説難

普通

 

 最近娘が、「結婚」や「養う」という表現に過敏に反応する。

 男が働き、女が家庭に入るという旧態依然とした常識がお気に召さないようだ。

 

 就活をしていた頃は、適齢期に結婚して子供を産み育てる将来像を描いていた娘も、入社して営業職に就き、同期はおろか先輩をも凌駕する成績を上げるようになると、自分のキャリアが出産・育児で遅れることを残念に思い始めたようだ。

 それを察した私が、ついつい、「縁が有るのなら早い目に結婚して、子供をもうけるのが一番。」的な話をするものだから、余計に反発を買ってしまう。

 私の家は、夫が正社員で妻がパートタイマー、子供が男女二人と言う、年末調整の説明会に出て来そうな、本当に「普通」の一家であるため、娘はその価値観を押し付けられるのでないかと強く警戒しているのだ。

 

 しかし、私は別に我が家の形態が一番正しい選択だとは微塵も考えていない。

 私が一番正解だと思う形態は、まず必ず子供は育てる。そして、妻も出産・育児期間を除いては仕事を続ける。男性は、なるべく育児の負担を減らす。である。何のことは無い、政府の子育て支援政策そのものである。

 ここで大事なのは、必ず子供が居ることと、彼らが成人するまでは決して離婚しないことである。

 

 前に、士官候補生として特別訓練校に行ったと話したことが有る。

 そこには当然女性の士官候補生も来ていた。

 異性ではあったが、皆さんコミュニケーションも高い方々で、節度を守った範囲で、結構親しく交流させてもらった。

 とても優秀で、行政のあるべき姿や組織の改革すべき課題なども語り合った。

 そんな中、私は彼女たちの抱える大変由々しき問題を聞かせていただくことになる。

 彼女たちの多くは、結婚についてはそれほどではなかったが、子供をもうけると言う事については、かなり否定的であった。

 

 士官候補生になった時点で、同期と半年の差がついている。その後も、こっちの階段の方がずっと段差が高いのだ。

 「何を恐れる必要がある?子供をもうけない選択を採る理由がわからない。」と言うと、女性たちは言うのだ。「私たちは、ここを出て、子供をもうけた先輩の姿を見ている。」と。

 調べてみるとすぐにわかった。士官学校を出た後エリートコースを進んだ女性で、子持ちは居ない。酷い話だ。しかも、士官学校入校時は既婚者だったのに、ほとんどが離婚していた。

 

 20年経った。私の士官学校同期は豊作だったらしく、みなさんずいぶん出世していた。女性エリートも多く育ったとか。ただ、みなさんお子さんはお持ちでない。20年経っても、状況は、数パーセントしか進歩していない。

 悲惨なのは、無駄に途中までエリートコースを歩んだ人で、子供ももうけず、夫とも不仲になった挙句、出世もできなかった。そして何人かは、独身なのに退官したという。その中に、特に親しく接してくれた人が含まれていたので、大変ショックだった。

 

 士官学校を出ても、必ずエリートになれるわけではない。人よりも功績を上げるチャンス(いわゆる特急券)を多く回せてもらえるのだ。私はその特急券をことごとく棒に振ってしまった。だから、エリートコースから外れた。自業自得だ。

 ところが、この特急券と言うのが女性にとっては、厳しいハードルになる。

 多くは、功績は期待できるが、切った張ったを覚悟する危険な仕事、若しくは、功績は期待されるが、精神をむしばむ業務だ。

 女性には向かない職務なので、当局はやらせない。

 女性職員の中には、泥仕事もできる人も居る。しかし、私も別にそれをやらせる必要を感じない。私に言わせれば、「おなべ」が働いているようなもので、気色が悪いだけだ。このタイプの女性は、幹部になっても何か勘違いしていてタチが悪い。

 女性には、女性の才能を生かした業務が有るはずだ。だが今のところ、そこには、特急券は無い。

 彼女たちは、やむを得ず特急券なしで、ひたすら実績を積み上げる。それだけ優秀なのだ。そうして、ある程度の実績を積めば、もともと幹部にするために特別な訓練を受けているのだから、幹部に昇格させてもらえる。

 しかし、そんな苦労を知らない男性社員からは、泥仕事を経験せずに出世していく女性幹部登用を「スカート人事」(女性登用実績の数合わせのための人事)と揶揄される。

 民間企業でも、営業が花形で、出世が一番の近道で、周囲もまた、その人事には納得するように、私の組織でも、やはり、「外回り」ができてこその幹部、という風潮は覆らない。

 それでも覚悟を決めて、出産育児に踏み切ったら、時は分進時歩のICT時代、1年半程度のブランクで、ウラシマ太郎状態。休みに入る前の後輩が、指導役になっていたりする。

 なるほど、これでは育児支援制度がいくら充実していても、キャリアを目指す女性にとっては、子供は邪魔な存在でしかない。

 

 しかし、子供を諦めても、今の社会では、簡単には男性には勝てない。

 フェミニズムの帰結_前編《本性》でも話したように、女性の多くは、男性が経済力を担当し、自分は子育てを担当することに別に異存はない。結果として、今の社会では、「自分しか収入源が無く、簡単に退職はできない」、「どんなに嫌なことが有っても、ここで生きていくしかない!」という、最初から背負っているものが違う男性が圧倒的に多数なのである。

 士官学校の女性たちの中には、士官学校に入るために子供を作らなかったと言っている人も居た。その苛烈な覚悟に関心もしたが、逆に、私は、子供が居たから士官学校を目指し、図書館に通って勉強もした。しょぼくれたお父さんにならないようにと思ったからだ。(結果的にはしょぼくれているが)

 図書館では、吐きそうな思いを何度もした。だって、攻略資料に書いていることが経済学以外さっぱりわからないのだから。しかし、妻と20年間楽しく過ごし、子供を立派に育てるには、この会社を楽しく20年間務める必要が有り、そのためには、エリートコースに乗る必要が有った。

 娘や士官学校で話し合った女性たちが、出世の先に何を見ているのかまちまちだろうが、私たち男性はまず、「その会社を辞められない。」から始まるのである。

 受験で言うと、その学校一点張りで勉強してくるやつだ。多分相当手強いと思う。

 

 

 娘も含め、世の女性の方々に強く訴えたい。

 子供を産むことを諦めてキャリアを追うのは止めた方がよい。

 確かに、未だに育児支援は形だけ、本当の意味でのキャリアの保全は見込めないかもしれない。しかし、子供を持たないという選択は、その数十倍の損失をもたらすと思われる。

 ①まず、上記に挙げたとおり、その賭けに勝つ確率は非常に低いということ。

 ②次に、育児支援が本当の意味でのキャリア保全になっていないことは、大手企業の多くが気付いていて、その改善に取り組んでいる。

 先日、士官学校同期の女性が子持ちだったので、行く末を案じていたが、幹部に昇格した。他の男性エリートに比べると遅いが、女性としては比較的早い方だ。

 本店勤務に抜擢されるような女性は、出産育児後も、平然と元のキャリアに収まっている。

 夜明けは近いのだ。

 ③そして、なにより子供という財産は、そこで落としたキャリアの何十倍も価値の有るものとなり得ると言う事だ。

 

 妻が妊娠の報告をもたらしたあの日から、20数年間、止まらないジェットコースターに乗り続けた。夫婦喧嘩に親子喧嘩、費やした金銭と、時間と膨大な労力、それでも大笑いしたり、大はしゃぎしたり、すったもんだで、ようやく、ひねくれ曲がった私よりは、もう少しまっすぐな人間を二人育て上げることができた。

 計画していたほど出世はできなかったが、いつまでも若く天然の妻、男前で友達の多い息子、可愛いいわりにギャグマシーンな娘。年末調整の説明会に出て来そうな「普通」の家族だが、バランスはよいと思う。

 「Official髭男dism - Pretender(2019年リリース)のサビが、リズムに合わせて歌えないと、笑われるんだ。」と周囲にこぼすと、「君の一家はいつも楽しそうだな。」と言われる。投資の数倍の配当は取り返せているのかな。

 その昔、あるドラマで(たぶん鎌田敏夫先生の脚本の台詞だったと思うが)、「普通が一番難しいのだ。」という台詞が有った。

 何らかの特殊事情を抱えている場合は仕方ないが、普通に離婚をせず、子供を成人まで育て上げることは普通のことだが、批判を承知で言わせてもらうが、この普通のことが一番難しく、それができていなくて、いくら若くして大量の部下を持つ立場に立ったところで何ほどの事か?と思うのである。

 いい加減目覚めなさい。人生にとって本当に大切なものは何なのか?

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「ミロのヴィーナス」ルーブル美術館所蔵

 1820年オスマン帝国統治下のエーゲ海にあるミロス島で発見された。古代ギリシャ彫刻の遺跡と思われる。腕は発見された当時から無かった。美の傑作にして完成形と言われ、多くの芸術家が手本とした。

 すべてが計算されつくしたバランスで成り立っているというが、腕が無いのならそのバランスは崩れるはずではないのだろうか?しかし、不思議なことに腕が無くても多くの黄金比が成立しているという。そのため、中には、最初から腕が無かったのではという学者もいる。

 もしそうだとしたら面白い。というのも、私はかねてからこの作品を見るたびに、女性の強烈な魅力・魅惑を感じつつも、まるで両手を縛られてて不自由を強いられているような哀れな思いに駆られるのだ。

 しかし、ヴィーナスは慄然と立ち、前へ踏み出そうとしている。

 私には、その姿が、多彩か卓抜して優秀な才能を持ったとしても、出産・育児と言うハンデに両手をもがれ、それでも前進する、強い、強い女性像を彷彿させるのである。

 もし、この像の作者がそこまで計算していたとしたら、圧巻の一言に尽きる。