説難

象箸玉杯

 先日、ブログを読んでくれた読者から、「結論が唐突過ぎる時が有る。」との指摘を受けた。

 確かに読み返してみると、全体的に何の話をしたいのかわからないまま話が進み、突然主張したいテーマが現れるケースが見受けられた。

 現在、最終装丁に向けて、第一稿から見直しに入っているが、参考にしたいと思う。

 

 と言うわけで、今回は最初に言うと、何でこんなに健康保険料を払わないかんねん!と言う話と、財布の中身を超えた贅沢はするもんじゃない。と言う話。

 

 働き方改革で、私の扶養から外れた妻は、自分で健康保険料を払う事になり機嫌が悪い。

 「社会福祉にそんなにお金がかかるならペット税を導入したら良いのに。」

 ペット税に関しては私も大きく賛成である。やや必需品と考えても良い自動車がいまだに贅沢品として自動車税が課されているのであるから、ペット税が課されない方が論理的におかしい。

 しかし新税の創設と言うものはなかなか難しいものだ。

 

 竹下登(DAIGOの祖父)は消費税導入と言う、数百年後には年表に載る偉業を成し遂げたが、ほぼそれと抱き合わせに首相の座を去った。

 一人一殺と言う言葉が有るが、まさに、嫌われるのを覚悟で渾身の政策を通す政治家は素晴らしい。

 

 それにしても不思議なものだ。消費税が何%か上がるかと言うたびに、安保闘争が復活するのではないかと言うほど大騒ぎになる。そのくせ実費経費の交通費にまで課税するなどと言う素人以下の課税概念しかない健康保険税が、あちらこちらで新設されていくのに誰も文句を言おうとしない。

 先日見せていただいた国民年金(収入)の源泉徴収票によると、収入金額が700,000円ほどなのに、国民健康保険後期高齢者健康保険、介護保険料、合わせて300,000円も天引きされていた

 これでは老人たちはやっていけないじゃないか。

 

 よくこれで、消費税の2%アップがスムーズに実現したものだ。

 そもそも、本来この増税は平成18年に先行して行われた所得税減税のバーターなのだが、誰もそんなことは覚えていない。取りにくい所得税から取りやすい消費税へ税源をシフトさせることにより徴税コストを下げることが政府の本来の目的なのだが、そんなテクニックに人は全く興味が無い。

 みんなこう信じている。社会福祉の負担が増えて、財政はひっ迫しているからやむを得ない。と。確かに、我が国財政はひっ迫している。しかし、社会福祉の負担だけが問題と言うわけではない。 

 

 私が高校生の頃、社会の授業で国家予算の円グラフを見たとき、国債と言う費目が20%弱を占めていた。社会の先生は借金の返済のために収入の 30%を超えるようになったら、国であろうと家であろうと会社であろうと、もう破産だと嘆いていた。(ちなみにこの数字は、2019年現在23.17%になっている。)

 

 家に帰って、父親に尋ねた。「どうして日本の国はこんなに豊かなのにたくさん借金をしているのか?」と。彼はこう言っていた。「最初に田中角栄が象箸(ぞうちょ)を買ったからだ。」

 父はそれ以上は言わない。

 そこで、私は国語辞典で「象箸」を調べた。

 

象箸玉杯

韓非子55篇 喩老篇

 昔、殷王朝最後の紂王が初めて象牙で箸を作ったとき、叔父の箕子は恐れた。

 思うに、象牙の箸は必ず土器の碗には用いず、犀の角や玉の杯を用いるようになるだろう。象牙の箸に玉の杯を使うならば、必ず豆や豆の葉の汁物に使わず、必ず牛や象の肉や豹の腹子といったものに使われるだろう。牛や象の肉や豹の腹子を使うならば、必ず丈の短い粗衣を着て、茅葺屋根の下に座って食うことはせず、錦の衣を九重に着て、広い室や高台に座るようになるだろう。

 果たして5年後、重税に耐えかね国民は四散し、治安は乱れ、国土は荒れ果て殷王朝は滅びる。

 

 1965年、時の田中角栄総理大臣が初めて財政の赤字を補填すると言う目的で発行される「赤字国債を発行した。

 緊急措置だった赤字国債であったが、一度手に入れた打ち出の小槌を手放す政治家は一人もいなかった。

 昨日の贅沢は今日の当たり前、明日には必需品になる。

 建設ブームが到来し、一見日本は豊かな国になった。しかし、その賃金は、いつしか純労働価値と必ずしも等価ではなくなっていった。どこかから湧いてきている不思議な貨幣が多少の上乗せを許容したからだ。しかし、当時は皆が幸せで、誰も突っ込もうとはしなかった。やがて、これらはバブルを引き起こす原因の一つとなっていく。

 

 バブルの崩壊後も打ち出の小槌は止まなかった。その資金源の一つがこれまた無尽蔵の郵便貯金だったからだ。しかし、このままでは国民一人ひとりの財産が吸い上げられると感じた小泉純一郎がこれにストップをかけた(それが郵政民営化の本当のからくりだ)。

 しかし、それでも赤字国債は発行され続けた。バブル後の苦しい時代が続いたという言い訳も有るが、結局、借りた金を返せなくて、自転車操業をしていたのだ。

 しかし、、そんな危なっかしい国債を、金融機関も投資家も買い取った。だって国は、いざとなったら紙幣を印刷して利息を払ってくれるもん。

 実際、日本の国債は利息の不払いや据え置きを未だに一度も起きていない。

 最近では、とうとう、日本銀行が買い取り始めた。マイナス金利だからいいだろう、などと言っている人もいるが、自分で紙幣を印刷する人が国債を引き受けだしたら、それはもう、究極の打ち出の小槌だ。そのうち紙幣の価値は暴落し、ジンバブエのように、0が15.6ケタ必要な紙幣が必要になるだろう。

 

 だんだん殷王朝の末期に似てきた。

 

 そこで政府が打ち出したのが、わけのわからない健康保険料の導入と消費税の増税だ。

 いずれも社会福祉の名のもとに徴収されているが、結局は国債費の肩代わりをさせられているのだ。

 確かに社会福祉の負担は増加の一途だ(国家予算の34%)。しかし、出費比率第2位の国債費が、どのような経緯で生まれたかを考えたとき、この問題を放置して、社会福祉社会福祉と、負担をを拡大させていくのはいかがなものか?

 

 私は思う。殷王朝のケースのしても、現在のどうしようもなく膨れ上がった借金大国日本も、国王のみが悪く国民は国を糾弾すべきであったのだろうか?

 本当に悪いのは、国を滅ぼすまで国王に贅沢をさせた商人と言う考え方はなぜ誰もしないのだろうか?

 同じようにもしこのまま日本が多額の借金のために滅びるとすれば、滅びるまでお金を貸し続けた投資家たちにも責任があるのではないだろうか?

 

 本当に不思議に思うのだが、年金の支払いが65歳から70歳になったり、健康保険が釣り上げられたりする中、国債の利息はきっちり払い続けられるているのは、道理に合わない。

 なぜ一部の選ばれた資産家と金融機関の利益を優先して、国民全体がそれを分担して負担しなければいけないのか?切り捨てる選択肢を間違っているのではないか?

 しばらく、金利払いを凍結して、元本先払いにしてもらって、まず、借金を減らしてはどうか?

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《ジャンヌ・アヴリル1893年)》アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

 当時隆盛を極めた「ムーランルージュ」の一番の売れっ子踊り子の肖像画だ。

 ロートレックは彼女を主題に何枚も作品を残していて、どの芸術雑誌においても評価は高い。

 しかし、私には、この醜いばばあの中途半端にふしだらな姿に全く魅力を感じない。

 平成生まれの諸子が、バブル期のジュリアナ東京の映像を見てもグロテスクにしか感じないように、私もムーランルージュの全盛期と言われても、ベルサイユの内装はおろか、エジプトの古びた王墓の壁画よりも豪奢に感じない。

 本物の贅沢には、それを有するに値する人なり建造物、歴史が持つ「貴賓」が必要だ。

 財布に見合わない金の遣い方をしている贅沢にそれは望めない。