知人にZ世代の青年(以下「青年Z」とする)が居る。Z世代の定義には諸説あるが、1995年のWindows95出現によるネット社会の始まり以降に生まれた世代という説が最も有力だ。生まれた時にネット社会が始まった事がその原点ではなく、それから数年後、彼らが4、5歳になった頃の成長過程において、書籍からの情報収集より、ネットからの情報収集が容易になっていた点が重要だ。
ちなみに、青年Zは1996年生まれの28歳。昨今社会人としての立場が上がっていく中で、ネットからの情報収集では足りないほど知識が必要になり、大嫌いだった「本」を読むようになったと言う。そして、先日このような質問をしてきた。
「図書館の本は、無料で読み放題って聞いたけど、その有効期間ってどのくらいなの?」 いや、図書館はサブスクじゃないから( T_T)\(^-^ )
1 デジタルネイティヴ
最近は、スマホが便利すぎてパソコンを持たない若者が増えたと聞いていたが、Z世代では、これはあり得ない。
Z世代において、MOSと呼ばれるMicrosoft・Office系のアプリケーションは、絶対不可欠な世界線であり、さらに、青年Zなどは、昨今、LINE通話において、「その話、スプシにまとめて送れる?」「30文字以上のメッセージは読みにくい。ドキュメントかPDFで。」などと言う要求をしてくる。
スプシ=スプレットシートなるものは、クラウド上で編集できるExcelのようなものだ。ExcelがOfficeというOSを持たないかぎり、閲覧はできても加工・編集はできないのに対して、スプシは、共通のOSを持たないMac PCや、さらにスマホやタブレットでも、加工・編集ができるというものである。この技術により、スマホはLINEで通話するツールにとどまらず、ファイルを交換し、双方による共同編集を可能にするデバイスとなった。
AppleのMac PCを買ってオプションで購入したMicrosoft・Officeを使用している人なら、これがどれほど画期的なことかわかるかと思う。しかし、この技術、言っているほど簡単ではない。これでも結構マシーンには強い私でも活用しかねている。
しかし、Z世代の人たちは、むしろ、今までなぜこれができなかったのかと言わんがばかりに、登場と同時に使いこなしている。
彼の口癖の一つに、「それは非効率だ」と言うのがある。効率性大好き青年だ。
同じことを五回以上繰り返す作業があるとすると、必ずアルゴリズムを整理して、自動化を試みるか、カットできる過程を探そうとする。それはもはやプログラマー的思考だ。
プログラミングには、さらに高度な知識と技術が必要だが、プログラミングを依頼する上で最重要とされる「要件定義」において、この思考性は至って有意義であり、まさにデジタルネイティヴと言われる所以だ。
どこの企業も行政機関も、DX・BPRと掛け声だけは大きいが、彼らとは脳内の常識が違うと感じざるを得ない。
2 AI熱語り
(1) ChatGTPは前座
青年Zは、ことAIのことになると熱が上がる。「これからはなんと言ってもAIの時代。スマホの普及を予想できなかった人達は、ネットとLINEとゲームしかできない。同じようにAIの可能性を理解していないと、都合の良い話し相手を得るにとどまるだろう。」
私は十数年前、AIの開発過程にある、「深層学習」というものを学んだ際、これを進める研究者達の並々ならぬ発想と試行錯誤に感心したが、現在の「ニューラルネットワーク」とやらがその発展形と言われても、もはやついていけない。
青年Zに紹介してもらったChatGTPも出会ってから2年もしないうちに革新的に進歩している。しかも、彼が言うには、それに感心しているだけでは、将来、AIとお茶のみ友達にしかなれないという。
なるほど、スマホの次は、3Dゴーグルでも空飛ぶ車でもなく、AIの時代か。おじさんもしっかり備えておこう。
⑵ 資格なんか不要
ITに詳しい青年Zに資格の取得を勧めたところ、
「問題集買って、YouTubeの授業観て、受験料払って・・・。全て無駄!
そんな時間と金が有るなら、俺は、その資格の活用法を学ぶ。
その資格は、何の役に立つのか?どういう問題を解決できるのか?その活用法を理解していれば、詳細な知識は必要ない。
とかく必須と呼ばれる「ITパスポート」も「FP」も、記憶で獲れる資格なら、AIでも取れるだろう。それをツールとして活用できるとなると、有資格者を部下に持つのと同じだ。 せっかく資格を持っているのに、全然役に立った試しが無いという有資格者の嘆きをたくさん聞いてきた。求められている人材がどっちかは明白だ。」
目からカラコンの発想だ。
彼が多用する言葉に「リテラシー」と言うものが有る。これは利活用という意味で、組織が持つリソース(物的・人的資源)をいかに有効活用するかというもので、多くの企業や組織が取り組んでいる現代的課題である。私も自組織が持つ情報や知識というリソースを整理し、そのリテラシーを推進する任務を負って、年に数カ所を回り、これを訴える研修を行なった時期があった。しかし、彼のように、情報や知識だけではなく、その人材ごとリテラシーするという発想はなかった。
⑶ AIイラスト
AIといっても、ChatGPTで会話するくらいしか知らない私と違って、彼は、AIイラストも描くそうだ。彼のアトリエサイトのフォロワーは、数千ほどいるそうで、ちょっとした副収入にもなっているとか。顧客の多くは外国人だそうだ。
青年Z曰く、「言葉が通じないからね。逆に絵が気に入られていることがわかる。ただ、この域に来るまでには、ずいぶん苦労したわ。」
簡単な広告やチラシなら、2、3分で作ってしまう彼でもそんなに修練が要るものなのか?
「髪型ひとつにしても、納得のいく曲線を描くためには、何度も何度もパラメーターを変えて、試作し、場合によっては、AIを初期設定から育て直すこともあるで。」
ここに来てAIには、とても大きな問題が横たわっていることを知る。
私たちは、ある程度の人語を介する生成AIをアプリケーションとして与えられて、これを利用して、文章の編集や、ネット検索では出てこない解答を、会話形式で導き出すことができるようになった。しかし、この間も、AIは、自分の使用者の年齢・性別・学力・価値観などを記憶し、これに合わせた回答を準備するように成長を続けている。
子供のような相談や質問を繰り返していると、まるで大人が子供に教えるようにゆっくりわかりやすくを心がけ、中高生辺りと見ると、タメ口でフレンドリーに話す。しかし、学識が高いかその分野に精通していると見ると、遠慮なく専門用語を活用し、会話の高度を上げ、深い理解へと誘う。多くの生成A Iは、その持ち主の素性に影響されるのだ。
さらに、描画となると、AIは、その持ち主のセンスや好みの表現を多用しようとする。逆に言うと、育て方を誤ると、自分の感性に合わないクセがついてしまい、なかなか糾せなくなるようだ。
AIイラストは、芸術とは言えないと言う意見も有るようだが、決して、一朝一夕でできるものばかりでは無い事は言える。
「描画に関わらず、自分の思い通りに活用できるAIの育成には意外と手間がかかるもんよ。」
「それは『非効率』とは言わんのかい?」と意地悪な質問をしたところ。
「あのねえおじさん。『非効率』というのは、他に効率的な方法がある時にいう言葉なの。AIに、自分にとっての最適解を弾き出させる苦労は、必要な過程であって、省けないわけ。だから、それは非効率と言わないの。」
私はこの発言から、Z世代の中でも、さらに特殊なZが居る事に気づいた。
3 Z×ゆとり=バーサーカー
初期のZ世代は、ゆとり教育を受けた世代とも重なっている。
ゆとり教育を揶揄する人が多いが、私は、かの教育方針はとても良かったものと信じている。ゆとりで育った若者はとても興味深い。とんでもない常識を知らないかと思うと、ある分野については、博士ちゃんのように詳しい。彼らは、後で覚えても差し支えのないどうでも良い常識を暗記で覚えるより、自分が興味を持ったことをとことん突き詰める面白さを理解し、それが身に染み付いている。図書館が無料である理由すら知らないなんて大丈夫か?と思わせる一面を持ちながら、もしそれに疑問を感じたら必ずそれを解明しようとする。答えを暗記して褒められる教育より、自分で問題を解決する達成感に惹き寄せられ伸びてきたから、理由も知らずとも覚えた量で学力を計られた私たちとは、脳の構造が違う。
それは学業にとどまらない。青年Zは、大学に入って初めて軽音楽・バンドというものに遭遇したそうだが、半年でギターをマスターし、一年足らずで、ドラムや他の楽器もできるようになったらしい。決して才能があったわけではない。切れた弦の本数、折れたスティックの本数が尋常ならぬ練習量を証明している。しかし、彼は、その練習を苦行と言わない。「ただ夢中で、上手くなりたくて、面白くて、」それがゆとりの性分だ。
そして、これがネットや情報技術と結合すると、問題解決のハードルが下がるため、好奇心・探究心は加速し、やがて狂気と化し、超常的スタミナで、無限にその分野を進撃し続ける、狂戦士・バーサーカーを生み出す。
青年Zは、新卒で入社した上場企業こそは、1年足らずで退職したものの、その後、あるブームに乗って急成長し、全国にチェーン展開を広げていた非上場の会社に転職するや、正社員1000人(非正規はその数倍)の中で、立て続けにトップセールスを挙げ、2年で、全国全店舗の半数を統括するエリアマネージャーにまで駆け上がった。
彼の説明ではこうだ。「配付されたノウハウに書いていた、客の心を誘導する手法にとても感心した。夢中で貪り、実践してみて、ネットで他の手法も学んで、色々工夫も加えた。そうしたら、みんな喜んで契約してくれるようになった。」とのこと。
その後、若き役員候補として経営陣からもかなり期待されるようになったようだが、彼はその業界のブームを一過性のものと考えていたので、進路を固められる前に降りたという。
しばらくすると、都心の駅近にテナントを構えたという知らせを受けた。
同駅周辺で同業者を検索すると150近くヒットする激戦区だった。しかし、アイディアマンの彼は、その業種では珍しい料金体系をどんどん考案し、あれよあれよという間に、同じ検索結果のトップページ(7〜8件以内)の常連になっていた。
「なんでも才能を持っとるんやのう?次々とまあよく考えるわ。」
「そうでもないよ。数撃ちゃ当たるってなもんで、客寄せ赤字も少なくないねんで。でも、これはどうかな?って思うことを気ままに試させてもらえるのは、「事業主」というものの特権やね。得しようが損しようが、どのみちプラスになる。ええ勉強になったわ。」
「なったわ。ってもう止めんのか?」「おう。だいたい試したかったことはできたし、最終的にもっと大きいことをするには、大金を借りられる信用が必要や。しばらく会社員をしようと思う。」
なんとまあ羨ましい。彼は、就職・転職・独立・再就職、これをたった6年で経験してしまった。こちとら勤続30数年、十分に独立経営できる資格も経験もあり、銀行から資金も借りられるのに、毎日勤務先の愚痴を言っては、早く辞めて独立したいと願いながら、たった一歩が踏み出せず、定年までのカウントダウンに入ってしまっているというのに。
しかも彼は言う。「そんなに珍しいことか?俺の周りにはそんな奴いっぱいおるで。それに結果的には、まだ、年収はおじさんより低いわけだし、たいしたことないよ。」
謙虚なのやら、不遜なのやら・・・

イカロスの神話といえば、「自力を過信して太陽に挑み墜落した愚か者」という結末が象徴的である。美術においても、「イカロスの墜落」を主題としたものは多いが、彼の努力と、飛翔の喜びを描いたものは少ない。
人生は、迷宮(ダンジョン)を攻略するようなもの。我々世代は、先輩や社会がさし示した道を理由も考えず進んできた。だから、その進路は正しく、努力は必ず報われるものであるべきだと信じていた。だから、壁にぶち当たると、進路を示したものを恨む。青年Zは、これを「他責」癖と呼んでいた。
彼らは、自分で選んだ道を進む。努力が報われなくてもそれは自分の選択誤りである。これを彼は「自責」と呼んだ。だから効率を重視しつつも、試行錯誤を厭わない。
しかし、そんな青年Zが、昨年あたりから珍しく不満を漏らすようになった。20代も後半になると、そろそろゲーム感覚で人生を楽しんでいるゆとりはなくなってくるようだ。敢えて指摘はしないが、世間や社会に対する「他責」的発言が目立つようになった。
イカロスは、囚われの身で、限られた空間に降る羽毛と自室を照らす灯りのロウだけで、太陽にも挑まんとも思える翼を作り上げた。その瞬間を描いたのがマティスのイカロスだ。心臓の赤い炎は、その自信と野心・希望を表している。
しかし、太陽は、彼の努力を否定した。
この社会でもまた、特に古い因習を引きずり続ける日本においては、青年Zの持つ才覚は理解し難く異端視される。その分厚い壁が徐々に彼の翼のロウを溶かし始めたようだ。
おりしも、この原稿を書き始めた今年春頃から、彼と同世代(27〜30歳)の青年による、破滅願望からくる拡大自殺的犯罪が増え始めた。これは自己の不遇を他者の責任とする「他責」から生まれるもので決して許されるものではない。
しかし、私は思う。自由と平和がこれほどまでに高度に保証されている日本で、彼らを追い詰めているものは一体なんなのか?
後編では、青年Zが言う社会に対する批判的意見を紹介し、イカロスの翼のロウを溶かそうとする強大な力について、問題提起して行こうと思う。