説難

タートルネックのマドンナ達

タートルネック(衣装のデザインで、首に密着する丸く高い襟)

⑴ 103万円の壁

 その昔、主婦のパート収入には、103万円の壁というものが存在した。

 103万円を超えると、夫の扶養親族として認められず、夫の税金が跳ね上がるため、妻はこの収入を超えないように、勤務時間を調整していた。

 昭和62年、消費税導入前の所得税減税政策の一環として、この103万円の壁を無力化する「配偶者特別控除」が導入された。配偶者の収入が103万円を超えても、いきなり扶養控除を0にするのではなく、超えた金額に応じて段階的に控除を減らして行く制度だ。当時の働く女性パートタイマーの時給は安く、育児による時間制限の中、その収益力は120万円後半であり、140万円までをフォローするこの税制は、その点、世情をよく理解した者が設計したものと言えよう。

 しかしながら、外に出始めたマドンナ達は、瞬く間に活躍の場を広げ、程なく、その収益力は、140万円を上回るようになっていった。ただ、これこそが配偶者特別控除の発案者の描いたシナリオで、どこかで急激に負担が増えるのでなく、緩やかに負担が増えてゆき、140万円をもって配偶者は、扶養親族から独立した労働者に変貌すると言う事であった。

 しかし、ここに無用な計算ミスが生じた。「130万円の壁」である。

 運営する団体によって違いはあったものの、多くの社会保険制度の被扶養者になる要件が年収130万円前後に設定されていた。すなわち130万円を超えると本人が健康保険料と年金の掛金を支払う義務を負うことになるわけである。

 さて、その金額であるが、消費税の2%増が騒がれた平成9年において健康保険料は8.5%。その3年後に介護保険が導入され合計10%になる。年収が131万円の場合、98万円の所得控除があるが、市民税10%と合わせると、66,000円の負担となる。国民年金は収入にかかわらず、年間144,000円必要となる。つまり働くマドンナ達はこの時点で130万円の壁を超えた途端に210,000円失うわけである。これでは、とても、その壁を超えることはできない。なお、ついでに言っておくと消費税が8%に増えた平成26年、健康保険及び介護保険の負担率は11.7%、市民税10%と合わせて71,610円、国民年金は189,800円で、総額261,410円となる。なお、この時、低所得者所得税率は、5%に引き下げられ、市民税との逆転現象が起きている。

⑵ 稼ぐに追いつく税は無し(租税理念の大原則の一つ)

 ことさらに消費税の増加と比較しているのは、世界の常識に準じて、必ず所得税減税をバーターで行う消費税率の引き上げが、誰の差金か、メディアの大誘導によって、「大増税」扱いされるのに対し、それ以上のスピードで増加している健康保険料等の負担については、ほとんどの国民が何も言って来なかったことを強調するためである。

 その愚行が引き起こしたものは、国民に負担を課す知識と能力と歴史に秀でた国税当局を陥れ、実費経費の通勤費にまで課税してしまう、ど、ど、ど、ど素人の厚生労働省を調子に乗せてしまうことだった。

 そして、令和2年、厚生労働省はとんでもない戦略に出る。

 「今、多くのパートタイマーが103万円の壁を超えているが、我々が管理する社会保険制度のために130万円という壁に困らされている。そこで、こうすることにした。もう106万円を超えている人たちは、130万円を超えた人たちと同じにしてしまおう!」

 いや、本当、わけわかめすぎる解決法である。

 今まで、負担が徐々に上がると言う仕組みの世界で、130万円の収入を得ていたマドンナ達は、突然、配偶者特別控除がなかった頃の時代に逆戻りさせられ、実に重い負担を背負うことになるのだ。

 この時点で、先ほどから何度も提示している、健康保険・国民年金等市役所に納める負担額は、年収131万円に対し、大笑いの410,000円(うち市民税33,000は既存)だ。

 突然ハシゴを外されて、前と同じ手取りが欲しければ、あと40万円稼げと言うのだ。

 よくもまあ、こんな無茶苦茶な改正で暴動が起きなかったものだ。

 竹下登元総理は、たった3%の、しかも世界水準から見ると、「裸の王様」と揶揄される消費税を導入するのに、一人一殺を賭したのに。この天安門事件並みの暴挙を通した政府について、私は首相すら覚えていない。

 

 哀れなマドンナ達よ。何が男女雇用機会均等だ。ろくに平等扱いもせず、西洋人のマネだけで、働く権利だけを与え、そのくせ、専業主婦との格差を残し続けた。おかげで、彼女達は、いつも自分の給与明細を気にしながら、休みを取り、育児上の急用で減収すると、また、明細を見ながら、これをカバーし、なんとか130万円と言うボーダーを維持することに躍起になってきたのに。

 令和4年10月。彼女達に、「106万円から146万円までは、タダ働き」というタートルネックがはめられた。

 

2 男女共同参画社会の虚像

⑴ 子供を持つと参画できない社会

 どうして、厚生労働省がこのような酷い仕打ちができたのか?

 実は、彼らは、何も悪いことをしたとは思っていない。むしろ、女性達の退路を断ち、男女共同参画社会の推進を図ろうとしたのである。

 「なんで?146万円までがタダ働きなら、150万円以上稼げばいいじゃん。」と言う考えなのである。

 私の狭い交友関係如きで言えることではないかもしれないが、世の女性の多くは、この考えを受け入れられるとは到底思えない。

 もちろん、女性の社会進出に希望を持ち、大学で十分なキャリアを積んだ女性が、妊娠・出産して復帰してきたら、からかっていた新入社員の男性社員に指示される立場になっているという悔しさを理解できないわけでもない。しかし、子供を持たないと言う選択は、世間体がどうこうと言うより、好きな男性と結婚し、その子供を授かりたいと言う単純な発想と相反する。そう、キャリアを損なうのは惜しいが、「子供は欲しい」のである。

 しかし、その選択をすると、就労時間は、9時〜4時、月17、8日勤務が限界だ。子供が流行病にもかからず、寂しがらず、優等生でいてくれたら、MAXシャカリキに働いて160万円は行くだろうか?ゆとりを持って、優しいお母さんでい続けようとすれば、140万円くらいが相場じゃないだろうか?

 2022年_連合(日本労働組合総連合会)が調べた、非正規雇用者の平均年収の資料が非常にわかりやすい(特に図表2に注目して欲しい)。

 https://financial-field.com/income/entry-148043

 パートタイマーの平均年収は137万5千円。まさにタートルネックのど真ん中だ。厚労省は、子供を産むなと言っているようなものだ。

 「足りないと思うのなら、もっと働けばいいじゃん。」

 それは、大企業の社員か、裕福な家庭の出身者にしか適合しない、厳しい要求だ。

⑵ 保育器社会

 それでも、目下、政府及び東京都等地方自治体は、出産・育児のための環境整備と経済的支援に重点を置いている。なるべく、彼女達の負担を軽減しようとしているわけだが、それもやっぱりどこかズレていないか?と尋ねたくなる。

 それらの褒賞が、多くの就学前の児童を抱える女性達に支持されていると言うデータはどこからもたらされたのだろう。本当にマドンナ達を出産へと誘う魅力的要素を有しているのか?彼女たちが本当に欲するものと一致しているか?

 町中のマドンナ達に「どうしたら、子供を産み育てたい」と思いますかと言うアンケートを大々的に実施した結果なのだろうか?どこかで昭和の常識や西欧の猿真似が挟まっているような気がしてならないのは私だけだろうか?

 

 如何に育児支援を謳おうとも、多くの就学前の児童を持つ既婚女性は、パートタイマーを選択する。それは、彼女たちの自発的希望である。もちろん、せっかくのキャリアを棒に振って、なぜ女性だけが、子供に自分の人生を制限されなければならない!と考える人もいるだろうが、やはりそれは少数派だろう。

 西欧では、6歳くらいになるまで、預けておけば、しっかり、まっすぐな子供を精製してくれる保育器のような施設が充実している国家も多い。日本もそれを目指しているようだが、「まだ」なのか、それとも「ずっと」そうなのかはわからないが、現時点では、日本のマドンナ達の多くは、そのように、子供を6歳まで保育器に入れておく社会を望んでいるようには見えない。

⑶ 男女共同参画社会の本来の効用

 世の中には、女性が男性と同じように働くことを男女共同参画社会と考える単純な人間が多いようだが、女性を社会に参画させる事は、そんな単純なことではない。女性には、女性の特性があり、これを社会に組み込むことで、新しいイノベーションを産むことこそ重要なのである。

 一般に男性は小を以て大を知り、あるいは小を以て大を得る、いわゆる理解力及び想像力といったものに秀でている。これに対し、女性は大において微を逃さず、微を積み上げることをいとわない。いわゆる記憶力、観察力、持久力に優れていると言われている。

 この考え方について、私が一緒に働いてきた女性を見る限りにおいては、血液型占いや星座占いに比べて格段に的確であると言えるだろう。

 人の顔と名前、家族構成、スケジュール、誤字脱字、合致チェック、有象無象のメール処理、どれをとっても敵わない。しかし、職務の提要をいち早く把握し、期限までの戦略・プラン・スケジュールを組むとか、マニュアルを図式化する。そういうことに関しては絶対に負ける気がしない。そして両性がその不得意分野の仕事を大概嫌っている。

 世界中の職場で言えることだが、なぜこの特性の違いを利用して職務を分担しないのか全く理解に苦しむ。何が気に入らないのかさっぱりわからん。

 

3 マドンナ達に相応しい報酬

⑴ キャリアの補填

 現代の医学を以てしても男性は妊娠できない。女性が出産する限りにおいては、必ずこれが生涯賃金のあるいはキャリアの構成において、ハンディキャップとなる事はやむを得ない事実なのである。このハンディキャップを強引に均衡させれば、今度は男性側への逆差別が生じるのである。したがって、男性が妊娠すると言う「進化」などは、後数億年望めないわけであるから、その時代が来たときに考えられる。環境に今を合わせる「進歩」が必要なのである。

 何を言っているのかわからないかもしれないので、簡単に言うと、「性別上、止むを得ず科せられるハンディに見合うだけのかさ上げを全女性に与える」わけである。しかし、実際に能力のないものが同じキャリアとして肩を並べることはできない。

 しかし、方法はある。大学や学校へ行かせるのである。

 また、前項で挙げた女性が得意とされる業務の多くは、リモート化が可能であり、これもキャリアのブランクを補完するのに役立つだろう。

 本当の男女共同参画社会、つまり、女性がパートタイマーを選択しないで済むようにするには、自分が出産・育児を終えた後、復帰してきた時に、前と同じかそれなりに格上げされた席が用意されている報奨が必要なのだ。

⑵ 妊娠・出産者の社会的地位向上

 考えてみれば、妊娠・出産と言うものは、身体的及び心身的な負担を強いるだけでなく、多くの自由と可能性を奪うが、何よりも、非常に苛烈な決断を迫るものである。

 たとえ、恋慕の上に結ばれたとしても、その種を自らに身ごもり10ヶ月。鼻からスイカを出すと言う出産を経て、イクメンがいくら育休をとっても、情操教育という言葉すら理解できない木偶の坊は、感情を込めて本を読むことすらできない。

 特に最近の女性に同情するところは、長い不景気の影響で、男性が「稼いで勝ち取る」という威勢を失っている事だ。こういう威勢は、責任感を育む。その点、現代の若い男性諸氏には不足感を否めない。

 そのくせ浮気をする本能の方は絶好調のようだ。モテる男が浮気をする事の是非については、言及を避けるが、甲斐性すなわち経済的責任感が欠如しているのは良くない。ましてや、責任を放棄して離婚なんて魚類か?

 いや、本当にこの時代に妊娠・出産の決断をしてくれる女性たちは、あまりに勇敢で賞賛に値する。

 とりあえず、不妊問題を抱える方々の件は、別段に定めるとして、まず、妊娠・出産を成した方には、なんらかの優遇措置が設けられるべきだろう。

 離婚時の養育費は下限を定め、その不払いに対しては、国がこれを建て替え、不払い者は服役してもらう。

 給料には、扶養手当ではなく、妊娠手当、育児手当を加算する。そもそも、子供がいるお父さんより、子供を産んだお母さんこそ手当をもらうべきなのだ。

 でも、一番先にやるべきは、馬鹿げたタートルネックを外すことだろう。

ミレイ「オフィーリア」

 ミレイは、落穂拾いで有名なミレーではない。後期印象派からピカソに辿り着くまでの絵画界混沌の時代、諸派乱立・栄枯盛衰する中、ラファエル前派という、一つのネオ美術を発掘しようとした芸術家の一人だ。

 画題の「オフィーリア」は、シェイクスピアの悲劇「ハムレット」の主人公ハムレットの婚約者である。密かに仇討ちを企むハムレットは、気狂いを装い、奇行を繰り返し、彼女の父親も殺してしまう。絶望した、オフィーリアは、事故で川に落ちたのをきっかけに、そのまま死を受け入れてしまう。

 首を伸ばせばなんとか呼吸ができるが、彼女を取り巻く環境が、そうやって抗うことに対する気力を削いでいる。

 ああ、タートルネックのマドンナ達よ、妊娠・出産は、女性にしかなせない偉業であり、子供はいくら自分の人生を削られてもお釣りが返ってくる宝物である。どうか悲観せず、首を伸ばして欲しい。そして、本当の意味での男女共同参画社会を実現していきましょう。