説難

権利の行使は野卑であってはならない

 香港のデモはエライことになっちゃっていますね。

 

 去年銀婚式を祝して、家族で香港・マカオに行った。

 香港を選んだのは、香港自治政府(正しくは香港行政会議)の要職が、中国本土の指名者に限定されるなど、急速に中国の影響力が上がっており、いずれ私たち夫婦が若い頃、ジャッキーチェンを観て想像していた香港ではなくっていくだろうと考えていたからだ。

 最近の空港封鎖騒ぎに至り妻が言う。「去年行っといて良かったなあ。」と。

 ただ、私が危惧していた事態とは逆の現象が起きているようだ。

 私の香港映画で学んだ香港は、要するに「雑」だった。

 そして返還から20年経って訪問した結果、中国本国の厳しい締め付けは感じなかったが、「雑」な所は、期待を裏切らなかった。

 有名なネイサン通りで買った、権利がしっかりしているか怪しいキャラ付きのUSBが、帰国後、PCに差し込んだ瞬間、ウィルスソフトに弾かれたのは笑った( ´ ▽ ` )

 まあ、そのルーズさこそが香港らしさなのだろうが、その分、中国の狡猾な中央政府の餌食になり、良いものも悪いものも失っていくのは時間の問題と考えていた。

 

  しかし、真面目に頑張って権利を主張している。しかも、今のところ、至って冷静だ。最近、デモ隊側の非道を訴え国際世論を味方につけようとした中国政府が、礼節を持って戦っている市民に対して、一部の跳ね返りをとらまえて、非を鳴らすのは卑怯であるといった海外メディアの反応が多かったのは、愉快だった。

 そもそも、先進国的には、今回のデモ隊の主張は、普通に考えて正しいのだから仕方がない。「逃亡者引渡条例」など、別に別途結ばなくても、かつてのブラジルや冷戦時代の米ソじゃあるまいし、本当の犯罪者を引き渡さない理由が無い。

 どっかの書店のオヤジが、中国中央政府を批判する運動をしていたのに、仕入のために中国本土に行ったら、しばらく行方不明になって、帰ってきたときには、すっかり無口になっていた。

 そんな「むかし話か!」と突っ込みたくなるような、ばかげたことが現実に起きているから、その法案が通らないんじゃないか?世界中の人が知っている。

  

 とにかく、この調子なら、韓国の方が先に行っとくべきだったかと思ったりもする。

 韓国さんの抗議運動は、報道で見る限りは、香港市民より数段劣る。

 

 ところで、よその国の人はどうしてこう言うことで揉めると相手の国旗を燃やすのだろう?私の記憶では、日米貿易戦争の時もアメリカ人が日本の国旗を燃やし日本車をハンマーで壊していたが、日本人というのは、あっぱれな人種で、そんなときも、困っている外国人(その頃なら訪日してる外国人を観たら、圧倒的にアメリカ人なのに)を助けていた。自分はろくすっぽ英語もしゃべれないのに。

 

 ただ、私にも苦い思い出が有る。

 昔、甲子園の阪神巨人戦の後、巨人軍の旗をカバンに隠して、阪神電車に乗ろうとした巨人ファンのおじさんがいた。運悪く阪神ファンに見つかり、集団でその人を取り囲み、在ろう事か、その巨人軍の旗を燃やししまい、集団は盛り上がる、という悲しい場面を見た。

 阪神ファン、辞めよかな?とも考えたが、一人の阪神ファンの青年が、果敢にも、群衆と巨人ファンのおじさんの間に割って入り、群衆に対し「恥ずかしくないのか!お前らこそ甲子園に来るな!」と恫喝。巨人ファンのおじさんに平に平に謝った。彼の勇気ある行動のおかげで、今でも甲子園の一塁側に行ける。

 

 たとえ、報復目的であっても、あのような行為は醜悪至極である。アメリカも中国もやっているが日本人はしない。第一、多分万博以降に生まれた世代は、世界第二位としての民度が求められ、あのような野蛮と言うより野卑な行為で、気分が良くなったり、晴れやかになるような教育は受けていないはずだ。

 

 香港のデモは、日に日に激しさを増しているようだが、是非、先に手を出した方が負けであることを重々理解してほしい。 

 

 かつて日本でも70年安保という騒乱の時期が有った。

 一部の反対運動家が、死者が出るほどの過激な行動に出た。

 しかし、時の総理大臣佐藤栄作は、日本中に吹き荒れる反対の世論に反し、安保継続を実行した。

 一方では、最も平和的な選択をしたと言う人もいるが、その選択が後の50年を決定づけたかどうかは不明である。

 しかし、1つだけ間違いなく言える事は、当時その選択がある程度支持されたのは、「アメリカと言う国がそれほど嫌われていなかった。」ということだ。

 当時の運動家が主張するように、当時ベトナム戦争中であったアメリカは、すでに、現在の「10年に1度は戦争を起こさないと経済が破綻する。」戦争中毒になっており、それを知る知識人も多かったであろう。しかし、当時の日本人は、自分たちの近代化がどこで道を外してしまったのか?ちゃんとわかっていた。わかっていない人もわかろうとしていた。

 私は学生運動に参加しなかった人たちが、アメリカを盲信していたとは考えていない。彼らの主張は、ちゃんと届いていた。しかし、アメリカの危うさに気づきながらも、日本に西側諸國の最先端の民主主義を取り入れたいと言う気持ちが強かったと信じている。

 そして日本は、一方(西側)に組しながらも、少なくとも武力衝突には加担せず、学生運動家たちの危惧にも応えた。

 残念なのは、あの時の暴力が有ったからそうなったのか、無くても日本人はそこに到達できたのかが私にはわからない点だ。

 

 さて、香港市民の考えはどうなのだろう?礼節な抗議行動で終わることができるだろうか?

 鍵はやはり、香港行政会議の見識であろう。日本の時とは全く逆のことが起きているのだ。多くの市民は、中国本土の遅れた民主化に足を引っ張られることを最も恐れている。そして、それを見せつけるかのように、統制された「大人の抗議行動」を展開している。

 謀略により彼らを過激化させる事は容易だ。しかし、香港行政会議においては、自分達の市民と中国中央政府、いずれの民主主義が洗練されているかという問題を見定めるべきだろう。

 書店の店主の洗脳が単なる噂なのか?真偽は不明であるが、香港市民が中国本土の民主主義を信用していないということが重要なのである。

 香港行政会議が、国民の不安を払拭する証左を示すか、それがだめなら、やはり今回は見送るのが正しいのだろう。

 たとえ中国本土から派遣された立場の辛い傀儡政権なのかもしれないが、佐藤栄作のように、政治を司る者として、国内外・欧米・アジアを見渡した、国民の真の声に耳を傾けたとき、その矜持を以て支持する立場はおのずと決まってくるのではないだろうか?

 

 とにかく今は願う、礼節を持って訴えこそ絶対的勝利を得るこの運動を、一部の未熟者がお祭りと勘違いして、台無しにする野卑な行動に出ないことを。

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ムーラン・ド・ラ・ギャレット

 ルノワールの最高傑作と言われる作品。パリ郊外のダンスホールに集まった若い男女の幸福な集いの様子を描く。

 貧困や戦争など暗い題材を取り上げることない彼に対し、ある記者が「そういうもには興味はありませんか?」と尋ねたところ、「世の中には不快な物があふれている。だからこそ楽しい絵を描くのさ!」と答え、以来、彼は「幸福の画家」と言われるようになった。

 デモだって、「正しい」、あるいは「正しいと信じている人」が集まって、それを主張しているだけなのだから、まるで期待するかのように騒乱になることを不安視する風潮が目立つが、普通に要求が通って、この絵画のように楽しげな集いとして終わっても一向にかまわないはずなのだ。