説難

青年Z(後編)〜ポンコツのダンジョン

 青年Zの口癖の中に、「この国はポンのコツやから。」と言うのがある。
 なぜそう思うのか?後編では、その彼の意見を一つずつ取り上げて、それは的を射ているのか?自分の不遇を他責しているだけなのか検証を試みたいと思う。

4 声だけの多様性
⑴ pixivのAIイラスト規制
 pixiv(ピクシブ)は、創作物を投稿・閲覧できる国内最大級のイラストプラットフォームである。
 2024年夏、生成AIで作成されたイラストが著作権を侵害する恐れがあるとの議論から、当初はAIイラスト全般が掲載禁止となり、賛否が巻き起こった。
 現在は、明らかな模倣作品を除き掲載可能とされているが、判断基準は曖昧である。
 青年ZはAIに信頼を寄せており、「このpixivの判断は、すでにDX後進国である日本にとって、大きな痛手だ。このままでは人材の流出さえ懸念される。」と憤った。

⑵ 日本はDX後進国
 1990年代、日本は半導体や液晶等電子機器の製造において世界を席巻して、「電子立国」と称されたが、2010年以降、需要はハードウェアからソフトウェアへパラダイムレベルでシフトした。この流れに日本は遅れをとった。
 2023年のIMDデジタル競争力ランキングで日本は32位。2021年9月に発足したデジタル庁の制作等により、2024年、わずかに回復の兆しを見せたところへ、この規制が冷や水を浴びせた。
 生成AI分野ではアメリカが圧倒的で、中国が続き、日本は蚊帳の外。日本の工業技術は今なお世界トップクラスであるが、IMDの分析によると、日本が出遅れた原因は人材の知識と意識の低さにあるとされる。

⑶ 声だけの多様性
 pixivの論拠は「ネット上の画像には著作権があるのでAI生成はアートでない」というものだが、創作とは本来、模倣から始まるものである。
 極端な模倣を除けば、芸術・音楽・文学など、あらゆる分野で先人の影響は不可避である。
 私は青年Zにこんな話をした。
 「電車やバスで、携帯電話の使用を控えさせるアナウンスは日本でしか聴かれない。皮肉にも今では、日本人独特の公共マナーとして根付いたけれど、携帯電話が登場した頃、日本の電車やバスの中は賑やかでザワザワしていた。そんな時、携帯使用だけが忌避されたのは、便利な物を使う人への妬みであり、異端を嫌う日本人らしさから生まれたものだ。」
 生成AIも同じ。普及しても文化が廃れることはないし、著作権の侵害にも必ずしも直結しない。結局は、異端排除の風潮が起こした問題だ。

 異端を嫌う風潮は根深い。多様性を声高に唱える一方、LGBT発達障害すら受け入れがたい社会。外国人に対しても、優秀で従順な者以外は歓迎されない。
 外国人が「日本人は親切」と語る映像も、登場するのは欧米系ばかりで、アジア系の声はあまり聞かれない。
 真の多様性とは、仲間に「入れてあげる」ことではなく、互いの違いを尊重し、力に変える姿勢である。
 平成以降に育った世代は、その偏見から自由だ。だが、昭和生まれの多くは表面上の理解にとどまる。特に安保闘争前後に生まれ育った人達には難しい。とにかく彼らは「ノーマル」であることを懇願する、世間や親に育てられてきたから。
 これから社会の中核を担う世代が台頭してきたこの時代に、国内最大の創作プラットフォームが旧態依然とした価値観でAIイラストを排斥するのは、「ポンコツ」と言われても仕方がない。

5 現状維持の権化
⑴ 投票率を上げても世代交代は起こらない
 Z世代に限らず、若年層の投票率が低いのは、いつの時代も変わらない。青年Zも例外ではなく、選挙に足を運ぶタイプではなかった。私は、日本がこのまま“ポンコツ国家”になっていくことを危惧し、彼にこう語った。

 「2015年、大阪都構想住民投票で僅差の敗北を喫した際、当時の大阪維新の会代表・橋下徹は『あれほど真っ向から意見がぶつかり合ったのに、一滴の血も流れなかった。民主主義はなんと素晴らしいものか』と語ったんだ。わかるかい? 君たちは、戦争で命を落とした330万人の犠牲の上に築かれた、この選挙権という宝を、何気なく手にしているんだよ。」

 私は続けた。「若年層がもっと投票すれば、政治家は若者向けの政策を掲げるようになるはずだ。重すぎる社会保障負担、硬直した思考の蔓延る社会からも、きっと脱却できる。」
 だが、青年Zは言った。「おじさん、話が浪花節すぎて夢物語にしか聞こえないよ。」
 ところが先日、2024年夏の東京都知事選に関するニュース記事を送ってきて、「これ、どう思う?」と尋ねてきた。

都知事選の概要】
 掲示板の枠が足りなくなるほどの候補者が乱立したが、実質的には現職・小池百合子氏と蓮舫氏の一騎打ちと見られていた。そこに突如現れたのが、元安芸高田市長・石丸伸二氏。SNSYouTubeを通じて若年層の支持を急速に集め、投票直前には「ついに小池氏を捉えたか」との報道もあった。
 だが、投票前夜、中高年層の投票率が異様に上昇。開票が始まると、小池氏が大差で勝利を収めた。まるで水面下で何かが動いたような、異様な展開だった。

 私は思った。これは「組織票」の力だ、と。
 すでに中高年層は投票行動が組織化されている。世論調査ではあたかも若者支持が勝るように見せかけておいて、本番で一気にひっくり返す──これはまるで関ヶ原の戦いで寝返った小早川秀秋のようだ、と。

 青年Zは憤った。「普段は『若者に主導権を』なんて言っておきながら、いざとなればゴリ押しかよ! 小池都政の実績が評価されたにしても、蓮舫氏が良かったの? ネットの王子様は出席しないガーシー議員と同じ扱いなの? あの人、ちゃんと市長やっていたんだよ?」

 彼の言葉に、私は返す言葉がなかった。本音を言えば、「まだ若造には任せられない」という執念のようなものを感じたのだ。

⑵ 借金王国の守護者たち
 「でもさ、そこまでして現状維持に固執する必要がある?」と問う彼に、私はこう答えた。

 日本には構造的な問題がある──それが、膨大な借金と、それによって恩恵を受ける既得権益層の存在だ。

 以前「God save the loan kingdom(借金王国万歳)」という記事で述べたが、日本の借金は約1300兆円。そのうち52%は日本銀行保有しており、その利息は国庫に戻るので、実質的な負担ではない。残りの48%のうち、40%は銀行・ゆうちょ・かんぽなどが保有しており、これは国民の貯蓄にほかならない。つまり、私たちは自分のお金を国に貸し、その利息を自分で負担しているのだ。
 しかも、格差の少ない日本では、利息の恩恵を受ける「勝ち組」はごくわずか。つまり、この借金構造は、誰にとっても得ではない仕組みなのだ。
 それでも続くのは、借金に依存して潤う人々──つまり既得権益層がいるからだ。たとえば、もはや必要のない補助金や、実効性の乏しい助成金などがその例だ。

 石丸氏のマニフェストには、こうした「ばら撒き行政」からの脱却が掲げられていた。彼は、借金構造そのものにまでは言及していなかったが、ネットを使った「行政の見える化」には強い意欲を示していた。
 もし、ネット王子・石丸氏がその仕組みの全容に気づき、情報公開に踏み切っていたら──どうなるだろう?

 若者たちはすでに苦しんでいる。年金は将来もらえないかもしれない。保険料負担は増す一方。車も家も結婚も遠のく。それでも平和で自由な国に生まれたと信じていた。だが、その暮らしを蝕んでいたのが、意味のない借入金であり、それを守っていたのが「見えない誰か」だったと知ったら?

 ……借金王国は崩壊に向かうだろう。

 それを阻止するために、組織的かつ戦略的に、既得権益層は“爆票”を投下した。そして、若者たちの夢を、またしても打ち砕いたのだ。

6 無理ゲーのダンジョン
 青年Zは、借金王国のカラクリを知り、呆然とした。
 「それじゃ俺ら、都合のいい家畜と一緒やん。家畜がどんなに騒いだって、飼い主が団結して封じ込めたら終わりやろ。このダンジョン、詰んでるって。無理ゲーやん。」

 ――本来、健全な民主主義とは、有権者一人ひとりが国家の主権者として、誰にも指図されず、自らが信じる最善の選択を行うものである。

 ところが、この国の多くの国民は、投票権の価値も重みも理解せず、組織という「他人」に判断を委ねている。社会のあちこちで「割れ窓」が広がっていることにも気づかず、「まあ他国よりマシだろう」と現状に安住し、いざ取り返しのつかない事態になっても、責任は組織にあると信じて「他責」で逃げようとする。
 こうして庶民が無学・無関心に陥り、ポンコツが幅をきかせる政治の姿を「衆愚政治」という。

 もちろん、教育水準がいくら向上しても、国民全体の見識を学者並みに揃えることは不可能だ。そのため、時に一時的なムーブメントや熱狂が支配する「ポピュリズム」に陥ることもある。
 しかし、少なくとも、凝り固まった衆愚政治よりは、ポピュリズムの方がマシだ。ポピュリズムには独裁を生むリスクがある一方で、長期政権や独裁体制が腐敗したとき、これを打破するのもまたポピュリズムだからだ。何より、失敗したとしても、それは自分たちの選択による結果であり、「自責」として受け止めることができる。

 だが、残念なことに、この日本では、民主主義の硬直性を打破するはずのポピュリズムが、衆愚政治に勝てない。その理由は単純だ。一方は制御不能な流れであるのに対し、もう一方は高度に組織化され、制度として定着しているからである。

 青年Zは皮肉まじりに笑った。
 「俺、飛行機苦手やからさ、船で海外に移住するわ。向こうならAIリテラシーも進んでいるし、新しいサービス業でも考案して逆輸入したる。」

 いや、待てよ。AIが普及する未来――そこには無限の可能性がある。もしAIによって、ポピュリズムを適切に制御し、短期間で組織化できるとしたら? そして、そのAIを、既得権益にどっぷり浸かったポンコツたちは、使いこなせないとしたら?

 ふと、1980年代初頭、洋楽にかぶれて、深夜にしか放送されなかったMTVに齧りついていた頃の自分を思い出す。3年後には、洋楽は市民権を得て、知らない若者の方が少数派になっていた。異端を取り込んだ音楽シーンは多様化し、失われた10年、20年の時代にも、力強く前進し続けていった。

 「いや、泳いでまで海外に行く必要はない(俺、船って言うたんやけど)。洋モノでもええから、AIはもっと学んどけ。君の言うとおり、AIは次の時代の主役になる。そして、日本人は、必ずそれを自国文化に取り込み、新たな形に昇華させる。たとえそれが既得権益を脅かすものであっても、だ。」
 意外とこのダンジョン、数年以内に攻略できるかもしれない。

フランシスコ・ゴヤ「巨人」

 ゴヤの『巨人』シリーズは、戦争における巨大な暴力の象徴とされる。しかしこの絵に描かれた巨人は、ファイティングポーズの向きからして、左奥にある強大な敵と対峙しているようにも見える。谷間で逃げ惑う小さな人々を守るため、彼は現れたのではないか。

 下半身がぼやけている表現から、これは現実世界の存在ではなく、虐げられた人々の願いが具現化した、異世界からの召喚獣のようにも思える。

 現代の日本でも、古い価値観に縛られたポンコツたちと、それを巧みに操る既得権益者によって、健全な社会が損なわれつつある。そして、その最大の犠牲者は、未来を奪われた若者たちである。

 しかし、AIという、ポンコツには扱えない新技術は、若者たちに魔術を授けるかもしれない。そして、彼らを救う巨人を召喚する日も、そう遠くはない。