説難

形名参同

 私の勤務先では、半期ごとに、職員が自ら三つの業務目標をたて、半期末にその達成率を自己申告する制度がある。

 聞くところによると、十数年前、年功序列の牙城のようだった我が組織が、業績重視に転換を図る際、どこかの民間企業で採用されていたものを登用したのだと言われている。

 しかし、導入当初からこの制度を疑問視する人が多く、毎年10月と4月の更新期になると、目標を設定する部下はおろか、それをチェックする上司まで、「面倒くさい」「この制度なんの意味があるんや」「こんな制度やめたらいいのに」と平気で漏らしている。

 そもそも、当局の運用も変なのだ。

 私はポジションに応じて具体的に書くようにしていたのだが、「あまり具体的なことは書くな、特に数値目標は書くな」と言われる。

 数値目標については、役人という職業柄、公正を欠く行為の誘因となり得る意味で不適正というのはわかるが、具体的な目標を立てないというのが理解できない。

 そして、予め参考として、系統別・職階別に例示された記載例をなるべくコピペするように言われるのだ。

 私が張り切って、「今期はこれを成し遂げたい!」と書いても、「これは、例文で言うところの、これに含まれますよね?」との指摘を受け、抽象的なものに変換されてしまうのだ。

 要は尖った目標が不都合なわけだ。

 

 これでは、制度の趣旨を正しく理解出来る者なんて現れない。

 

 部下職員達も、意味が分からないまま、毎回同じというのもなんだから、文例を適当に使いまわしているだけ。

 しかも最近、この入力シート、過去に使用した文例をわざわざ参照できるように改良されたのだ。形骸化も甚だしく、嘆かわしく思う。

 そして、先日、私の年下の上司が、「無意味な制度だ。やめた方が良い」という。

 この上司は、現場実績が突出していて現職の地位にあるが、いわゆる体育会系で、頭を使うのは苦手だと自ら公言している。ただ人柄よく、何より勤勉で、人の話は聞く人なので、事後の栄達を願い、お恐れながら私から制度の趣旨を説明する事にした。

 

 この制度の趣旨って一体なんなのか?

 自分で目標を立てて、その達成率を報告する意義?

 

 業績を評価するなら額や量が多ければいいのだろう。

 上司の命令に従い、時にはアドリブを加えたにしても、より多額の、あるいはより多量の職務を遂行した者が評価されればいいわけで、「なんでわざわざ、先に目標を定めるべきなのか?」と。

 「いやいや、目標も無く漫然と働いていたら、いろんなものを浪費してしまうんだ。近い目標を立てることで、大きな業績につながるのだよ。」という答えも有る。

 因みに目標と目的は似て非なるもので、目的を達成するための一つ一つのステップが目標である。

 そういうことで、各個が自己の職能において、当該期間の目標を立てることの必要性は理解できる。

 しかし、それの達成率が、業績評価になるというのは理解しがたい。

 よく言われるように達成率を評価対象とするのなら、予め達成見込みの高い目標を立てれば、達成率などいくらでも操作できるではないか?

 実際、そのような設定が横行し、システムが形骸化しているため、この制度を取り下げる企業も増えている。と前述の上司も主張している。

 

 そこで、表題の「形名参道」の説明が必要となる。

「形名参同」(けいめいさんどう)(by 四字熟語辞典オンライン All right r eserved)

口に出して言った言葉と行動を完全に合わせること。

「形」は行動、「名」は言葉、「参同」は比較して一致させること。

中国の戦国時代、韓非子ら法家が唱えた基本的な思想で、実際に起こした行動や功績と、臣下が言ったことや地位を比較して、それが合っているかどうかで賞罰を決めること。

 韓非子は、冠係と衣係の逸話(「侵官之害」で検索願います。)に代表されるように、事あるごとに、職分、すなわち職権及び職務の範囲について厳重な線引きを求めている。職分に不足する実績はもちろんのこと、職分を超える行為も固く禁じている。

 韓非子における形名参同の名(放った言葉)、即ち目標は、職分であり、届かない事も減点であるが、容易に届く事も減点なのである。

 各個は、その職能から、自ら、一定期間内に完了可能な分量を正確に査定しなければならない。それがポイントなのである。

 そしてもう一つ重要なことは、そもそも目標とは、先程も記述したように、ある目的が有って、そのためのそのステップであるのだから、自分が属する組織がどのようなビジョンを持ち、そのために自分の部署が求められている成果物とその期限を意識し、その上で、自分の目標を設定するべきなのである。

  つまり、制度は良いものなのだが、「名」において、深い考えの無いことに問題があるわけだ。

 とまあここまで説明したのだが、私の説明が悪かったのもあって、上司の方は、ちんぷんかんぷんの様子だった。

 業績査定は上司の仕事、差し出がましく雄弁を振るっては立場がなかろうと、「私もある本で読んだだけで、よくわかってないのですけどね。」と付け加えたところ、「そんなに深い意味があるとは思えませんね。」とバッサリ切り捨てられてしまった。

 「形名参同」若しくは「韓非子」という響きだけでも耳に残っていたら、いずれ幹部の寄り合いでも話題に出た時に思い出してもらえるかもしれない。

 ただ、導入以来、一人として、このように、この制度の趣旨を説明している幹部を見たことはない。

 

 実際、彼の言うとおり、我が組織も、他の企業からこの制度を登用するに当たり、「目標設定」という一面しか見ていなかったのかもしれない。

 形名参同のポイントは、単なる目標設定でないことである。

 単なる目標設定なら、査定の要素にならない。

 重要なのは、組織のビジョンと戦略を理解し、自分の持ち場のアジェンダ(必須課題)を理解し、その達成のために、自分の職能(職権と技術)から、一定の期間内に何が出来るかを正確に査定することである。

 形名参同は、いわゆる平社員(兵隊)だけが適用されるものではなく、むしろ上層部ほど、その設定は重要な意義を持つ。

 ビジョンを掲げ戦略を展開する司令部、戦略を遂行するため人材資源を操作する現場指揮官、指令を実行し局地的成果を挙げる兵隊。それぞれに形名参同が有るわけだ。

 因みに、我が組織では、現場指揮官が、その部署としての半期目標や、心掛け、あるいはスローガンといったものを掲げる、「部門マネジメント」という制度も導入されている。

 これも、ビジョン・戦略から、局地的作戦を掲げろといっているわけで、なかなか素晴らしい制度だと理解している。

 全体の構想、いわゆるストラテジーを理解する参謀を現地に派遣し、戦略的見地から作戦行動をマネジメントするアイデアは、ナポレオンが導入し、その時代において他を圧倒するに至った要因と言われる。

 しかし、残念ながらこの制度も、幹部連中には不評なようで、定形文の焼き回しが目立ち、形骸化が進んでいる。

 せっかくの制度も運用する上でしっかり趣旨を理解させておかないと、逆に時間と物資の浪費になるだけである。

 

 経済学部を出て、「金融でも財政でもなく、税制こそが最も有効な経済政策だ」と息巻いていたころの私は、国家戦略を語ろうとしない、上司や先輩方に失望したり、酒席では、国税庁のビジョンとストラテジーについて熱く語り、上司や先輩方でもやり込めてしまうところがあったが、出世コースから外れて以来は、求められない限りは語らないようになった。

 ただ、若い人達には、表立って批判することは勧めないが、せめて、テンプレートを張り替えるだけの目標設定を続けるような事はないように願いたい。  

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ミケランジェロ・ブオナローティピエタ

 「私は、大理石の塊に埋まっていた女神を取りだしたまで」

 シビれる表現だ。まあ、彫刻家なら皆同じようなことを言いそうだが。

 彫刻は、粘土細工と違って付け足しが効かない。絵画と違って塗り直しが効かない。

 白い大理石の塊の中の彼だけが見える、その課題における最終的解決、すなわち「完成形」を目指して突き進むしかないのだろう。

 何度も言うように、目標とは目的を達成するためのステップである。明確な目的の無い目標は、「完成形」を見ずにノミを振るうようなものだ。

 それは、ある時には無駄な時間や労力を浪費することにつながるし、少なくとも「面白くはない」と思う。

歴史の勝利

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ヨハネス・フェルメール「絵画の寓意」

 

 今回は趣向を変えて、先に絵画を紹介する。

 フェルメールは、17世紀オランダの画家で、北欧のモナリザと呼ばれる「真珠の耳飾りの少女」の作者といったほうが有名だろう。

 作品名の「寓意(アレゴリー)」というのは、絵画でしばしば用いられる手法で、あるものや事柄を象徴するアイテムを描き込んで、意味合いを連想させるというものだ。

 わかりやすいもので、ドクロは「死」、狐は「狡猾」、天秤は「公正」など。老人は「時の流れ」と取るという趣深い物も有る。

 掲載の絵では、フェルメールのトレードマークであるウルトラマリンの青い装束の女性が、歴史の女神「クレイオ」を指し、彼女が栄誉を表す月桂樹を冠している事から、「歴史の勝利」という寓意が表現されていることになる。

 他にもたくさんの寓意を織り交ぜた作品であるが、私は画中の画家が、月桂樹を書きかけていることから、やはりそこが一番表現したかったように感じるし、そもそも「歴史の勝利」という言葉が好きである。

 

「歴史」・・・敬愛する田中芳樹原作「銀河英雄伝説」の登場人物で魔術師的傭兵家、ヤン・ウェンリーは、「人類の歴史はめくるページめくるページ戦争ばかり。戦争の歴史と断じても過言では無い。しかし、その合間にも何十年かの平和で豊かな時代は存在した。その期間の効用は、その1/10の期間の戦乱に勝ること幾万倍だと思う。」と語った。

 国々の成長するにつれ、格差が縮むなか、全世界の人類がまともな地位向上・尊厳・人権を求め始め、グローバル化が進むにつけ、民族混合の再整理、宗教・文化の対立は、やはり避けられない。

 第二次世界大戦までの戦争がやや非人道的な格差社会の修正だったように、これからも紛争を避けることは難しい。 

 しかし、紛争の解決方法が必ず武力による衝突あるべきかというと、それは果たしてどうだろう?そこに焦点を置くべきではないだろうか?しかし、そこへ誘導するには、紛争の解決方法が、戦争より優れているいるものを提示しなければならない。戦争よりうまみのある物、経済学的に言うところの効用のあるもの。

 戦争を概念的に否定する人は多いが、どうしてもその具体的な効用を訴える人が少ないように思う。

 戦争擁護派の方では、実利的な効用として、戦争が科学を進歩させたと主張する人がいる。人情的には、このような方々には、「ご自身か自分の身内を人体実験の検体として提供してくれればいい。」と申し上げたいところであるが、実利的効用を具体的に挙げているという点については、誤りではない。

 正直、今のところ、戦争か平和かという選択肢を「効用」という尺度で論じ合えば分が悪い。戦争を科学する「戦争論」が、かなり体系化されるところまで研究が進んでいるのもそのせいだ。

 

 前回投稿で、「平和学」というものの創設を提案したが、こっちの方は、「戦争論」に比べ、まるで研究が進んでいない。 

 「平和学」という言葉や学問が実際有るのか調べてみたら、ウィキペディアに掲載されていた。※平和学 - Wikipedia

 一部の大学では、講義に盛り込まれ始めているらしい。

 でもまだ生まれたばかりの学問で、戦争の根絶や原因となる土壌の廃絶という、目的や概念については、おおむね似たようなものでも、アプローチの仕方は様々なようだ。

 いくつか、ページをググってみたが、私の提案に完全一致するものはなかったので、改めて提起する。ただ、私は学者ではないので、いまのところ、いくつかのアプローチを提起する事はできるが、具体的な対応策はできていない。

 そこで微力ながら、私も答えを見出すよう努力し、自分なんかよりずっと頭のいい人の目に留まって、この提案がヒントとなり、平和に向けての名案が生まれることを願うことにした。

 

【前提】

 第一に、これは、たいていの論者が納得しているところであるが、残念ながら、報道カメラマンがいくら命を張って戦場の悲劇を報道しても、「戦争→悲惨→怖い」では平和は保てない。実際の戦中派を親に持つことのできた私たちは、壮絶な地獄を口伝され、私は大の反戦論者になったが、今ではそんな戦後生まれの私でも、生きた化石だ。

 次に、経済封鎖や村八分では、ひねくれ国家はまともにならん。100年前からやっている事は同じだ。

【アプローチ】

 ①紛争解決の手段として武力を使わない方法を考える事。

 例えば、領土問題⇒国際裁判所に領土問題解決委員会を設け2030年時点での実効支配地域をもって領土を線を確定。前提として「小賢しい揉め事は大人げないからやめようぜ。」という世界的意識改革が必要。

 ならず者をまっとうな国家にする方法⇒とにかく過去の蛮行を不問とし、元首を国外に歴訪させ国際化し、徐々に国民を国外に歴訪させ国際化する。

 宗教・民族、さらに移民等との対立を如何に解消するか?⇒これについては、具体案はまだない。

 ②戦争を必要とする立場の人々を利益誘導によって反戦化する。

 軍産複合体や、日本の公共工事のように財政政策か政権延命措置を目的として定期的に戦争を引き起こす国に対し、なんとか代替案を提示し、平和の効用を具体的(数値的)に示し、平和の圧倒的インセンティブを示し、くだらないことをしていると思わせる。

(この第2アプローチは気に入っているのだが、今のところ、具体案が全くない。)

 

 経済学は、ケインズ以降も進歩を続けている。

 哲学ですら、新説が現れている。

 平和学は、始まったばかり、戦争を回避する画期的なアイデアでも考えて論文を提出すれば、凡人でもノーベル平和賞を取れるかも。

 

 DNAの交換の連続では、人類の進化は無かった。

 言葉・口伝・文字・書物、これらがDNAに成り代わり、過去を未来に繋ぎ、過去の失敗を未然に防いだ。それが、人類の進化の本質である。

 人類のみが異常な速さで進化(正しくは進歩なのだが)したのは、人類が「歴史」を持つことができたからである。

 

 歴史の女神クレイオは、何をもって栄冠を頂いたのだろう。

 積み上げた結果、人類は所詮戦争を避けることができない呪われた種族であると言う解答を得ることか?それとも蓄積された叡智の結晶によって、くだらない戦渦のループから抜け出す手法を編み出すという解答なのか?

 多くの人は前者の解答を望むまい。

 窓辺にしなやかに佇むクレイオが持っている大判冊子は「歴史」である。

その巻末は、後者の記述であることを望む。

世界平和という和氏の璧

 日本語で「完璧」と書かせると、「完壁(カンカベ)」と書いてしまう人が結構いると思う。むしろその方が、堅固で強力なものを感じるし。しかし、正しくは「完璧(カンペキ)」と書く。さていったいなぜ『壁』と書かず、『璧』と書くのだろう?そして、『璧』とは一体何を表すのだろう。

 

韓非子 和氏篇の一説

 春秋戦国時代は楚の国、文王統治の時、山麓で三日三晩泣き続け、血の涙を流している農夫がいると聞く。

 興味を持った文王が直接会いに行く。

 すると、刑罰によってそうなったと思われる、両足の無い農夫(昔の中国では、足を切るくらいの刑は普通だったようだ)が、小汚い岩を抱いて泣きじゃくっている。

 農夫が言うには、自分が抱いている岩はたいそうな宝玉の原石であるというのだ。

 中国では古来、原石を削って得られる貴石を『璧』と呼び、中でもくすみ・傷の無い『完璧』を所持していることは、天がその国の王の王位を祝している証と言われた。

 農夫は、前々代の王のとき、これを献上したが、宮廷付きの鑑定士が「これはただの石です。」といったため、王をたばかろうとした罪により、片足を切られた。

 王が代わって、鑑定士も代わったころ、農夫は再度原石の献上を試みた。しかし、またも「ただの石」と判定され、残りの足も切られた、という。

 

 文王は、鑑定を省略し、とりあえず原石を削ってみることにした。

 すると、これまでにない美しさと完成度を誇る璧が現れたという。

 

 この璧は、泣いていた農夫の名から「和氏の璧」と呼ばれ、伝説の璧として、その後中国の古典文学でもたびたび登場することになる。

 

 さて、この話を聞いた多くの人は、文王の慧眼を称え、歴々の鑑定士を蔑むであろう。

 しかし、私たちは本当に歴々の鑑定士を蔑むに値するだろうか?

 

 例えば、これを、現在の世界平和や憲法9条と重ね合わせてみよう。

 すなわち、農夫が抱く原石は憲法9条で、そこに潜まれた『璧』こそは、世界平和ということだ。

 私たちは、彼の持つ実現すればそれは素晴らしいかもしれない璧を含んではいても、最初から、実現不可能とあきらめて、その原石に慧眼を向けようとはしないだろう。

 しかし、世界平和など実現不可能だと言うことが「絶対神話」であると誰が決めたのだろうか?

 私は、微力ながらこの、実は何の根拠もない「絶対神話」に挑み値と思う。

 ただ何分、また考え始めたところで、体系的なものは何もまとまっていない。

 とりあえず、今日のところは、先の大戦に対する人々の考え方(その多くは、戦争を知らない世代が教育で学んだ知識に過ぎない)について、一言を呈し、感情論ではなく、科学的に平和について検証することを提言したい。

 

終戦記念日。官庁では、正午から1分間の黙祷をする。

 来庁者の人も、会話を止めて、協力してくれる。

 広島長崎は知っていても、沖縄、東京、大阪、他の東南アジアでの犠牲者にどれだけの思いを馳せることができたのだろうか?そもそも、私たちは戦後何年まで、その鎮魂の心を持ち続けることができるのだろう。

 残念ながら、どんなに風化を防ごうとしても、「先の大戦の結果を顧みて平和を守りたい。」という説明は、そのうち説得力を失うだろう。

 憲法9条は、悲惨な戦争の結果、その反省から打ち上げられた理想であることは否めないが、「先の大戦」とは切り離してそれを考える時期が来ている。

 

 憲法9条の批判には、主だったもので、以下のようながある。

①結局はアメリカの軍事力の傘下における平和にすぎない。

②ならず者がはびこり、世界平和を欲しない国が大多数の現状では、理想以外の何物でもない。

③自国の平和だけを望んでいても孤立する。世界平和に貢献してこそ発言力が得られるのでは。

④どうして、アメリカに押し付けられた憲法を守る必要がある?

 

 ④の反論はもともと嫌いな論調であるが、「先の大戦」と切り離すという観点からも、議論の外でいいだろう。

 ①②については、「ごもっとも!」としか言えないのであるが、③については、武力の行使を「国際紛争の解決手段としては、永久にこれを放棄する。」と宣言している以上、わざわざ、よその国に、武器をもって介入するのは、やはり違和感を覚える。

 

 私は、長い間、大の反戦論者だったのだが、武力に代わり、ならず者を抑える手段が「経済制裁」しかなく、それをすると、首領は知らん顔で、その国の国民が苦しむだけだったという経験と、大の嫌われ者と思っていた北朝鮮が、意外と国交国が多く、核兵器の開発に成功し、いよいよ世界への発言権を得たという2例から、自信を無くした。

 日本の理想は早すぎたのではないか?武力(国外に派遣できる)の無い国には、世界平和を叫ぶ前に発言権がないのでは?

 

 でも、だからと言って、今の世界に合わせて、武力を海外派遣させようとする動きや、核兵器禁止条約に反対することは、とても納得いかないのだ。

 

 私の乏しい知識では、上記の①②の問題を解決する秘策は思いつかない。

 ただ、大戦前から使っている「経済制裁」という名の村八分では、問題は解決しないのだ。なのに、なぜ100年経っても、やっていることは同じなのだろう?

 私は、大学で経済学を学んだが、聞くところによると、経済学という学問は、比較的新しく歴史が浅いらしい。ノーベル賞ができたのも1968年だとか。

 しかし、学者も国家もこぞってこれを研究し、血眼になって、万民が幸福になる世界を追及し続けている。

 

 平和に関しても、ノーベル平和賞があるわけだが、その受賞理由が批判されることが多い。歴史の浅い経済学でさえ、ちゃんと実効性がある研究が評価されるのだ。

 平和賞だって、恒久的世界平和に向けて、例えば「経済制裁」が効かなかった場合の国際紛争の解決方法を考えつくなどが、評価されるべきではないか?

 私は、これを「平和学」と呼び、国際紛争の解決策について、経済制裁武力行使以外の方策を研究する学者が、食べていける程度の社会整備がされ、将来的には、大学生が学ぶ時代が来ることを望む。

 

 そして、いつか両足を切られても、9条を抱きながら泣き続ける、私たちの国に「よく守ったね、もう武力の必要な時代は終わったよ」と言ってくれる人たちが現れることを望むばかりである。  

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アテネの学堂』ルネッサンス3大巨匠のひとり、ラファエロ・サンティの傑作

 中央のプラトンアリストテレスを始め、当時知られていた著名な賢人・哲学者・科学者が同時代に勢ぞろいした設定の学堂を表している。

 もしこの光景が実現するなら、世の中の大概の悩みや問題は解決しただろう。

 日本の抱えた和氏の璧は、アテネの学堂でも解決できない厳しく辛い道のりなのかもしれない。しかし、少なくとも、私が、この絵画の中心に立ち、「どうすれば、国際紛争の解決策から、武力を廃絶できるのか?」と尋ねれば、半裸で寝転がっているディオゲネスですら、座って議論を始めるだろう。

 

上杉鷹山

 「為せば成る」は普通に使われる慣用句。時折丁寧に「為さねば成らぬ何事も」と続ける方もいるが、「成らぬは人の為さぬなりけり」と続けられる人は、なかなかの通であろう。私の父は、それが極貧の米沢藩を救った名君、上杉鷹山の言葉であることを知ってか知らぬか、酔っぱらうとその下の句を満悦に唱えた。

 おかげで、小学生にして、鷹山には、心惹かれるところ多く、信奉していた。

 知る人ぞ知る、炭火の話をしたい。

 関ヶ原で敵側に加担した上杉家は、肥沃な新潟から従者(従業員)の数はそのままで、年商半額の米沢藩に転封される。

 折しも、当時の米沢藩は飢饉に見舞われ、極貧で皆が希望を失っていた。

 その光景を目にした着任したての藩主、上杉鷹山(当時は改名前で、治憲)とその一行は、暗澹たる思いで愕然としたという。

 しかし、鷹山は、廃屋のくすぶっていた残り火を見つけこれをかざし、「まだ火は残っている。今は、ちっぽけな火種だが、使いようによっては大火となろう。我に策有り、火種を絶やさずしばらく耐えよ。」と檄を飛ばした。

 数年後、米沢藩は財政再興を果たし、他の模範となる豊かな藩へと変貌する。

 

 もう15年も前になる。

 私の役所は、ある行政手続きを電子化するため、ネット上で申請書を作成できるシステムが開発した。

 私は、何の因果か、その直前、それを開発する部署(というか建物内に居ただけだが)に出向していたため、当然のごとく、この「システム」の普及のプロジェクトチーム(PT)に組み込まれた。

 しかし、PTの方々は、機械には多少詳しいようであったが、その雰囲気は、鷹山が赴任した時の米沢藩の様だった。

 実はこれに始まらず、私の組織は、何度かその手続きの機械化を検討し、いろんなチャレンジがされていたが、利用者は、自力で手続することを怖がった。

 「自分で作って、間違っていたらどうしよう。とにかく一度提出先の人に見てもらいたい。いくら自動計算システムがあっても、自分で打つのは嫌だ。」なのだ。

 しかも、新システムはあまりにセキュリティが堅牢であったり、初期設定が複雑であったり、とても、利用者に操作できる代物でなかった。

 

 しかし、私は知っていた。私の組織が望む未来を。平成15年に電子政府構想が打ち出されるずっと前から、その手続きを機械化すること。訪れた利用者が、ATMのように無人対応でも、手続きができるようになること。

 などというと、すぐに「老人や障害者はどうするんだ?」という声を上げる人がいるが、今、そのシステムは、15年前に比べ、高校生レベルでも自力で、しかも自宅で操作できるレベルまでが平易になったにもかかわらず、窓口に訪れる人の数は一向に減らない。

 私たちは、老人や障害者を切り捨てる気など毛頭ない。「打てる人が打ってくれたら。作れる人が作ってくれたら。専門家に頼める人が、頼んでくれたら。」本当の社会的弱者に手を差し伸べる時間ができるのである。

 

 話がそれてしまったが、15年前、そういった当局がその数年前から嘱望し、全力をもって実現しようとしている未来を見てしまっていた私は、やる気のなかったPTのメンバーに、前述の鷹山の話をし、「今は始まったばかり。新しいシステムはいつも扱いにくいものだ。火種をそっと心に灯し続けて、いつか良くなる、その内誰にとっても当たり前のものになる、これを信じましょう。」と言った。

 それから、数年、夢想的な未来を想像できず、多数の人の反感を受け、アウェイな時期が続いたが、いくつかの灯(ともしび)が残ることができたであろうか?

 しかし、現状、その手続の70%以上が、そのシステムを利用してのネット送信か、自宅で作成しての郵送提出となっている。

 結局は、霞が関の指令が大阪本店を通じて徹底され、現場指揮官が四の五の言えなくなって突き進んだ成果であって、私たち黎明期のメンバーなど眼中にに無いと評されるだろうが、私は、転勤の先々で、指揮官の指名を受け、推進の矢面に立ち続けることができた。たぶん灯(ともしび)をしつこく握っていたからだろう。

 おかげで、後続する人たちに理想を語り、火種を分け続けることができた。

 不要・複雑な取引は簡略化され、セキュリティはそのままに、利用しやすいシステムへと例年進化を続けている。

 パソコンを知らないモバイル世代(そんな世代があることを最近知って驚いたが)に対応したインフラ整備も完成間近だ。

 さらなる普及と発展が楽しみである。

   

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エドゥアール・マネ作「フォリー・ペルジェールのバー」(1882年)

 19世紀末、写真の出現とともに閉塞感を増す絵画界において、多くの画家が「道」を模索し続ける。その多くは、後にその因習から完全に解き放たれ、自由の翼を存分に広げる「印象派」以降の作品の発火点となる。

 その中でも、マネの革命的でセンセーショナルな作品は、当時まだ若手であった印象派のメンバーに絶賛され、兄と慕われる。

 まさに、マネは、印象派にとっての火種になったわけであるが、私は、彼を有名にした「草上の食卓」や「オランピア」といった、問題作を推奨しない。

 この絵画は、印象派が立ち上がった10年近く後に描かれているが、私が注目している事項は、「草上の食卓」でも現れ、印象派もそこに注目している。

 女性の後ろは、鏡に映った鏡像という設定であるが、女性の後ろ姿の角度が、まったく合っていない。

 これこそが、絵画にとって重要な部分。「そう見えるからそう書いた。その角度が気に入ったから同時に書いた。」だ。

 この火種は、印象派も伝承し、マティスピカソへと続いていく。

 

巧詐(こうさ)は拙誠に如かず

 「韓非子 説林上」に掲載されている逸話。

魏の将軍、楽羊は中山という国を攻めた際、中山の君主は、楽羊の子息を捕えただけでなく、その子を煮て汁物を作って楽羊に送りつけた。しかし、楽羊はこれに動じず、座してその汁を啜り、一杯を食べ尽くした。

魏の文侯は、「楽羊は私のために我が子の肉を食べたのだ」と称賛したが、幕臣の堵師賛は、「我が子の肉ですら食ったのです。一体誰の肉なら食わないというのでしょう」と。返って警戒を促した。

 

孟孫が狩りに行き、子鹿を捕らえた。

秦西巴に命じて車に乗せて持ち帰らせようとしたところ、子鹿の母がついてきて啼くので、秦西巴は憐れんで子鹿を母鹿へ返した。

孟孫は帰ってきて秦西巴に子鹿を持ってくるよう命じた。

秦西巴が答えて言うには「憐れに思って母鹿に返しました」と。孟孫は大いに怒って秦西巴を追放した。

ところが三ヶ月後、再び秦西巴を呼び戻して自分の子の守り役に任じた。

御者が尋ねた。「先日は罰しようとしていたのに、今は召し戻して守り役にしたのはどうしてですか」と。

孟孫が言うには「子鹿でさえ憐れみいたわったのだから、私の子を可愛がらないはずがない」と。

 

息子を殺されても主君のために戦った将軍は忠信が巧妙すぎたことが仇となり、翻意を疑われ、小鹿を哀れんだ凡庸な家来が重用される。というもの。

 

巧詐(こうさ)は拙誠に如(し)かず

巧みにいつわりごまかすのは、つたなくても誠意があるのには及ばない。

 

世の中は理不尽に近いほど、不合理だ。

 

  さて、今回は、現代社会にこの逸話について考えさせられるケースがあったという話。

 

  息子の通う人文学部という学部は、私はよく知らない学部だったが、人間とういうものを観察してそこから何かを得ようという学問らしく。ホスピタリティ(もてなし)の研究もその一つのようだ。

 ある日、そのホスピタリティとやらについて、息子と話した。

 日本が外国からの観光客に人気が有るのは、「お・も・て・な・し」、すなわちホスピタリティの高さが評価されたものであるが、息子が言うには、その中で特筆すべきところは、日本の神社なのだそうだ。日本の文化の中枢だけに、それをわかってもらうため、外国人向けに英語のアナウンスを流したり来訪者に様々な便宜を図っているとのこと。

 

 しかし、私は、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂を訪れた時のことを思い出した。

 入る直前、礼拝堂内での作法について、多言語のアナウンスが流れてきて、日本語のアナウンスも流れて来たことを思い出す。日本人もよく来るのかなと言った面白みは感じたが、これからヴァチカン芸術を堪能しようとするところに、飛んだ興ざめだった。

 娘と美術館に行った時、無駄に詳しい私は、良かれと思って説明していたら、「素直な気持ちで観たいから余計な説明は要らない」と言われた。

 日本の寺社仏閣は、その建築様式がすでに芸術だ。アナウンスは時に邪魔になる。

 過剰な接客の要不要は常に議論の的だが、私は、行き過ぎたサービスに対しては懐疑的な方だ。

 

 その頃、息子はとあるメガロステーションの結構人気の有る洋食店にバイトで行っていた。立地もムードも良く、連日大盛況で大忙しだったらしい。

 しかし、そんな中でも、処遇・接待については非常に厳しかったという。机の上はもちろん、椅子の下まで注意し、決して客の手を汚したり、わずらわせたりしない事が徹底され、更に食事の進み具合やグラスのドリンクの残量を観察し、さりげなく追加注文の有無を尋ねたりと、なかなかの気遣いである。

 ただ、残念なことに、ドリンクは逸品だが、料理は三流だったらしい。

 

 彼が、そのバイトに疲れを感じ始めていた頃、近所にちょっとした日本料理店が開業することになり、オープニングスタッフを募集していた。

 オープニングスタッフの経験は、就活を控えていた彼にとっても必需品だったので、前述のバイトの後釜にもなろうかと、応募したら、喜んで迎え入れてくれた。 

 ところが、ここの主人とその妻が、ビックリするほど、接客の知識がなかった。

 せっかく良い食器を持っているのに、洗い方や置き方が雑。グラスが飲み物に合っていない。立ち位置、座席案内、オーダー受け、バッシング、会計、洋風和風の違いもあろうが、そもそも最適を目指したルールが存在しなかったという。

 しかし、主人はとても人柄も良く、料理は抜群に美味かったという。

 

 私は嬉しくなった。私には、息子の言う接客ルールの必要性は感じられなかったから、世の人は、「少々不味くても、計算されたホスピタリティとやらと、未熟でサービスは拙いが、腕の良い料理人。」どっちを選ぶのか?面白い実験材料に思えたのだ。

 息子も私の興味に共感してくれて、観察に力を入れること約束してくれた。

 

 就活等の都合も有り、観察できたのは3ヶ月ほどだったが、結果はある程度集約できたという。

 日本料理店については、主人は料理しか出来ず、奥さん(女将さん)は大学生の息子より世間を知らず、頭を下げることを知らなかった(妻も実際に会ったが、誇張では無いようだ)という。結果、匠の技は、逸品はおろか良品とさえ評価されず、ただ、出てくるのが遅いのと、無駄に高いという印象しか与えられなかったという。

 宅配ピザの配達員でさえ礼儀に厳しいおり、1時間、場合によっては数時間滞在する飲食店において、ホスピタリティがゼロというのは致命的だったろう。

 一方、洋食店の方は、もともと数年営業しているのだから有利なわけであるが、最近、系列会社から派遣されてきたマネージャーが異常に接客重視で、あまりの厳しさにバイトが辞めてしまい、その分を厨房から引き抜いて補おうとしていたらしい。

 接客担当は、忙しいながらも、厨房がサーブしてくれるから成り立つ職業であることを十分に理解している、如何に計算されたホスピタリティをもってしても、程度を超えた待ち時間や、粗雑な成果物の提供が横行してはフォローすることはできない。続けて行けば破たんは免れないだろうと、さらにベテランが何人か辞めてしまったらしい。

 

 拙誠が巧詐を破ったかというと、残念ながら勝敗つかず。いやどちらかというと、やはり、やや巧詐の方に軍配が上がった感が有る。

 

 冒頭に挙げた韓非子の逸話には、韓非子らしくなく、その者の質実(実績や実力)を問うところがない。

 息子の通った両店の観察結果から思うところは、まず「誠」有りき、「技」有りき。しかし、それだけでは埋没する。その「誠」と「技」を損なわない範囲でホスピタリティも不可欠。ということになろう。

 人は情によってのみ動くわけではない。こと商売においては、誠のみで成り立つほど甘くは無いのでなかろうか?

 ちなみに私は、2000円以上する夕食で、給仕の腕の悪い店は大嫌いだ。

 高架下で、安い酒を飲むのも大嫌いだ。

 食事は良いものを良い雰囲気で堪能したいタイプである。

 

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 「印象派」の語源となった、クロード・モネ作「印象 日の出」

 19世紀末、カメラの出現により、被写体を精緻に描く技術は、一部の天才や努力家のものではなくなった。

 しかし、時同じくして、「光・感情・印象・雰囲気」なるものを瞬時に捉え、キャンパスに残そうとする人々が現れ始めた(当時のカメにはできないことだ)。

 早書きで稚拙に見える印象派絵画は、発表当初は酷評をうけ、今でもあまり好まない人も居るようだが、当然のことながら、彼らにはしっかりとした「技」が有り、光を追う姿勢においては、「誠」も存在していたように思う。

 この絵は、拙誠の中に巧詐が隠れている。そこが素晴らしい。

教育は国家百年の大計2選挙権

 

 

  「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。(憲法41条)」

 私のお気に入りの条文の一つだ。

 憲法に関する記述の多くは、日本国憲法の三本柱の一つである国民主権(主権在民)について、憲法の前文で示されているという。

 憲法の前文は宣言である。多少拘束力は持つが、具体性を欠く。そんな所信表明のような、「つもりです発言」に載っているなどと言っているから、この憲法の素晴らしさを知ることのできない国民が増えるのだ。

 私は幼少の頃、よく新しい遊びを思いつくので、友人たちには重宝された。しかし。その新しい遊びは、人数が増えるごとに、ズルや不公平が生じ、新しいルールの設定が求められた。

 遊びの発案者として、私が考えることも多かったが、私より上の実力者がいて、そいつが決めることも多かった。もちろん相談で解決する事も有った。そして漠然とした感覚では有ったが、自ずと、ルールを決めるものが、人であろうとシステムであろうと、最高権力であると悟った。

 そして、この41条を初めて読んだ時、その悟りを代弁してくれた、一行足らずの条文に戦慄を覚えたのである。

 教師は、憲法の前文を暗記させようとしていたが、私にとって、主権在民は41条に有った。正しくは、その国権の最高機関の構成員を選出する権利は、国民固有の権利とする憲法15条「選挙権」とセットでなければいけないのだが、宣言なのか理想なのかよくわからならない御託を並べている「前文」よりも、よほどはっきりしていて、何よりイサギが良かった。

 後年、韓非子に出会い、法を基軸とする国家運営を学ぶと、ますますあの時の戦慄は正しかっと感じられる。

 

 選挙権も18歳以上に引き下げられたことだし、中高の教育で、あるいは、国の成り立ちを教える段階ならいつからでも、主権在民は、憲法の中で「宣言」されているだけではなく、条文に明確に定められていることを教えて貰いたい。

 

 ところで、主権在民(民主主義)には一つ条件が有る。

 有権者が、一定の知識を持ち、主権者としての義務を怠らないことである。

 トランプ大統領を始め、いくつかの例で、無能な有権者が、雰囲気に呑まれて、正確な議論をしていないという、いわゆる「ポピュリズム」が問題視されているが、それでも国民が自由意志で選挙権を行使できていて、実際投票率が上がっているなら、それでいい。

  問題視する者の声が聞こえてこない国(結構存在しているが)や、選挙権の価値が失われて行く方が問題だ。

 

 ある出来事を知った時から私は国政選挙はもちろんのこと、なるべくどのような選挙にも投票に行くようになった。

 

 激しい虐殺合戦が続いたカンボジア内戦を見かねた国連が、各勢力の間に割って入り、休戦合意と普通選挙の実施に漕ぎ着けた。その監視役として国連が派遣したのがpeace keep organization (国連平和維持活動)=PKOだった。

 各国から日本からもPKOに参加する人たちがいた。

 しかし残念な事件が起きた。

 1人の学生と文民の警察官(自衛隊員ではなく、武器を持たない普通の警察官)が、休戦合意に不満を持つ勢力のポル・ポト派によって殺害されたのだ。

  強引に平和貢献のためといい、人を出したために日本人が死んだではないかと世間の人達は国の姿勢を批判した。

 しかし、彼らは、日本の国際貢献をアピールするためにPKOに参加したわけでは仲経ったでしょう。悲しいことに、彼らが守ろうとしたのが、日本人には意識すらされていない「選挙権」ですよ、と報道してくれるチャンネルは無かったように記憶している。

 

 元大阪府知事大阪市長橋下徹は、大阪府民を二分する、大阪都構想が、住民投票の結果、49:51で否決された時、「これだけの大戦をして、一人の死人も出ない。民主主義って素晴らしい。」と語った。

 

 私の子供達も、特に息子は18歳になって、初に施行される選挙に参加する機会があったので、必ず投票に行くよう勧めた。

 別に理由は聞かれなかったが(小さい時から親が行っているから、格別疑問は感じないらしい)、聞かれた時の答えとして用意していたものを、ここに掲載する。

 

①選挙権を行使するには一定の知識が必要だ。その知識を備えることは、民主主義における主権者の義務であり、必要なコストだ。

②日本の選挙権は、先の大戦における、国内350万人、アジアで1000万人の屍の上に成り立っている。

③年代別など何らかのカテゴリーで投票率を分析すれば、当然投票率の低い高いが現れ、高投票率のカテゴリーに合わせた政策(例えば若年層の投票率が上がれば、若年層に合わせた政策)が優先される。

 

 勉強不足で、選べなかったとしても、勉強はしたが、自分の考えを代弁してくれる人はいなかったとしても、消去法で「こいつだけは嫌」「だからそれ以外で一番若い人にした」でいいのだ。

 自分の属するカテゴリーの投票率を上げられたら。まずそこからなのでしょう。

  この簡単なロジックを是非、学校でも家庭でも、教育に取り入れ、有能でなくても、民主主義を支えるに足る有権者を育てて欲しいものだ。

 

 最後に

 第12条は言う。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。」

 

 憲法は主権者を拘束する法律であると以前語った(マグナ・カルタ参照)。

 この12条は、我々国民に課せられた義務なのである。

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ルーベンス「パリスの審判」

 トロイ王の息子パリスは、二男であったこともあって、のんきに羊飼いをしていた。

 しかし、美しさを競い合ったギリシャ神話の三女神、ヘラ・アテナ・アフロディーテのいざこざに巻き込まれて、誰が最も美しいかを判定させられる。

 三女神は、それぞれ「地位」「勝利」「愛」を与えると約束し、パリスの投票の証である黄金のリンゴを得ようとする。

 そして、パリスは、愛を約束したアフロディーテを選択し、リンゴを渡す。

 その選択は、後のトロイ戦争の引き金となっていくのだが、パリスがどれを選択していたら、正しい選択だったのかなど予想のしようが無い。

 しかし、彼が選択を断っていたら、女神たちは人類の無能さに対し、何らかの報復を与えていたことは間違いない。

 

 フランダースの犬で有名なルーベンスだが、人体描写にしわが多すぎるので、あまり好みではない。多くの画家がモチーフにして画題で、選択肢はたくさんあったが、結局、献策で一番に出てくるこの作品を選んでしまった。

 それでも、本日の投稿に最も合う画題であり、ルーベンスは、私の好き嫌いを排除すれば、選択に値する画家だ。(選挙も同じようなものだ。)

 

善く吏たる者は徳を樹う

 4月に入ってから、ある事案をきっかけに上司との関係に小さな亀裂が入り、修復を心掛けて、細心の注意を払っていたのだが、5月の連休明けの事案で、決定的なミスを犯し、とうとうキレられてしまった。

 おかげで、とてもふさぎ込み、ブログのほうは更新する余裕がなかった。

 私の仕事はしがない木っ端役人である。

 現在の上司とは昨年の異動で配下に付くことになったのだが、いわゆる体育会系の上に、我が組織の特殊強襲部隊に所属していた経緯もあり、残業はもちろん、昼抜き、休日勤務も屁の河童、WLB(ワークライフバランス)などくそっ喰らえというような方で、「役所のような公共機関は、時短においてもWLBにおいても、社会のメルクマール(模範)として、最先端を進むべきだ。」と考える文系色白役人の私とは、水と油な関係だった。配属当初から、「これは合わん。」とお互い思っていたであろうが、そこはお互い50歳前の大人なので、正反対の意見が出ても、どちらかが引いて合わせてきた。

 正直言って、現場の彼の実力はピカイチであった。

 法律の方はあまり得意ではないようだが、現場での情報収集・確保についての抜かりはない。特に驚かされるのは、情報技術(いわゆるIT)が秒進分歩のこの時代に、新しく開発された情報収集技術を即座に会得して行くところだ。

 彼の方も、私の知性派的なところには敬意を表し、お互いにリスペクトし合って、良好な関係を続けていた。

 

 しかし、どうしても相容れることができないところが有った。

 それが、彼の言う、「自分たちは役人であり、調査をする権利があり、国民はこれ受忍する義務が有る。」という考え方だ。

 連休明けの決定打となった原因も、彼の指令した情報を私が持ち帰らなかったため、「上司の命令不服従」(国家公務員法98条であることはきっと知らない)だと、声を荒げて怒り散らしたわけだ。

 めんどくさいので、その場で弁解はしなかったが、その情報は、極めて複雑な情報で、整理した回答表でも作らない限り、容易に得られるものではないと判断したのだが、彼の考えでは、その整理表も、相手が作ればいいということになるのだろう。

 彼には彼の目標があり、今度の事案は、やや特殊なもので、これを基に、新たな手法を編み出すことも視野に入れているようだ。私とて、木っ端とはいえ役人の端くれ、そのことは理解しているし、国益に利するとあらば公務に服す。しかし、相手の方は、それに付き合う義務はない。

 

 役人の権限を拡大解釈して、相手に無用な負担を負わせることは問題があると考えずにいられない。役人の権限に対する彼の誤解は、役人という仕事を多少なりとも誇りに思っている私にとっては、看過できない。

 役人の権限とは、法治国家における担保(法律を守る者がバカを見ないという保証)として役人が存在する事に由来する。そのバックボーン有っての権力なのである。役人だから権力があるのではなく、真面目な国民のために権力を付与されているのである。前述したような、傲慢とも取れる考え方は、本店の特殊部隊なら通用するかもしれないが、支店の木っ端役人が吐いたら、たちまち大炎上である。

 まあ実際、大炎上したという話を聞かないところを見ると、酒場で息巻いているだけかもしれないが、その方が却って悪質だ。

 

 ここで一つ、韓非子から逸話を紹介する。

 役人たるもの、こうあるべき。と信じさせてくれた逸話であり、時折、新入社員に聞かせることがあるお気に入りの逸話である。

 

韓非子55篇 外儲説篇】

 孔子の弟子の子皐(しこう)が衛の国の裁判官をつとめていたとき、一人の男を足切りの刑に処した。刑を終えた男はやがて城門の番人にとりたてられる。

 

 その後、衛の国に内乱が起こり、身に危険が迫った子皐は城門から脱出しようとした。すると、くだんの番人に呼び止められる。「これまでか。」とあきらめたところ、番人は彼を自宅の地下室にかくまい、子皐は事なきを得る。

「私はあなたの足を切らせた男ですよ。なぜ助けてくれたのですか?」子皐が尋ねたところ、番人はこう答えたという。

 

 「わたしの罪は逃れようもないものでしたが、あなた様は取調べの時、なんとか罪を免れさせてやろうと一所懸命のご様子でした。また、罪状が確定して判決を申し渡される時には、いかにもつらくてならんといったお気持ちがありありと見て取れました。あのときから、わたくしはあなた様を徳としているのでございます」

 

 のちに孔子はこの話を聞いて、「善く吏たる者は徳を樹う」と語ったという。

 

 いかにも徳を重んじる孔子の言で有るが、重要なのは、この逸話が、論語に掲載されているわけでなく、法家の韓非子によって紹介されていることである。

 すなわち、その心は、「上に立つ者には「徳」が必要だ」などという解釈ではなく、法を執行する者の姿勢を説いているのである。この話が、役人に優しさ(徳)を求めているものなのであれば、足を切らなければよかったのだ。

 法が無味寒村とわかっていても、執行官が、余計な裁量(去年の流行りで言う所の忖度)を挟まず、ただ法にのみ忠実であったからこそ、罪人は法に則り罰を受け入れ、役人を恨まなかったのだ。

 

 役人には、本来ノルマというものはない。ただ情勢に応じ処理しなければならない、要処理件数というものは存在する。あるタイプの不正を、社会的影響が及ぶ程度摘発すれば、そのタイプの不正は抑制される。という計算だ。

 しかし、思惑通り不正摘発件数が伸びないこともある。

 それが担当者の責任であるか指令した上官の責任であるかはケースバイケースだが、要は、ノルマとは呼ばないが、「任務」に追われることが有るのだ。

 50歳前で、ヒラの私でも、現場の踏み込みが甘かったと反省することは多い。

 しかし、時々そういうことが続き、「任務」が全うできなくなると、上司の苛立ちもボルテージが上がるもので、日大アメフト部のような、「待て、待てえ」と言いたくなる指令が飛んで来る。

 民間で営業している人たちの話を聞いていると、もっと厳しく露骨だそうだが、役人の世界では、ご法度でしょうと思う。

 

 そんな理不尽な命令を受けたくない一心で、善吏たるには実力がなくてはならないと、調査技術を磨き、人に劣る事績とならないよう頑張ってきたが、本店しごきのムキムキマッチョには勝ち目なく、軍門に下るより他はなさそうだ。

 

 「善く吏たる者は徳を樹う」。韓非子は、この言葉にこう続けた「吏為る能わざる者は怨みを樹つ」

 過剰な圧力は、国益に利すらないのだ。

 しかし、それを主張するには、「任務」を貫徹にこなし、やり方に文句を言わせない技量と知識を探究するしかない。

如何に崇高な理念が有ろうとも、今の私には、彼を屈服させるだけの技量が無いのだから。

さて、どこまで善吏の矜持を守りきることができることやら。

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「夜警」 知る人ぞ知るレンブラント・ファン・レインの代表作ですね。

 バックブラックにライトアップされる人物像は、レンブラント特有の輝きを放ち、絵画の中に、初めて「光」が持ち込まれたバロックの象徴といえます。私が絵画に興味を持ち始めるきっかけとなった一枚でもあります。

 有名な逸話ですが、夜警と言っても、実際には昼間の光景だったのが、保存状態が悪く、黒ずんでしまったため、「夜警」という名がついたそうです。

 登場人物は、中世の商業都市アムステルダムで組織された、とある「自警団」であります。

 社会が勃興すれば、ルールが必要になります。つまり法です。

 法あるところ、法を守る者と、守らない者が現れ、それを守らせ公平を保つ組織が必要となります。

 「役人は憎まれて何ぼ。」任官当時よく言われました。

 しかし、憎んでいるのは、不正を摘発された人たちだけです。私たちは、その社会が必要としたから生まれた組織だと信じて来ました。

 そして、韓非子の言葉に触れ、不正を摘発される人たちにさえ、徳を樹うことができることを知りました。

 これからも「善吏徳樹」を胸に、「任務」を遂行していきたいと思います。