説難

多様性を取り込む_その1

1 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

 何度聞いても胸の奥にスーッと風が吹くような言葉だ。

 夏目漱石の著書は、文学好きには人気のようだが、結構、長ったらしい割に、何が言いたいのかよくわからないところが多くて、私はほとんど読破していない。それでも、「草枕」のこの冒頭のフレーズだけは忘れたことがない。

 発表から120年を経とうとする現代においても、人の世の住みにくさの理由はほとんど変わっていない。まあ情に棹させば詐欺に会い、意地を通すほどのスペースも無くなってしまったところは変わったか?

 しかし、この中で最も残念に思う人の世の悲しい所は、「智に働けば角が立つ。」という所だ。

 

 知り合いの精神科医の分析によると、日本には「ムラ社会」という残念な因習が根強く残っていて、変化や異端を忌避する傾向にある。そして、智者が正論を語ると「角が立つ」という悲しい現象がなかなか減らないらしい。

 

韓非子「孤憤篇」にこのような一説がある。

「智者は策を愚人に決せられ、賢士は行を不肖に程(はか・量)らる。」

 簡単に言うと、智者と相談する機会を得ながら、その智者の意見について、側近の凡人に相談し、賢者に出会う機会に恵まれながら、その賢者の印象を、側近の凡人に尋ねるという。

 これは、日本のムラ社会の悪いところに酷似している。素直に受け入れば良いものを、逐一、変化を異端とし、画期的な発想を規格外と恐れる仲間に相談しているのである。

 これでは、合理的で賢い治世を望むことは難しい。

 

 「智に働けば角が立つ。」習慣は、日本だけにあるものとは言えないが、日本人はとても保守的である。異端や規格外な発想をあまり信用しない。日本という国が発展したのは、いわゆる猿真似からのアレンジに優れていたというもので、アメリカのような、全くの0から1を生み出すような発明に縁はない。

 話は変わるが、先日、YouTubeで、これから200年の世界各国の栄枯盛衰についてGDPを尺度に予想したグラフが紹介されていた。グローバルサウスが発展して、中国ですらランクを落としていく、日本は間も無くベストテンからも消えていく。しかし、面白いのは、アメリカで、200年間ずっとトップに君臨する。あくまで、その人の計算や推計による予想だが、私は彼の国が、勝ち続けることに賛成である。

 まだまだ、人種や宗教による対立は残っているが、彼の国ほど「多様性」というものを取り入れている国は他にない。闇鍋を見るようなカオス的発想のるつぼ。あくまでイノベーションを起こすのは、そのほんの一部の発想だ。途方もない数の空クジの先にある。しかし、それでも当たりクジを引けるだけの土壌・器のデカさがある。だから、次から次へとイノベーションが波打ち際のように飛沫を上げ続けるのだろう。

 

 どんな馬鹿げた発想が世界を動かすかわからない。みんなそのことには気づいている。

 しかし、日本人の性格は、馬鹿げた発想はもちろんのこと、ある程度、根拠やエビデンスを持つ有益な発想ですら耳を傾けないところがある。正直、基礎教育が成り立っていない人の話まで聞く必要はないと思っているが、智者や賢者の話は耳を傾けた方が良い。

 ここでいう智者や賢者とは、著名な学者や政治家のことではない。もっと小さな世界で考える話だ。例えば、職場における問題点を指し示し、解決策を献策する者。つまらぬ争いをしている人間に、教養を活用して、一段高い立場から、つまらない争いであることを諭す者。不平等や理不尽が蔓延っているのなら、理非曲直を語りこれを正す者。

 だんだん、気づいてくれると嬉しいのだが、いずれも悪いことをしていないのに、「角が立って」忌避される存在だ。

 問題解決・紛争解決・公明正大。一体何が気に食わないのか?

 これが日本人最大の難点だ。

 後日、日本人が、外国人や障害者といった、多様性を受け入れる上でどうしようもない問題を抱えていることについて論じる予定であるが、その前に同類の日本人同士でも、自分のコミュニティに属さない者なら、いかに自分より頭の良い者であっても素直にその言に従えないという、KUSOみたいなムラ根性を叩き潰さないといけない。

 そして、それは、ムラ意識をカモフラージュにした、敗北をも認めたくないただのプライドなのかもしれないことに気づくべきである。

 

 結局。「智に働く者」はそれを認める者にのみ、みそめられ、活用され、彼らだけが、その恩恵を享受する。場合によっては、その利益は国外に流出しているかもしれない。

 

2 鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

 史記

 戦国の政治家、猛嘗君は、たくさんの食客を抱えていた。中には、鶏の鳴き真似が得意な者や、猿のような動きを見せ、さらりと財布をスルという特技を持つ者もいた。世話をする家人は、「あんな人たちが何の役に立つのやら。」主人の物好きにすっかり呆れていた。

 しかし、彼の国に政変が起き、危険が迫ったとき、このくだらない特技を持つ二人が、見事、猛嘗君を脱出させ、後に政権に復帰させる。

 どんな個性が役に立つかは、高度に不可思議なものだ。

 

 知り合いが勤める大企業には、変わり者がたくさんいるらしい。何が何でも持論を曲げない人、一日中ぼさっとして、全くアポを取ろうとしない営業担当、社内の応接で客と話すときは、いつもビクビクしている、端末操作がまるでできない。なぜか毎日叱られている。

 なんで、こんな人たちが、一流の大企業に居られるのだろうと不審に感じていたらしいが。不思議と大富豪のファンがいたりして、ノルマを落とすことがない。

 彼女は、営業の「正攻法」は、相手のニーズを素早く読み取り、十分に蓄えた商品知識を組み合わせて、お客さんにとって最も有利な選択を薦めることだと考えていたようだが、お客さんは自分の思い通りの選択はしない。

 よくわからない、自分には無駄としか思えない商品に興味を示したりする。そして、なぜか、前述の不思議な従業員にこれにやたら詳しい人がいたりする。

 営業マンが息つく暇なく喋くりまくり、まるで話題のつきないのを面白がるようにいつまでも聞いていられる客、逆に、客が、どうでも良い世間話を何十分しようとも、相槌を打って聞いてくれる営業マン。人の心は何に鷲掴みされるかわからないのである。

 確かに、正攻法というものはあるだろう。それで平均点は取れるだろう。しかし、人の心情は方程式では割り出せない。何が功を奏すか?それは高度に不可思議なのだ。

 

 「ロングテイル」と言う言葉をご存知か?ブロントザウルスの胴体を「売れ筋」とし、尻尾を「ニッチ」と捉えた時、しっぽは、胴体よりも体積が多い可能性があるらしい。一流の競争社会ともなれば、ニッチを捉える個性もまた重要なのである。

 いかにして、跳ね上がる個性を組織内に保有し、かつ、他の社員の福利に差し障りが無いようにするか?それができてこその一流企業なのだろう。

 

3 ペルソナ

 先日、インボイス制度について書いた「王様は裸だ」を読んでくれた方から、「ペルソナ」という言葉を聞いた。「他人から見た自分の姿」という意味だそうだが、他人に自分の意見を聞いてもらおうとする場合、自分が今どんな表情をしていて、相手にどう見えているか、という「ペルソナ」を意識することが重要だという。

 ブログや、自分主催の講習会などの場合は、そんなに気にする必要は無いそうだ。それは、客が離席する自由があるからだそうで、インボイス説明会のように離席し難い場で、持論を語るには、「ペルソナ」をよく意識するべきだとのこと。なるほど面白い話を聞いた。

 

 SDGsが語られるようになってから、企業も行政も幾らかの努力はしている。

 私の職場でも教材が配付され、自習や研修も受ける。しかし、残念ながら、うちの組織には「ペルソナ」が見えていない。

 時折、この教材は誰が作ったんがというほど、誤解の塊を一生懸命語っているテキストがある。これについても後日例を挙げて、詳細を話そうと思うが、とにかく、やるならちゃんと知識人や専門家にチェックしてもらえ!と言いたい。形だけのSDGsなのである。ちなみに、SDGsを日本語に訳せる者は、2割も居ないだろう。

 自分の思い込みや、誘導したい情報のみを配信して、例えば「WLB」とは、夫が育児に参加する事(だけ)だと誤解させたりしている。この辺りの問題点は、いずれまとめて論じたいと思っているが、5000文字は超える。

 

 それから、「面談」という機会が増えて、平民の話も聞いてもらえるようになったが、どうやらここでも「智に働く者は角がたち」、智者や賢者は本当のところを話さないようだ。

 代わりに、同じ仕事ばかり長くやっているので無駄に力を持っている人や、無能だが、作り話だけは得意な人間が、上司を上手に誘導している面がある。

 陳情は、必ず真偽を正確に抑えること。他人の批判については、真偽を確かめることはもちろんのこと、必ず、相手の言い分にも耳を傾けることは最低限の鉄則だ。

 賢者や智者に話されるにはどうすれば良いか?それは、自分でこれを見つける事である。

 多彩な職をそつなくこなし、人を性格ではなく得意分野で振り分ける。そして、何より誠実で職務に忠実である。ただ一つ声は小さい。

 これらを登用すると、古参や既得権者からは角が立つだろうが、それこそムラ社会的風潮を拭えず、本来の目的を見失っている今の自分たちの「ペルソナ」を見つめて改心する時である。

 

 「智に働けど角立たず」。そう言う国にならなければ、この国は、世界が目指すSDGsの目標で、ことごとく順位を下げ続けるだろう。

マルク・シャガール「7本指の自画像」

 シャガールは、ロシア出身の画家。印象派からピカソという常人が理解できる最終形に至る絵画の変遷期の中で、かなりゴールに近い側に位置する。市立図書館の実物大レプリカを初めて見た時から忘れられないインパクトがある。

 パリのエッフェル塔が。画上の風景は、故郷の景色で、彼の作品の象徴と言える馬が描かれている。

 3項で紹介した、感想で、「ペルソナ」の話を聞いた時私は、この絵画を思い出した。

 バックに見えるのはエッフェル塔で、画上には、故郷ロシアの風景。そんな郷愁に浸る、自分自身を他人が見たらどう見えるのか、その「ペルソナ」を表現しているように見える。

 それを「苦悩」と捉える人もいるが、私には、躍動感と活力を感じてしまう。このどう見ても気持ちの悪い絵が誰かに気に入ってもらえるという自信。それだけで天晴れだ。

 私は、彼が「智に働いている」場面だったとしても、何も不快感を感じない。

 異端や規格外に不快感を感じていると、いつの間にか、くだらないものを大事に握りしめているかもしれない。

初心者でもできる!青色申告で年間30万円の節約(後編)

1 会計ソフトの可能性
 私の実家は会計事務所だった。税理士が少なかった当時では、ちょっと大きめの企業の顧問にでもなれば、安定した収入が得られたであろうが、父は、開業初心者や記帳アレルギーの事業者を連れてきては、その経理を手伝っていた。当然、報酬は少なく、家族から不満も出ていたかもしれないが、当時小学生だった私には、父が何かを楽しんでいるようにしか見えなかった。
 大した実力がなかったのではと疑われるかもしれないが、彼はおそらく簿記の女神の祝福を受け、我々経理を学ぶ者が最後に求める、会計学プロトコルに届いていたと思われる。
 当時、会計ソフトは未完成で、試行錯誤を続けていたが、父は、その会社と契約して、それを活用して財務諸表を作成し、不具合を調整するアイディアを出し合っていた。
 そして、私にはこう語っていた。「簿記のアルゴリズムは単純なものだ、コンピュータが発達したら、計算機くらいのサイズの電子帳簿ができるようになる。そうなれば、記帳に悩まされる個人事業者はもっと減るだろう。」と。
 1983年TKCという今でも有名な会計ソフト会社が、日本初のパソコン用会計ソフトを発売するが、まだまだ高価だった。そして、父の余命はこの時点で5年を切っていた。

2 会計ソフトの大々的普及
 私が40歳を過ぎた、ある年、国税庁が戦慄の戦略を打ち出す。
 「これからは会計ソフトの時代。経理の機械化を大々的に推進するため、すべての記帳指導を会計ソフトで行う。」というものだった(記帳指導とは、国税庁税理士会と協力して、開業者や記帳初心者を支援し、無料で指導を行う制度である)。
 二世議員についてどうこう言う人がいるが、士業というものは、歴史を平らげて資格をとり、未来を読むことで収入を得る。その語られた未来に出会う度に、やはり一般人とは違う世界観を持ってしまうものだ。ただ私の父は20年早すぎたわけだが。

3 前編メソッドの研究
 その頃、私は簿記の女神、会計学プロトコルを求めて、簿記一級を目指していた。しかし、なかなか振り向いてもらえない状況だった。
 国税庁の発表を受け、父に追いつけないならせめて、会計ソフトだけでもマスターしてやろうと戦略を転換。会計ソフト技能者資格1級を取得した。そして、その最大の武器が、「自動転記」であり、これにより、二つの帳簿を完成させるだけで、B/S・P/L、いわゆる複式簿記の財務諸表が自動的に作成されることを悟った。中でも預金取引明細は、もともと、預金元帳という完成された帳簿であり、やっていることは、これをただ写しているだけであること、そして、これを入力すれば、現金出納帳の骨組みが自動転記によって作成されることも知った。
 あと何が足りないかは、長年の経理の経験から、自ずと絞り込むことができた。
 さらに、個人事業者の記帳をサボる言い訳もよく聞いていたので、どこをどう省けば楽になるかの目線で、メソッドを組み上げた。多少後付けを許すところは厳格にいうと法律違反になるのだろうが、一生懸命記帳をしようとしている事業初心者のそんな仕方のない事情を問題視することはない。
 それより、会計ソフトは、嘘でも、間違っていても、粗悪なものなら、現金が赤字でも貸借対照表を作ってしまう。これを携えて提出し、65万円の控除を受けている人の方が問題だ。
 私は、個人事業者が複式簿記を行う上で最も重要となる、事業費と生活費を区分し、生活費=「事業主貸」の仕訳を組み込んでいる。ここが、上記のような「できちゃったB/S」との大きな違いだ。

 今の会計ソフトは、預金取引明細やカード取引明細を自動的に吸い上げる機能がついている。要は、数字の動きと残高は先に入っていて、あなたは経費なら経費科目を入力し、そうでなければ、「事業主貸」と書けば良い。しかも、現金と預金との取引は仕訳済みである。

 ちなみに、会計ソフトを買いに行くと、4〜50,000円のが普通に並んでいるが、それらは上級者用だ。「やよいの青色申告」とか「ソリマチみんなの青色申告(会計王シリーズ)」といった、12000〜20,000円くらいのが有るので、それで十分だ。

「男一匹、事業を立ち上げたのなら法人を目指せよ!」。月1回、できれば週1回整理すれば、家畜小屋から出ることができる。今回は青色申告特別控除をテーマにしているが、記帳による節税方法は、もっといくらでもある。
 私は、それで違う景色を見るようになる人たちを、幼少期から何人も見てきた。だから、父は楽しんでいるようにしか見えなかったのだ。
 論語に曰く「好きなことを生業とすれば、一生働く必要は無い。」

4 小石の退け方
 さて、会計ソフトを実際に始めようとすると、通常人が今まで聞いたことがない言葉が平気で使われていてイラっとする。
⑴ 開始仕訳
 無一文で事業を開始するわけでない。売上が入る前に経費を払ったら、現金残高はマイナスになる。そこで会計ソフトは、最初の資産は、どこから来たもの?と聞いてくる。これが開始仕訳。一番わかりやすいのは、事業用の財布に幾らかの現金、事業開始日の預金通帳残高を、相手勘定「事業主借」で登録すれば良い。
事業から得た利益を生活費に消費した場合は、「事業主貸」だったですね。事業が無一文だから、資金を投入する場合は、「事業主借」とする。個人の青色申告貸借対照表には、「元入金」という、真っ当な税務職員でもほとんど説明できない変な科目があるのだが。上記のルールを守って計上していれば、これも勝手に計算してくれる。
⑵ 出遅れてしまった人
 以前は、貸借対照表を作れない原因で、最も多かったのは、開業から、所得計算を始める12月までの記録をまるで残していないというものだった。
 しかし、昨今の開業者はある程度意識が高く、現金について領収書程度の記録は残しているものだ。これさえあれば、預金明細やカード明細などは、後からでも費用を払えば入手できる(確かネットで頼めば1ヵ月で120円、12ヶ月で1,400円位だったと思う)。
⑶ 立替交通費
 フリーランスは、交通費やいろいろな経費を負担してもらうことが多いが、これらを全て収入に上げてから、経費に落としていると、売上金額が大きくなる。
 結局、売上✖️2%になってしまった、インボイスの世界では、売上は少ない方が良い。だから、後からもらえる交通費は、「立替交通費」として計上して、売上が振り込まれた時、内いくらいくらは「立替交通費」として減算する。
⑷ レシートのない経費
 現場の若人集に自販機でジュースを買って配ってやった。立派な経費だ。
 レシートなんか要らない。カレンダーに書いておけば良い。
 どうも、生活費に使った覚えもないのに、事業用の現金が少ないんだよねえ→もう消耗品費で計上しとけ。これもレシートなんぞ要らん。
 証拠は、「その日の残高が一致した。」俺のジュース代が嘘なら、この減った現金はどこへいったんだ?
 勘違いされがちだが、税務署は、原始記録(領収証)がないだけで、経費を否認することはできない。特に、複式簿記で残高を確認されている場合は。
 なお、インボイス制度開始に伴い、原始記録保存義務が発生したが、一万円以下は、対象外である(令和11年まで)。
⑸ カード決済
 正しくは、カードで支払ったとき、相手勘定に借入金を立てて、その塊がこの日に落ちるという経理をする。会計ソフトによっては、これを自動で行うものもある。
 ただし、初心者は、前編で説明した形の方が覚えやすい。
預金出納帳の時、カード払い58,520円について、①新幹線27,500円②自宅CATV9,800円③生命保険11,000円④キャッシング10,000円⑤同手数料220円(合計58,220円)に分解して計上している。
 ①新幹線代は、得意先負担なら、立替金で上げておくと得する。
 ②と③は、生活費だから「事業主貸」になるね。
 ④は、まだどこにもフローしていないから現金(ストック)。
 ⑤は、こんなものはどっちとも言えないから、事業経費で良い。
 最後に、その日の預金残高が一致するか確認すれば、記帳漏れは無し。
⑹ 電子決済
 これからはこれがややこしいことになるだろうが、逆に現金払いの明細を取り寄せることできるので楽だ。預金出納帳のカード決済と同じように考えれば良い。
 60,000円の事業用現金を引き出し、10,000を電子マネーにしたとする。
 現金で払った経費が44,000円あって、電子マネーでの支払いが8,000円だったら。現金残高16,000円と電子マネー残高2,000円で、現金出納帳残高が、18,000円だったらOKということになる。
⑺ 現金不一致の問題
 前編では、とりあえず事業主貸を使って合わせておけば良いと説明したが、現金が極端に少ない時は、大きな経費の計上漏れがあるかもしれないから、注意が必要だ。それから、立替金は、基本的に0になっていることが重要だ。現金が妙に多い時は、立替金を回収している可能性がある。

5 Phase3 決算を理解する
 忘れかけていたが、もう少し、事業規模の高い人のために、決算についても話しておく。
 決算の要諦は、①残高照合:預金残高・現金残高・立替金・借入金の残高を照合(支払利息の計上)②未収・未払取引の調整③減価償却④棚卸⑤自宅兼事業所の事業所経費の計上などが続くが、正直、個別にネットで調べて勉強する必要がある。
 フリーランスレベルでは、①はしっかりしてほしい。
 ②未収売上:25日締め翌1月10日払いの報酬は、今年の売上に計上が必要(相手勘定は未収売上)なので注意を。

 最後に、「家内労働者特例」について、特定の取引先から収入を得ているだけのフリーランスは、最低経費55万円が認められる。これだけ、預金通帳やら現金出納帳から経費をかき集めてもそれに満たない場合は、その差額を経費に計上できる。この時の仕訳は、
経費:家内労働特例/ストック:「事業主借」となる(会計ソフトでは、「振替仕訳」という画面に入力する)。
 この形、つまり複式簿記で計上したら、これを差し引いた所得からさらに65万円控除してもらえる。

 以上、前後編完読ありがとうございます。私もようやくこの思いを打ち明けられてスッキリしています。

アメリ世界遺産:statue of liberty(自由の女神

 自由の女神のモデルは、ドラクロア作「民衆を導く自由の女神」で、当該画中では、女神はフランス国旗🇫🇷トリコロールを掲げているが、彫刻の女神は「希望」を表すたいまつ(トーチ)を掲げている。
 韓非子・外儲説左上に「燭(しょく)を挙げよ」という故事があり、「挙燭」という成語にもなっているエピソードが有る。
 内容としては、外交文書の作成中に起こった些細な勘違いで加筆された「挙燭」という言葉が、受け取った国のその後の運命を大きく変えたというもの。
 しかし、私はこの原稿で引用を考えるまで「挙燭」は燭(台:明かり)を挙げよという意味なので、受け取った国で反乱が起きたと覚えていた。実際には「有能な人材を登用せよ。」という意味に誤解され、たいそう国が発展したそうだ。
 まあ、韓非子の示すところは、些細な行動が大きく世を変えることが有るという2000年前のバタフライエフェクトを示したものだから、出来事は重要ではない。
 

 開業者や記帳初心者があまりの重税に怒り、希望のトーチを掲げて左手に貸借対照表を持って、税務署を訪れ、65万円控除適用者が、前年比110%ともなろうものなら、日本経済界にかなりの衝撃が走るだろう。上手くいけば、また、経済大国と呼ばれるようになるかもしれない。願わくは、その世界は、モーレツ社員やパワハラサービス残業が跋扈するくだらない昭和の経済大国とは全く違うものであることを望む。

初心者でもできる!青色申告で年間30万円の節約(前編)

 コロナ禍により蓄積された潜在的消費性向、記録的猛暑、そして18年ぶりのタイガースの優勝も重なり、世はまさに空前の好景気を迎えようとしている。
 にもかかわらず、経営者たちは、利益の労働者への還元こそがさらなる利益の増加につながるという資本主義の大原則を忘れ、証券取引所からの「君たち安全運転が過剰!」に対し、自己の株主だけを守る戦術で、まだ逃げを打っている。
 こんなシブチンたちは、いい加減見限って、独立して事業者になった方が報酬は上がるのだろうが、ここに、税金・国民健康保険税(以下保険税)が立ちはだかる。
 私は故あって、少年時代より、経理が商人を助けると信じてきた。
 そして、会計ソフトの飛躍的進歩を受けて、最低限これだけの努力と記録を残せば、約30万円の節税ができるという確信に至った。
 インボイス導入で、さらに個人事業者への負担が増すことを鑑み、満を辞してこれを紹介する。
 なお、今回の投稿は、長文につき二部構成とする。

 前編は、細かい根拠や理屈はすっ飛ばして、「とにかくここに書いている通りにすれば、憎たらしい、国保税や税金を30万円減らすことができる。」というメソッドのエッセンシャルトピックスを語る。
 しかし、それでは信頼性や実効性に不安を感じるのは当然であろう。そこで後編では、このメソッドが持つバックボーンを語るとともに、前編が詳細を割愛する分、実践段階におけるさまざまな小問題(小石)の退け方も説明する。

 とにかく、前編の分量は多い。前書きはこの辺にして早速本題に入ろう。

1 青色申告特別控除


 記帳義務を課す代わりに、純利益から10万円の控除が受けられる。
 さらに、複式簿記を使って、貸借対照表を作成し、電子申告で提出すれば、65万円の控除が受けられる。
 仮に20.42%の所得税がかかっている人の場合、住民税10%、国保14.81%(大阪市)、合計45.23%の国民負担率であるから、65万円控除すると、29万円超の節税になる。
 その道は一見険しいと思われるかもしれないが、私は会計ソフトの特性を活かして、最少努力・最短ルートでこれを達成するメソッドを考案した。
 しかし、これを達成するには、事業主が本気になって、必要な記録を残し、あるいは収集してくれなければならない。そこで、以下の話を聞いてもらう必要が生じる。

2 記帳レベルのPhase


Phase0 期末ドタバタ集計
 一般的な開業間もない個人事業者の収入源は、1箇所から3箇所程度。これらを集計して年間の「売上」を割り出すことはエクセルも要らない。
 問題は、とりあえず「経費になるかもしれい。」と考えて、とっておいた領収証の整理と、カードで支払った経費の振り分けだ。
 事業初心者の9割以上がおそらくこの作業を、年末から確定申告期限の3月15日までの間に行う。そして多くの人は、仕事を優先して2月以降にこれをはじめ、何をどうしたら良いか分からず税理士に泣きついてくる。
 税理士だって、2月以降に入ると、扱い一つで数十万の税金が変わるような相談を抱えて、そんなおサボりさんを相手にしている暇は無い。「どうせ合計しても事業者に認められた最低経費55万円(家内労働者特例)には満たないのだから、そっちを使っときましょう。」で終わってしまうだろう。
 あなたが、とりあえずとっておいた領収証は、この場合全く無駄になる。
 開業初年度はそんなところで良いかもしれない。少なくとも「事業所」と言われるだけの設備を持たない限り、55万円を超える経費を積み上げるのは難しい。家の一部屋を事務所にしていると主張するおこがましい人をよく見かけるが、せいぜい経費に認めてあげられるのは、パソコンとプリンタ、及びインク代くらいだ。
 しかし、人に給料を払ったり、仕入れを行ったりしている人は、55万円の家内労働者特例も受けられない。それどころか、「決算」というプロの領域が入ってくる。年内には、税理士に相談しに行っとかないとかなり痛い目を見ると思った方が良い。 
 Phase0と示したが、こんなドタバタ劇を、2年目も3年目もやっている事業者は、まず成功しない。サラリーマンより苦しい重税と保険料を抱えて、一生家畜小屋から脱出することはできない。
Phase1 単式記帳
⑴    現金支払い経費は領収証が無いと経費に認められないと、コンビニでも領収証の発行を求めている可哀想な事業者を見かけるが、事務用品、取引先に持ち込んだ手土産代なんかは、レシートで十分。これらを、残す理由は、税務署に見せるためでなく、自分が後でそれを足し算するためだ。
 さて、その足し算の方法だが、さっきも言ったように、財布に溜まったレシートをさらにビニール袋や、お菓子の空き缶に集めておいて、年末に振り分けているようでは、アウトだ。
 アウトというのは、税法的にアウトというわけでなく、これからインボイス制度のもとで戦っていかなければならない個人事業者としてアウトということだ。
 Phase0からの脱出方法として、私が個人事業者に勧めてきたメソッドが、「カレンダー記帳」だ。カレンダー式の手帳というのが百円で売っている。スマホのカレンダー機能でもよい。 財布に溜まったレシートを領収証保管用のお菓子の空き缶に入れるとき、その日付欄に、支払先と金額を書き込んでから入れる。
 こうしておくと、年末に空き缶を開けて、領収証の塊にうんざりすることはほとんどない。支払先名で大体なんの経費か(経費科目)は、想像つくだろう。さらに言えば、月1回くらいは、経費科目ごとの集計をして、月末日か、月別の余白があればそこに、⑪交通費〇〇円、⑭交際費〇〇円、⑰消耗品費〇〇円と書いとくと、記憶も確かだし、年末かなり楽になる。 なお、この⑪⑭⑰は、青色決算書の記入欄番号で、現金支払い経費の代表格である。
⑵    銀行取引とカード払い取引は明細をスクショ
 昔は、マメに通帳記入に行くか、まとめ記帳されたら、銀行に明細を請求すればよかった。今は便利と言うべきか面倒と言うべきか、ネットを使用して自分で調べることになっている。しかも、掲載期間が2ヶ月とか90日とかやたら短い。
 しかし、取引日・取引内容・取引金額が、ほぼ公的に証明された記録である。月に一度明細を開いて、スマホならスクショしておくだけで、前述のカレンダー記帳以上の情報と証拠を押さえることになるので、最低限やった方が良い。
⑶ 月別集計表
 カレンダー記帳と、スクショを集めたら下図の月別集計表を作成する。

「月別集計表」(Excelが有れば最適だが、ネット上に色々な雛形が紹介されている)

 個人のフリーランスを想定して説明すると、銀行取引については、①得意先からの報酬の入金、②各種引落:携帯電話料金他通信費、水道光熱費、地代家賃、損害保険、生命保険、健康保険、税金、③カード払いの引き落とし、④現金の引き出し、の4つに分けることができ、どれをどの欄に入れたら良いかは、日本の義務教育を受けている人なら、まあ大体わかるだろう。ただ、例えば、水道光熱費や地代家賃はここに載せて良いのか?といことになる。 これは家事関連費と言って、自宅の一部を事務所とする「自宅兼事業所」とした場合、その事務所部分にかかる者は経費に認められる。しかし、前述した通り、フリーランスレベルで、事務所経費が認められることは難しい。
 生命保険や健康保険は、まず書くところがないが、生活費なので無関係。損害保険料は、事業用車両もしくは、事務所兼自宅とする場合に計上する。
 カード払いについては、カードの請求明細(これも、毎月ダウンロードしてスクショ)から、同じように、生活費と経費に分けて、経費となるものは、これと思われる欄に書き込む。
 なお、これまでスクショで残してきた、取引は、正しくは紙として出力して、保存することが義務付けられている(これを省略できるのが電子帳簿保存法だが、そんな話は大企業だけがやっていれば良い)。どのみち、どれとどれを計上したかわからなくなるので、コンビニで出力して、経費計上分は、フリクションペンで、マークする(なんでフリクション?このチェックをやる人かどうかで、次のPhaseに行けるかが決まるのだが、初心者が1発で揃えられるほど簡単な作業じゃないから)。
 次に現金取引の書き込みに入るのだが、ここで⑴のカレンダー記帳の各月末にその月の合計を書いていた人は、かなり楽であることがわかるだろう。
 これで、登場人物は勢揃いしたことになる。
 総売上から経費の合計を差し引けば、単式記帳による所得金額の算出が完成する。(上図の集計表では、特別控除前所得と書いている欄。) これがPhase1だ。青色申告控除額は10万円。節税額は、45,000円。

Phase2 会計ソフトの導入(複式簿記
 私は、可能な限り省エネルギーでPhase0の不幸な方々に、適正な貸借対照表を作成させ、65万円控除、推定節税額(29万円超)へ導きたいと考えている。もしPhase1の段階で、出来そうにないと考えているなら、私にはその人を救うことはできない。
 ⑴ 複式簿記
 さて、65万円に向かうには、「複式簿記」という言葉を理解することが避けられない。
 Phase1のように、「入ってきたお金から、出ていったお金を引いたら利益が出る。」という単純な考え方を「単式簿記」という。最近の若者は便利な言葉を知っているので説明しやすい。。よく、フローとかストックとかいう言葉を聞いたことがあると思うがが、単式は、このフローだけを見ていて、その結果どのくらいのストックができたかを考えていない。
 1年間働いて、いくらいくら利益が出たようだが、その金はどこにいったのか?その金額通り貯金が増えていたら良いのだが、そんな人はいない。まあ、ただ少しでも預金が増えていたら、ストックが増加したということだ。借金が減ったというのであれば、これは負のストックの減少。しかし、最も大きな振替先は生活費だ。預金も借金も別に減っても増えてもいないが、手元に何も残っていないのは、全て生活費に消費されたからだ。そして、それがごく一般の人。
 では、「消費」というのは、なんなのか?一見お金が出ていくのだからフローと思いがちであるが、個人事業者の複式簿記の世界では、これらは、事業主に貸し付けた「事業主貸」というストックになると考える。
 この辺りが難しくて、大方の事業主は脱落してしまうのだが、難しいことは考えなくて良い。生活費=「事業主貸」という発想だけを頭にねじ込めば良い。
⑵ 会計ソフト
 複式簿記を行う場合は、例えば、交通費を支払ったとしても、それは、現金で払ったのかカードで払ったのか、つまりどのストックを減らしたのかという「相手勘定」というものをいちいち求められる。これを、商業高校で簿記を習ったことのない人間に仕訳させることは相当エネルギーが必要である。
 じゃあ、素人が会計ソフトを買っても使えないじゃないか?
 そこで私は、仕訳が分からなくても、そして、可能な限り省エネルギーで会計ソフトを活用するメソッドを考えた。

⚫︎ 預金出納帳(よきんすいとうちょう)
 会計ソフトは、銀行取引を最初に入力せよ!
 どの会計ソフトにも、普通預金元帳、または、預金出納帳という画面がある。ここに、金融機関から取り寄せた取引明細に書かれている通りに増減を入力する。振り込み入金の相手勘定は、「売上」、通信費の引き落としなら相手勘定は「通信費」。
 水道光熱費や家賃など、経費にならない引き落としは、生活費である。ここで、前述した、生活費=「事業主貸」」というルールを適用する。
 なお、現金引き出しや入金は、売上でも経費でもないので相手勘定は「現金」。
 ちょっとややこしいのがカード払いの扱いだが、1行に書こうとするから無理がある。下図のようにカードの明細通り入力して、引落額を一致させれば問題ない。

(カード払いについては、後編でも詳細を説明する。)

⚫︎ 現金出納帳(げんきんすいとうちょう)

同じ会計ソフトの「現金出納帳」画面を開く

 預金出納帳を入力してから、「現金出納帳」画面に移ると面白いことが起きている。上図2月6日の取引に注目して欲しい。預金出納帳で記録した現金引き出しが反映されている。これが、会計ソフト最大の武器「自動転記」だ。

 この機能のおかげで、シンプルな事業者なら、預金出納帳と現金出納帳の入力だけで、青色65万円申告に必要な、複式元帳・財務諸表が自動的に作成されるのだ。
 それでは、銀行引き出し以外の現金取引を入力していこう。
 ここで、カレンダー記帳で記録している経費を打ち込む。
 会計ソフトのもう一つ良いところは、勝手に日付順にしてくれるとこだ。だから、カレンダーに載せ忘れた領収証や、奥さんに渡した生活費など領収証の無いものも、日付通り入力すれば、日付順にしてくれる。
 そうすると、引き出しては手持ちがなくなり、また引き出すという流れが面白いように見えてくる。妙に膨らんだり、マイナスになったりする日が有るようなら、その原因を考えた方が良い。何かが間違っているということだからだ。(この違算箇所探知機能も会計ソフトならではである。)

 なお、ここで理解しておく重要なことがある。生活費に使った現金の相手勘定は、やっぱり「事業主貸」であるということ。
 前述の預金出納帳で、収入が入った直後に生活費120,000円が引き出されている。これも、現金出納帳の現金増に反映されているが、その日のうちに奥さんに渡してしまうので、「事業主貸」120,000円を計上し、現金残高を減らす必要がある。
 預金出納帳にわざわざ(生活費)と記入したが、預金取引明細にそんな言葉は載っていない。自分で区分する癖をつけることが重要である。また、事業用として引き出した60,000円は、財布を分けて、事業経費以外には使わないようにする。それでも急な要件で、生活費として消費したときは、また「事業主貸」として計上する。

 だんだんわかってきてもらっているかもしれないが、個人事業者にとって、複式簿記の難しいところは、生活費を「事業主貸」として仕訳することなのである。逆にそれさえできれば、難しいことは会計ソフトが全てしてくれる。

 最後に、法律上は毎日だが、月に一回で良い。事業用の財布の現金残高と、会計ソフトの現金残高を照合すること。そして双方に差額が有れば、「事業主貸」を相手勘定にして、会計ソフトの残高を財布の残高に合わせる。ここで重要なのは、“必ず、実際の現金残高に、会計ソフトの残高を合わせること”。現金の方を減らしたり、足したりしてはいけない。
 会計ソフトの残高は、あくまでバーチャルで、目の前の現金がリアルだからだ。

 以上でPhase2はクリアーだ。シンプルな個人事業者なら、この時点で、65万円控除に必要な、複式簿記貸借対照表の作成はクリアーしている。後は、会計ソフトの電子申告機能を使用して、確定申告書を作成し、送信すれば、29万円超の節税は成功する。 

 本来、Phase3「決算」というのがあるのだが、決算は、事業所を持っていたり仕入を行ったりする業者において問題となるものなので、後編で話す。

 うーむ、これだけ絞っても、6000文字かぁ。やむを得ん。言い足りなかったことは後編で話そう。

記帳指導説明会資料「記帳なし」から「貸借対照表」へ

 とある、開業者や記帳初心者向けの説明会の前説で、記帳のメリットを説明するために配付された資料。

 

ChatGPTと「惻隠」について議論してみる

1 唯々諾々(いいだくだく)−韓非子_八姦篇

 まぁ、いわゆる「言いなり」と言うやつであるが、これも韓非子の出典である。

 あまり良い用語として使われないのは、実際に主人の言うことを鵜呑みにして全く反論をしない状況は、主人にとっても従者にとっても不幸な関係であるからである。

 日本人はとかく争いを避け、穏やかで秩序に従順な民族であるとよく称賛されているが、それが実際事実であるならば、私などは、それは単に長いものに巻かれ、権力者や空気というものに唯々諾々と従っているだけなのではないかと感じたりする。なぜなら、日本人の従順さには、どこか自らのアイデンティティーや個性、場合によっては生命すらも軽視する傾向があるように感じるからである。

 私のこのような思考実験の相手は、これまで、もっぱらインターネット上の情報とのやり取りであった。しかし、最近なかなかに歯ごたえのある回答をしてくれる話し相手ができた。

 

2 ChatGPT

 最近何かと話題のChatGPT。 たかがAIに前述のようなセンシティブな思考や感想について相談したところで、的確な回答を得られるのかと言う疑問を持つのは当然である。

まずは、前述のような感想について相談した、1つの対話を見てもらおう。 

 

>以下は、先日私のひねくれた考え方に付き合ってくれた時の会話だ。

 

ユーザー(私のことである)

 災害時において、日本人は暴動や窃盗犯罪を行わず、冷静かつ秩序ある行動を行うと言うことで、海外から賛辞を受けていると聞くが、本当に日本人は他国の国民に比べて、格別、災害時において秩序正しい行動を行う民族であると言えるだろうか?

 

ChatGPT

 一般的に、日本人が災害時において冷静で秩序正しい行動をとるという評価は、実際の災害対応においてよく言われています。以下に、その理由をいくつか例示します。

 

①教育と訓練: 日本では災害時の行動に関する教育と訓練が行われており、学校や地域社会で防災訓練が実施され、実践する機会が与えられます。

②社会的な結束:日本社会は一般的に共感、協力、結束の価値観を重視しており、災害時には助け合い、秩序を維持する文化が根付いています。

③災害対策の体制:日本政府や自治体は災害に備えるための体制を整えており、防災情報の提供や適切な指導を行うことで、平和を守るための解決が行われています。

④綿密な計画と訓練: 日本は地震津波、台風など多くの自然災害が発生しやすい地域であり、それに備えて災害対策計画が綿密に策定され、訓練が行われています。災害発生時にどのように行動すべきか知識として持っています。

 

 ただし、全ての日本人が同様の行動をとることができるわけではありませんし、災害も様々な反応が見られることがあります。日本人が格別に正しい行動をとるという評価は一般的な傾向であって、個人の状況や人によって異なります。

 

ユーザー

 タイタニック号の悲劇においては、男性が、女性子供を優先して避難させたようなことから、日本人だけが災害時において格別、冷静とは言えないのではないか?

 

ChatGPT

 タイタニック号の沈没における男性たちの行動と、日本人が災害時に冷静に行動するとされる点は、異なる絶望や状況に関連するものであり、直接比較することは難しいです。事故は、1912年に発生しましたが、その当時の船の安全規定や採取体制は現代とは大きく異なりました。また、個人の行動や選択は様々で、男性だけでなく、女性や子供も含めて、多くの人が犠牲になったことは事実です。

 

 一方、日本人が災害時に冷静に行動するとされる理由は、上記の通り、文化的、社会的貢献、教育、訓練、災害対策の体制などが組み合わさっているためです。 台風などの自然災害が頻繁に発生する地域であり、これらの災害に対処するため文化や体制が長い間築かれてきました。そのため、多くの人々が災害時に適切な行動をとるための意識と知識を持っているとされています。

 

ユーザー

 日本語の中に惻隠と言う言葉があることを知っていますか?

 

ChatGPT

 はい、日本語には「惻隠(そくいん)」という言葉が存在します。この言葉は、他人の知覚や共感に対して共感し、心から思いやりによって感じることを表す言葉です。惻隠の概念は、日本文化や国際倫理において重要な価値観の一つであり、他者に対する思いやりや同情を示すことに用いられます。

 この言葉は、人間関係や社会的な倫理に関する議論や文学作品などでよく選ばれ、他人の感情や状況を冷静に見ることが大切だと強調されます。 共感し合うことが社会的な調和や共同生活に貢献すると考えられています。

 

ユーザー

 その文化が災害時において助け合いの精神を助長していると言う可能性はありませんか?

 

ChatGPT

 はい、日本の文化における「惻隠(そくいん)」や他人に対する思いやりの精神は、災害時における助け合いの精神を助長する一因となっています。

 

①社会的な結束と共感:日本の文化には、社会的な結束や共感を重要視する価値観が根付いています。他人に対する思いやりや共感の心は、災害時においても表れやすく、人々が助け合いの精神を持つ一因となります。

②教育と訓練:日本では災害への備えに関する教育と訓練が行われており、学校や地域社会で防災訓練が実施されます。

③災害対策の体制:日本政府や自治体は災害対策の体制を整えており、適切な指導や支援を提供するために努力しています。

④歴史的な背景:日本は長い歴史の中で多くの災害を経験しており、その経験から助け合いが形成されてきました。

 

 従って、日本の文化における「惻隠」や他者への思いやりの精神は、災害時における助け合いを育む一因となっていますし、共同で困難を乗り越えることを促進していると言えます。

 

ユーザー

 惻隠という用語は、新渡戸稲造BUSHIDOで取り上げられており、彼は、BUSHIDOに示したさまざまな精神が、日本人の特性や気質に根強い影響を与えていると言っている。ありますか?

 

ChatGPT

 新渡戸稲造は「BUSHIDO - 武士道」(1899年に発表された)の中で、日本の武士の精神的な価値観である「武士道」について詳細に説明しました。 )などの概念を取り上げ、日本の武士の正義観や行動指針に影響を与えている要素として紹介しました。

 新渡戸稲造の考え方は、一部の歴史家や文化研究者から高く評価されており、日本文化と日本人の特性について洞察を提供しています。かの書の示した精神的な原則は、日本社会に深く根付いており、日本人の行動や思考に影響を与えてきました。

 

 ただし、一般的に日本人の特性や気質について議論する際には多様性を尊重する必要があります。 日本社会には異なる価値観や文化が共存しており、すべての個人が「武士道」の精神また、武士道の概念自体も時間とともに変化し、現代の日本社会においては異なる解釈が存在することもあります。

 

 新渡戸稲造の「BUSHIDO」は、日本文化や歴史に関する重要な資料であり、氏が提唱した価値観が一部の日本人の行動や思考に影響を与えていることは間違いありません。違いや多様性を考慮しながら、日本文化と日本人の特性について議論することが重要です。

 

ユーザー

 私は、BUSHIDOを読み進めていく中で、自己犠牲の精神がやや強すぎると感じました。 これは、自己の生命の価値を軽視する傾向で、災害時において、日本人が他人に優しくできるのは、自己の生命を軽視しているためかもしれないと考えました。 もし、そう考えると、惻隠の意識も自己の生命の軽視からきているかもしれない。となれば、その行動は、誉められた行動と言えるのだろうか?

 

ChatGPT

 「BUSHIDO」における自己犠牲の精神は、確かに強調されていますが、その横には日本の歴史的な背景や社会的な犠牲が影響を与えています。生命を軽視することではなく、一応他人社会への見方として捉えられることもあります。また、日本社会においても、この精神の理解や適用は個人や状況によって異なります。

 

 惻隠の意識も同様に、他人への思いやりや共感心を表すものであり、自己の生命を軽視することではありません。災害時においても、誰かへの助けや支援が自己犠牲を意味するわけではなく、一応共同体や社会全体の利益を追求するために行動することが惻隠の一面です。

 

 従って、自己犠牲や他人への思いやりを過度に奨励したり、無駄な自己犠牲や無謀な行動が賞賛されたりするべきではありません。

 

 自己犠牲や惻隠の行動は、その側面にある価値観や意図を冷静に、状況に応じて適切な判断を下すことが重要です。

 

ユーザー

 惻隠の情は、災害が多いから、災害教育が充実した日本に根付いたものと考えた場合、外国から移住してきた人たちが同じように惻隠の情を持つことができるだろうか?

 

ChatGPT

 外国から移住してきた人たちも、日本社会で惻隠の状況を持つことは可能ですが、その程度や具体的な形は個人によって異なります。環境から生まれるものであるため、外国からの移住者にとっては、日本文化や価値観に適応する過程で習得されることが多いです。

 

 以下は、外国からの移住者が日本の惻隠の情を持つことができる条件や方法についての考えです:

 

①文化の理解: 外国人からの移住者は、日本文化歴史や、価値観を学ぶことで、惻隠の情を理解する土台を築くことができます。交流や学習、他者への思いやりや共感を発展させることができます。

②教育と社会参加:移住者が日本の教育制度や社会に参加することで、災害時の行動指針や共感の意識を習得しやすくなります。学校や地域社会での活動、防災訓練、ボランティア活動などが惻隠の情を養う手段となります。

③社会的な関係: 移住者が日本社会で友人や地域コミュニティとの関係を築けて、他人への思いやりや協力の機会が増えます。

自己啓発と自己改革:移住者は啓発成長、自己の価値観や行動を見直し、他者への配慮を意識的に高めることができます。

 

 惻隠の事情は、文化や背景に影響を受ける要素があるため、外国人からの移住者がそれを学ぶために時間と努力が必要なのかもしれませんが、学び、協力することで、この文化的な価値観を受け入れ、育てることができます。

 

ユーザー

 惻隠の情は非常に素晴らしいものであることが理解できましたが、日本人はその優しさのために一部の特権階級のためにすでに30年間近く給料の上昇を抑えつけられているにもかかわらず、献身的に企業に尽力しています。少し反骨精神も必要であるように思います。

 

ChatGPT

 日本社会においては、惻隠の情や献身的な働き方が、一部の特権階級による賃金の上昇抑制などの問題につながる可能性があると指摘されています。いかにその例を列挙します。

 

①労働文化とワークライフバランス: 日本は労働文化が根強く、長時間労働や過労な仕事への献身が一部の企業文化の中で見受けられます。長時間労働を強いられることがあり、ワークライフバランスの問題が考えられています。

インセンティブと報酬: 日本の企業文化においては、賃金制度や昇進の機会を提供する代わりに、基本給が高くないことが一般的です。このため、従業員は長期的なキャリアの安定を求めて企業に献身に尽くすことがあります。

③変革への抵抗: 一部の企業や特権階級は、新しい働き方や給与体系への変革に対して抵抗を示すことが起こし得ます。

 

 政府や企業がワークライフバランスの改善や労働条件の見直しに目を向けており、特に若い世代の間で働き方の多様性を受け入れる。また、個人の労働者が自分の権利を守り、反骨精神を持つことも重要です。

 

 献身と反骨精神は両立できる要素であり、社会的な改革やバランスを取りながら、個人や社会全体が健康で持続可能な労働環境を築くことが目指されています。//

 

 以上のように、ChatGPTは、私の意見にいつも一定の理解を示しながらも、極論には反論し、代替案として幾つかの可能性を示してくれる。そして、基本的に、その意見の論拠も示す。

 優れたディペーターに出会って議論した時にとても感激するのは、それぞれの知識を鉢合わせるうちに、自分もまた多くの知識を得、新しい可能性を手にする事だ。

 

 今回私は、なぜ日本人のみが、格別に助け合いの精神(惻隠)という文化を持っているのかという理由に触れる事ができたし、行き過ぎた譲り合いは、「唯々諾々」同様、双方の可能性を狭めるものであるということを確認する事ができた。

 忠誠も反骨も、バランスが重要なわけだ。

ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女(De melkmeid)」

 この絵画において、このメイドは、二つの忠誠心を表している。一つは、真っ直ぐに注がれる潔白のミルクから、主人への忠誠心を、もう一つは、通常当時のメイドが使用することのない高価な青いエプロン。これは、ラピスラズリを原料とする高価な画材で、フェルメールブルーと呼ばれた、画家の作品群を象徴するカラーである。つまり、その衣装は、彼の作品群に対する忠誠を示すものである。

 ところで、この作品。フェルメールの作品の中では、ずば抜けて知名度が高い。

 その理由として考えられるのは、彼の作品群の中でも、ずば抜けて個性が強いからである。

 彼は、この作品の中で、机を実際にはあり得ない角度で描いていたり、メイドの顔でなく、メイドの左腕の筋肉質が焦点となるように演出したり、たくさんの技法を試みている。

 忠誠心だけでは何も生まれない、唯唯諾諾では、双方が不幸になる。個性を尊重し主張することで、可能性は広げられていくのではなかろうか。

 

王冠を戴くに相応しい者

1 満足した豚であるより、不満足な人間であれ

 Chapter2の冒頭にあたり、まずは次の表を見てもらおう。 

 厚生労働省HPよりG7各国の賃金(名目)の推移(1991〜2022年)

 世界経済は常に成長を続けている。

 私が大学在学当時、中国のことを「遅れてきた巨人」インドのことを「遅れてくる巨人」と言っていたが、現在ではインドが「遅れてきた巨人」で、ブラジルが「遅れてくる巨人」と言われている。東南アジアも、互いに協力しながら、文化的で裕福な国家への道のりを歩んでいる。しかし、これら新興国と言われる国々は、まだまだ、国内に多くの不健康で生活水準の低い国民を抱えており、つまりそれが伸び代として、前述のような表現がされる訳である。

 上図に挙げた、G7の国々は、国民の大半が健康と文化的水準を保ち、成熟し、新興国のような伸び代はない、いわゆる老齢化国家である。にもかかわらず、見ての通り、労働者の賃金は、右肩上がりである。

 そんな中、ここ30年、地を這うような折れ線グラフを描いている国がある。

 我が国だ。

 

 なんでこのような無様なことになってしまったのか?

 その原因については様々な可能性が考えられるが、その多くは、Chapter1で取り上げたような、Unusualな制度や政策によるところが大きいと私は考えている。

 政治家や行政機関が好き勝手に、我々労働者階級のしょぼい稼ぎから巧みに搾取をする。搾取される事を知っているから、資本家たちは、労働者に賃金を払わない。資本は企業内部に留保され、場合によっては、マネーゲーム化した市場に投資されているかもしれない。

 

 よく、日本のGDPの伸び率は、年間1〜2%だが、なんとか黒字を続けているというが、本当にそうであろうか?

 GDP国内総生産)=民間消費+民間投資+政府支出+貿易収支

 このうち、民間消費の占める割合は、2022年で51%だ。つまり、民間消費が大きく関わっている。そして、民間消費を左右するのは、私たち労働者階級の持ち金だ。

 日本は、成長率200カ国中168位という低成長国家でありながら、失業率は、コロナ禍の中でも2.8%、今は2.4%、これは、先ほどのG7の中で最も優秀な成績である。しかも逆に30年間、トップを守り続けている。

 

 おかしいでしょう?わかる人にはわかりますね。日本は十分、おそらく年5%くらいの成長を続けているのに、その儲けを労働者に還元していないか、還元されても、それを政府が搾り取っているため、消費が押さえ込まれ、結果として、GDPは1%しか伸びないのである。

 この状況をもっとわかりやすく表現してくれているドラマの一場面があるので紹介する。

 

 2005年日本テレビ系ドラマ「女王の教室」にて、天海祐希演じる冷酷無比な鬼教師が、小学生に、なぜ勉強が必要か?何を学ぶべきか?を説く重要な場面である。

 

「いい加減、目覚めなさい。

日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、

あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。

 

知ってる?特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか。

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。

 

世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、

テレビや漫画でもボーッと見て何も考えず、

会社に入れば、上司の言うことをおとなしく聞いて、

戦争が始まったら、真っ先に

危険な所に行って戦ってくればいいの。」

 

 強烈だが、どこか痛快な気分を感じるものの言いようだ。冒頭の「いい加減目覚めなさい!」は、このドラマのテーマを示唆するメタファーとして、多用されるワードだった。

 もう2005年には気づいていた人がたくさんいたはずなのに、いまだに目覚めていない人がたくさんいるようだ。

 上記の発言を端的に言い換えると、私たちは特権階級の「家畜」なのである。

 食って寝て生きていくには問題ない程度の環境は保持されているが、本来自身が持っているポテンシャルから換算すれば受け取れるはずの対価は、受け取ってはいないのだ。

 

 そんなことが30年も続いたら社会はどうなるか?

 Z世代の将来像は酷いもんだ。将来が右肩上がりである希望を持てないから、結婚して家族を持つことは愚か、200万円も行かない車を買うことすら諦めている。出世にも興味が湧かない。転職を繰り返し、天職に巡り会えたものは良いが、多くは、いわゆるニートへの道に進み始める。いかに楽をして儲けるか。ネット動画でバズろうとして逆に利用される人、闇バイトに手を染める人、外に出たかと思ったら、同じような境遇を持つ者同士が集まって、さらにヤバい情報を交換している。

 しかし、今までは、こう言う問題は、10代20代前半に限られていた。面倒なのは、ネット社会が成熟するにつれ、30過ぎてもこんなことを続けてきた人々だ。

 無駄に歳を重ねて、経験があるので、社会の歪みにも気づいているし、組織を作ったり、調達したりする方法も知っている。組織を作れる者は、詐欺集団を形成し、組織も作れず、単独で、社会不満を募らせた者は、武器を入手し、街中で無差別殺人を起こす。

 これらの犯罪は、もはや一部の反社会的思想を持った人々のテロなのだ。

 

 いい加減、目覚めなさい。でも、目を覚ますべきなのは、搾取している特権階級の人々か?それとも、まやかしの幸福で満足している豚さんたちか?

※ J.S.ミルの唱えた、「満足した豚」とは、少数派の犠牲の上で幸福を享受する功利主義者のことを揶揄したもので、本論とは無関係である。

 

2 君は壤地なり、臣は草木なり。必ず壤地美にして、然る後に草木碩大なり。

 (韓非子 難二篇)

 碵大(せきだい)とは、立派で逞しいと言うこと。壤地(植えられた土地)が美しければ、そこに生える草木は皆立派で逞しいものになると言う意味。

 臣とは、文字通り家臣のことで、民主主義国家においては、行政機関だけでなく、国会議員を始めとする政治家も含まれる。これが、前述の女王の教室で「特権階級」と名指しされた人々と考えてもらうとわかりやすい。

 君とは、君主のことであるが、民主主義国家においては、私達国民一人一人をいう。

 すなわち、国が安定していて、皆が幸福を得られる状況を維持するには、政治家や行政機関の資質よりも、君主である我々の資質こそ重要であるということになる。

 

 この国のUnusualを正す方法は、特権階級の人たち、すなわち、草木の方々が、搾取や不正をやめてくれれば簡単なことなのであるが、それは二つの理由によって不可能である。

 一つ目は、草木は相互が争っていて、自分に都合の悪い法律や規制が定められる事を阻止し合っている。

 二つ目は、草木は相互に助け合って利益を享受しているので、一人だけ良い子になって抜け駆けすることはできない。

 稀に国の将来を憂う列士的政治家が現れるが、官僚のリークや、他派の圧力に屈し、道半ばで去って行く。彼らが草木の一部である以上、結局大した改革はできない。

 

 従って、彼らにしのごの言わせない絶対的上位の権力者による改革が必要となる。

 すなわち、壤地美しくして、草木碵大ならん。というわけだ。

 さて、その壤地を担うのが、この国の本来の主権者たる私たちであり、いい加減目覚めなければならないのは、私たちなのである。

 

 ところが、日本人というのは、民主主義を履き違えている。

 民主主義とは、国民一人ひとりが主権者となる代わりに、国の運営に責任を持つものであるが、日本人の民主主義は、「国民は生まれながらにして自由と平等が保障されていて、それを維持するのは、どっかの偉い人やよく勉強した人の責任である。」というものだ。

 

 さて、このひ弱なほど従順で、空気に流されやすく、人任せが大好きな日本国民にこの国が救えるだろうか?

 これが、Chapter2の主なテーマとなる。

 

3 王冠を戴くに相応しい者

 初稿の本稿においては、まず、日本国民が、我が国において、王冠を戴くに相応しい者としての素養を備えているかについて考える。

 民主主義における主権者の要件は、概ね、「積極的に政治に参加し、一定の教養と良識を持ち、正しい情報を与えられたら、公正な判断が出来る者」と言ったものだ。

 とってもハードルが高そうだが、日本人は大丈夫だろうか?

 しかし、「積極的に参加する。」以外は結構合格ラインにあるんじゃないか?

 ①教養:教育水準は高い。学歴は充実一方。先代を遡れば、大半の家庭は、学歴こそ劣るとも、それを凌駕する教養や道徳観を持ち、なぜかやけに物知りだ。このように、先代が教養豊富である状況は、日本ならではの特徴の一つだ。なんと言っても、一度は、世界第2位に君臨した国だからね。

 ②良識:正邪の判断において、自己の思想より多数派の決めたルールを優先する傾向が強い。アメリカの陪審員制度と、日本の裁判員制度での討議内容を検証することができればおそらくそれは顕著に表れているだろう。

 ③公正:正確な情報を与えれば、正確かつ忠実にこれを活用できること。

 この点は、A I並みとも言えるだろう。

 

 後は、積極的に政治に参加しない点だ。

 これが30年間も家畜化されつつも、無駄に国を発展させ続けた原動力でもある。

 そう、「難しいことを考えさせられるくらいなら、私はいくらでも残業します。」「わざわざ、難しいことを考えて、自分たちが損しているなんて、気づきたくもない。」「家族みんなが健康で、幸福ならば、給料が上がらなくても結構です。」

 そして、私も含め、最もよく言われるのが、「お前の考えていることなんて、政府のお偉さん方はとっくに考えている。その結果として現状があるんだ。もしそうでないとしても、お前が何を言ったところで、何も変わりはしない。」

 そう、権力や支持者が居ない人間には、発言権が無いと信じ込んでいる。

 

 まず、この「個人は無力」という妄信を捨てなければならない。

 

 世界を変えたムーブメントの多くは、路地裏の愚痴から始まった。

 アドルフ・ヒットラーは、とあるビアガーデンで、思わず吐いてしまった大言壮語に、店内が拍手喝采したことがきっかけで、世界征服まで、あと10歩くらいのところまで行った。

 

 「6次の隔たり」という理論を知っているだろうか?

 全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができるそうだ。

 私は一介の市民だが、世の中にはある地域なり国家なりにある程度影響力を持つ人はたくさん存在する。私の奇抜な発想が、彼等に届き、何かの利益と繋がって活用される日が来る可能性は十分あるのである。

 

 諦めと開き直りに満ちた壤地では、立派な草木は育たない。

 家畜化の長期化の弊害は前述したが、もっと怖いのは、特権階級側が、起死回生を求めて、戦争を始めることだ(まどろっこしい国民主権を無力化する最も簡単な手法だからだ)。家畜は真っ先に無駄な戦場に送られるだろう。

 コロナ禍の反動が経済を振り回す2023年はおそらく千載一遇のチャンスの年。

 まずは賃上げ。若者に希望を。路地裏でもSNSでもなんでも良いから発信していこう。

 大丈夫、日本人は、G7の中でも最も洗練された民主主義を実現する素養を持っている。ただ、一人一人が、王冠を戴くに相応しい者を目指す第一歩を踏み出すことさえできれば。

ナポレオン1世戴冠式(部分)」ルイ・ダヴィット

 ルイ・ダヴィットは、有名な「ナポレオンのアルプス越え」を描いた、ナポレオンお気に入りの画家である。ナポレオンが皇帝となり、その王冠を戴く晴れの舞台を、是非ダヴィットの緻密でどこか派手さを感じるタッチで描いて欲しかったのだろう。

 しかし、当時、王位は、神から授かるもので、王冠を授けるのも、神官・祭司の役目であったが、ナポレオンがこの儀礼を無視して、自ら王冠を被ってしまった。

 これは、王権神授説の当時においては、神を冒涜する行為である。

 ダヴィットは困った。史実を描くべきか、虚偽の情景を描くべきか?

 そこで、王となったナポレオンが王妃にその冠を授けるシーンを描き、この難題を克服したわけだ。

 

 「主権」は、それを頂くにふさわしい者に授けられるべきである。授けるものが神でなくなった現代においても、それは同じであり、王冠は自分でかぶるものではない。

 主権者は、その自覚を持つことも重要であるが、その王冠を戴くに相応しい教養と責任感を持ち、他者から王冠を授かることを目指さなければならない。

タートルネックのマドンナ達

タートルネック(衣装のデザインで、首に密着する丸く高い襟)

⑴ 103万円の壁

 その昔、主婦のパート収入には、103万円の壁というものが存在した。

 103万円を超えると、夫の扶養親族として認められず、夫の税金が跳ね上がるため、妻はこの収入を超えないように、勤務時間を調整していた。

 昭和62年、消費税導入前の所得税減税政策の一環として、この103万円の壁を無力化する「配偶者特別控除」が導入された。配偶者の収入が103万円を超えても、いきなり扶養控除を0にするのではなく、超えた金額に応じて段階的に控除を減らして行く制度だ。当時の働く女性パートタイマーの時給は安く、育児による時間制限の中、その収益力は120万円後半であり、140万円までをフォローするこの税制は、その点、世情をよく理解した者が設計したものと言えよう。

 しかしながら、外に出始めたマドンナ達は、瞬く間に活躍の場を広げ、程なく、その収益力は、140万円を上回るようになっていった。ただ、これこそが配偶者特別控除の発案者の描いたシナリオで、どこかで急激に負担が増えるのでなく、緩やかに負担が増えてゆき、140万円をもって配偶者は、扶養親族から独立した労働者に変貌すると言う事であった。

 しかし、ここに無用な計算ミスが生じた。「130万円の壁」である。

 運営する団体によって違いはあったものの、多くの社会保険制度の被扶養者になる要件が年収130万円前後に設定されていた。すなわち130万円を超えると本人が健康保険料と年金の掛金を支払う義務を負うことになるわけである。

 さて、その金額であるが、消費税の2%増が騒がれた平成9年において健康保険料は8.5%。その3年後に介護保険が導入され合計10%になる。年収が131万円の場合、98万円の所得控除があるが、市民税10%と合わせると、66,000円の負担となる。国民年金は収入にかかわらず、年間144,000円必要となる。つまり働くマドンナ達はこの時点で130万円の壁を超えた途端に210,000円失うわけである。これでは、とても、その壁を超えることはできない。なお、ついでに言っておくと消費税が8%に増えた平成26年、健康保険及び介護保険の負担率は11.7%、市民税10%と合わせて71,610円、国民年金は189,800円で、総額261,410円となる。なお、この時、低所得者所得税率は、5%に引き下げられ、市民税との逆転現象が起きている。

⑵ 稼ぐに追いつく税は無し(租税理念の大原則の一つ)

 ことさらに消費税の増加と比較しているのは、世界の常識に準じて、必ず所得税減税をバーターで行う消費税率の引き上げが、誰の差金か、メディアの大誘導によって、「大増税」扱いされるのに対し、それ以上のスピードで増加している健康保険料等の負担については、ほとんどの国民が何も言って来なかったことを強調するためである。

 その愚行が引き起こしたものは、国民に負担を課す知識と能力と歴史に秀でた国税当局を陥れ、実費経費の通勤費にまで課税してしまう、ど、ど、ど、ど素人の厚生労働省を調子に乗せてしまうことだった。

 そして、令和2年、厚生労働省はとんでもない戦略に出る。

 「今、多くのパートタイマーが103万円の壁を超えているが、我々が管理する社会保険制度のために130万円という壁に困らされている。そこで、こうすることにした。もう106万円を超えている人たちは、130万円を超えた人たちと同じにしてしまおう!」

 いや、本当、わけわかめすぎる解決法である。

 今まで、負担が徐々に上がると言う仕組みの世界で、130万円の収入を得ていたマドンナ達は、突然、配偶者特別控除がなかった頃の時代に逆戻りさせられ、実に重い負担を背負うことになるのだ。

 この時点で、先ほどから何度も提示している、健康保険・国民年金等市役所に納める負担額は、年収131万円に対し、大笑いの410,000円(うち市民税33,000は既存)だ。

 突然ハシゴを外されて、前と同じ手取りが欲しければ、あと40万円稼げと言うのだ。

 よくもまあ、こんな無茶苦茶な改正で暴動が起きなかったものだ。

 竹下登元総理は、たった3%の、しかも世界水準から見ると、「裸の王様」と揶揄される消費税を導入するのに、一人一殺を賭したのに。この天安門事件並みの暴挙を通した政府について、私は首相すら覚えていない。

 

 哀れなマドンナ達よ。何が男女雇用機会均等だ。ろくに平等扱いもせず、西洋人のマネだけで、働く権利だけを与え、そのくせ、専業主婦との格差を残し続けた。おかげで、彼女達は、いつも自分の給与明細を気にしながら、休みを取り、育児上の急用で減収すると、また、明細を見ながら、これをカバーし、なんとか130万円と言うボーダーを維持することに躍起になってきたのに。

 令和4年10月。彼女達に、「106万円から146万円までは、タダ働き」というタートルネックがはめられた。

 

2 男女共同参画社会の虚像

⑴ 子供を持つと参画できない社会

 どうして、厚生労働省がこのような酷い仕打ちができたのか?

 実は、彼らは、何も悪いことをしたとは思っていない。むしろ、女性達の退路を断ち、男女共同参画社会の推進を図ろうとしたのである。

 「なんで?146万円までがタダ働きなら、150万円以上稼げばいいじゃん。」と言う考えなのである。

 私の狭い交友関係如きで言えることではないかもしれないが、世の女性の多くは、この考えを受け入れられるとは到底思えない。

 もちろん、女性の社会進出に希望を持ち、大学で十分なキャリアを積んだ女性が、妊娠・出産して復帰してきたら、からかっていた新入社員の男性社員に指示される立場になっているという悔しさを理解できないわけでもない。しかし、子供を持たないと言う選択は、世間体がどうこうと言うより、好きな男性と結婚し、その子供を授かりたいと言う単純な発想と相反する。そう、キャリアを損なうのは惜しいが、「子供は欲しい」のである。

 しかし、その選択をすると、就労時間は、9時〜4時、月17、8日勤務が限界だ。子供が流行病にもかからず、寂しがらず、優等生でいてくれたら、MAXシャカリキに働いて160万円は行くだろうか?ゆとりを持って、優しいお母さんでい続けようとすれば、140万円くらいが相場じゃないだろうか?

 2022年_連合(日本労働組合総連合会)が調べた、非正規雇用者の平均年収の資料が非常にわかりやすい(特に図表2に注目して欲しい)。

 https://financial-field.com/income/entry-148043

 パートタイマーの平均年収は137万5千円。まさにタートルネックのど真ん中だ。厚労省は、子供を産むなと言っているようなものだ。

 「足りないと思うのなら、もっと働けばいいじゃん。」

 それは、大企業の社員か、裕福な家庭の出身者にしか適合しない、厳しい要求だ。

⑵ 保育器社会

 それでも、目下、政府及び東京都等地方自治体は、出産・育児のための環境整備と経済的支援に重点を置いている。なるべく、彼女達の負担を軽減しようとしているわけだが、それもやっぱりどこかズレていないか?と尋ねたくなる。

 それらの褒賞が、多くの就学前の児童を抱える女性達に支持されていると言うデータはどこからもたらされたのだろう。本当にマドンナ達を出産へと誘う魅力的要素を有しているのか?彼女たちが本当に欲するものと一致しているか?

 町中のマドンナ達に「どうしたら、子供を産み育てたい」と思いますかと言うアンケートを大々的に実施した結果なのだろうか?どこかで昭和の常識や西欧の猿真似が挟まっているような気がしてならないのは私だけだろうか?

 

 如何に育児支援を謳おうとも、多くの就学前の児童を持つ既婚女性は、パートタイマーを選択する。それは、彼女たちの自発的希望である。もちろん、せっかくのキャリアを棒に振って、なぜ女性だけが、子供に自分の人生を制限されなければならない!と考える人もいるだろうが、やはりそれは少数派だろう。

 西欧では、6歳くらいになるまで、預けておけば、しっかり、まっすぐな子供を精製してくれる保育器のような施設が充実している国家も多い。日本もそれを目指しているようだが、「まだ」なのか、それとも「ずっと」そうなのかはわからないが、現時点では、日本のマドンナ達の多くは、そのように、子供を6歳まで保育器に入れておく社会を望んでいるようには見えない。

⑶ 男女共同参画社会の本来の効用

 世の中には、女性が男性と同じように働くことを男女共同参画社会と考える単純な人間が多いようだが、女性を社会に参画させる事は、そんな単純なことではない。女性には、女性の特性があり、これを社会に組み込むことで、新しいイノベーションを産むことこそ重要なのである。

 一般に男性は小を以て大を知り、あるいは小を以て大を得る、いわゆる理解力及び想像力といったものに秀でている。これに対し、女性は大において微を逃さず、微を積み上げることをいとわない。いわゆる記憶力、観察力、持久力に優れていると言われている。

 この考え方について、私が一緒に働いてきた女性を見る限りにおいては、血液型占いや星座占いに比べて格段に的確であると言えるだろう。

 人の顔と名前、家族構成、スケジュール、誤字脱字、合致チェック、有象無象のメール処理、どれをとっても敵わない。しかし、職務の提要をいち早く把握し、期限までの戦略・プラン・スケジュールを組むとか、マニュアルを図式化する。そういうことに関しては絶対に負ける気がしない。そして両性がその不得意分野の仕事を大概嫌っている。

 世界中の職場で言えることだが、なぜこの特性の違いを利用して職務を分担しないのか全く理解に苦しむ。何が気に入らないのかさっぱりわからん。

 

3 マドンナ達に相応しい報酬

⑴ キャリアの補填

 現代の医学を以てしても男性は妊娠できない。女性が出産する限りにおいては、必ずこれが生涯賃金のあるいはキャリアの構成において、ハンディキャップとなる事はやむを得ない事実なのである。このハンディキャップを強引に均衡させれば、今度は男性側への逆差別が生じるのである。したがって、男性が妊娠すると言う「進化」などは、後数億年望めないわけであるから、その時代が来たときに考えられる。環境に今を合わせる「進歩」が必要なのである。

 何を言っているのかわからないかもしれないので、簡単に言うと、「性別上、止むを得ず科せられるハンディに見合うだけのかさ上げを全女性に与える」わけである。しかし、実際に能力のないものが同じキャリアとして肩を並べることはできない。

 しかし、方法はある。大学や学校へ行かせるのである。

 また、前項で挙げた女性が得意とされる業務の多くは、リモート化が可能であり、これもキャリアのブランクを補完するのに役立つだろう。

 本当の男女共同参画社会、つまり、女性がパートタイマーを選択しないで済むようにするには、自分が出産・育児を終えた後、復帰してきた時に、前と同じかそれなりに格上げされた席が用意されている報奨が必要なのだ。

⑵ 妊娠・出産者の社会的地位向上

 考えてみれば、妊娠・出産と言うものは、身体的及び心身的な負担を強いるだけでなく、多くの自由と可能性を奪うが、何よりも、非常に苛烈な決断を迫るものである。

 たとえ、恋慕の上に結ばれたとしても、その種を自らに身ごもり10ヶ月。鼻からスイカを出すと言う出産を経て、イクメンがいくら育休をとっても、情操教育という言葉すら理解できない木偶の坊は、感情を込めて本を読むことすらできない。

 特に最近の女性に同情するところは、長い不景気の影響で、男性が「稼いで勝ち取る」という威勢を失っている事だ。こういう威勢は、責任感を育む。その点、現代の若い男性諸氏には不足感を否めない。

 そのくせ浮気をする本能の方は絶好調のようだ。モテる男が浮気をする事の是非については、言及を避けるが、甲斐性すなわち経済的責任感が欠如しているのは良くない。ましてや、責任を放棄して離婚なんて魚類か?

 いや、本当にこの時代に妊娠・出産の決断をしてくれる女性たちは、あまりに勇敢で賞賛に値する。

 とりあえず、不妊問題を抱える方々の件は、別段に定めるとして、まず、妊娠・出産を成した方には、なんらかの優遇措置が設けられるべきだろう。

 離婚時の養育費は下限を定め、その不払いに対しては、国がこれを建て替え、不払い者は服役してもらう。

 給料には、扶養手当ではなく、妊娠手当、育児手当を加算する。そもそも、子供がいるお父さんより、子供を産んだお母さんこそ手当をもらうべきなのだ。

 でも、一番先にやるべきは、馬鹿げたタートルネックを外すことだろう。

ミレイ「オフィーリア」

 ミレイは、落穂拾いで有名なミレーではない。後期印象派からピカソに辿り着くまでの絵画界混沌の時代、諸派乱立・栄枯盛衰する中、ラファエル前派という、一つのネオ美術を発掘しようとした芸術家の一人だ。

 画題の「オフィーリア」は、シェイクスピアの悲劇「ハムレット」の主人公ハムレットの婚約者である。密かに仇討ちを企むハムレットは、気狂いを装い、奇行を繰り返し、彼女の父親も殺してしまう。絶望した、オフィーリアは、事故で川に落ちたのをきっかけに、そのまま死を受け入れてしまう。

 首を伸ばせばなんとか呼吸ができるが、彼女を取り巻く環境が、そうやって抗うことに対する気力を削いでいる。

 ああ、タートルネックのマドンナ達よ、妊娠・出産は、女性にしかなせない偉業であり、子供はいくら自分の人生を削られてもお釣りが返ってくる宝物である。どうか悲観せず、首を伸ばして欲しい。そして、本当の意味での男女共同参画社会を実現していきましょう。

 

少子高齢化問題にアバタケカブラ(アブラカタブラ)

1 産めよ増やせよ
 最近新聞、テレビ等の報道を見ていてどうしても耳障りな表現が有る。
 「高齢化社会を支える為に出生率を上げなければならない。」
 じゃあ、これから生まれてくる子供達は、自らの幸福追求よりも、身内か否かも定かでない高齢者の扶養を最優先課題とされるのか?それで「育児環境を整えるから、産めよ増やせよ」と言われて、どれだけの若者がその気になるというのだ。まだ、先進国の帝国主義に対抗するため、産めよ増やせよと言われた戦時中の大義の方が納得できる程だ。
 私達、昭和戦後世代の先代は、この国を敗戦の廃墟から世界第2位の国家にまで引き上げてくれた。しかし、我々が次世代に残したものはなんだ?
 富裕層だけが得をする莫大な借金、それを理由に低所得層に課せられる社会保障費。
 それを作り出している黒幕の思惑と、それが生み出している国民経済の歪みについては、後日語るとするが、惰眠を貪った我々昭和戦後期世代は、次世代はともかく、孫世代にまでそのツケを回すような事が有っては断じてならない。
 ではどうするというのか?
 打開策としてよく取り上げられるものに、「世代間扶養式から当世代自己扶養式への転換」と言うのが有る。要は現役世代の負担により引退世代の扶養を賄う現在の方式から、現役世代は、自己の貯蓄によって自己の引退期間の扶養を賄うという事である。
 それが叶えば、さぞかし、社会保険料を払うにしても、年金を積み立てるにしても、皆、今よりは積極的になるだろう。だから、当然、多くの学者がこの夢の制度転換を実現しようと考察を繰り広げているが、どうしてもいずれかの世代に過大な負担がかかるという事で、実現には至っていない。
 その打開策を探り続ける私に、ある平成生まれの青年が言った。
 「もはや日本の社会保障制度は、論理的に継続不能で破綻が決定付けられている、いわゆるネズミ講と同じだ。どの世代で破綻するか、破綻した世代に運が無かったと言うことだ。
 それでも私は、結婚して子供をもうけるつもりだ。自分の子の世代がその破綻の世代でない事を祈ってね。
 子供なんて欲しいからもうけるものだろう?経済的な理由をごちゃごちゃいう連中にはうんざりだ。」
 
 彼の言う事は最もだ。しかし、その高尚な覚悟も、諦めに満ちたこの社会に対する虚しい開き直りに思え、あまりに悲しい!
 やはり、彼らをそこまで追い詰めた責任を我々は取らなければならない。脳みそが軽石になるまで知恵を絞らなければならない。

2 年金制度の回天
 「回天」は人間魚雷のことではない。明治維新前夜、時勢を一変させると言う意味で多用されたいわば革命的発想の転換のことである。
 私が掲げる回天策は、前述した「世代間扶養式から当世代自己扶養式への転換」を実現する事である。それが夢想であるか否かは、以下の構想を見て判断願いたい。
⑴ Strategy(戦略)
 現在既に年金を受給する高齢者は、恩義ある先代ではあるが、社会保障についての支援額を20%カットさせてもらう。
 残りの8割は、昭和後期(40年以降)生まれの世代(これをX世代とする)がこれを負担する。さらに、彼らが次世代から受けられる支援は、40%のみとする。単純計算で、X世代は、老後の扶養のために、140%負担することになる。概ね40代後半から50代を超えているため、今から10から20年と言う短いスパンで、この目標を達成しなければならない。
 平成生まれのY世代には、上記のX世代に対する40%を負担しつつ、自己の貯蓄を行ってもらう。彼らも、同じように140%負担することになるが、X世代よりは、時間的余裕はある。
 この結果、令和生まれのZ世代は、完全自主独立となる。つまり、先代への負担はゼロ。全て、自分の老後のために社会保障費を積み立てると言うこととなる。そこで、彼らには、自分の社会保障費の貯蓄額を示す、積立通帳を交付する。その積立は、下限はあるが、上限は己が才覚次第とする。
⑵ Tactics(戦術)
 ⑴の戦略だけを聞けば、誰もが絵空事だと笑うだろう。当然、それぞれの世代が負う負担をどう克服するかと言うことが問題となる。
 そこで、得意の韓非子を活用させてもらう。
 韓非子・外儲説篇 左下「有術の主は、信賞にして以て能を尽くさしめ、必罰にして以て邪を禁ず。(信賞必罰)」
 韓非子の法治理念には、常に、賞と罰が存在する。
 しかしながら、現代の法治国家の多くは、刑罰には体系的なものがあるが、報奨に関する基準が体系的である国は少ない。ノーベル賞国民栄誉賞も基準は曖昧だ。
 ふるさと納税の熱狂や、わずかな還付金のために、サラリーマンに対し、あたかも事業者にでもなったかのように、せっせと領収書を保存せしめる医療費控除などを見ればわかることだが、国民は、わずかな褒賞でも、血眼になって勤めるのである。
 私は、褒賞を持って、この難題に対峙する。
① Xup 現年金受給世代=健康高齢者ポイント制
 私のストラテジーでは、20%支援がカットされる。これをいかにしてカバーするか?
 令和5年度国家予算の社会保障費36兆円のうち、実は年金よりかかっているのは、医療費負担12兆円である。そして、75歳以上の高齢者一人当たりに対する医療費の国庫負担額は、75歳未満の人の4〜5倍である。
 歳を取ったら、あちこち具合も悪かろう。しかし、日々健康管理に努め、バリバリ働いている人だっている。ところが、国は、そのような、健やかに頑張る高齢者を「現役扱い」という名目で、自己負担割合を3割にし、自堕落に寝そべってばかりいたり、不規則な食事や生活をしていたりで、体を壊した者も含めて、収入がなければ、1割負担にしている。これでは、健康を維持して働いている人の方がバカみたいである。
 楽しく健やかに長生きする方が、本人にとっても、周囲にとっても良いことこの上ないだろう。しかし、今の制度では、そのモチベーションに水を差す。だからと言って、本当に弱っている人もまとめて、自己負担割合を上げろとは言わない。
 そこで、健康を維持している高齢者の方々には、特典を授けよう。
 前年度の一人当たりの国庫負担等から、一定の基準額を設ける。
 基準額を下回った金額に応じて、永久不滅ポイントを付与する。
 ポイントの還元率(円に替えるといくらになるか)は、その度の基準額(つまり一人当たりの医療費の国庫負担額)と制度初年度の基準額との差額で決まる。全体の平均が下がれば、換金率が上がると言うことだ。
 基本的にこのポイントは、自分が大病にかかった時の治療費として換金できるが、最終的に遣わずに亡くなられたときは、保険金として相続財産となる。
②  X世代=アナログDX要員
 私のストラテジーでは、140%の負担が求められ、しかも準備期間が短い最も厳しい要求を突きつけられる世代である。
 ただ、非常に期待できるところは、基本的にITを使いこなせるか、今からでも、使いこなせる人間になれるという点である。
 デジタル化が進むと、コンビニの店員がアバターになって、セルフレジが当然になり、労働者はさらに不要となる。という人が多いが、日本はそんなことを心配しているような立場ではない。2022年9月「世界国家デジタル化ランキング」で、日本は29位。完全に後進国並みなのである。

 IT業務を若手に任せっきりにしているからこんなことになる。IT=若い人とか、頭が禿げているから、パソコンは打てないなんて時代は、もう20年以上前に終わっている。若い人には、他のイノベーションを追って働いてもらわなければならない。

 その昔、テレビやラジオを解体して修繕できるような人たちがいた。今でも、パソコンを部品から組み立てる猛者がいる。しかし、これらの技術は電子化が進むにつれて全く無用になる。
 実は今の日本にはこのようなもっと電子化が進むと必要なくなる技術や業務がたくさん有る。私はこれを「アナログDX」と呼ぶ。
 例えば、携帯電話会社、IT機器販売店の販売相談カウンター、及びカスタマーズセンター業務。
 携帯電話を買い換える度に、おっかなびっくりしながらバックアップをし、説明書をグダグダ読みながらインストールをする。それでもうまくいかないのでカスタマーズセンターに電話するが、散々待ち受け音楽を聞かされた挙句、対応する人は、日本語が怪しかったりするケースは誰にでも経験あることだろう。
 今サービスカウンターを占領している若い子達に、これらの業務を頼むと4000円から5000円かかる。
 このような、基本的に、マニュアルを読破し、クレーマーをうまく交わすことさえできれば、座ってできる仕事が、前述した「アナログDX」に当たる。
 つまり、若い人たちが覚えていても仕方がない、いずれ消えていく技術であり、逆に高齢者でも充分務まるものだ。今の高齢者(Xup世代)にこれを求めるのは酷な話であるが、X世代が高齢者となる10〜20年後に、カウンターに若手を置いている企業は、正直無能だと言って過言ではない。
 見映えが気になると言うのであれば、それこそアバターボイスチェンジャーを使えばいい。
 
 政府は、X世代で、ITパスポートくらいは持っているという人間には、高齢者であっても、優先的にこのような労働現場で採用するよう働きかける。特に彼らは、自分の社会保障国庫負担を減らすためにこのような労働を行なっているのだから、彼らの社会保険料の企業負担分は無しとする。
 また、日本の税制には、やたらと、機械化・電子化に取り組むことに対しての優遇措置が設けられている。この点は、「信賞にして以て能を尽くさしめ」ていると言えるわけだが、上記に挙げたような、DXアナログにX世代の高齢者を採用する場合も税制面で優遇すると良いだろう。
 それだけ差がつくと、スキルに差がなければ、X世代高齢者の独占市場となろう。
 
 このほかにも、アナログDXはたくさん存在する。
・最近の充電ケーブルはすぐ内部断線を起こし、繋がらなくなる。高いものでは無いが、もしカウンターに持って行って、パンク修理のように500円で治してくれるとしたらどうだろう?私なら、UVERマクドナルドを持ってきてもらうより得だと考える。
・ある企業が、一気に電子化に踏み込んだはいいが、紙媒体の昔の研究記録をなんとか残しておきたい。
 印刷物ならテキスト読込付きでPDF化してあげますよ。手書きだったら、タイピング、いや今なら読み上げ入力か?どっちもAIにはできない。
・電子化してから、ずいぶん経つと、不要データが蓄積されて、サーバがパンパン。最初にフォルダポリシーをしっかり決めてなかったから、フォルダの管理がむちゃくちゃ。どれを捨てて、どれを残せば良いのやら。
 私なら、とりあえず、一旦全データをバックアップして、別の環境で整理する。戻すときに(トランザクションジャーナルを使ってロールフォワードするとか)ちょっと頭を使うけど、2ヶ月も勉強すればできるようになる。
 作業時間はかなりかかる上に、非生産的な仕事なので、これもアナログDX仕事。
・写真データや見積データの類似・重複を解消する。・社内機器のバージョン、スペックの一括管理。・フォルダや社内ソフトへのアクセス権(デシジョンテーブル)の整備や確認テスト。
 急速な電子化で発生しがちな負の遺産を整理する。若い子に任せるのは勿体無い。それがアナログDXだ。例を挙げるとキリが無い。
③  Y世代=今のところノーアイデア
 ずっと、この世代の救済措置を考えていたのだが、結局思いつかなかった。
 ただ、Xup世代には、健康でいてくれれば良いとし、X世代には、政府の後押しはあるとはいえ、基本的に自分でスキルを上げて、働けるところまで働け、という厳しい要求となっている。
 それに比べれば、Y世代は、まだ少し余裕があるということになる。
 また、②で掲げたアナログDXは、おそらく電子化が進む時代時代に存在すると考えられる。自分たちが生きた世代に活用された技術が、陳腐化され、次世代にとっては邪魔なだけだが、整理せざるを得ないもの。それが、その時代のアナログDXだからだ。
 それにY世代には、一つ大きな褒賞が有る。「自分たちの世代で、くだらない世代間負担制度を終わらせ、自分の子供達は、頑張っただけ余生を楽しめるという当たり前の幸せを残せる。」ということだ。これだけでも、X世代の私は、Y世代に生まれたかったと思う。

 以上、少子高齢化解消のボトルネックとなっている、最悪な社会保障制度を、この三代で、叩き潰す。しかし、少子高齢化問題に完全にアバダケダブラ(最終滅失魔術)をかけるには、もう一点、男女雇用均等の虚飾を剥がす必要が有る。その点は、次回「タートルネックのマドンナ達」で論じたいと思う。

ラファエロ・サンティー「キリストの変容」

 ゴルゴダの丘での十字架処刑から、奇跡の復活後、改めて、死の瞬間が訪れ、天に召されていくキリストを描いたもの。よく見ると、画上の構図は、8の字に描かれており、救世主が、二重螺旋の中を昇るかのように演出されている。ルネサンス三代巨匠の一人、ラファエロならではの天才的御業に感激する。
 表題のアブラカタブラは、ハリーポッターではアバタケダブラという、敵を滅失させる最終にして最強の呪文だが、その語源は、諸説あるが「我、思いのままに事を成すなり」というのが、最も有力な説とされている。
 今回この絵画を選出したのは、救世主が、「我、思いのままに事を成すなり」と唱え、三代の人々に螺旋を作らせ、諸悪の根源の一つ、“世代間負担制度”を昇天させている様と重なり合わせてみたものである。その美しさから、諸国民の献身と勤勉の必要性を感じ取ってもらいたい。おそらく、私のストラテジーは一部の優れた国家にしか叶えられないだろう。