説難

ブレイクアウトⅲ 命が深刻な問題でなくなる時

 先日、会社の先輩たちと飲んでいて、「知覧」の話になった。

 特攻隊機の出撃地として、灯篭・遺書・見送った食堂の女将などの話が有名で、行けば滂沱の涙の流すと、先輩方はたいそうご執心の様子だった。

 

 8歳か9歳のころ、すでにひねていた私は、教師が言う「日本は侵略戦争に失敗した。」を全く鵜呑みにしていなかった。短絡的であまりに非合理的、信じられる同級生が不思議だった。

 

 私の父は、昭和5年生まれ。昭和20年の夏といえば15歳だった。大阪育ちの彼なら、大阪空襲も経験し、焼け野原で玉音放送を聞いたのだろう。

 そこで敢えて単刀直入に尋ねてみた。

 「日本はなぜ戦争を起こしたのか?」

 しかし、彼は呟くように言った。「みんなが狂っていたんだ。」

 私は、物知りな方だったが、当時まだ、「狂う」と言う言葉を理解できていなかった。涎を垂らして、踊ったり、暴れたりする様子が浮かんでしまった。だから、「みんなが」同時に「狂う」というシーンを想像することができなかった。

 

 不思議なもので、酔っぱらうと必ず軍歌の「戦友」を謳い、歴史・経済・国際・政治と、広範な学識に優れ、すべての議論を避けたことがない父が、57歳で他界するまで、戦争について私に語った言葉は、その一言だけだった。

 

 ちなみに私の母は、終戦時9歳。戦争の悲惨さを訴えては、反戦思想を植え付けようとするタイプだった。おかげで、基本反戦論者である。しかし、このブログでも何度か触れたように、私は、「悲惨・酷い」という訴えだけでは、好戦主義者に勝てないと考えて、いくつかのアプローチを模索している。

 

 そして私は、父が多くを語ろうとしなかった「皆が狂っていた。」日本を理解したいと思うようになった。

 

 そんなおり、ある元特攻隊員の言葉に戦慄を受けることになる。

 元特攻隊員へのインタビュー番組は多くあるが、以前より感じていたことに、彼らが、死に赴いてそれほど重い表現や深刻な表情をしないことであった。

 その日も若いキャスターは尋ねる。

 「家族に遺書を残すなど、死ぬに当たっては相当な覚悟が必要だったんでしょうね?」と。

 そして、その元特攻隊員は少し笑みを浮かべて、忘れられないその一言を言った。「今と違って、その頃は、命の問題はそれほど深刻な問題じゃなかったんだよ。」

 キャスターが理解できたのかは疑問だが、私にはその時代に生きた人達の、「狂気が是」とされる世界を、映像を見るように実感された。そして、父が遺した「みんな狂っていたんだ。」が急に理解できたように思えたのだ。

 知覧の遺書は多感な少年が、当時まだ美しかった国語で綴るものだから、涙を誘う。

 しかし、彼らは泣いてもらいたいと思って、それを残したのだろうか?

 もしかして、戦争の狂気を訴えたかったのではないか?

 しかし、戦争の狂気を語る者、記録は少なくない。プロパガンダナショナリズム・今でいうならポピュリズム、集団狂気への警告はどこにでもある。

 

 いや違う、彼らの薄ら笑みに見えるものは、戦争の狂気ではない。

 彼らは、まるで転勤命令でも受けたかのように死地に赴き、帰られないかもしれないから手紙を残したのだ。

 「彼らにとって、生死は深刻な問題ではなかった。」のだ。

 

 「命は、地球より重い?」そんなことは幻想だ。

 家族がナイフを持った暴漢に襲われたら、多くの父親は間に立ち、自分の命は紙より軽いと考えるだろう。悲しい中学生にとって、命は五分の魂より軽い。

 守るべきものや、必要としくれる人に恵まれない人生を10年も過ごせば、自分の命も他人の命もぺらっぺらだ。

 そこへ、プロ野球程度の熱狂を与えてやれば、あっという間に命なんて燃えて消えていくのではないか。

 京アニの悲劇を見て一番思うことは、銃の乱射事件が無い日本で、瞬時に30人以上も殺すことができる「ガソリン」と言う、マシンガン以上の凶器は、もっと早く取り締まるべきだったように思う。

 人間の心も同じだ。確かに、民衆の熱狂をあおる扇動者を注視することは重要だが、それ以上に、民衆というものが燃え安いガソリンであることに気づかなければならないと思うのである。

 

 頑張っているジャーナリストの方々には、大変申し訳ないのだが、戦場で大火傷を負った幼児を抱えながら、裸足で逃げ惑う母親を見て、命の重さをいくら訴えても、それは今日も夜中にコンビニに買い物に行ける人間の理屈なんだ。

 悲惨や残酷を訴えることは、その事実の存在を知らしめる上で、必要な報道だと思うが、反戦を訴えるうえでは、以下の観点を加えてほしい。

 

 紙のように燃え始めた命の延焼、山火事なるぬ「命火事」というべきかか。

 これをどうするか?

 

 「そんなことは分かっている。」という人も多かろう。そして、きっと一度火が付いたら、きっと為政者の意図すら超えて、延焼している現象も何度も見ている。

 「だからこそ、未然に防ぐ努力を訴えているのではないか!」

 

 そうなのだが、もっと踏み込んで、「その狂気を生み出しているのは、為政者だけでなく、民衆そのものではないのか?」

 ほとんどの人は勘違いしている、命は煉瓦で立派な建物で、理性というメンテナンスを怠らなければ、簡単には火事にはならないと。

 いいや、きっと、一陣の風で、藁に家よりよく燃えるだろう。

 いちばん燃えやすいガソリン(火事の元)は自分たちの命であることを自覚すべきだ。

 

 以前軍人さんの子息という人と酒席で同席して、大したことを言った覚えはないのだが、いつの間にか「国家のために命を捧げた英霊を馬鹿にするのか?」と息巻かれた事が有った。まああまり見識の高い人では無かったので、やり込めて家名を気付つけるの悪いと思い、議論は避けておいたが。

  

 前述の元特攻隊員は、「英霊になれるという誇りは持っていましたよ。」という。そして、先だった仲間の命は崇高な目的のために失われたと信じているとも言っていた。

 しかし、「生死は深刻な問題ではなかった。」と言った時のあの笑みが、私には「自嘲」にしか見えなかったのだ。

 

 父は、「みんなが狂っていたんだ。」としか言い残さなかった。

 その頃の15歳なら、軍隊に入るのが当然で、彼にとっても、命は紙だったのだろう。しかし、彼は、それを国のせいにも、世情のせいにもしたくなかったのではないか?多くを語ら無かった理由、それは「自嘲」ではなかったのか。

 

 もし、私の結論が正しく、激しい熱狂と惨劇と殺戮が、飲みすぎた夜の翌日のような「自嘲」でしかない。というのが、戦争というものの衝撃的な末路であるならば、それを選択する人はもっと減ることができるだろう。しかし、その犠牲者の数やつまらない為政者の選択ミスをはるかに超える、戦争のくだらなさを立証してくれる証言をしてくれる者は少ない。

 良くしゃべる奴ほど、自嘲を語らない(だから自嘲というのだろうが)。

 

 今日も、知覧では、滂沱の涙を流す観光客が絶えない。

 人の命が紙のようにくべられていく「人火事」の中、遺書を残した彼らは、意外と、「俺らは厚紙くらいには燃えにくいんかもな?」と自嘲していたかもしれない、などと発言したら、歴史館から放り出されるかもしれないが、その非人情的な観測こそが、本当に知覧の悲劇を根絶できるのではないか、とも考慮してもらえると幸いだ。

 

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山下清桜島

 知覧への行く道でどうしても見る景色らしい。

 海の波もの緻密な表現のおかげで、手前の街並みと奥の桜島の素朴さが際立ち、抱きしめたくなる感傷を伺わせる。ゴッホもモネも挑戦しながら到達できなかった世界だ。

 特攻隊兵は確かに飄々と執務をこなす様に死地へ飛び立った。しかし、美しく抱きしめたいものをたくさん守りたかった事に間違いはないだろう。

 残念ながら、命は時として紙のように軽くなる。しかし、その遣い道は、もっと崇高なものであらなければならない。