説難

ブレイクアウト〜非合理的な選択

 平和学を提唱するのであるから、戦争についても自身の見解を提示しておく必要があると考えているが、なかなか3000文字程度に収める事は難しい。

 このため、これまで投稿することがなかったのだが、先日、松本人志東野幸治がMCを務める「ワイドなショー」において、妖艶なる女性国際政治学者、三浦瑠麗さんと、武田鉄矢との間での、戦争における合理性をめぐっての論争を見て、強く感銘を受け、自分の思うところに一部答えが見出せたと感じたので、投稿しようと考えた。

 なお、当該論争においては三浦女史が徹底的な合理主義に立ち、戦争がいかに非合理的かを解き、これに対し武田鉄矢は侍を例に挙げて、たとえ非合理的である事は重々承知であっても、引けない状況が有ると主張すると言う構図で展開された。

 感銘を受けた点は、両者が非常にスマートで、テレビに出てくる国会議員がよくする、相手の発言を待たずに、食い気味に自論を強弁するような見苦しい事はせず、お互いが間を取り、卓抜した語彙を駆使し、美しさすら感じられる表現で、コメントをコンパクトに整理して、それぞれの戦争観をぶつけ合っていた点だ。

 

 私が両者の内どちらの見解を支持するかと言うと、三浦女史の徹底的な合理主義を支持する。

 

 実は、現在、後日の投稿として、「教育は国家百年の大計3_自由」を執筆していて、「殺人は問題を解決する手段として最も非合理的だ。」という記述をしている(なぜ自由を題材としている中で、殺人の話が出てくるのかは、後日投稿)。また、先日、「歴史の勝利」という投稿の中で、戦争で利益を上げようとする人達に、如何にそれが馬鹿馬鹿しい事かを説く手段を考えていると話していた。

「合理性」という観点からのアプローチ、そんな漠然とした意識が浮かんでいたところへ三浦女史の見解がすっぽりはまって、今回の投稿に繋がった。

 

 戦争は、人モノともに尋常あらざる浪費を行う。しかしそのコストに見合った利益が受けられるかどうかと言うと明らかに損失である。

 

 シリアを例にとって、数字で検討してみよう。

 シリアの内戦勃発(2010年)前の原油産出量は、日産40万バレル。原油価格は、たまたま2010年と現在が似たような数値だが、1バレル/70米ドル(8,000円)。

 これを基に単純計算すると、年間1兆1,680億円になる。

 これが政権奪取の見返りだ。

 これだけ考えれば、何年かかろうとも、何人犠牲にしようとも、奪取したいものだ。

 しかし、その恩恵にあやかれるのは、その勢力における、極一部の支配者層である。

 肉親を殺された恨み辛みを煽りに煽られ、あるいは、真っ当な教育を受ける機会を奪われた結果、それだけが正義であると信じ込まされて、地球より重いとも言う人の居る「命」を差し出した人への代償は、おそらく、日本でいうところの、遺族年金程度だろう。

 ちなみにシリア内戦で犠牲になった人々の人数は、7年間で35万人と言われている。仮に、政権を奪取した者が、その遺族に均等に遺族年金を払うとすれば、先程の1兆1680億円を全て遣っても、一家族当たり年間333万円である。

 もちろん、自分に反抗した側の死者や遺族に年金を支給するというのも滑稽だが、アメリカは負けた日本の飢餓を救った。戦争に勝利するということはそういう事であり、勝者が敗者に慈悲をかけることは、勝っている状態を維持し、定着させるには、最も安上がりなのである。

 しかし、戦争の費用は死者だけでは無い。身体的負傷者と精神的負傷者、兵器購入にかかる借金、インフラの再整備、それを阻む地雷等不発弾の撤去、いずれ各国から要求される難民の帰国。

 小学生とまでは言わないが、中学生なら十分に理解できるだろう。「この戦争は最早、いくら完全勝利を収めても、大赤字だ。」と。

 

 ところで、前述で、日産40万バレルと書いたが、内戦勃発後は、日産2万5千バレルらしい。国内の消費量もまかなえず、輸入に頼っているそうな。専門的に経理処理すると、その差額は、「機会損失」と言って経費に計上されるのだが、その額、年間2兆円だ。

 その損失で、命を張っていないたくさんの人が儲けている。

 まさに非合理的だ。

 

 しかし、武田鉄矢は言う。

 人が戦いを起こすのは、利益だけが目的では無く、大義や信条によるところが多い。と。

 

 これに対し三浦女史は言う。(ここがシビれた❗️)

 「本来理性的であるべきジャーナリストも、戦場に身を置くと、エキサイトし、感情的になり、表現が猥雑になる。」「だからこそ、敢えて私は合理主義を唱えるのだ。」と。

 彼女は、武田鉄矢が言うように、人はそんなに合理的に割り切れないものである事は分かっている。しかしそれに身をやつす者は、その環境に呑まれ、いつしか理性を失い、「猥雑」(ワイザツ:いろいろなものが入り混じって下品な事)になってしまう。

 つまり、いくら肉親を殺されたと言う事情などが有ろうとも、暴力に訴え始めた時、「猥雑」(この言葉のチョイスが格好良い)_つまりヒトとしてはレベルの低いものになると言うべきなのだ。

 

 じゃあ、アサド大統領の横暴を黙って我慢していろと言うのか?

 

 そうではない。

 暴力以外の解決策を用いる事である。

 ガンジーの非暴力不服従も素晴らしいが、学校で習ったよりも、現実は残酷だったようだし、何より相手がすでに立派な大人の英国だった。

 

 私が考える独裁国家を最も効率よく民主化する方法は、以下の通りだ。

 

⑴ 独裁者側の統治時の罪は不問とし、身の安全を保障する。

弾圧されたり身内を殺された人達にとっては、到底飲めない条件かもしれないが、ここで敢えて理性を取るべきなのである。

 独裁国家が滅ぶ度、民衆は狂気して独裁者の首を掲げ、銅像を引き倒してはしゃぎ踊る。以前は微笑ましい光景として歓迎していたが、段々違和感を覚えるようになった。

 そう、人が人を殺してはしゃいでいるのだ。

 なるほど、これを「猥雑」と言うのか。

 自由という目的を果たすためであれば、一旦過去を水に流すのが、残酷ではあるが、更なる残酷を産まない事も含めての最善策なのだと考える。

 

⑵ 独裁者を民主国家に招き倒し、開明パラダイムシフト(常識の転換)を起こさせる。

 

⑶ 国連に民主化プロセスの検討と実行を専門とする機関を置き、民主主義の原則、権利及び義務をすべからく周知し、憲法を起草し、普通選挙に至らしめる。(端的に言うと「GHQ」と同じ。)

 なお、私は、すべての国が民主的になるべきだとは言わない。それはその国民が決めることだから。ただ、発言、思想が弾圧されているなら、上記のプロセスの対象になると考える。

 また、その実行において、国際協調による圧倒的な武力をもって圧力をかけることは否定しない。ただ、日本は憲法に照らし合わせて、武力を提供せず、特に⑵のプロセスで活躍してもらいたいと考えている。

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サルバドール・ダリ「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」

 スペイン内乱を予言したとされるダリの隠れた名作である。

 複雑怪奇な表現が、飽和点に達しようとする、戦争を引き出すフラストレーションとインフレーション(急激に膨張する何か)が、数字や理性では割り切れない、難解なものであることを示している。

 しかしそれを解決する労力は、それを諦めて失う損失に比べると、ごく僅かであろう。