説難

諦めの荒野・試みの沃野

1 ついに女性宰相誕生か
 高市早苗さんが総裁選を制した。順当に行けば、日本初の女性総理の誕生か。どこまで、2025年というのは、プレミアムがつくのだろう。
 ちなみに私は、アンチ安倍派なので、小泉氏を応援していたが、民主主義は開票が終わればノーサイド。選出された方を素直に支持する。それに、彼女は、安倍氏の一番弟子だと思っていたが、よく聞くと、同期当選の盟友だった。ずいぶん長い間勘違いをしていて、失礼をした。
 弟子と盟友では印象がまるで違う。
 安倍一強と言われた時代、私は彼の手法には、どうしても不信感を否めなかった。結果として、一連の不祥事が発覚し、政治と信仰の関係において、国民の信頼を大きく揺るがすことになる。そして、その弟子・取り巻きも、結局、同じようなことをしていた。
 しかし、私が調べたところでは、高市氏は、一連の不祥事とはほぼ無関係のようだ。

 さて、日本初の女性宰相となると、女性陣は色々期待するかもしれないが、私の見る限り、彼女は、あまりそこには手をつけないだろうなあと考える。政策はあくまで、必要で優先的なものを、それは、男が立とうが女が立とうが同じことである。彼女はそこを分けられる人材だ。問題は逆に、女性らしさを表に出して、あざとい技を使うのを嫌うのではないかという点を危惧する。
 対米交渉においては、トランプ大統領のようなプライドの塊は、女性が女性らしく接してあげれば、例えば、「頼もしいですわ〜」とハートの目を向けてあげれば、結構骨抜きにできそうだ。
 ん?どこかで「女性蔑視だ。」という声が聞こえてきそうだが、男女共同参画社会を含む「ダイバーシティ」とは、互いの長所を生かし、短所を補うことを言う。「女性だから、女性のための政策を」とか「女性らしさを武器にするなんて、はしたない。」などと言っている人は、多様性が生み出す美しいケミストリーを知らない可哀想な人々だ。
 
2 私の男女共同参画社会論
 2022年。女性の社会的自立を支援するという名目で導入された新しい社会保険制度は、これまでのパートレベルの稼ぎで満足していた女性に、保険制度を適用し、103万円を超えたら、130万円まで、働き損という『タートルネック』(つまり、稼ぐほど首を締め付けられるような構造的圧迫を生む仕組み)を課し、「少し家計の足しになれば良いというだけで、あくまでスタンスは、家庭の堅守である。」という女性特有の願望を無視し、「働きたいなら一人前になれ。」という強引な平等政策だった。
 全ての女性が、出世を望んでいるのではない!と強く反発を覚えたものだ。

 ただ私の周囲には、家庭を重んじ、出世や高収入を望まぬ女性たちも居たが、女性登用の象徴的存在――いわゆるロールモデルとして紹介されるような、栄達した女性たちも居た。
 双方の意見を聞く中で、共通した一つの不満が有った。
 「男性の育児参加を否定するつもりはないけれど、根本的な問題の解決にはなっていない。本当に問題なのは、妊娠・出産・育児によって、どうしても生じてしまう三年前後のキャリア的なハンデである。」
 その証拠として、家庭を重んじる女性は、課長以上のポストには就けず、ハイキャリアの女性の9割はお子さんをお持ちでなかった。
 私はずっと考えてきた。彼女たちに必要なのは、単なる機会の平等ではなく、条件の公平を整える仕組みなのだと。
 公平と平等は似て非なるものである。平等な機会を利用して地位を高めようとすれば、女性は往々にして「女性としての一部」を犠牲にせざるを得ない。これでは、男性が作った社会の中で、男性のルールに従って出世しただけに過ぎず、言わば“男性化した女性”を生み出す構造である。
 本来目指すべき男女共同参画社会とは、女性が女性のままで、男性と対等に競争できる社会であろう。そのためには、出産前後に生じる三年程度のキャリアダウンを補う公平な仕組みづくりが欠かせない。

 そしてこう思うようになった。もしかして、「出世に興味がない。」と言っている女性たちの中にも、このどうしようもない不動のハンデが存在するために、思考停止に陥っているだけの人が含まれているのでないかと。逆に言うと、そのハンデを補う事ができれば、最初から出世を望まない女性も減ってくるのではないか?タートルネックをつけて強引に自立させなくても、十分、男性に負けない労働力となりうるのではないかと。
 ただし、家庭円満を至上とする考えに異論はない。何をどう繕っても、共働きになれば、子供は必ず寂しい思いをするし、意思疎通に弊害をもたらすことはあきらかであるから。
 ただ、今は、働こうとする女性にとっての、あるべき条件・地位・仕組みといったものについて語っている。

3 我が組織での取り組みについて
 私たちの組織では、組織理念の理解や、組織が抱える問題について意見を交換する機会が、一回1時間から2時間、年に2、3回のペースで、設けられている。系統が別々で初対面の人ばかり、数人で話す。導入当初は、まるでまともな議論ができなかったが、最近は、ちゃんと予習をしてくる人も増え、質の良い議論をする。何より、普段話さない人といきなり議論をすると、これほど話が噛み合わないものかと、笑ってしまうほど思想・信条に違いが有り、たいへん興味深い。先日、ちょうど「男女共同参画社会」について意見を交換した。

 現在、我が組織では、「ダイバーシティ推進プログラム」「キャリア形成支援制度」と言った取り組みが試みられている。これは、妊娠・出産・育児による3年のブランクを補うために、①高高度業務、例えば本店司令部、本庁・本省へ出向して、これに従事させる。②リモートワークにより、最新端末の仕様に遅れないようにする。というものである。
 この活動について、どのように考えているかと言う意見交換だ。
 参加者の中から、いくつかの疑問点・問題点が提示された。
 実は、この活動について、ずっと動向を見守っていた私は、どうも今回の予習頭だったようで、それぞれの問いに回答する立場になってしまった。
① 高高度業務への従事
Q:短期間の従事で、どれだけの効果があるのか?
A:昔から、見込みのある若年層を幹部候補生として、本店へ釣り上げる ことは珍しくなかったです。20代後半から30代で従事すれば、2年間コピー機の前に張り付いているだけでも、現場での5〜6年の経験に匹敵するものを得られます。
 その要因は、現場の雰囲気。
 誰もが、支店ではエース級です。若干足の引っ張り合いもありますが、非常に仕事に対する情熱と意識が高く、知識も豊富で、インテリジェンスです。
 次に、組織の指令が、現場の無理解な中間幹部のフィルターを通さずに聞けること。数字を求めているのではなく、目的のために目標が設定されている事を理解するでしょう。そうした経験が、視座を高めて、現場で、管理職に就く器を育てます。

Q:しかし、そのような経験は男性だってしたいでしょう?
  これは女性からの質問だった。
A:確かに、このような不平等とも取れる人事について、一部の男性から“スカート人事”と揶揄する声も出ています。(彼女も「それそれ」と言わんがばかりの様に大きく頷いた。)
 しかし、考え方を変えて見てみましょう。
 目が不自由なら、メガネをかける。耳が遠くなったら補聴器をつける。妊娠・出産・育児でキャリアハンデを負うなら、これを補填するプログラムを組む。男性は、子供を産まない。子供を産まないのに、このプログラムを受けるのは、足が不自由でもないのに、車椅子が欲しいと言っているようなものです。
 多少、不適切な表現かもしれませんが、ゴルフのレディースティーに文句をつける男性がいますか?とも言えます。
② リモートワーク
Q:リモートワークという方向性は以前から進んでいますよね。
  それで補うことはできないのでしょうか?
A:キャリアの育成には、困難な課題について、他者と協力して解決していく経験が重要です。リモートワーカーが、課題が困難になればなるほど、疎外されるのは、技術的な限界であり現実でしょう。
 現状の技術で、リモートワークに期待できることは、職場を取り巻く環境の変化や、アップデートされていく端末(ハードウェア)に、遅れさせない事くらいではないかと考えています。

 私は司会でもなければ、年長者でもないのだが、私の思想の実現に近いとも言えるこの取り組みを理解してもらいたいし、誤解してもらいたくないと言う思いで答弁した。まあ一応、司会役の人は、何度も資料を見ながら頷いていたので、議論の方向性としては合っていたのだろう。

4 諦めの荒野・試みの沃野
 私の的確な回答に、男性参加者は感心し、制度の正当性を理解していくように見えた。
 しかし、女性参加者の表情は、徐々に強張っていくように見えた。
 「勘違いしないでください。組織の方針は、女性に選択肢を与えているだけで、この方向性を目指せと言っているのではないのです。家庭を重視し、情緒豊かなお子さんを育てたいと言う方々の選択は、当然尊重します。ただ、古い因習がはびこる中で、これが当然と、最初から諦めている人を救いたいと言う気持ちも有るのです。」
 つまり、身構える必要など、どこにも無いですよということは、十分に伝わったようであるが、それでも、彼女たちの顔色はあまり晴れなかった。
 日本社会における彼女達の立ち位置はあまりにも長く固定されていたため、彼女達は、そこからの「解放」というものが、なかなか飲み込めなかったのかもしれない。
 
 パラダイムシフト(構造的改革)というのは、時として、当事者の心の準備を待たずに訪れる。思考停止から生じていた、諦めの荒野は過去のものとなりつつあり、女性たちは、家庭という安心・安全を堅守するという既存の価値観に留まるか、未確定要素盛りだくさんの、試みの沃野へ進むべきか、という選択を迫られることになるわけだ。しかし、それはきっとこれまでに無い、魅力的な悩みだと私は思う。

 そして、私はずっと待っている。
 女性の持つ独特の異能、すなわち、緻密なスケジュール管理、一目で人の顔と名前を覚える観察力、継続性・集中力・危機管理能力、そして怖いほどの嗅覚、それらが、古い因習からいつまでも抜け出せない、プライドと縄張り意識に支配された“ゴリラ社会”に、革新の風を吹き込む日を。

ドミニク・アングル「泉」

 西洋絵画には、女性の裸体を描いたものが多い。絵画好きの私がそれらの作品を知らないわけではないのに、このブログで紹介することはほとんどない。裸婦像と言うのは、芸術家の究極のテーマであり、人体解剖学なども駆使して、凝縮した技術が詰め込まれていることが多いので、芸術性という面でも評価は高い。それでも、私があまり紹介したがらなかったのは、「なぜ、人体を描くことが究極の芸術なら、裸婦像ばかりがもてはやされるのか?」という点にある。結局、裸婦像に対して、邪な意識を排除しきれていない鑑賞者が存在するわけだ。「男の裸を見て何が面白い。」・・・まさに男性社会の縮図である。
 ただ、巨匠アングルのこの「泉」は、女性の妖艶な表情に反して、その肉体美の表現により、あたかも、大地から湧き出る泉、「生命を与える存在」として、観る者を誘惑するのではなく、むしろ畏敬を呼び起こす。
 男性はいつまで、女性のことを邪な対象として見続けるのか、女性はいつになったら、女性本来の美しさによって、その虐げられた現状を覆すのか?

 高市氏は政治家だ。男性のルールの中で、登り詰めるしか方法はなかったであろうし、しばらくは、そのルールを守るべきだろう。組閣が始まり、いきなり女性色を宣伝するようなことは賢明とは思えない。優先すべき課題もあることだし、それこそ、“今は”、女性らしく、男性に花を持たせて、持ち上げておいて、したたかに、かつしなやかに、水面下で女性の地位向上を図る――そんな宰相が現れたなら、日本の政治はようやく新しい泉を湧かせることになるだろう。