説難

平和の理

 本カテゴリーの最終回にあたり、かねてより予告をしていた論文を掲載する。

 

「平和を科学的に考察する平和学の構築に向け柱礎として一例を呈す。」

 

 本論の目的とするところは、平和の希求について、立場や環境によって左右される道義的もしくは感情的な観点から考察するのではなく、客観性を持った科学的な知識と論理的な観点から考察することを推奨し、その一例を示すものである。

 

第1章 戦争と平和の損益計算

 客観的で、最も衆人の理解しやすい科学として、会計学と経済学を選択し、戦争と平和の効用について考察する。

1 戦争は赤字である

 ⑴ 戦争の効用 (収益)

 イ 戦略的利益

 開戦時におけるその国家の予定している収益は、領土や権益、一定地域の影響力と言った戦略的利益であるが、本ブログでも提示したように、その予定利益の多くは、国際情勢の均衡の中実現されない。

 「この戦争をやって良かった。」という戦争が有るとすれば、おそらく第二次大戦までだろう。しかし、それらも、敗戦国の経済に重い負担を負わせ、成長を遅らせた。

 ロ 戦勝の効用

 戦意の高揚と情報操作により、国民感情の炎上の結果、その目的は、当初の戦略的目的から、強く感情的なものとなり、一番の収益は国民の「相手を打ち負かした」と言う優越感に変ぼうする。

 これら戦勝の効用とも呼べる効果は、一時的に経済を発展させる可能性はあるが、一過性のものであると予想される。なぜなら、前述のイの通り、実質的利益が無く、後述⑵で示す通り、投下される労働力が全て、破壊と消耗しか生み出さないなら、戦勝時において、持続的経済発展を支える「資本」や「財」の裏付けを持たないからである。

 また、逆に敗戦国に残る怨嗟の念は、はるかに永く、国際経済上に悪影響を及ぼす。

 ハ すべての戦争が利益が目的でないという主張について

 「戦争は利益のためではなく、義理・人情のために引き起こされるものだ。」と主張する者が多いが、義理を立てるとは、負債を返済することであり、人情をかけるとはカシを作ることであり、将来の権益を約束させるものである。従って、イと同じものとして捉えられる。

 既得権益を侵害された場合のいわゆる「自衛のための武力行使」については、確かに収益を目的とした活動に該当しないが、それを以って会計学上の考察外とは言えない。現存資産を維持するものとして、「資本的支出」という資産勘定が有るので、これに振替えられたと考える。

 この場合も、支出と資産はイコールであることから、黒字を生み出さない。逆に黒字は生み出さないが、必要不可欠な行動であることは認める。

 但し、「自衛」については、拡張解釈の末、「自衛という名の加害」に発展する恐れがあるため、国際法による明確な定義付けが必要である。

 ⑵ 戦争の費用

 イ 人的損失

 戦時における熱烈な集団心理の中では、人命の評価は紙以下に下落する。多くの兵士も、動員された国民も、命がけの労働に見合った賃金を受け取ることはない。

 これらの投下された人的資源(以下経済用語として「労働価値」と呼ぶ。)が、建設的なものに使用され、国家として所得の上昇や財産の蓄積に寄与したというのであれば、ある程度は救われるが、大半は以下のロの減損会計に飲み込まれる。

 ロ 減損会計

 イに掲げた膨大な労働価値が、なぜ、何ら財を生み出さないのか?どこへ行くのか?

 兵器は本来通常の減価償却資産より長い耐用年数を持つ。これを破壊によって、強引に短縮している。これを会計学で「減損」と言い、労働費と同じく費用の項目に分類される。労働費は、「原価」という資産を形成するが、「減損」は、償却されるのみである。

 互いの国が多大な労働価値を投入することで、互いの労働価値をこの「減損」に振替えさせている。そこには、特攻隊員の決死の破壊活動と言う労働価値も含まれる。それが、会計学から見た戦争という行為の仕訳である。

 ハ 戦火に笑う者

 国家としては大損失この上ないのであるが、まだ労働価値は消えていない。ある経済主体の大損失の多くは、他の経済主体の利益になる。

 軍需産業がその直接の受益者と言えるが、投資や貸付により利益を得る者も多い。

 なお、軍需産業は、一応半分官業である。公共工事のように国民経済に波及しないのだろうかとも考えられるが、もし、そのようなトリクルダウンが正確に行われていれば、戦時下での「失業0%」状態は、バブル景気を生み出していただろう。

 ⑶ 結論

 戦争は感覚的にも赤字だが、経済学的に、そして会計学的に赤字である。

 参加者の多くが敗者であり、他国民の権利を蹂躙し、横暴に財貨を奪うことができた時代にのみ成り立つ経済活動である。

 

2 平和は黒字か

 (1) 平和の効用

 イ 将来の安定性

 平和の効用のシンプルにして最大のものは、「将来の安定性」である。

 誰かによって破壊されるかもしれないと言う不安があるのなら、誰もローンを組んで家を買おうとはしない。

 将来の安全性が約束されているから、家を買うし、子供をもうけ育てようと考えるし、企業も設備投資をする。

 平時においても失業の不安や災厄の不安が無いわけではないが、隣国との緊張関係が続いている状況に比べれば雲泥の差である。

 ロ リソースの平和転用

 リソースとは資源である。現在のところ、かなりの、人的資源・税金・工業力・学術、様々なものが、人殺しの為に利用されているが、安全が保障されれば、明らかに生産性が高く、有益な経済活動に投下され、効率よく成果物を上げることになるだろう。

 それらの成果物の中には社会に貢献するものも有り、新たな成果物を生むためのリソースになる。

 コンピュータやインターネットのように、人殺しの道具を作っている過程で、社会的に貢献する技術が生まれた例も有ると主張する人も居るが 、別に宇宙開発の競争でも生まれていたかもしれない。重要なのは、知性を活用する動機付けであろう。

 ハ アップデート

 よく、戦争は科学を進歩させたという意見を言う人がいるが、「誰もが納得する国際法」「武力を使わずにこれを維持する方法」「宗教・文化・習慣の違いをある程度受け入れる知恵」これほど人間の高い知性を求める課題は無いのではないか?

 争うよりも、共に生きる方が課題としては難しいのである。そこに人の進歩の原動力が有る。私たちが考えているより、歴史はずっと、その課題を克服するためにアップデートされてきた。

 知恵と理性で、多様性を融合しながら、人類は進歩する。DNAという生命体は、そのようにプログラミングされている。

 二 笑顔

 感傷は科学的ではないのだが、このパラメーターは加えさせてほしい。

 強制労働者がいくら涙を流しても、労働力は低下しない。

 しかし、毎朝家族に見送られて、笑顔で働ける労働者の労働力が向上したという科学的な報告はいくつも出されている。

 私たちは、平和を希求するにおいて、涙ではなく笑顔を数えるべきなのである。   

 (2) 平和の費用

 イ 平和の費用

 戦争には莫大な費用がかかる事は当然であるが、平和であれば費用が全くかからないのであろうか?

 そのような事は無い。

 ①まず、国際平和を構築し、これを維持する組織を運用する費用が掛かる。

 ②平和がもたらす空前の自由主義経済は、空前の貧富の格差を生み出し、社会に歪みを起こすかもしれない。そして、その歪みを是正するために、国家は資本主義を修正するために多額の社会福祉費を必要とするかもしれない。 

 ③平和と安泰により緊張感を失った社会は、退廃を生み出したり、理不尽な刺激を求める集団を生み出すかもしれない。

 しかし、このうち②③のような平和の弊害とも呼べる費用については、不確定要素が多く算定は難しい。なにぶん恒久平和というものを人類は体験したことが無いから。よって、まず、国際紛争の解決に主眼を置いて、この点については別項を以って考察する。

 ロ 負担

 いずれにしても、戦争ほどではないが、平和を維持するには費用が掛かる。

 私はこの問題について、二つの「税制」をもって対処することを提案する。

 ①兵器税

 自動車は環境を破壊し、道路網と言うその資産のみが利用するインフラを必要とする。ゆえに自動車税がかかる。

 兵器は「平和」を阻害する。ゆえに、平和の維持のために税を課す。

 兵器を削減するインセンティブ効果は説明するまでもないだろう。

 ②美しい累進税

 「稼ぎに追いつく税が無い」という理念を重視し、かつ租税法律主義に基づく、シンプルで美しい課税制度を構築する。

 まず、基礎控除を設け、貧困レベルの国家には負担を強いない。とにかく仲間に入れ、同調を促す。

 一方で、累進課税制度を導入する。いろんな指標が考えられるが、とりあえずGDPの高い国家には、高税率の負担を依頼する。

 CSR(企業の社会的責任)という言葉をご存じだろうか?儲けの多い企業は、社会と言うものが健全であるから、その儲けを維持できている。だから、儲けの一部を社会に還元するのが当然だという考え方だ。

 発展した先進国には、是非その精神を持ってもらいたい。

 ハ 負担逓減のストラテジー

 平和のレベルが上がれば、その効用によりGDPは上がる。さらに紛争貧困国が立ち直った場合、新たな納税者が増えることになる。

 ほどなくして平和を維持するための資金は潤沢となり、各国のGDP税率は下げる必要を迫られる。これを経済用語でビルトインスタビライザーというのだが、もう長い間世界経済でこれが起きていない。ずっと長い間世界が不安定だったからだ。

 本当に世界平和のレベルが上がり、世界が安定すれば、その言葉も復活するだろう。

 そのためにもう一つ付け加えておく味付けが有る。

 負担逓減のストラテジーだ。

 フェーズと言われる概念を取り込み、平和維持費の負担国の増加、地域紛争・民族紛争の減少・航路陸路の治安等、予め定められた一定の国際平和基準を満たす度に新しいフェーズに移行したと宣言する。

 フェーズに応じて、税率を下げ、組織も縮小する。

 国際平和のフェーズが進めば進むほど、国際社会の負担が逓減されていく。

 平和を希求すればするほど、負担率が下がり、費用が逓減し、GDPが上がり、負担率が下がる。

 戦争を選択していたら絶対に実現できないダイナミズムだ。

  ⑶ 結論

 長期的に平和な時代という情報が無いので、費用の規模が明確でなく、断定的ではないが、運用方法一つで平和は圧倒的な黒字を生み出すということは疑う余地が無い。

 

3 是非も無し

 道義的・感情的な観点から考察すれば、双方に義が立ち、理が立ち、相まみえないところであるが、このように科学的かつ論理的に検証すれば、双方の効用は明白となる。

 おそらく、人類はまともに考えれば損得がはっきりすることをすでに気づいている。

 欲望・プライド・猜疑心・差別、人情と言うものは、どうにも抑制の効かないものである。「理屈はわかっているけど止めたくない」。だから、わざと、感情論に持ち込んで、答を先延ばしにしているのではないか?

 しかし、いつまでも、これほどに損得に格差のあるものの是非を判断できないとなると、人類というものは『知性が低い』と断ざざるを得ない。

 

第2章 国際紛争の解決

 さて、戦争は愚策であることを証明したからと言って、国際紛争がなくなるわけではない。戦略の選択の合理性を証明したに過ぎず、運用面における合理性を論ぜなければ、「ベルキャット」、絵に描いた餅である。

 ここからは、法理学・哲学と教育という概念を用いて、その問題の解決策を検討する。

1 主戦略

 私の根本的解決策は、国家の自由を無制限に認めると、「万国の万国に対する闘争 」が生じるわけであるから、一定の権限を国際機関に委ねるという、現在でも進行している国際契約論である。

 そしてその基幹となる戦術理念は、法の理の活用と「教育」である。

 

2 戦術

 ⑴ 万国布法(全世界に法理を理解させる教育)

 日本国憲法は、信条・思想・宗教・国体の自由はこれを認めるが、教育を受けさせる義務・勤労の義務は、公共の福祉を守るため、これを義務化した。

 「法律は警官が怖いから守るもの。」などと考えているようなレベルの人間が、国家レベルの集合体となるとサトゥルヌス(英名:サタン)になる。「自分たちの自由は義務を守ることにより存在する。」この単純なロジックを理解させる程度の教育は必要だ。

 独裁国家軍国主義国家も己の実権を維持するための国体護持は認めよう。

 しかし、ある程度の経済力を確保した国家は、人道的に飢える国民に食を与える義務が有るのと同様に、「初等教育」を受けさせる義務を負わせるべきである。

 ⑵ 法はすべての諸国民は救えない

 イエスキリストのようにすべてを寛容に受け入れるわけにはいかない。

 人民の自由は常に「公共の福祉に反しない限り」という制限を受ける。わかりやすくいうと、他国に迷惑を掛けない限りの自由なのだ。

 例えば瀕死の難民であっても、その国の福祉を侵害するのであれば入国できない。

 何をもって、一国の福祉が侵害されたとするかは、国際法でこれを定める。

 結果として一部の難民は死ぬしかないのかもしれない。しかし、ここで情に流されてはいけないのだ。

 世界に法理が確立し、紛争の種が無くなれば、暴君も減る。救済はそこから始まる。 

 ⑶ 賞罰の制定

 国際法を遵守させるにおいて、メリデメ(守らないより守っている方が利益が有る状態)を明確化させるためには賞罰の制定が必要で、それを維持するためには、一定期間武力が必要である。

 そして、その武力は国際社会におけるマウンティングを先に取っているものの都合に左右されがちである。

 「剣を持たない正義は無力であり正義を持たない剣は暴力である。」

 しかし、その正義の定義が難しいのである。

 結局、法を定めるものが、国際社会を統べることになる。

 このリーダーを的確に選ぶだけの、国際社会の成熟が必要となる。

 だから、⑴の万国布法が重要になる。

 ⑷ 国際紛争の一時的全面解決・凍結

 領土問題。現行通り実効支配を最も重視し、一定の期限までに国際法廷での提訴を認めるが、原則として科学的つまり歴史的証拠に基づく裁判のみを行う。結果として、ある時点でその国家の領土とみなし、また50年ごとに見直しの機会を与えるが、さらに実効支配の影響は重く、また同様に、採用される証拠は文献に限られることから、基本的に状況を覆す事はできないと言う不文律を確立する。

 ⑸ 格差の平準化

 富裕層の存在が問題視されることが多いが、格差の問題の根幹は貧困層の存在であり、それを生み出している「差別」思想である。

 単一民族国家で宗教もほぼ階差の無い日本人が、「差別」について語れることはほとんどないと私は感じているが、一つだけ試してほしいことが有る。

 被差別民族に対する、「初等教育」の実施だ。

 太平洋戦争で、日本人はアジアの人々に多大な迷惑をかけたが、見下していたはずの支配下地域の人々に、これだけは行った。

 それが今のアジアの礎の一つに数えることはアジアの人たちも許してくれるだろう。

 ⑹ 戦争を企図する者の規制

 軍需産業に対しては、撤退の利益を補償しつつ規制をかけて稼業を縮小してもらう。

 あるいは、その技術や資源を保全して、別の産業に転身の道を開くことができれば、理想的である。恒久平和に疑念を持つ人々の心理的安全保障にもなろう。

 環境問題の影響で、多くのプラスチック加工業者が職を失ったであろう。彼らを潰して、他の産業は潰していけない法は無かろう。商業の自由は経済の根幹だが、より大きな公益の前に聖域は存在しない。軍需産業の人達にもそろそろ、縮小傾向に入ってもらうべきじゃないか?

 

3 平和の弊害についての対応

 第1章2⑵で提起した、平和の弊害について対応策を示す。

 ⑴ リソース

 平和の効用の二つ目(同章1⑵)で示したように、対外政策へのリソースの分配の減少は対国内政策へのリソースの増加を意味する。

 同様に戦争の脅威が減れば軍事費が不要になり、国際平和に対する負担が軽減すれば、更に潤沢な資金が回せるということになる。これに以って、貧富の格差等に関する問題解決に充てる。

 ⑵ 教育

 平和には副作用が生じる恐れがあることを十分に認知し、基本的には教育や報道によってこれを抑制する。 

 また、2⑵ハで示した負担逓減のストラテジーについては、年度ごとに国民に知らしめることが望ましい。まず、平和は無償でないことを理解させ、自分たちが努力したことによりその成果が上がり、その効用により負担が軽減されダイナミズムを上昇させていると言う、心理的効用も共有させることに意義があるからである。

 退廃や無用な刺激を求める輩には、万国布法の提言で述べたように、「テメエらの享受している自由や平和は無料じゃねえんだよ!」という簡単なロジックを理解させる。

 

第3章 日本

 できれば日本人が平和学の論文を作成する際は、この章を加えてほしい。

 要するに持論の展開の後、その論陣の中で日本はどう振る舞うべきかを提議するのだ。

 私の論文の場合、日本は、平和の効用を最も永く享受し、その弊害も認知し、第2章で述べた運用面での維持条件を十分に満たしており、国際社会が本気で平和を希求するとなれば、最も模範となり得る国家である。

 しかし、正直なところ、日本は意外に過去を引きずり過ぎている。隣国に過去の過ちを突かれて不満を言っている国民も多いが、日本こそ、過去のことをいつまでもぐちぐち言っている。だから、最も平和に近い国でありながらそれを実現することができない。

 拉致問題にしても核兵器にしても、時代が進歩する中で、変わっていくものを抑えることはできない。現状を踏まえて、全てを飲み込み、本当の平和を希求すべきなのである。

 日本がその気になれば、まずアジアを本当の意味で平定し、次いで欧米との橋渡しも可能だろう。国連は中国の影響下に呑み込まれつつあるが、日本がその気になれば、欧米も東南アジアの諸国も日本に味方してくれるだろう。そうすれば2章に掲げたような、万国布法が実現し、公正な剣を持った国際司法が成り立つことも夢ではなかろう。

f:id:Kanpishi:20201202223642j:plain

ヨハネス・フェルメール「地理学者」(geographer)

 敢えて、英題のジオグラファーを付したのは、その響きに、エクスプローラー(explorer:探究者・冒険者)のイメージが重なったからである。

 一説には、この作品は、地理学者が探究の末何らかの「ヒラメキ」さらには「天啓」(神からの啓示)を得た瞬間を描いたものと言われている。左側にまとめられたカーテンと机上に押し込められた東洋風の絨毯が、彼のこれまでの探究の蓄積を表し、そこから何かのヒラメキを得た彼は、ディバイダ(コンパス)を取り出し、彼の着想の具現化を始める。そこに、窓からの優しい日差しが差し込む。

 そう解説されると、フェルメールの巧み過ぎる表現力に改めて感嘆する。

 そして私は思うのである。私のこのちっぽけなブログが、本職のエクスプローラーたちのカーテンや絨毯になってもらいたいものだと。