説難

人生万事塞翁が馬

結局、息子は今年就職したばかりの会社を辞めることになった。

 当然親としては、この先の不安を抱かずにはいられないが、彼の言い分を聞く限りではあるが、会社側にも問題が有るように思われたので、受け入れることにした。

 息子が会社の不満を言い始めたころから、ずっと表題の言葉が浮かんでいた。

「塞翁が馬」。面前の境遇が必ずしも、将来の幸不幸を決定付けるものではないという説話だ。(コトバンク:塞翁が馬)

 

 私の半生を例にそのことを伝えようと、半年も前から、何度も原稿を書き直しているが、人の自分の半生を語りたいという衝動は抑え難く、あっという間に5000~6000文字になってしまう。

 ようやく、どうしても語りたいエピソードを2つに絞り、今回の投稿に至った。

 

 私の組織には、士官学校制度のようなものが有る。

 対象者は、高卒採用者で、合格して一年間通えば、大卒並みの士官候補生扱いとなる。しかも昔は、高卒採用者の方が多かったので、その卒業生閥が強く、出世がし易かった。

 苦節五年、猛勉強の末、合格を勝ち取った。

 受験勉強中はいろいろ迷惑をかけ、乳飲み子を抱えて単身赴任を強いられることになる妻が、「おめでとう。神様って居るんやな。」と言ってくれたことが嬉しかった。

 学校に着いてみると、全国各署のエースと呼ばれる連中が集まっていた。当然、私も含め、参集した研修生たちは皆、「自分たちは勝ち組」である事を確信し、お祭り気分だった。

 しかしながら、わが班を担当した教授は最初のあいさつで、「皆さん高揚される気持ちはわかりますが何事においても一喜一憂しないことが肝要です。」と述べ、表題の「人生万事塞翁が馬」を掲げた。

 お祭り気分に水を差すつまらないじじいだと感じたことを覚えている。

 しかし、彼の指摘は正解であった。

 当初私は良くモテた。(男にも女にもである。)

 当該研修所には、私のように学力で合格して来ている者もいれば、上司の推薦組という者もいた。彼らは、学力は劣るが、私のような学力組から素直に教えを乞い、獲得すべきものを獲得していった。

 翻って、私は彼らこそ格上と見るべきなのに、教えを乞われて調子付いてしまった。

 

 私には一つ面倒な欠点が有った。生まれつき異常に響く声(喉)を持っているのだ。持たざる人にはわかってもらえないのだが、身長190を超える人が、常に頭上を気にして暮らすように、私もいつも声量に気を遣いながら生きて来た。

 それでも、少し気を抜くと、声が大きくなるため、同じことをやっていても、「あいつ、うるさい。うざい。」と言われることが多かった。

 それがこのときは、特に顕著に出てしまった。

 研修の前半ではたくさんの取り巻きに囲まれていたが、次第に避けられるようになり、卒業前の頃は引きこもりに近かった。

 士官学校卒業生は、多額の国費を投じて育成されたハイスペックホルダーである。多くが本店勤務か、それなりに先端あるいは特殊業務に配備される。

 しかし、私は、僻地の、担当者の3分の1が精神疾患を発症するという部署に配置された。左遷だ。使ったスペックはメンタルヘルスケアくらいであった。

 さらに次の転勤では、他系統に出向となった。士官学校で得たスペックはほぼ無意味となった。

 士官学校に合格すれば、すべての苦労に報いると約束した妻に、ただただ申し訳なかった。

 

 しかし、他系統に移って2年。塞翁が馬が現れる。

 東京局において、人員不足が問題となり、各支局は無理繰りでも人員を出すよう要求されていた。当然兵隊だけでなく、士官候補生もだ。

 兵隊はいくらでも出せるが、士官候補生はあまり出したくない。

 ところが、系統を外れ、役に立っていない士官候補生がいる。私だ。

 おかげさまで、「本庁出向」という、夢のような栄誉を頂いた。

 私が本庁に出向くに当たり、とにかく注意したことは、「士官学校の轍を踏まない。」であった。

 人生万事塞翁が馬、面前の状況に一喜一憂せず、静かに目立たず業務をこなせば、エリートの道はまだ閉ざされていない。そう考えていた。

 

 本庁の仕事は激務だが楽しかった。

 全国区を俯瞰し、国家の戦略に直結できる仕事は、過労死する人の気持ちが垣間見えてしまいそうだった。

 素人だった私は、迷惑をかけまいと、休日は図書館に行き一日中勉強して、資格も取った。

 仕えた上司(班長)は女性だったが、その分野では伝説的な人物だった。彼女は私の才能を評価し、私を鍛えに鍛え、たくさんのプロジェクトに私をねじ込んでくれた。

 どうやら、1年以内に私を自分の後釜にすることが目標だったようだ。

 

 しかし、他の部署からは批判的な意見を受けていたようだ。「声が大きくてうるさい。」「支局の小僧が偉そうに、口を出したり、質問したりしてくるんじゃねえ。」と。

 下手に勉強していたせいで、率直に疑問に思うことを聞いただけで、怒らせてしまっていたようだ。ちなみに、自慢ではないが、士官学校の時も問題になったのだが、私は女性に好意的に接してもらうことが多い。これについては、嫉みから、何度も酷い噂を流されて苦労した。

 まあ、そんな連中の上奏も多かったのだろう。ついに上層部から、「次期班長の器に有らず!早急におとなしくさせろ!」というお達しが出たようだ。

 

 班長も組織の一員である。見事な変わり身だった。即座に方針を転換し、必死でブレーキを踏み、戦線を一気に縮小する。

参加していたプロジェクトからなるべく撤退、もしくは、出席しても意見を言わないという戦略を採り、最低限生き残れるエリアを確保する作戦に出た。

しかし、私は自分の頭の回転を止められなかった。そもそも理不尽な仕打ちだし、もっと勉強すれば事態は打開できると考えてしまった。すでに「頭」が必要とされている段階ではなかったのに。

 撤退命令に応じない私に彼女は激怒し、何度かの衝突の末、私はすべての業務から外された。そして、士官学校の時以上の相当に深刻な事態に陥った。

 

 結局私は「調子に乗っていた。」ということなのだろうか?

 教授がやってはいけないと言っていた、「一喜一憂」をしていたのだろうか?

 何より、一喜一憂を我慢していたら、運命は変わっていたのだろうか?

 塞翁が馬はもっと高レベルで計り知れないものなのではないだろうか?

 

 子供たちの進路を決めつけたり、妨げたりする親にはなりたくないと思いながら、一度だけ、妨げたことが有る。

 娘は、関西の有名私学に十分に合格できる学力を持っていた。しかし、私は、その頃はまだそれほど学力が高くなかった弟のほうの進学の道を空けておきたく、私もあまり知らない公立大学を娘に薦めた。

 そして、悩む彼女に「これはさだめ(運命)だ。」という、身も蓋も無い言葉を浴びせてしまった。可愛そうなことをしたと今でも負い目には感じているが、もっと可愛そうなさだめに立つ者はいくらでも居る。

 結果、高校三年で急速に学力を伸ばした息子は進学を果たし、娘の大学は経済界では意外と名の知れた大学だったそうで、就職には大変有利だったそうだ。

  

 ちなみに、現状、私は、士官学校卒で本庁経験が有り、2年に1回は功績者表彰を受けながら、七不思議的に出世が遅れている。支局の代表が集まる場で、2回も粗相をやらかし、支局に恥をかかせたからだろうか?

 行かない方が良かったのだろうか?いやあ、それも塞翁が馬というものだろう。

 ずっと、張り切りすぎたことを後悔して生きてきたが、今ではさだめだったに過ぎないように感じている。

 活躍はし損ねたが、メジャーリーグに2度行けた。それは人生のエンブレムだ。運命の奴がクソ意地悪をしたところで、そのエンブレムは輝き続ける。

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ギュスターヴ・モローサロメ

 ヘロデ王の再婚相手ヘロディアの娘サロメは、見事な舞を舞い、その褒美を聞かれ、イエスの師匠ヨハネの首を所望する。

 もとより、彼女がそんな気持ち悪いものを欲しがるはずもなく、その要求は、明らかにヘロディアの要求に間違いなかった。しかし、彼女はその後、聖職者を死に追いやった悪女として歴史に名を残す。運命とは実に理不尽なものである。

 モローは、サロメを始め、クレオパトラなど、強くたくましく生きたようで、「ファム・ファタール」=運命に翻弄される女性を描き続けている。

 ファム・ファタールは女性に対する表現であるが、ここにいう運命とは、塞翁が馬と同様に、人知では避けがたい、さだめという意味での運命を差していると考えている。