説難

澪標の先が見たくて

 「澪標」とは水路や港において、航路を示す標識である。
 2025年は、私や私の家族にとって大きな転機となるような年だった。年始早々、私達夫婦の転居に始まり、妻の通勤先も変わり、娘と息子は西へ東へ大異動が有って、まあ予定の無い週末が無いと言う、大変な年だった。関西万博も有ったし、そこへ、阪神は巨人の記録を超える「最速優勝」を果たすと言うインパクトを加えてくれた。いつか、人生という川を下ってきた軌跡を振り返るとき、さぞや,この2025年には、でっかい澪標がそびえているのだろう。
 さて和歌では、この言葉は、『身を尽くす』の掛詞としても用いられる。私は若い頃からこの言葉に縁があり、最近テレビドラマで源氏物語の『住吉』が紹介されたのを機に、一稿を投じる決意をした。
 ところが、思うところが多過ぎて、なかなか文章がまとまらなかった。
 試行錯誤の末、個人の可能性や限界をテーマとしているChapter4に相応しいものとして、自分の受験体験から得たものについて語ることにした。

1 勉強はやりたいからやるもの
 大阪は今も水の都だが、航路を示した澪標はほとんど残っていない。しかしその姿は市章として受け継がれている。
 私は、これをシンボルとする大学に憧れ、これを目指した。

 私の高校は、お世辞にも進学校とは言えず、開校11期目まで4年制国公立への合格者はゼロだった。しかも、私は、どうにも既成概念や集団圧力というのが苦手で、学校とやらに意義を見出せず、ズル休みをするか、行っても居眠りばかりしていた
 ただ私には、風変わりな家庭教師がついていた。
 私に彼は言った。
 「嫌いなものを続けても、結局身につかない。まず勉強というものに動機付けをする事。
 だいたい既成概念が好かんとか言うやつは、逆に好奇心が強い。例えば、三角関数がなんの役に立つんや?とかどうせ思っているやろう。」私は大きく頷く。
 彼は答える。「君は、幅の広い川を渡って、向こう岸の城を攻めようとしている将軍だ。川の正確な幅を知りたい。そこで、こちらの河原の2箇所から向こう岸のある一点を見る角度を測る。すると、2角挟辺の定理により、三辺の長さと、角度を知る事ができる。その垂線が川幅というわけだ。」
 今の歳になっても、「勉強のどこが面白い?」と人に聞かれたら、この話一つで、大体の人の心を掴める。彼の思考は、万事この調子で、本当に勉強を楽しんでいた。
 彼のおかげで、まともに授業を受けようともしない私だったにも関わらず、受験を始める頃には、国公立大学を狙える程度の学力を保持していた。

 しかし、なんと言っても、国公立の試験は、受験の最終盤に当たる。それまでに合格や就職が決まった者が、どんどん、スゴロクでいうところの「アガリ」になっていくわけである。進学校ならまだしも、我が校のような、進学率が4割を下回るような高校では、終盤になるに連れ、戦友が激減するわけで、国公立を目指す者は孤立していく。
 そこで、我が校は、初の国公立合格者を目指すべく、国公立受験者の特別教室を開放し、勉強会を定期的に行うことにした。しかし、発足当初から、学年500人のうち、希望者は、50人を切るという、厳しい状況だった。私もそれに参加したが、ほとんど家庭教師から与えられた宿題をする時間にあてていた。
 家庭教師に志望校を聞かれた時、「澪標の大学に行きたい」と答えると、家庭教師は笑った。「相当勉強好きになってもらわなあかんな。」彼は敢えて教えてくれなかったが、そこは国公立でも難関校だった。彼は週2回4時間の授業のほか、毎日10時間以上必要な宿題を課した。量は膨大だったが、どれも次の授業に直結しており、クリアするたびに先が開ける感覚が有った。
 当時は、RPGというものはなかったが、彼の学問に対する理解はそのようなものだった。
 確か、ドラゴンクエストのクリアの商品は、ダンジョンの地図だった。あれを見て、ゲームの全容を理解できた時の感激は忘れない。私の家庭教師は、きっと、受験までのロードマップを握っていたのだろう。
 私は次第に夢中になり、徹夜も苦にならなくなった。仲間は模試結果に落ち込み次々と脱落していった。
 「進学校じゃない君らが、望みのない勉強を続けるのは苦行や。私学なら2科目で秋には合格できる。それを横目に5科目はきついわ。でも、勉強はやりたい奴がやるもんやからね。」
 確かに、私は不思議と2科目が羨ましいとは思わなかった。家庭教師についていくうちに難問が解けるようになり、それが楽しかった。まずは「共通一次」と言うリングに立つ。それが最低限の目標だった。
 しかし、年末、挑戦者の中から国家公務員試験の合格者が出た。開校以来の快挙で、教員たちの一定の満足感を得てしまった様子に反して、勉強会の参加者の間では、自分たちが進んでいる道は、一択で正しいのか?という不安が広がった。最終盤までの確信と結束が重要であるにも関わらず、かなり動揺が広がっていった。

 実は、この公務員試験に合格したのは、私のことで、私は私で、これによって、周囲の空気がガラリと変わってしまった。
 結束すべき仲間からは、「お前はもう勉強せんでええやろう。なんでまだ勉強会に来るの?」と言われるし、友人は待っていたかのように「遊びに行こうぜ!」と誘う。
 一番こたえたのは両親の言葉だった。「もう無駄に受験料払わんで済むなあ。」
 私は、就職するために勉強したことなど、1時間も無い。私はただ共通一次の舞台に立ちたかった。1日10〜15時間の勉強、シャーペンの芯30本が1ヶ月で尽きる日々。すべては澪標の先にある知の海を旅するためだった。
 周囲が祝福する中、私はひとり孤独だった
 しかし、家庭教師は、まるで意に関せず、年が明けると、さらにギアを上げた。今度は時間制限付きの訓練。新しい知識より速度重視の演習。副教科も宿題に加わり、私は勉強会からも姿を消した。人と話す暇もない日々だった。
 思えば家庭教師は、私が余計な雑音に惑わされず最後まで走り切れるよう、強烈なラストスパートをかけてくれたのだろう。

2 澪標の先の景色
 最終的に、私の学力では昼間部には届かなかったが、夜間部が私を受け入れてくれた。
 学生証を受け取ったとき、校章に飾られた澪標を見て、『これが欲しかったんや』と呟き、その先に広がる知の大海に思いを馳せた。
 当時、公務員は「安心・安全・定時退庁」の象徴だった。私には「安心・安全」に関心はなかったが、定時退庁は夜学に通う者にとって願ってもない条件であった。
 だが、配属されてみたら、新人は、雑用係で、先輩たちのサービス残業が終わるのを待って、後片付けをする習慣とか、時代はバブル絶頂期という事もあって、残業しない日は、歓楽街に繰り出すというのがセオリーだった。私は、「学生さん」と命名され、出席が必要な授業のある日は定時退庁を許されると言った具合であった。
 夜学といえども、昼の部と同じ卒業証書を得る以上、簡単には単位をもらえる状況ではなかった。ギリギリの出席率を維持しながら、断片的な情報と、教科書となっている講師の著作を基に自習した。それでも、単位の取得率が悪く、留年寸前だった。
 卒業したところで、給料が上がるわけでもない。時折自分に問う。「なぜ俺はここに居る?」
 しかし、そこには、私の好奇心に応えるものもたくさん有った。高校では聞いた事もない歴史の真実、社会のカラクリ、世界の成り立ち。知識の蓄積が次の課題を理解する力となる。そして、私は、「学を修める」と言うこととは何かということに気づき始める。単に知識を得ることではなく、理解し、掌握し、自在に活かせるようになることである。
 資格やスキルを得るために、10万円くらいの講習に通う事があると思う。大学というのは、年間30万円(当時)で、11〜15個くらいの、スキルの取得にチャレンジしているということだ。贅沢な話ではないか。
 なるほど、家庭教師が「勉強はやりたいからやるもの」というのも納得が行く。
 色々しんどい事も有ったが、大学で得たものは甚大なものであった。

 ただ、残念だったのは、職場では問題の本質を考えたり、命令の本来的意義を理解したりするような姿勢は、あまり歓迎されなかった。
 「常に問題意識を持って創意工夫を。」などとお偉いさんは訓示するが、実践して良い事など一つも無いことをみんなが知っていた。
 歯車として、言われた数字を出す事が求められるのは、サラリーマンと変わらない。
 でも、役人というものは、やはり、問題意識を持たないサラリーマンであってはいけない。
 「吏は民の本綱なる者」であり、「善く吏たる者は徳を樹(た)て、吏為る能わざる者は怨みを樹つ」(いずれも韓非子五十五篇より)。この言葉を座右の銘にして恥じない役人で居続けられたのは、大学で得た多大な知識と、その後も好奇心と学ぶことへの渇望を持ち続けられたためであろう。

ゴッホ「星月夜」

 定期異動の時期になると、毎回、自分の人事カードとキャリアシートの確認を求められる。そこに記された、最終学歴を見るたびに苦笑する。「果たして、こいつに注ぎ込んだコストに見合う何かを私は得られているのだろうか?」と。
 しかし、その大学名を見るたび、あの澪標の校章が目に浮かぶ。そして、ちょうど、秋の訪れを告げる近頃になると思い出す。
 母校のシンボルとも言える時計台の校舎の上を掠める中秋の名月は絶景だった。
 苦労ばかりの夜学だが、「これは夜学ならでは、だよな。」と感じた。

 「天行有常、不為堯存、不為桀亡」(韓非子五十五篇・天道篇)
 天の運行には一定の法則があり、聖王堯のために存続するのでも、暴君桀のために滅びるのでもない。自然の景色は平等に存在し、見られる景色はその人の心がけ次第なのだ。

 澪標のために「身を尽くし」、そこで観た「星月夜」を忘れない。それだけで、私の人生は上々なのかもしれない。