説難

フェミニズムの帰結_前編《本性》

役割分担のテーゼ

 現職大臣が育児休暇を取ることになって、少し話題になってきているが、実は日本の育児休暇制度の水準は世界的には最高水準である。

 しかし、その取得率は6%以下で、いまだに、女性社長の比率も女性国会議員の比率も先進国中最低レベルである。

 その原因の一つは、役割分担のテーゼである。

 「男性は外で働き、女性は妊娠・出産が有るから主な収入源とはなりえないため、家庭面の業務を行う。」

 もちろんこのテーゼは、欧米の先進国だってつい最近まで信奉していたものだ。

 しかし、日本人は勤勉で余暇を採ろうとしない。周囲が余暇を採らないので、相対的に余暇を採った者が遅れる。

 また、奴隷的な安価のベビーシッターを信用しない。車に置き去りにする方を選ぶ。かといって、信頼できるベビーシッターを雇えるほど裕福なら、別の幸福のために使用する。それが日本人の風土的思考だ。

 こうして、役割分担のテーゼはゆるぎないものになっていく。

 

 しかし、こんなテーゼはとっくに崩れていることを社会は意外と気づいていない。

 

 私の職場では外部業務において、たいへん厳しい要請を強いられる。このため、以前より精神的疾患を患い、外部業務から外れる者が多い。昨今の精神疾患への理解の高まりを反映してか、その数は増すばかりだ。

 これはおそらく民間でも起こっている現象だと確信している。

 しかし、多くの組織が、この半病人あるいは病人を無理に前線に送り出している。

 私も軽い精神疾患を患い、抗精神薬と睡眠薬を手放せないが、まともに銃を撃てる限りは、前線に立ち続けなければならない。

 男性だからという理由だけで。

 その「まとも」と見ている銃身がいつの間にかずれてしまった人も何人か居るようで、ちょくちょく、痴漢だの小銭をすくねたりで逮捕されている。哀れな同胞を見る思いだ。

 それに比べて、女性は元気なもんだ、そんな崖っぷちを歩いているような子を見たことが無い。まあ、男性に比べて、「危険」な営業を外してもらっているという話も少なくないが、現代の女性なら、最低でも男性の8割9割のパフォーマンスが可能だろう。

 さらに、男性の何割かがメンタル面で負傷することを考慮すれば、女性を内部事務や育児・家事に固定していることは資源の無駄遣いだ。

 

 戦場でより力を発揮できるものが、前線に立ち、そうでない者が後方に回る。

 それが男性だろうと、女性だろうと関係ない。

 育児を始め、家事、近所付き合いも含め、家庭面の負担は、夫婦のうちで、より外部業務に向いていない方がやれば良い。それが男性の方だというなら、それはそれでよいではないか?

 男女雇用機会均等法導入から30年。「男は外。女は内。」という偏見を持たずに育った世代の中で、前線で銃を撃てない男性が居ても当たり前、一撃で仕留める名手の女性が居ても当たり前。男女の役割分担のテーゼなんて、実はとっくに崩れているのだ。

 外で働かない主夫になってしまった男性の人生は闇か?そんなことはあるまい。

 今日のICT技術をもってすれば、事務職と内部業務の多くは、在宅で行うことが可能であろうから、上手くいけば、出勤しているときに匹敵する功績も期待できる。若い青年なら、対人交渉からしばらく離れて、先輩たちの事績を整理しているうちに自信を取り戻したり、資格を取ることだって可能だ。

 女性の方も、出産3カ月後には職場に復帰し、外部事務の一端でも担えれば、スキルが衰えることは全くない。人員不足に悩む外部事務の部署にとっても朗報だ。

 出産を経て、時間さえあれば十分に前線で働ける女性が家に居て、客が怖くてパソコンしか打てない男性が出社している現状を無理に維持していること自体、人事部の資質が疑われる。

 

 さて、私は皆が信奉するテーゼを完全否定した。しかし、問題はそれだけでは納まらない。

 

女性の本性

 働き方改革で、女性の経済的自立、社会進出を支援する政策が次々と打ち出されている中、私は日本の女性が本当にそれを歓迎しているのか疑問に思うことがある。

 経済的に自立すると健康保険や所得税住民税を支払うことになり、百数十万円の収入がなければ、メリットはない。それはほぼ正社員に近いわけだが、政府はそうなることを望んでいる。しかし、家計においては、夫婦のいずれかが、職務をセーブして家庭を切り盛りしなければならなくなるわけだが、どっちがそれを引き受けるのか?

 私の乏しい女性との交流関係から察知したところでは、ほぼ9割方の女性が職務をセーブする方を選択するだろうと予想される。

 実際、小泉大臣が育児休暇取得するとき、手当は満額支給だったが、通常は「6割」だと聞くと、街頭インタビューの女性の多くが、「育児の手伝いは要らんから働いてくれ。」という。それが現実なのだ。

 これに対して、女性の権利拡大を訴えるフェミニストたちは、きっと「いつも犠牲になるのは女性たちだ。社会機構の何かが女性の自立を阻んでいる。」と嘆くだろう。

 しかし、多くの場合、これは日本女性が独特な観念を持っていて、自ら選択した結論だと私は感じている。

 男性優位、男尊女卑の時代が続いた中で、女性の地位は常に低く扱われ、不遇な時代が続いたわけではあるが、一方で男性優位が強い社会ほど、男性の責任感は強く、翻って女性の依存性は大きく培われた。すなわち、女性は「守られるもの」と言う概念が強く根強いてしまっているのだ。

 もし①子育て支援の社会的基盤が完成し、共稼ぎが容易になり家計が200万円増加する。②妻の子育て家事支援を支えるため、夫の給料が無条件で200万円増加する。と言う2択を迫られた場合、①を選ぶ人が一体何割いるだろうか?

 

 大半の女性は②を選ぶだろう。家事も育児も大変だが、夫の収入がその分増えるなら、わざわざ外で働く理由はない。

 女性たちが、育児や家事の分担を男性に求めるのはおそらく本心ではない。

 自分が働くには夫の協力が必要だからである。働きたい理由としては、学歴を積みせっかくのキャリアを失うのが残念だからというところもあろうが、大半は経済的理由だ。

 だから、多くの女性は、男性に十分な経済力があれば、せっかくのキャリアを捨ててでも家庭に専念し、収益力を一点に任せた男性に家事の分担を求めるような事はしないだろう。彼女たちの理想は、まず家庭を充実させた上で働きたいと言うものなのである。その思いは、男性よりもずっとずっと高いのである。

 働き方改革等で彼女たちを社会へ引き出そうとする人たちは、この「家庭を守りたい」と言う女性の本性をないがしろにしていることを忘れている。

 ほとんどの女性は、好んで結婚しないわけでも子供を生まないわけでもない。社会のあり方が、間違った方向で女性進出を進めているからである。

女性の特性

 何が間違っているのか?

 男女雇用均等法は、男性労働力を増加させようとする傾向が有る。狙いはGDPの増加だ。しかし、これは全くの間違いであり、女性の本性を全く考慮しない非人道的政策だ。

 女性の社会的進出の重要性は、男性しか思いつかない閉塞された社会に、女性の特性を注入して、新しいイノベーションを生み出すことである。

 女性は、①スケジュール感が強く事前に準備する。②輻輳する事務を同時に管理できる。③多角的洞察力に鋭く忘れ物をしない。④集中力は男性に劣るが根気は上回っている。⑤争いごとを嫌い、妥協点を模索する。他にもたくさんあるが、これらの利点を活用できない経営者はむしろ無能だ。

 働き方改革を行ううえで必要なことは、まず前述した通り、古いテーゼは捨てて、現実的効率性を重んじる事。

 その反面で女性たちの本性を理解し、社会に労働力としてのみの参加を求めるのではなく、その特性を活用する施策を立て、彼女たちにそれをアナウンスしてあげるべきなのだ。

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『ゆりがこ』ベルト・モリゾ

 ベルト・モリゾは知る人ぞ知る、印象派唯一の女性画家。といっても、印象派の活躍した19世紀末から20世紀初頭は、まだ男性画家しかいない。従って、当時の画壇唯一の女性画家と言っても過言ではない。

 画壇の破壊者、エドゥアール・マネがつまらぬ因習を廃して弟子に迎え入れたのだ。

 それまで、男性が描かなかった育児や、妻から見た夫(マネの弟と結婚)の姿を描いた。ある社会や常識に女性が加わるとどうなるか?フェミニズムとは何か?を知りたければ、彼女が登場する前とその後とを比較すればよいとまで言われている。