、ページをググってみたが、私の提案に完全一致するものはなかったので、改めて提起する。ただ、私は学者ではないので、いまのところ、いくつかのアプローチを提起する事はできるが、具体的な対応策はできていない。

自分でも答えを見出すよう努力するが、自分なんかよりずっと頭のいい人の目に留まって、この提案がヒントとなり、平和に向けての名案が生まれることを願う。

【前提】

第一に、これは、たいていの論者が納得しているところであるが、残念ながら、報道カメラマンがいくら命を張って戦場の悲劇を報道しても、「戦争→悲惨→怖い」では平和は保てない。実際の戦中派を親に持つことのできた私たちは、壮絶な地獄を口伝され、私は大の反戦論者になったが、今ではそんな戦後生まれの私でも、生きた化石だ。

次に、経済封鎖や村八分では、ひねくれ国家はまともにならん。100年前からやっている事は同じだ。

【アプローチ】

①紛争解決の手段として武力を使わない方法を考える事。

例えば、領土問題⇒国際裁判所に領土問題解決員会を設け2030年時点での実効支配地域をもって領土を線を確定。前提として「小賢しい揉め事は大人げないからやめようぜ。」という世界的意識改革が必要。

ならず者をまっとうな国家にする方法⇒とにかく過去の蛮行を不問とし、元首を国外に歴訪させ国際化し、徐々に国民を国外に歴訪させ国際化する。

宗教・民族、さらに移民等との対立を如何に解消するか?⇒これについては、具体案はまだない。

②戦争を必要とする立場の人々を利益誘導によって反戦化する。

軍産複合体や、日本の公共工事のように財政政策か政権延命措置を目的として定期的に戦争を引き起こす国に対し、なんとか代替案を提示し、平和の効用を具体的(数値的)に示し、平和の圧倒的インセンティブを示し、くだらないことをしていると思わせる。

(この第2アプローチは気に入っているのだが、今のところ、具体案が全くない。)

 

経済学は、ケインズ以降も進歩を続けている。

哲学ですら、新説が現れている。

平和学は、始まったばかり、戦争を回避する画期的なアイデアでも考えて論文を提出すれば、凡人でもノーベル平和賞を取れるかも。

 

DNAの交換の連続では、人類の進化は無かった。

言葉・口伝・文字・書物、これらがDNAに成り代わり、過去を未来に繋ぎ、過去の失敗を未然に防いだ。それが、人類の進化の本質である。

人類のみが異常な速さで進化(正しくは進歩なのだが)したのは、人類が「歴史」を持つことができたからである。

歴史の女神クレイオは、何をもって栄冠を頂いたのだろう。

積み上げた結果、人類は所詮戦争を避けることができない呪われた種族であると言う解答を得ることか?それとも蓄積された叡智の結晶によって、くだらない戦渦のループから抜け出す手法を編み出すという解答なのか?

多くの人は前者の解答を望むまい。

窓辺にしなやかに佇むクレイオが持っている大判冊子は「歴史」である。

その巻末は、後者の記述であることを望む。

 

世界平和という和氏の璧

韓非子 和氏篇の一説
 ストーリーはありきたりだが、日本語の「完璧」の語源となる話で、完璧の「ぺき」をなぜ『壁』と書かず、『璧』と書くのか、その由来だと聞くと、興味を持ってもらえるだろうか?
 
 春秋戦国時代は楚の国、文王統治の時、山麓で三日三晩泣き続け、血の涙を流している農夫がいると聞く。
 興味を持った文王が直接会いに行く。
 すると、刑罰によってそうなったと思われる、両足の無い農夫(昔の中国では、足を切るくらいの刑は普通だったようだ)が、小汚い岩を抱いて泣きじゃくっている。
 農夫が言うには、自分が抱いている岩はたいそうな宝玉の原石であるというのだ。
 中国では古来、原石を削って得られる貴石を『璧』と呼び、中でもくすみ・傷の無い『完璧』を所持していることは、天がその国の王の王位を祝している証と言われた。
 農夫は、前々代の王のとき、これを献上したが、宮廷付きの鑑定士が「これはただの石です。」といったため、王をたばかろうとした罪により、片足を切られた。
 王が代わって、鑑定士も代わったころ、農夫は再度原石の献上を試みた。しかし、またも「ただの石」と判定され、残りの足も切られた、という。
 
 文王は、鑑定を省略し、とりあえず原石を削ってみることにした。
 すると、これまでにない美しさと完成度を誇る璧が現れたという。
 
 この璧は、泣いていた農夫の名から「和氏の璧」と呼ばれ、伝説の璧として、その後中国の古典文学でもたびたび登場することになる。
 
 さて、最初に言った通り、ありきたりな話で、多くの人は、文王の慧眼を称え、歴々の鑑定士を蔑むであろう。
 
 しかし、これを、現在の世界平和や憲法9条と重ね合わせると面白い。
 すなわち、農夫が抱く原石は憲法9条で、そこに潜まれた『璧』こそは、世界平和ということだ。
 
 終戦記念日。官庁では、正午から1分間の黙祷をする。
 来庁者の人も、会話を止めて、協力してくれる。
 広島長崎は知っていても、沖縄、東京、大阪、他の東南アジアでの犠牲者にどれだけの思いを馳せることができたのだろうか?そもそも、私たちは戦後何年まで、その鎮魂の心を持ち続けることができるのだろう。
 残念ながら、どんなに風化を防ごうとしても、「先の大戦の結果を顧みて平和を守りたい。」という説明は、そのうち説得力を失うだろう。
 憲法9条は、悲惨な戦争の結果、その反省から打ち上げられた理想であることは否めないが、「先の大戦」とは切り離してそれを考える時期が来ている。
 
 憲法9条の批判には、主だったもので、以下のようながある。
①結局はアメリカの軍事力の傘下における平和にすぎない。
②ならず者がはびこり、世界平和を欲しない国が大多数の現状では、理想以外の何物でもない。
③自国の平和だけを望んでいても孤立する。世界平和に貢献してこそ発言力が得られるのでは。
④どうして、アメリカに押し付けられた憲法を守る必要がある?
 
④の反論はもともと嫌いであるが、「先の大戦」と切り離すという観点からも、議論の外でいいだろう。
①②については、「ごもっとも!」としか言えないのであるが、③については、武力の行使を「国際紛争の解決手段としては、永久にこれを放棄する。」と宣言している以上、わざわざ、よその国に、武器をもって介入するのは、やはり違和感を覚える。
 
 私は、長い間、大の反戦論者だったのだが、武力に代わり、ならず者を抑える手段が「経済制裁」しかなく、それをすると、首領は知らん顔で、その国の国民が苦しむだけだったという経験と、大の嫌われ者と思っていた北朝鮮が、意外と国交国が多く、核兵器の開発に成功し、いよいよ世界への発言権を得たという2例から、自信を無くした。
 日本の理想は早すぎたのではないか?武力(国外に派遣できる)の無い国には、世界平和を叫ぶ前に発言権がないのでは?
 
 でも、だからと言って、今の世界に合わせて、武力を海外派遣させようとする動きや、核兵器禁止条約に反対することは、とても納得いかないのだ。
 
 私の乏しい知識では、上記の①②の問題を解決する秘策は思いつかない。
 ただ、大戦前から使っている「経済制裁」という名の村八分では、問題は解決しないのだ。なのに、なぜ100年経っても、やっていることは同じなのだろう?
 私は、大学で経済学を学んだが、聞くところによると、経済学という学問は、比較的新しく歴史が浅いらしい。ノーベル賞ができたのも1968年だとか。
 しかし、学者も国家もこぞってこれを研究し、血眼になって、万民が幸福になる世界を追及し続けている。
 
 平和に関しても、ノーベル平和賞があるわけだが、その受賞理由が批判されることが多い。歴史の浅い経済学でさえ、ちゃんと実効性がある研究が評価されるのだ。
 平和賞だって、恒久的世界平和に向けて、例えば「経済制裁」が効かなかった場合の国際紛争の解決方法を考えつくなどが、評価されるべきではないか?
 私は、これを「平和学」と呼び、国際紛争の解決策について、経済制裁武力行使以外の方策を研究する学者が、食べていける程度の社会整備がされ、将来的には、大学生が学ぶ時代が来ることを望む。
 
 そして、いつか両足を切られても、9条を抱きながら泣き続ける、私たちの国に「よく守ったね、もう武力の必要な時代は終わったよ」と言ってくれる人たちが現れることを望むばかりである。
  

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アテネの学堂』ルネッサンス3大巨匠のひとり、ラファエロ・サンティの傑作

 中央のプラトンアリストテレスを始め、当時知られていた著名な賢人・哲学者・科学者が同時代に勢ぞろいした設定の学堂を表している。

 もしこの光景が実現するなら、世の中の大概の悩みや問題は解決しただろう。

 日本の抱えた和氏の璧は、アテネの学堂でも解決できない厳しく辛い道のりなのかもしれない。しかし、少なくとも、私が、この絵画の中心に立ち、「どうすれば、国際紛争の解決策から、武力を廃絶できるのか?」と尋ねれば、半裸で寝転がっているディオゲネスですら、座って議論を始めるだろう。

上杉鷹山

 

 「為せば成る」は普通に使われる慣用句。時折丁寧に「為さねば成らぬ何事も」と続ける方もいるが、「成らぬは人の為さぬなりけり」と続けられる人は、なかなかの通であろう。私の父は、それが極貧の米沢藩を救った名君、上杉鷹山の言葉であることを知ってか知らぬか、酔っぱらうとその下の句を満悦に唱えた。

 おかげで、小学生にして、鷹山には、心惹かれるところ多く、信奉していた。

 知る人ぞ知る、炭火の話をしたい。

 関ヶ原で敵側に加担した上杉家は、肥沃な新潟から従者(従業員)の数はそのままで、年商半額の米沢藩に転封される。

 折しも、当時の米沢藩は飢饉に見舞われ、極貧で皆が希望を失っていた。

 その光景を目にした着任したての藩主、上杉鷹山(当時は改名前で、治憲)とその一行は、暗澹たる思いで愕然としたという。

 しかし、鷹山は、廃屋のくすぶっていた残り火を見つけこれをかざし、「まだ火は残っている。今は、ちっぽけな火種だが、使いようによっては大火となろう。我に策有り、火種を絶やさずしばらく耐えよ。」と檄を飛ばした。

 数年後、米沢藩は財政再興を果たし、他の模範となる豊かな藩へと変貌する。

 

 もう15年も前になる。

 私の役所は、ある行政手続きを電子化するため、ネット上で申請書を作成できるシステムが開発した。

 私は、何の因果か、その直前、それを開発する部署(というか建物内に居ただけだが)に出向していたため、当然のごとく、この「システム」の普及のプロジェクトチーム(PT)に組み込まれた。

 しかし、PTの方々は、機械には多少詳しいようであったが、その雰囲気は、鷹山が赴任した時の米沢藩の様だった。

 実はこれに始まらず、私の組織は、何度かその手続きの機械化を検討し、いろんなチャレンジがされていたが、利用者は、自力で手続することを怖がった。

 「自分で作って、間違っていたらどうしよう。とにかく一度提出先の人に見てもらいたい。いくら自動計算システムがあっても、自分で打つのは嫌だ。」なのだ。

 しかも、新システムはあまりにセキュリティが堅牢であったり、初期設定が複雑であったり、とても、利用者に操作できる代物でなかった。

 

 しかし、私は知っていた。私の組織が望む未来を。平成15年に電子政府構想が打ち出されるずっと前から、その手続きを機械化すること。訪れた利用者が、ATMのように無人対応でも、手続きができるようになること。

 などというと、すぐに「老人や障害者はどうするんだ?」という声を上げる人がいるが、今、そのシステムは、15年前に比べ、高校生レベルでも自力で、しかも自宅で操作できるレベルまでが平易になったにもかかわらず、窓口に訪れる人の数は一向に減らない。

 私たちは、老人や障害者を切り捨てる気など毛頭ない。「打てる人が打ってくれたら。作れる人が作ってくれたら。専門家に頼める人が、頼んでくれたら。」本当の社会的弱者に手を差し伸べる時間ができるのである。

 

 話がそれてしまったが、15年前、そういった当局がその数年前から嘱望し、全力をもって実現しようとしている未来を見てしまっていた私は、やる気のなかったPTのメンバーに、前述の鷹山の話をし、「今は始まったばかり。新しいシステムはいつも扱いにくいものだ。火種をそっと心に灯し続けて、いつか良くなる、その内誰にとっても当たり前のものになる、これを信じましょう。」と言った。

 それから、数年、夢想的な未来を想像できず、多数の人の反感を受け、アウェイな時期が続いたが、いくつかの灯(ともしび)が残ることができたであろうか?

 しかし、現状、その手続の70%以上が、そのシステムを利用してのネット送信か、自宅で作成しての郵送提出となっている。

 結局は、霞が関の指令が大阪本店を通じて徹底され、現場指揮官が四の五の言えなくなって突き進んだ成果であって、私たち黎明期のメンバーなど眼中にに無いと評されるだろうが、私は、転勤の先々で、指揮官の指名を受け、推進の矢面に立ち続けることができた。たぶん灯(ともしび)をしつこく握っていたからだろう。

 おかげで、後続する人たちに理想を語り、火種を分け続けることができた。

 不要・複雑な取引は簡略化され、セキュリティはそのままに、利用しやすいシステムへと例年進化を続けている。

 パソコンを知らないモバイル世代(そんな世代があることを最近知って驚いたが)に対応したインフラ整備も完成間近だ。

 さらなる普及と発展が楽しみである。

   

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エドゥアール・マネ作「フォリー・ペルジェールのバー」(1882年)

 19世紀末、写真の出現とともに閉塞感を増す絵画界において、多くの画家が「道」を模索し続ける。その多くは、後にその因習から完全に解き放たれ、自由の翼を存分に広げる「印象派」以降の作品の発火点となる。

 その中でも、マネの革命的でセンセーショナルな作品は、当時まだ若手であった印象派のメンバーに絶賛され、兄と慕われる。

 まさに、マネは、印象派にとっての火種になったわけであるが、私は、彼を有名にした「草上の食卓」や「オランピア」といった、問題作を推奨しない。

 この絵画は、印象派が立ち上がった10年近く後に描かれているが、私が注目している事項は、「草上の食卓」でも現れ、印象派もそこに注目している。

 女性の後ろは、鏡に映った鏡像という設定であるが、女性の後ろ姿の角度が、まったく合っていない。

 これこそが、絵画にとって重要な部分。「そう見えるからそう書いた。その角度が気に入ったから同時に書いた。」だ。

 この火種は、印象派も伝承し、マティスピカソへと続いていく。

 

巧詐(こうさ)は拙誠に如かず

  「韓非子 説林上」に掲載されている逸話。息子を殺されても主君のために戦った将軍は忠信が巧妙すぎたことが仇となり、翻意を疑われ、小鹿を哀れんだ凡庸な家来が重用される。というもの。

   才、運足らず、出世が遅れている私などは、つい後者の事例にあやかりたいと考えてしまう。


     さて、今回は、現代社会にこの逸話について考えさせられるケースがあったという話。


     息子の通う人文学部という学部は、私はよく知らない学部だったが、人間とういうものを観察してそこから何かを得ようという学問らしく。ホスピタリティ(もてなし)の研究もその一つのようだ。

 ある日、そのホスピタリティとやらについて、息子と話した。

 彼が言うには、日本の神社が、高いホスピタリティを提供している一例だという。外国人向けに英語のアナウンスを流したり来訪者に便宜を図っているなど。

 しかし、私は、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂を訪れた時のことを思い出した。

 入る直前、礼拝堂内での作法について、多言語のアナウンスが流れてきて、日本語のアナウンスも流れて来たことを思い出す。日本人もよく来るのかなと言った面白みは感じたが、これからヴァチカン芸術を堪能しようとするところに、飛んだ興ざめだった。

 娘と美術館に行った時、無駄に詳しい私は、良かれと思って説明していたら、「素直な気持ちで観たいから余計な説明は要らない」と言われた。

 日本の寺社仏閣は、その建築様式がすでに芸術だ。アナウンスは時に邪魔になる。

 過剰な接客の要不要は常に議論の的だが、私は、行き過ぎたサービスに対しては懐疑的な方だ。

 

 その頃、息子は大阪駅前の結構人気の有る洋食店にバイトで行っていた。立地もムードも良く、連日大盛況で大忙しだったらしい。

 しかし、そんな中でも、処遇・接待については非常に厳しかったという。机の上はもちろん、椅子の下まで注意し、決して客の手を汚したりわずわせたりしない事が徹底され、更に食事の進み具合やグラスのドリンクの残量を観察し、さりげなく追加注文の有無を尋ねたりと、なかなかの気遣いである。

 ただ、残念なことに、ドリンクは逸品だが、料理は三流だったらしい。

 

 彼が、そのバイトに疲れを感じ始めていた頃、近所にちょっとした日本料理店が開業することになり、オープニングスタッフを募集していた。

 オープニングスタッフの経験は、就活を控えていた彼にとっても必需品だったので、前述のバイトの後釜にもなろうかと、応募したら、喜んで迎え入れてくれた。 

 ところが、ここの主人とその妻が、ビックリするほど、接客の知識がなかった。

 せっかく良い食器を持っているのに、洗い方や置き方が雑。グラスが飲み物に合っていない。立ち位置、座席案内、オーダー受け、バッシング、会計、洋風和風の違いもあろうが、そもそも最適を目指したルールが存在しなかったという。

 しかし、主人はとても人柄も良く、料理は抜群に美味かったという。

 私は嬉しくなった。私には、息子の言う接客ルールの必要性は感じられなかったから、世の人は、「少々不味くても、計算されたホスピタリティとやらと、未熟でサービスは拙いが、腕の良い料理人。」どっちを選ぶのか?面白い実験材料に思えたのだ。

 息子も私の興味に共感してくれて、観察に力を入れること約束してくれた。

 

 就活等の都合も有り、観察できたのは3ヶ月ほどだったが、結果はある程度集約できたという。

 日本料理店については、主人は料理しか出来ず、奥さん(女将さん)は大学生の息子より世間を知らず、頭を下げることを知らなかった(妻も実際に会ったが、誇張では無いようだ)という。結果、匠の技は、逸品はおろか良品とさえ評価されず、ただ、出てくるのが遅いのと、無駄に高いという印象しか与えられなかったという。

 宅配ピザの配達員でさえ礼儀に厳しいおり、1時間、場合によっては数時間滞在する飲食店において、ホスピタリティがゼロというのは致命的だったろう。

 一方、洋食店の方は、もともと数年営業しているのだから有利なわけであるが、最近、系列会社から派遣されてきたマネージャーが異常に接客重視で、あまりの厳しさにバイトが辞めてしまい、その分を厨房から引き抜いて補おうとしていたらしい。

 接客担当は、忙しいながらも、厨房がサーブしてくれるから成り立つ職業であることを十分に理解している、如何に計算されたホスピタリティをもってしても、程度を超えた待ち時間や、粗雑な成果物の提供が横行してはフォローすることはできない。続けて行けば破たんは免れないだろうと、さらにベテランが何人か辞めてしまったらしい。

 

 冒頭に挙げた韓非子の逸話には、韓非子らしくなく、その者の質実(実績や実力)を問うところがない。

 息子の通った両店の観察結果から思うところは、まず「誠」有りき、「技」有りき。しかし、それだけでは埋没する。その「誠」と「技」を損なわない範囲でホスピタリティも不可欠。ということになろう。

 人は情によってのみ動くわけではないが、情の無いのは、誠がないということで、結局は信頼されないということだ。

 

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 「印象派」の語源となった、クロード・モネ作「印象 日の出」

 19世紀末、カメラの出現により、被写体を精緻に描く技術は、一部の天才や努力家のものではなくなった。

 しかし、時同じくして、「光・感情・印象・雰囲気」なるものを瞬時に捉え、キャンパスに残そうとする人々が現れ始めた(当時のカメにはできないことだ)。

 早書きで稚拙に見える印象派絵画は、発表当初は酷評をうけ、今でもあまり好まない人も居るようだが、当然のことながら、彼らにはしっかりとした「技」が有り、光を追う姿勢においては、「誠」も存在していたように思う。