説難

碩学の砦

 「民意が全てを決めるなら、こんなに格式ばった建物も権威づいた手続きも必要ない。」

 堺雅人主演「リーガル・ハイシーズン2」。死刑判決を受けた世紀の悪女を弁護するため、どうにか控訴審まで持ち込んだ最高裁で彼は叫ぶ。

 ちなみに、彼の言う格式ばった建物(最高裁判所)とは以下のようなものだ。

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(デジタル版毎日新聞2020年3月6日/最高裁=東京都千代田区で、伊藤直孝撮影)

 警視庁ほか、国家の重要な建造物の建築を担った知る人ぞ知る建築家「岡田新一」氏の傑作である。彼は、設計に際し、「開かれた裁判」を強く意識したようだが、ご覧のとおり、まさに「砦」。他を寄せつけぬかのような権威がみなぎったものになっている。

 しかし、司法に携わる多くの人々が、この格式ばった建物のスタイルを重要視している。

 冒頭の、堺雅人発言も、決してその格式が無駄であると揶揄しているのではなく、司法の頂点として、その格式に見合った判断を求めているわけである。

 

 司法と言えば、小学生のころ三権分立を学習した時、裁判所(司法)が国会や内閣と同列の並んでいることへの違和感を禁じ得なかった人はきっと私だけではなかっただろう。

 

 最近は○○地検特捜部とやらが政治家や大企業の不正を摘発し、その存在感を示しているが、犯罪行為を摘発するのは元来警察の仕事である。権力のある国会議員で、警察という行政に影響力が有るので、手が出せないというなら、確かに司法の出番だ。

 しかし、この場合も、司法権が警察にこれを指示して実行させるのが筋だ。地検特捜部が段ボールを持って、政治家の家に乗り込む必要は無い。

 韓非子はきっと怒るだろう。冠係は冠係の仕事をし、衣服係は衣服係の仕事に専念すべきだと。

 

 私が思うに、司法権は、自分たちの存在をアピールするために地検特捜部を派手に動かしているように思う。

 しかし、地検特捜部以外で、司法が他の2権に勝っているものがあるだろうか?

 

 さみしい質問ですね。

 「ほ~ち国家」において、世をすべからく収めているのは何か?まさに「法」である。

 よって、法を作るものが最高権力者と言える。

 それは立法府、すなわち国会であり、その構成員を選抜するのは、私たち国民であり、主権者である。

 しかし、その法を作るルールを監督しているのは司法である。(違憲立法審査権

 このブログで何度も言っていることだが、「憲法」は、主権者の権利の濫用を防ぐために設けられた、主権者に対する鎖である。

 

 冒頭のリーガルハイのケースでは、民意と言うポピュリズムが一人の犯罪者に死刑を求めていた。警察は都合のよい証拠を並べ、検察もこれを黙認した(本来検察官とは司法の機関であるのだから、警察側に肩入れしてはいけないのだが、自分が起訴した案件は無罪となって欲しくないので、起訴後は完全に警察側となり、ただの行政官に成り下がってしまう)。

 この論調に堺雅人は敢然と立ち向かい、冒頭の発言のうえ「碩学であるあなた方に判断をゆだねる。」と締めくくる。(翌日「碩学」と言うワードが検索上位にランクインされていたのは面白かった。)

 わかり易く言うと、民意も行政の思惑も、司法の良心には勝てないと言っているのだ。

 

 司法と言うところは、本当はものすごく重要で、最後の砦なのである。

 にも関わらわず、とってもよわっちい。

 

その理由の一つ目が、はっきりしない違憲立法判断の効力

 憲法81条の規定に基づき、最高裁判所がある法律が憲法に抵触していないかを判断する。つまり立法権を制限する。

 しかし、せっかく違憲と判断しても、「立法府は、早急に改廃手続をとるべきであり、また、行政府はその執行を差し控えるべきことが期待される。」程度の効力となっている。

 これでは、暴れまわっている子供を遠くからか弱い声で注意している、頼りない母親と同じだ。

 調べてみると、裁判所法3条及び8条によれば、最高裁判所には、法律に「別段の定め」を設ける権限が有ると規定されている。多少の立法補正権を立法府から頂いているようだ。

 ならば、違憲と判断された法律については、その効力がほとんど発揮できないように、「ただし、この法律の適用には、司法府の認可を要する。」を付け加えてしまえば良いのだ。

 

もう一つの理由は、実働部隊を持っていないこと。

 地検特捜部が有るじゃないか?

 あれはだめだ。警察のマネをしているだけだ。

 司法に必要な実働部隊とは、

(1)有るべき裁判を妨げる勢力や権力に対し、訴追、緊急の場合は逮捕拘禁できる事。特に、政治家、マスコミ、民衆の雑音から、裁判官をあからさまに守る厳つい護衛隊を整備してほしい。

 これにより、横から何を言っても無駄だということを知らしめる。

(2)裁判は法と証拠のみで判断する。必要に応じては裁判所も証拠の探索に加わる。本来これが検察庁の務めなのであるが、前述の都合の通り起訴後は行政官に成り下がっている。従って、起訴後は、裁判所独自の独立した調査機関が必要である。

(3)判決の法律に定める範囲での速やかな遂行

 最近執行猶予中の受刑者に収監直前に逃げられる失態が目につく。

 裁判所員が、格別の訓練を受けていないためだ。まあ警察に応援を頼むのも良いが、収監だけでなく、和解条件の履行の確認・強制執行、執行猶予中の監督など、判決後も面倒を見るところも多かろう。危険も伴う。専門的に訓練された実働部隊が必要だ。

 

 司法は憲法を盾に、立法・行政を監督する三つ目の重要な権力だ。誰にも服さず、法と証拠と良心のみを以て、判断を下し、国民にとって、有害な立法と国の行為を弾劾する。そのためには、その格式ばった建物同様に、「剣」(後述)が必要だ。

 そして、私は、そのモデルを国際裁判所に展開したいと考えている。

 

 遅くなったが、これこそ、私がこの投稿で一番言いたいところだ。

 日本の裁判所はまだ尊厳を保っているが、国際裁判所は完全に舐められている。

 司法がしっかりしないと、紛争が治まらない。

 

 3つ目の権力よ!多少強い実力行使部隊を持ってもいいから、ちゃんとその司法権の意味で、その存在感を示してくれ!

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【女神テミスの像】最高裁判所前に展示(20210515WikiよりPD確認)

 本当は、木村拓哉主演のHeroの東京地検城西支部の玄関に飾られている、目隠しをした像が格好良いのだが、どうやらドラマのセットらしく、素材がどうしても手に入らなかった。

 正直、この叔母さんからは、「正義」の象徴である凛々しさは感じられないのだが、像の持つ意味が重要なので掲載する。

 

 女神テミスは、司法・裁判の公正さを表す象徴・シンボルとして敬愛され、あちらこちらの裁判所に、いろんなスタイルの彼女が展示されている。

 彼女が手に持つ天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、正義と力が法の両輪であることを表している。目隠しは彼女が前に立つ者の顔を見ないことを示し、法は貧富や権力の有無に関わらず、万人に等しく適用されるという「法の下の平等」の法理念を表す。(以上Wikipediaより)。

 ここで、しびれるのは、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」というところですな。

 ちなみに彼女が持っている天秤は、別名「Libra」=てんびん座の天秤です。