説難

ブレイクダウンⅲ勝者の配当

 前回は、戦争における出費面について科学的に検証した。今回は、戦争における収益について検証してみたいと思う。

 

 正直なところ、第二次大戦以降の紛争・戦争において、勝者が明らかな利権・収益を得たと言えるかと言うと甚だ疑問で、考察に値しないと考える。

 しかし、私はそのガチンコで覇権と権益を争った第二次世界大戦の勝者ですら、十分な経済的利益を得たとは言えないと考えている。

 そこで、第二次世界大戦のケースを主軸に、収益面での問題を分析しよう。

 

 孫子に曰く「利在らざれば戦わざるべし」。戦争を起こすにおいては、明確な獲得利益がなければならない。それは例えば領土であったり、何らかの権益であったり、ある地域における影響力であったりそのようなものであろう。

 国家は、多くの場合この戦略目的を国民全体に伝えておくことが重要である。そして実際に、国家は国民にこの戦争の意義として、その戦略的利益を喧伝する。

 しかし戦争によって獲得できる利益は、実際には期待できる範囲の最大値ではない。

ナッシュ均衡

 通常、戦争は同盟を組んで、複数のプレイヤー同士が争う。

 経済学において、アダムスミスはすべての経済主体が、最も必要なもの(1番手)を競争によって取り合い、負けた者から2番手3番手と振り分けられて行くと考えた。これに対し、ゲーム理論の発案者であるジョン・ナッシュは、人は常に他のプレイヤーの行動を意識し、最大限の利益を求めない2番手及び3番手を最初から狙っていくいわゆるナッシュ均衡を唱えた。詳しく知りたい方は、「ゲーム理論_囚人のジレンマ」で検索してもらうとよろしい。

 重要なのは国家が唱える戦略目的はすでに虚偽であると言うことである。3割位あるいは4割方差し引いて考えなければいけない。この時点でその戦争の収益は3割引4割引になっていることを理解してほしい。

 

 第二次世界大戦末期。ご存知の通りドイツは西側と東側の思惑の中分断された。ありがたいことに日本は北方領土を除いてアメリカの支配下に置かれた。と皆は喜んでいるが、実はアメリカは2番手を選択している。アメリカの最善の利益は、リットン調査団が中国を擁護した時から、中国を影響下に入れることである。しかし、太平洋戦争終了後も中国では内戦が続いていたが、アメリカは日本という戦利品確保に全力を注ぎ、結局中国の自由主義形態を望む蒋介石の一派は台湾に逃れる羽目となった。この失地はその後の朝鮮戦争へとつながり、朝鮮の南北分断へとつながっていく。2番手を取ったつもりが3番手まで下がることになっている。

 ここで言いたいのは、ナッシュ均衡により2番手を選んでいたとしても、戦争の当初の思惑の利益はさらに下がるのであると言うことだ。

 

 それでも、戦勝国の一部は、国連の常任理事国になるという割と実益の有りそうな権益を得た。特に、幾度も問題となる常任理事国の「拒否権」は、王の錫杖に近い。

 しかし、果たして彼らは本当にこの錫杖で、国民に対し、戦争で払った代償に見合う経済的利益を還元することができたのだろうか?

 世界恐慌を始め、経済の不振が戦争の引き金になったと言う現象は数多い。戦争によって、軍需関連企業が業績を伸ばすことは当然に有ったろう。

 しかし私が勉強不足なのか、常任理事国の株が安定的に上がり続けたり高度成長を続けたと言う話をあまり聞かない。争いを創出し、スクラップアンドストラクチャーでまやかしの国民所得を生み出し続ける、まるで中毒患者だった。

 それに引き換え、世界征服にまじめに挑んで敗れた、日本やドイツのどん底からの発展の方がよっぽど健全的なのが皮肉だ。

 中国の成長も、決して不健全な成長とは言えないが、「遅れてきた巨人」と言われた通り、「人口」と言う潜在的財産が、今日の経済成長につながっているだけだと思う。

 つまり、第二次世界大戦は、どの国の現在の経済状況に対しても、悪影響こそ及ぼせど、好影響を及ぼしたとは言い難いのである。

 

 孫子は戦争を引き起こすにおいては、その戦争により獲得する利益を正確に計算することを求めている。その上でその利益がコストを上回ることが確実でない限り戦を起こすべきでないと説いている。

 ところがどうであろう、現実の世界においては虚構の収益をまくし立て、裏で密かに計算していた現実路線の利益すら確保することができない。それが収益面から見た戦争と言う愚策だ。 

 

 ではなぜハーバードなど私よりもずっと頭のいい大学を出ている連中が、このような愚策を甘受するのか?

 1つは、出費の面で説明した「減損会計」の反面に立つ莫大な利益を得る政治家等関連者など、ブレイクダウンⅱで紹介した、「平和が不都合な連中」や「戦火に笑う者」の思惑がある。

 次に、多くの国で行われているのが、国家元首が自分の地位を維持するために国民の熱狂を維持させるという、民衆心理の操作というものが有る。これに関しては、本当に一部の権力者の私利私欲の産物で、しかも、ブレイクダウンⅰで紹介したように、国民レベルでは、国家の掲げた利益の約束は、ほぼ守られない。

 いずれも、学の有る者がわかっていて、敢えて行っているわけで、至って愚劣だ。

 これらについては、是非、国民一人一人が慧眼を以て避けて頂きたいものである。

 

 しかし、もう一つの理由が有り、これが最も厄介な代物だ。

 戦勝国の国民の「勝った!勝った!勝った!」の歓喜と言う収益である。

 私は、戦争を考察するうえでは、感情論や道義的見解より科学的分析を重要視すべきだと主張し、「戦争は金だけのためにするんじゃない。」と言う意見があることも取り上げつつも、科学的反駁を添えてきた。

 しかし、考察を深めるうちに、実はこいつらがなかなかに難敵で、最も厄介で度し難い問題なのではないかと感じ始めている。

 

 戦争は、おそらく上記に挙げたような一部の受益者が企図するのだろう。

 しかし、それを発展・炎上させているのは国民の感情である。

 国民は小さな領土や権益を欲しがってはいない。おそらくプライドもそれほど気にしていないのではないだろうか。ただ気に入らない奴をやっつけたい。普段の生活の鬱憤を晴らしたい。欲求不満を晴らしたい。それと、「差別」という非論理的で前時代的習慣。一見、文化の相違から来る摩擦だと言われているものも、結構その根底には、差別が存在すると私は睨んでいる。

 そんな様々な感情を戦争は発散させてくれる。

 例え、動機が不純であろうと、野蛮な思想であろうと、感情や道義を排除して考察するという立場をとるのだから、その効用を否定することはできない。

 この数値化できないが、莫大である事は間違い無い収益を否定できない限り、「合理的に考察すれば、戦争は誰が考えても赤字だ。」という私の主張は成立しなくなる。

 「戦争は金だけのためにするんじゃない。」という、私には、短絡的で理性的でないように見える主張を、「合理的でない。」と跳ね除けられない。

 

 しかし、今のところ、論理的根拠を見出せていないのだが、やはり感情的選択の先に有るものが理性的選択の先に有るものを凌駕すると言う事は甘受できない。必ずや、理性と科学によって論破したいと考えている。 

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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「カラスのいる麦畑」

 「炎の画家」として、強烈なタッチで、類を見ない表現を繰り出したゴッホの絵は「ゴッホ」と言う一つのジャンルと言っても過言でないほどの印象深い作品を数多く残した。

 しかし、彼の存命中、彼の絵は一枚も売れていない。

 彼の表現に世界が追い付くのは、彼の若すぎるピストル自殺の数年後からだ。

 この「カラスのいる麦畑」は、彼が自殺する直前に描かれた絶筆として有名である。

 彼は、常に自身にしかできない斬新な表現に挑戦し続け、そしてそれがなぜ、世間で受け入れられないのかと言う葛藤とも戦い続けた。

 彼の技量を以てすれば、世間に迎合するナッシュの選択もできただろうが、それでは今日の傑作たちは遺っていなかったろう。

 しかし、画家個人のレベルでの妥協を許さない挑戦は、それほど他人に迷惑を掛けないが、これが国家となると、もっと冷静になってもらう必要が有るのは当然ではなかろうか?

 この作品は、並み居る彼の豪放磊落な作風の中では、至っておとなしい(ぜひ他の作品と見比べてほしい)。私には、どこか、感情を吐き出しきった抜け殻のようで、感情的選択の先にあるものを暗示してるように思えるのである。