説難

役人の矜持

 国家3権の一つである行政府について語るのであれば、憲法上の内閣の権能よりも、国民に直接国家権力を行使する実働部隊であるという点であろう。

 官僚と国会との権力闘争については、しばしば報道に取り上げられるところであるが、要は国民の求めるところは、官僚にしても巷で直接自分たちに係わってくる木端役人にしても、国家権力を行使するのなら、その資質と思想が適正・公正であることだろう。

 最近、佐川元財務次官や黒川元検事長のような恥知らずな高官のせいで、ちょっと行政府の分が悪い。そこで、私ごときの木端役人でも、胸に刻まされている「役人の矜持」を少々紹介して、微力ながら、我が行政府の擁護をしたいと思う。

 

 国家公務員。その響きに憧れて、この職場を選んだ。

 安定でホワイト。そんなイメージで公務員になりたがる人たちには言っておく。役所は軍隊だ。理不尽な異動、理不尽な人事、パワハラ上司に、担当者の半分が精神を病む職務の存在。勤続30年で良くなったところと言えば、サービス残業の割合が減ったことと、新任職員が年を追うごとに優秀になるところくらいか。

 それでも何とかやってこれたのは、表題に挙げた「役人の矜持」に惚れてしまっているからだろう。

 

○ 公に服するもの公平を希求するべし

   役人は、公共機関として、公共サービスを提供する職務もあるが、どちらかと言うと不正を摘発して何ぼと言う職務の方が本業である。

 私も、不正を質す職務が中心である。

 監査を受ける側はさぞかし私が憎いであろう。「俺たちは憎まれて何ぼ。」新人の頃、よく先輩に言われたものだ。

 しかし、ほんの一部の不正をする者が居る一方で、大半の人が、不正を行わずまじめに適正な生活を送っている。彼らにとっては、というか「正直者が馬鹿を見ない社会。」その実現のために役人は必要不可欠な存在である。

 ガサと言われる、屋内の探索作業をするときは、本当はとても気が滅入っている。こんなことをして何も出て来なかったらどうしよう?いつもその不安にさらされている。

 しかし、その引出に手を掛けたとき、たくさんのまじめな人たちの、正直な人たちの手が、私の手に乗っかってくる。「見るんだ。一応見るんだ。何もなかったとしたら、相手がより適正である事を確信できる材料になるだけのこと。相手だって、自分が当事者じゃなければ、私の手に乗っかってくるのだから。」

 公平を希求する勇気は、いつも実直で勤勉なたくさんの国民からもらっている。

 

○ 善く吏たる者は徳を樹(た)て、吏為る能わざる者は怨みを樹つ

 私が任官したころ、『豪傑』と呼ばれる、一風変わった先輩が何人か居た。酒や博打をこよなく愛し、仕事をしょっちゅうサボる。服装も派手で、おおむね反社会的集団の方々のそれをまねる傾向が有った。

 一方で、監査においては、断トツの法知識、ノウハウそして嗅覚を持ち、不正摘発の成績は抜群だった。

 しかし、彼らはせっかく見つけた不正を、大幅に減免した。大幅に減免すると、相手が異を唱えるケースが少なくなり、仕事がバンバン進み、時間が余る。それで、しょっちゅうサボっているのだ。おかげで、だいたいの人は出世が遅れていた。

 

 しかし、しゃかり気になって数字に固執している担当者の監査を受けた者の監査直後の実績が、時折、当分は来まいという安心感と担当者への怨嗟の念の現れか、適性を欠き、監査前若しくはそれ以下の水準になる(通称「波うち」と呼ばれる)ケースが見受けられるのに対し、そういう豪傑の対象者は、実成績には現れていない部分まで、監査で指摘された欠陥を是正し、明らかに監査前の水準を凌駕していた。

 彼らは数字にこそ表れていないが、指導としての功績は残していたのだ。

 これすなわち「善く吏たる者は徳を樹(た)て、吏為る能わざる者は怨みを樹つ」(韓非子55編_外儲説篇 左下)と言う事である。

 

 しかし、コンプライアンスと言う言葉に代表されるように、ここ2~30年で国民の意識が向上した。「行政官は、国会の定めた法を執行する者である。負託された権限を勝手な解釈で運用してはいけない。」

 そうして、私が任官してほどなく、『豪傑』の時代は去っていった。

 しかし、彼らの時代とすれ違う事の出来た多くの職員が、その感動を忘れられず、その徳樹の矜持を今でも握りしめている。

 

 今の新人は良い大学を出て、厳しい試験を勝ち抜いて入ってくる。とても優秀だ。コンプライアンスと徳樹を両立できる能力は持っていよう。ただその矜持を持ちたいという感動を与えるに至るのはとても難しい。

 

○ 公僕(こうぼく:おおやけのしもべ)は範たるべし

 バブルの時代は安月給に泣いたものだが、暗黒の20年の間はずいぶんその安定収入が羨まれ、公務員がバッシングされる時代が続いた。

 当局は言う。「我々は公僕である。公僕とは、国民に平伏する召使と言うのではない。多くの国民の負託を受けてその負託に応える者だ。ゆえに負託に応えるための強力な権力を下賜される。従って、その権力を保有するにふさわしい、範たる存在でなければならない。そして、それは選ばれた者にしか見られない景色なのであり、範たるべきことを求められることを誇りに思うべきある。」

 公務員には、「服務」という、やたらとたくさんの枷がある。代表的なものでは、国家公務員法100条に定める守秘義務、101条に定める職務専念義務、信用失墜行為の禁止などが有る。

 この中で、特に大変なのが、信用失墜行為の禁止と言うやつで、以前はそれほど厳しくなかったのだが、公務員バッシングの時代を経て、昨今では、例えば飲酒運転は、事故を起こしていなくても懲戒免職。休日でも、幹線道路脇の歩行者用信号を守るように言われている。立ち止まっているのは、私と小学生くらいで、私が立ち止ると、周囲の人は、車でも来ているのかと、キョロキョロしている。

 だから、黒川などは、賭博法違反ではなく、この国公法違反で処罰すればよいのだ。ちなみに「訓告」という処分は、交通違反赤切符1枚で受ける処分だ。彼が失墜させた信用は、赤切符何枚に相当するだろう。

 

 最後に最近使わなくなったが、私の好きな言葉にメルクマール(基準)というのが有る。

 「官民に要請される事象(時短・男女均等・手当・福利厚生等)は、官が率先して実現してメルクマールとなる!なぜなら、組織力も資金力も最大なのだから。」

 NTTを始め、民間に下った組織が国家の技術力を凌駕し、親方日の丸が最強という時代は終わりを告げ、官が民を引っ張る時代はとっくに終わっていると言う人も居て、どうも逃げ腰になっている風潮がある。私は、この点に対する国民の負託がなくなったとは思っていない。「うちがやらなきゃどこがやる?」の気持ちはずっと持っていてほしいものである。

 

 以上、『正直者のために働く』『本当の正義は徳を樹う』『負託を受けたる者は範たるべし』。それが私を支えてきた役人の矜持である。 

 行政は余計なことは考えなくて良い。矜持を以て法を守っていればそれで良いのだ。

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ツタンカーメン玉座エジプト考古学博物館所蔵

 ツタンカーメンと言えば黄金のマスクだろうが、私は、この彫り物が大好きだ。というか、一緒に描かれている妻のアンケセナーメンが大好きだ。

 彼女は3代の王の妻として仕えることになる。その中でも、年の近かったツタンカーメンとの仲睦まじさは、この彫り物の中で、一足のサンダルを二人で履いているところからもうかがえる。彼女の波乱の人生を知りたい方は、自由にググってもらえば知ってもらえるだろうから割愛するが、運命に突き付けられた厳しい要求に従い、君主に愛と忠誠を誓うファムファタールの代表にふさわしい。

 そして、アンケセナーメンと言えば、「矢車菊」の逸話。

 小さくて可愛い花だ。彼女は、若くして旅立った最愛の夫の棺にこれを供えた。その花は、3000年後、見事なドライフラワーとなって、彼のミイラより精密に原形を留めたまま見つかった。彼女の敬愛の信念が3000年の時を超えたと言われている。

 私は国家公務員として、国家・国民に対して、アンケセナーメンでありたいと願っている。そして、主君である主権者(国民)が、矢車菊を捧げるにふさわしい存在であることを願っている。