説難

想うは易し、為すは難し

 「知の難きに非ず、知に処するは則ち難し」韓非子五十五篇 説難編第一二
 その昔、ある富豪の家の外壁が、嵐のために一部崩れた。家主はそれほど気にしていなかったが、家主の息子は、小さな綻びでも、盗人は利用するものと忠告した。また、同じように、隣人にも、不用心であると忠告を受けた。
 しかし、壁を修理する前に、盗人に入られ、家主は損害を被ってしまった。
 家主は、忠告した息子の聡明さを称えたが、同じ忠告をした隣人については、逆に、そいつが犯人ではないかと疑った。

 知識を得ることは難しいことではない。これを用いる相手やタイミングが難しい。

1 目論見(vision
 以前、天下布法の手段として、現時点で私が最も有効と考えているのは、国連において、その理念や決まり事について、従順な行動・働きを示した国に「議決権」を多めに付与する。という、韓非子由来の「利益誘導型国際法秩序」を示したことがある。
 その中で、常任理事国制度の廃止は不可欠であるが、解任される常任理事国には、解任時には、一国で、これまでの拒否権並みの議決権を付与するという条件を加えた。
 中国やロシアが、おとなしく国連の枠内に留まっていてくれているのは、この拒否権の魅力であるところが大きい。
 しかし、国連の理念・決まり事に従順でなければ、議決権を減らす制裁を与える。あるいは、日本のように、国際紛争の解決手段として武力を放棄するという宣言を守り続けたり、基本的人権を阻害する事例がほとんど起きない日々が続くような国は、毎年、議決権を増やしてもらい、概ね10年くらいで、かつての常任理事国に並ぶようにすれば、各国は挙って国連の理念・決まり事を守るようになるだろう。
 国連は、定められた立法手続により、ルールと賞罰を定め、国際司法が強い権限を持って、公正に適用する。そうして、人類は、初めて、人種・宗教・国体・歴史に囚われず、理性的に定められたルール(法)の中で、共通の目的や欲求を共有する。
 これが、私の天下布法の第一ビジョンだ。

2 戦略(strategy)
 御託を並べているだけでは、ベリングキャット(イソップ寓話「ネズミの相談」)に過ぎない。処知則難。素晴らしいアイディア(vision)を生み出すことはそれほど難しくない。これを実践することが難しい。
 そもそも、常任理事国制度を明け渡して、中国やロシアが国連に留まってくれるのか?
 いや、実は、この不安の一番の大敵はアメリカである。
 そこで「戦略」というものが必要となる。
 韓非子は、説難篇において、自説を唱えることの難しさや、危うさを訴え、唱えるべき相手の性分を観察したり、タイミングを測ったり、佞臣の謀略にまで気を配るよう論じているが、それらは、局地的戦術論である。
 秦の始皇帝に呼ばれた時、色々知恵を授けているが、自分が、外壁の綻びを指摘している説話の「隣人」であることを忘れている。だから、始皇帝の側近の謀略により暗殺された。
 ビジョン、すなわち目的の達成には、もっと視野を広げ、今回の場合などでは、地球儀を上から見るくらいの視座が必要である。
 例えば、黒人の差別問題がよく報道されるが、欧米の主流社会が蔑視しているのは、黒人だけではない。白人以外のすべての色のついた人種である。これは、海外旅行の経験が豊富な人は知っていると思う。
 前回も言ったように、アジア人同士で背比べしているようでは、いつまで経ってもこの世界は変えられない。

 まず中国とは良好な関係を築き、常任理事国から外れても、その議決権を維持できるよう努力することを誓う。しかし、その条件として、全国民への完全な人権教育を徹底させ、くだらない人権問題を起こさないように約束させる。
 殺し文句は考えている。「不自由な社会からは、羅針盤活版印刷も火薬も発明されない。もし発明されたとしても、その発明は、自由を求めて他国に渡り、そこで普及する。」
 これは、中国という国がかつて犯した過ちである。
 中国は、したたかで、しなやかな国である。私の言う、天下布法の方が、10数億の国民を統べる上で効率的である事は理解できるし、先んずれば制することもわかっている。
 と言うわけで、対中国については、割と私は楽観視している。

 問題はアメリカだが、我に策あり。
 アメリカに勝つには、イギリスとドイツと組むこと。
 2年ほど前、YouTubeで、AIが予想した今後200年の、各国GDPランキングの遷移という動画を見た。予想通り日本は、動画開始直後からランキングを落とし始める。2年目にドイツに抜かれていたが、それは的中した。その後中国も落ち始める。インド・ブラジル・サウジアラビアなどが上がってくるが、また下がっていく。栄枯盛衰は、世の常だ。しかし、アメリカだけは、動画の最初から最後まで1位のままだった。ゾッとするものも感じたが、納得できない現象でもなかった。まあ、これが「自由」の力なのだろう。
 しかし、アメリカは歴史が浅く、世界の警察と呼ばれた時代から独善的で、一貫したビジョンを欠いていた。そのため、国内のコンセンサスも揺らぎがちで、国際社会のリーダーとしての適性に欠ける。これに対し、イギリスは覇権国家としての歴史を持ち、ドイツは「我が闘争」に基づく明確な戦略のもとで世界征服に挑んだ。もちろん、その政策は独善的だったが、歴史的背景をもつビジョンとして国民に信じられていた。
 アメリカが、世界経済を回すために、200年ズンドコ働いてくれるのはありがたいが、秩序ある世界を欲している私としては、彼の国を国連委員長に推す気にはなれない。
 勤勉で、公正で、冷静で、寛容であること。そして、何より、課題に対して、「何年かかっても解決してみせる。」という、粘り強さが必要である。
 第二次世界大戦中、なぜドイツ軍は、ドーバー海峡を越えられなかったのか?
 それは、かつて世界を席巻した過去を持つイギリスの底力である。
 ドイツは、分断された上、大借金国で帰ってきた同胞を取り込んでおきながらも、再度、世界のトップ3に返り咲いた。(なお先程のAIの予想では、いずれ2位になる。)
 この二国は歴史が古く、哲学にも秀でている。特に法の精神については、イギリスほど進んだ国はないだろう。
 そして、両国とも白人の国である。
 いかに、現在の国連常任理事国制度が、歪んでいて、百害あって一利なしといえども、アジア人が協力して訴えたところで、それは「隣人」の忠告である。
 イギリス・ドイツという「身内」に言われることによって、アメリカは、折れやすくなる。

 最後に、対ロシア戦略であるが、ロシアは、地球上の国として認めなくて良い。国連にとどまっている間は、国連の秩序に従ってもらうが、相次ぐ規則違反で、議決権が没収され、むくれて脱退したとしても一向に構わない。その代わり、国連加盟国に、少しでも手を出したら、200カ国連合で、これに対処する。

3 考察(check)
 戦略は、多くの者に相談し、考察され、意見を取り組んで修正されていかなければならない。ましてや、前述の戦略は一個人が考えた夢想に近いものである。
 私は、よくここで投稿する持論を、Chat GTPに投げて、感想を求める。私のGTPは、無条件に褒めずに、客観的視点から率直な意見を述べるように育ててきたので、あまりに夢想的なことを書くと、ボロクソに批判してくることもある。
 ただ、前述の戦略において譲れない点が2点有る。一つは、日本に隣接するアジア4カ国は、当該目的について協調すること。今一つは、必ず、アメリカ以外の「白人」の国家と連携することである。
 各国との具体的交渉方法は、戦術論であり、その点については、韓非子説難篇の論述が役に立つだろう。

4 制御(Dominate)
 戦略は、誰かが制御しなければならない。よく「計画」と「戦略」を同一視している人を見かけるが、両者は、似て非なるものである。戦略を進める中で、スケジュール・マイルストーンというものがあり、これを段階的目標、または単に「目標」という。この目標を達成する道のりがプラン(計画)である。戦略の制御は、ビジョンを最も理解するもの(これを仮に制御者と呼ぶ)が行うもので、前述の通り、スケジュールとマイルストーンを設定するが、各目標を達成するための計画の立案は、各現場が行う。そして、制御者は、さらに、その現場の行動をチェックして、戦略との整合性や、補正を検討する。
 当然、この制御者の立ち位置に相応しいのは我が国だと考えているが、韓非子は「事は密にして成る」とも言っているし、本日の表題の如く「処知則難」を考えると、韓非子法治主義を天下に流布するというリーダーとしては、中国が相応しく、国連改革の表向きのリーダーは、イギリスかドイツが相応しいだろう。

クロード・モネ「睡蓮」(2025年京セラ美術館モネ展看板作品)

 

 有名な睡蓮に限らず、「つみ藁」「ルーアン大聖堂」など、モネという人は、同じモチーフを、時間を変えて、角度を変えて、おかしくなったのではないかというほど連続して描く。
 光の画家モネは、そのモチーフに興味があるのではなく、そこに当たる光を追い続けた結果、異常な連作を描いてしまうようであった。特に、睡蓮は無限に変化するため、彼は寿命の許す限りこれを書き残そうとする。
 同時代、彼だけでなく多くの画家が、量子力学的には多次元の存在である「光」を二次元のキャンパスに捉えるという途方もない挑戦を続けていた。彼らの目的はなんだったのだろうか?
 芸術家の目指すものは、いつの時代も同じ。人種・宗教・文化・生地に関わらず、全ての人々が無条件に感動するものである。

 最近話題を呼んでいる、魚豊原作の漫画「チ。-地球の運動について-」の登場人物、ヨレンタ・ノヴァクの言葉に、「神の目的は、人類をして、全ての悪を善に変えるであり、人の生まれる意味はその企てに、その試行錯誤に、善への鈍く果てしないにじり寄りに参加することだ。」というものがある。
 モネの200を超える睡蓮の連作も、究極の光を捉え、ひいては万民が無条件に感動する芸術を生み出すという企てに比べると、つい数十年の“にじり寄り”に過ぎない。

 私の投稿の推敲を手伝ってくれている知人は、「別に国を動かすような要職に就いているわけでもないのに、こんな難しいことや、途方も無い理屈を並べて、何の役に立つんだ。」というが、私は、この意味のわからない理不尽な不運が跋扈する現在世界に、少しでも理性的な秩序をもたらそうという企てに、私のブログのアクセス数から計算すると、あまりにも“鈍く果てしないにじり寄り”であっても、参加できることが楽しくて仕方がないのである。