説難

銀婚式

憲法第二十四条

 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない

 

 先日、姪の結婚式に夫婦で列席させてもらった。

 彼女を含め、私の母親の孫は11人いるが、彼女が初孫にあたり、私たち叔父叔母の寵愛を一身に受けた時期が有った。

 それだけに喜ばしく、幸せを感じる結婚式であった。

 特に、通常花嫁が両親にお礼の手紙を読み上げるところで涙するのに、花婿が花嫁の両親にお礼を言うところで号泣し始め、それが止まらず、花嫁になだめられるというシーンが有り、両者の多幸を確信でき、非常に感銘を受けた。

 

 私たち夫婦は、今年25周年の銀婚式に当たる。

 ご多分にもれず、私たち夫婦も、これまで平坦な道のりではなかった。

 とにかくお互い価値観が合わず、子育て、教育、買い物、善悪、なぜ結婚したのかと疑問に感じるほど考え方が違い、喧嘩が絶えない時期や、離婚の危機に陥るような衝突が何度もあった。

 

 私たちが結婚した頃よくスピーチで使われた話で「ハリネズミのジレンマ」と言うものがあった。同世代の人で知らない者は居ないくらい有名な話だが、最近の若い人は知らないようなので簡単に説明する。

 

 「ハリネズミの夫婦は冬になって気温が下がると、お互いの体を寄せ合い体温で温め合おうとする。しかしお互いの体には、たくさん針が付いている訳だから、近づきすぎると相手の体を傷つけてしまう。かと言って、距離を置き過ぎると体温を感じられずお互いが寒い思いをする。傷つけては距離を置き、寒くなっては近づき、これを繰り返すことによって、最終的に最も適正な距離を得ることになる。」という話。

 

 ベタな話だが、結構この教えは役に立った。

 結婚25年で、最適な距離を見出せたかというと、必ずしもそうではないが、少なくとも、私たちは最適な距離を見出すために、「相互に協力」することはできた。

  

 これとは別に、私の結婚式で披露されたスピーチの中に二つほど、後の私の心に残り続ける言葉があった。

 一つは「夫婦は向き合うと欠点ばかりを探してしまうが、同じ方向を見ればお互いが寄り添うことができる。」という言葉である。

 結婚に際し、私は妻の20年30年先の幸せを保障したいと決意していた。

 この言葉をもらったとき、私には夫婦が肩を寄せ合いながら、遠くに沈んでいく夕日を眺めている光景が目に浮かんだ。それ以来、現状においてお互いが何をしてくれるか何をしてくれないかなどを探り合うより、20年先30年先どうなっていたいかを提示し、長期的スパンを意識させ、遠くの夕日を見つめるように仕向けてきた。

 結果として、何度もいさかいは有ったが、20年30年のスパンを考えた上では、さざ波ほどにもならないと整理していくことができた。

 もう一つは、「この感動を忘れないことが重要だ。」という言葉。

 結婚式の当初は、言っている意味がよくわからなかったが、後々になって、この言葉の意味を重く感じる思いを何度もすることになる。

 私たちは23歳の時に結婚したので、ほとんどの同僚に経験者が居なく、注目された分、ずいぶん盛大なものとなり、たくさんの祝福を受けた。

 「もうわかった!離婚や!」と叫ぶたびに、私にはあの披露宴での親類、友人一同の祝福の笑顔が浮かんで来た。

 私は多くの人に祝福されて彼女を妻に娶った。その感動が、私の心の中に強い義務感を植え付けていた。

 そう私は、祝福していただいた方々のために幸せでなければならず、また彼女を幸せにしていかなければならなかったのだ。

 

 昨今、結婚式を無駄な浪費と考え、控えめにする傾向があるが、結婚式はやはり派手な方が良い。控えめにしようとする人間は、決意や責任も控えめにしようとしてるように感じられる。ど派手になってこそ自分の背負う責任を感じることができるのだ。

 私の娘を娶る花婿さんには、見栄を張る必要はないが、一定の決意がうかがえる程度のスタンダードな披露宴は催していただくことを期待する。

 

 さて、そういうわけで、これらの意識を武器に、25年の永きに渡り、婚姻という平凡な幸せを維持し続けた。

 婚姻にしがみつくことだけが正しい人生では無い事は理解できるが、平凡な幸せを維持する事は大変な忍耐と苦労を要するものであり、親や子供、国に余計な心配や迷惑をかけずに貫徹してきたことは、もっと賞賛されるべきだと思っている。 

(離婚者の家庭に生活補助が支給されるのであれば、銀婚式を迎えた夫婦にも報奨金を支給してはどうか?と思っている。) 

 私は妻に恵まれただけなのかもしれない。

 何度も浮気するほどモテなかっただけかもしれない。

 しかし、少なくとも私は、結婚について常に「悠久の時」を感じていた。そして遥か遠くの夕日を一緒に見ようと努力していた。祝福してくれた親族や友人の事をずっと忘れなかった。

 価値観の全く違う妻の考えはきっと全く違っているだろうが、彼女もきっと、何らかの意識を武器に、平凡な幸せを維持する努力を怠らなかったのだろう。

 結果として、銀婚式を迎えることができ、結婚当初の目標はクリアできた。

 

 妻の両親は、もうじき金婚式である。

 離婚率がうなぎ登りな中、私たちはお義父さん達の生きざまを受け継ぎ、次の世代に伝えるところまではできた。

 次の目標は、彼ら同様、自分たちの金婚式を迎えることだろうか?

 

 最後に、婚姻関係が永きに渡り継続中の方々のために、私が20代の頃、友人の結婚式で披露する予定だったが、故あってお蔵入りとなったスピーチを紹介する。

 

 「ゴッホの名作に「ひまわり」というものがある。このひまわり、実は一枚ではなく十数枚描かれている。その中には、茎がうなだれて、まるで枯れているように見えるものもある。どうしてこんなものが名作なのだろうと感じて、書籍をひもといてみたところ、面白い逸話にたどり着いた。

 ある日、ゴッホは、アルル地方にアパートの一室を構え、新しい画家たちの活動の拠点にしようと皆に声をかけた。しかし発足日に、アパートを訪れたのは、ゴーギャン唯一人だった。

 それでもゴッホは感激し、激しくゴーギャンを歓迎した。

 この時ゴーギャンが持ってきたのがひまわりだった。

 しかしゴーギャンとの共同生活は長く続かなかった。

 (その理由等は結婚式場では不適切なので話せないが、要するに価値観の違いで対立し、ゴーギャンは出て行ってしまう。そして、ゴッホゴーギャンが去った後、有名な耳切り事件を起こしてしまう。)

 ゴッホは、ゴーギャンが居なくなった後も、ゴーギャンからもらったひまわりを見る度に彼がアルルに現れた時の感動を思い起こし、そのひまわりを描き続けた。やがてひまわりの茎はうなだれ枯れていくが、ゴッホはその感動が忘れられず、そのひまわりを愛おしく思い、これを描き続けた。

 

 今は美しい花嫁も30年40年経てばどうしても老いていく。

 しかし、重要なのは容姿の美醜ではない。彼女を好きになった時の、結婚を決意した時の、そして披露宴のこの日のこの感動を思い起こせば、彼女がいかに老いていたとしても、花婿は彼女を愛おしく思い続けるだろう。」

 

 交際期間を加えると、本日は30回目のクリスマスイブになる。傍目にはお互い老いているだろうが、楽しそうにケーキを買っている妻の姿は、私にとっては変わらない。まさしく私の目指した30年後である。

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マルク・シャガール「誕生日」。

 姪の結婚式場:アニヴェルセル(http://www.anniversaire.co.jp/ )で、式場のコンセプト(記念日)を象徴する絵画として、リトグラフ(コピー)が飾られていた。

 説明を不要とする表現と、どハマりな画題。これこそ絵画だけに許された領域ではないかと感じさせる一枚である。