説難

五蠢

 秦の始皇帝は、韓非子55篇の内、孤憤・五蠹(ごと)の篇を読んで、いたく感激し、この人に会って直接話すことができたら死んでも良い、と漏らしたという。

 両篇、特に五蠢篇については、韓非子の法治理論・合理主義と並んで、「どのような素晴らしい献策も君主に見る目が無い、または、君主の目と耳が塞がれていたのでは、登用されない。」という、韓非子ならではの独特の 持論を展開するもので、登場は遅れたが、韓非子を語る上で欠かせない篇である。

 

《五蠹》

蠢(と):木の内部を食い荒らす虫のこと

 韓非子では、「学者」・「遊説家」・「遊侠」・「側近」・「商人、職人」の5つが列挙されているが、若干時代の背景がずれているのでわかりにくい。

 要するに、権力者の周りで蠢き、組織にとって非常に有益な献策も、逆に組織を危うくする非常に悪い情報も、己が私利私欲のために捻じ曲げ、または勝手に封印する輩であり、現在でもどこにでも見かける連中である。 

 

 わかりやすい例を一つ示そう。

内諸説下 

 その昔、魏王が楚王に美人を贈った。楚王はこの美人をとても寵愛した。しかし、元から居た正夫人は当然気に入らなかった。

 しかし、正夫人はまるで嫉妬していない振りを貫く、新夫人にも優しかった。

 そして、新夫人に忠告した。「あなたはとてもきれいだけど、王はどうしてもその鼻の形が気に入らないらしい。」と。そして「しかし、それを知られたと知ると、王はきっと私に対しても良い思いをしないだろう。」と付け加えた。(ここが上手いね)

 以来、新夫人はそこが気になって、鼻を隠すようになった。

 不思議に思った王が、新夫人に尋ねるが、答えようとしない。やむを得ず正夫人に尋ねたところ、当初は彼女も知らないと言っていたが、後になって「前から王の臭いを嗅ぐのが嫌なのだと言っていました。」と言うのである。

 そして、またその仕草をされた王は、怒って新夫人の鼻を削がせてしまった。

 

 君主に取り入り、あの手この手で利益を得ようとする者は、まず、情報を操作する。

 このブログで何度か話しているように、この国の君主とは我々国民のことである。

 私達は、気づいてはいないかもしれないが、いつの間にか誰かのささやきにそそのかされ、罪のない誰かの鼻を削ぎ落としているのかもしれない。

 

 安倍総理と言うのは護憲派の私にとっては、天敵のような政治家であったが、結構空気の読める総理大臣のようで、年表に乗るような政策はできていないが、日本に長期の安定をもたらしたことは認めてあげてよいと思う。

 しかし、彼は面白いほど脇が甘い。自分が直接利益を得ていないからだろうか?彼の政権下で儲けた連中の情報がよく漏れる。

 おかげで、国家予算に群がるたくさんの五蠢を白日の下にさらしてくれた。

 しかも、他に対抗する政治家が居ないいわゆる「一強」のおかげで、叩いても叩いても政権が倒れない。

 このため、追求は深くまで続き、官僚、国会議員、受託業者、まるで時代劇を見ているかのように次から次へと「越後屋」が現れて、その仕組み・手口まで、つまびらかにされてきた。

 司法はさすがに、このような事にまみれていないと信じていたが、残念ながら意外と彼らも行政化が進んでいたようだ。 ドラマや小説で、時折「検事は国家に尽くすものだ。」と言う表現が用いられるが、検事は法律に尽くすものであって国家に尽くすものでは無いことを忘れてもらっては困る。

 まあしかし、結果として、相当数の国民が「五蠢」の存在をがっつりと見定める機会を得たことになる。安倍政権、最大の功績ではないかと思ってしまう。

 しかし、感心ばかりもしていられない。そんな五蠢たちをのさばらせ、主権者に正しい情報を開示しなかった安倍総理もまた、五蠢の一人と言う事なのだから。そして、可哀そうにそんな五蠢のために命まで捧げた行政官も居るのだから。

 安倍総理の役目はそろそろ終わりのように思う。まだまだ、五蠢の存在を暴けそうだが、亡くなった行政官の遺族が動いた(遺書を公表した)タイミングが、本来潮時だったのだろう。コロナで延命しちゃって、その間に検事長・1億5千万円選挙資金の問題が出てしまった。

 安倍政権にさほどの失政は感じていないが、辞めるときか、辞めた後でもいいので、あの行政官の遺族には、自分の不徳の致したところを詫びて頂きたいと思う。

 

 さて、五蠢の存在は、かくのごとく国家にとって由々しき問題であるが、韓非子はその存在そのものをそれほど重視してはいない。 彼が重視しているのは、彼らによる情報操作である(ここテストに出ます)。

 

 情報セキュリティのリスク回避の方法は4つある。低減、回避、移転、保有

 このうち、保有とは、ある程度不合理であっても、スピードや確実性という需要の前に認容することも一つの選択肢とする考え方だ。

 巷にはつまらない五蠢も居るが、国家の中枢に巣食う五蠢は当然優秀だ。「けしからん」の一言で叩っ切るのは簡単だが、使いようは有るのである。欲は人を動かし、人を働かせる。これも韓非子の思想である。ある程度の五蠢もまた、保有(受容)の対象なのだ。重要なのは、主権者が正確な情報を常に掌握し、五蠢の動きも把握していることだ。

 結局鍵になって来るのは、正しい情報をいかに掌握しているかと言う事なのだ。

 

 実は国家予算に群がる五蠹は昔から存在し、彼らが少々割高に受注したからといって、国家運営がそれほど曲がる事はないのである。

 兎角不当な競争と言われる談合入札も、国家の業務には一朝一夕には請け負えないものがいくつか有るもので、全てが、一般国民が思っているほど簡単ではない。本当のところは、国としては経験者に頼みたいと言うのが本音である。

 しかしこれを隠したりごまかしたりするから問題になるのである。

 

 持続化給付金の問題もそうである。

 経産省にだって、言い分が有ろう。今回のようにスピードを求められる状況下、多少の強行軍が有ったところで、私は別に良いと思っている。

 問題なのは、それを、役所の中のブラックボックスにそのまま沈めてしまおうとする考え方だ!ちゃんと情報を公開して、拙い説明でもいいからちゃんと前に出して、国民の判断を仰げばいい。請負業者の協会は、堂々と前に出て、「私たちが20億円ピンハネしました。だって、僕たち電通にコネが有るんだもん。『4月末に通った法案に合わせて、3日以内に全国的システムの構築?』誰が頼める?」とはっきり言ってもよかったのだ。逃げ回るから問題なのだ。

 

 民主主義の根幹は、正しい情報が国民に伝わっていることである。主権者が、目を覆われ、耳を塞がれ始めたとき、その国家は滅亡へと向かうのである。

 

「政治の腐敗とは、政治家が賄賂を受け取る事ではない。それはその政治家個人の腐敗だ。問題なのは、その事実が明るみに出ないこと。出ても批判ができない社会。それを政治の腐敗と言う。」田中芳樹原作「銀河英雄伝説ヤン・ウェンリー

 

 その点日本の報道機関は優れている。国営放送ですら、堂々と国家を批判する。

 

 高校生の時、新聞記者に憧れた私が、父にそれを伝えたところ、「誘拐殺人の被害者の家に土足で上がり、遺影を撮影するような連中だ。」とひどく叱られた。

 「表現の自由」「知る権利」その名の下どれほど酷い取材が行われて来たか?黒川元検事長のスクープを上げた「文春」は見事であったが、彼らとパパラッチとどれだけ差があると言うのだろう?

 報道機関への憧れは今も持っているが、どこまでがジャーナリストでどこからがマスコミなのか?未だに答えを見いだせない。

 それでも、健全なジャーナリズム無くして、健全な民主主義は望めない。

 前にも話したが、SNSの普及で無責任な情報が飛び交う現在、報道機関を名乗る方々の重要性はますます上がっている。

 私達主権者が五蠹の動きをきっちり監視できるように、正しい表現の自由を行使してもらいたい。

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『いかさま師(ダイヤの札版)』ルーヴル美術館

 左の男の背中には、ダイヤのエースが隠し持たれている。右の若い青年がカモなのだろう。しかし、ディーラーの中年女性や給仕をしているウエイトレスまで、その不自然な視線の動きから、グルなのではないかと思わせる。

 自分の目先のカードだけに集中している青年だけが、本当に哀れで、一番裕福な格好をしているところがまた至って滑稽だ。

 まさに五蠢に良いように蝕まれている我々国民を「絵」に描いたようだ。