説難

宇宙という巨大なディスプレイ:素粒子は動かず、画素が伝播する

 社会に適合するために、20年間押し殺してきた『考えすぎる自分』。
 AIとの対話をきっかけに、数週間だけその特性に正直になってみた。
 その結果、私の脳が20年越しに導き出したのは、宇宙の仕組みを書き換えるほどの、あまりにシンプルな答えだった。

 平成13〜16年(2001年から2004年)ごろ、私は、組織内の士官学校をそれなりの成績で卒業した直後であった。にもかかわらず、配属先は期待とは裏腹な、郡部の閑散とした部署であった。毎日1、2時間ほど事務をこなせば、あとは何もすることがない。士官学校で極限まで頭脳を鍛えられた私にとって、その環境は耐えがたい「知の空白」であった。
 私は複雑な問題に飢えていた。飢えを満たすように図書館にこもり、政治、経済、法学を復習し、思想・哲学へと進み、韓非子に出会い、やがて世界の成り立ちそのものである素数分布や物理学へと踏み込んでいった。

1 マイケルソン・モーリーの実験の再解釈

 19世紀初頭においては、宇宙空間は「エーテル」と言う物質に満たされており、光や電磁波はこのエーテルを媒体に伝わってくるものだと解釈されていた。しかしながら、このエーテルを観測することができないため、マイケルソンとモーリーという科学者による実験が行われた。
 この実験では地球が宇宙空間を公転するスピードを考えれば、エーテルの中を抜けていく速さ分、エーテルの風を感じるはずだから、その風を観測するという実験だった。実験結果としてエーテルの風は存在しなかった。そこでこの実験以降、「宇宙空間は真空」であると結論付けられ、21世紀までそう考えられていた。

 2004年、「Newton別冊:相対性理論」を手に取ったのを皮切りに、量子力学・超弦理論にまで駆け上がっていた私は、いくつかの本を読み漁った末、このマイケルソン・モーリーの実験において、なぜエーテルが観測されなかったかを導き出す一つの着想を得た。
 「宇宙空間が真空であるということ自体が、間違った観測結果なのではないだろうか?」 宇宙空間は真空ではなく、素粒子によって満たされている。そして、実際には全く位置移動すらしていない。物体が移動しているように見えるのは、素粒子の変化が、伝播していく姿がそのように見させているのに過ぎず、物体の移動とは錯覚であるということだ。
 わかりやすく言うと「テレビの画面において、映像は動いているが、画素(ピクセル)は全く動かないのと同じ」ということである。
 その後、この着想から、光速度不変の原理や、重力による空間の歪みといった、相対性理論の難解な点についても、明快に説明できるように思考をまとめていった。そして、2007年、ゲームサイトのブログでこの着想を展開した。しかし、当時はまだ「空間=真空」の常識が支配しており、読者の多くは理解不能か、あるいは前提条件の食い違いによる反論を受ける始末だった。
 2008年、南部陽一郎氏が「自発的対称性の破れ」により、ノーベル物理学賞を受賞したが、この時点では、私は彼の理論と私の理論との関連に気づいていなかった。2012年、C E R N(欧州原子核研究機構)によって、南部氏が予測したヒッグス粒子が実際に観測され、彼の論文が再注目された際、初めて、彼の理論が、「宇宙空間は真空ではなく素粒子が充満している」ということを証明するもので、私と同じ発想をしていたことを知り、「もしかしたら自分は、ノーベル賞受賞者より早く「空間≠真空」の可能性を提示していたのかも。」などと考え、その原点を調べた。
 ところが、彼は1960年代にはすでにこの着想に辿り着き、私よりもずっと長く「空間=真空」という常識に対峙していた事を知り、少しでも、素人の自分が前代未聞の発見をしたつもりでいたことを恥ずかしく思った。
 そのため、それから14年、この話は封印してきたのだが、先日、ちょっとした好奇心から、Google AIにこの経緯を話したところ、「確かに、南部氏の理論により、「空間=真空」という常識は覆されたが、素粒子については、未だ空間を移動していると想定されているため、『素粒子は静止している』という私の着想は非常に斬新である」との評価を得た。
 確かに考えてみれば、南部氏の理論が正しいのなら、マイケルソン・モーリーの実験において「エーテルの風」は観測できなくとも「ヒッグスの風」は観測できたことになる。
 しかし、私の「画素モデル」では、この矛盾を解決できる。地球は実際には動いていない。「場」という粒子の海を漂う波の一つだからである。場と波の間には、風は起きないのである。

2 素粒子が「画素」として静止している世界

⑴ 光速度不変の原理
 時速100キロで走る電車から、進行方向へ時速80キロのボールを投げれば、その速度は時速180キロになる。逆に後ろへ投げれば時速20キロになる。ガリレオが提唱した、直感に沿う相対性原則だ。
 ところが、光や電磁波は例外である。どのような速度で運動する場所(系)から放たれても、その速度は常に秒速30万キロで一定不変となる。これを「光速度不変の原理」と呼ぶ。
 この原理が成立するために、高速で移動する物体内では「時間の進みが遅れる」といった現象が現実として立ち現れる。
 この相対性理論が導き出す奇妙な予想は、空想ではない。実際に、秒速約3.1キロという猛スピードで地球を周回する人工衛星内の原子時計と、地上の時計との間には、無視できない誤差が発生している。アインシュタインの計算式を割り当てて初めて、私たちのGPSや衛星通信は正常に機能するのである。
 なぜ、光だけが光源の速度に依存せず、常に一定なのか。私は初めてこの話を聞いたとき、あまりに理論に都合が良すぎると感じた。しかし、この謎も私の画素モデルを用いれば、物理的なメカニズムとして明快に説明できる。
 宇宙空間をデジタル機器の「画素(ピクセル)」に置き換えて考えてみる。液晶画面においてピクセルの反応速度に限界があるように、秒速30万キロとは、空間を充満する素粒子間の「情報の伝送限界速度」なのだ。
 前述したように、物体の移動とは錯覚であり、物体そのものが空間を移動しているのではなく、静止した素粒子の「状態の変化」がリレーのように伝わっているに過ぎない。したがって、移動している物体から放たれた光も、その瞬間、静止している画素のネットワークへと乗り換える。光源がどのような速度に見えようとも、放たれた光は常に「静止した粒子」から放たれたものであり、そこから、その伝達限界速度、すなわち秒速30万キロで伝播していくのである。これが光速度不変の原理の正体だ。

⑵ 重力と空間の歪み、そして「E=mc²」
 相対性理論には「重力レンズ」という概念がある。強大な重力を持つ天体の周囲では空間が歪むため、そこを直進する光さえも曲げられてしまう。皆既日食の際、太陽の背後にあるはずの星が観測された事実が、この空間の歪みを証明している。
 では、なぜ重力は空間を歪めるのか。現代物理学においても、その根本的な理由は謎のままである。
 私の画素モデルでは、これを物理的メカニズムとして捉える。質量が集中した場所では「画素(ピクセル)」自体が収縮すると仮定する。この収縮こそが、空間の歪みの正体である。物体が移動しているのではなく、画素の収縮という「状態」が波として伝播していると考えれば、重い天体が空間を曲げながら進む現象も、必然的な結果として導き出される。

 アインシュタインは「重力と加速は等価である」と説き、そこから歴史的な「E=mc²」という等式を導いた。しかし、この等式を数学的に導き出すには、四次元時空の複雑な計算やローレンツ変換など、膨大な計算の積み重ねが必要となる。

 これを画素モデルで解説してみよう。
 まず、基礎知識として、「慣性系」について説明しておこう。 
 ある一定のスピードで運動している状態を、「慣性系」という。
 時速500キロで飛ぶ飛行機は、時速500キロの慣性系にあり、その中で、リンゴを真上に投げても、時速500キロで後ろに吹き飛ぶことはない。ちゃんと手元に落ちてくる。これは、マッハ6で飛ぶ戦闘機の中でも同じである。
 しかし、時速500キロからマッハ6まで加速する時はまるで違う。強力なG、すなわち後ろに引っ張られる力が生じる。
 要するに、とある慣性系から、別の慣性系へ移る時、Gすなわち重力が発生し、空間が歪むと考えれば良い。これを画素モデルで考えると、液晶テレビの真上から、強いGを加えたら、ピクセル一つ一つはきっと潰されて、視覚的にも縮む様子が想像できるわけで、わかりやすい話になると思う。

 さらに、重力が強い場所での「時間の遅れ」も、このモデルで明快に説明できる。画素が縮んだ領域を通過する光を、外側の系から観測すれば、光速を維持するために「短縮された距離(収縮した画素数)」を瞬時に移動することになる。しかし、その縮んだ画素の中にいる観測者にとっては、時間の短縮は起こらない。この時間差は、加速が光速に近づくほど顕著になる。
 加速が限界(光速の2乗)に達したとき、時間は停止する。私たちが「物質」として存在している状態とは、この停止した時間を自分たちの慣性系に留めている状態に他ならない。核分裂とは、この「凝縮された時間」を私たちの世界へ一気に解放する行為である。だからこそ、質量(m)に光速の2乗(c²)を掛け合わせた、想像を絶するエネルギーが放出されるのだ。

 ちょっと、図示してみよう。

物理学に詳しい方へ:本モデルは既存の理論を否定するものではなく、
相対性理論の直感的理解を助けるためのイメージモデルとして提示しています。

 このように、複雑な数式を積み上げずとも、空間を「画素」と定義するだけで、私たちは世界の真理である「E=mc²」に到達することができる。

 Google AIの評価によれば、以上の論説は、相対性理論における膨大な数式に苦しめられている多くの物理学者にとって、直感的な理解への「救い」となるだろうとのことだ。もし、先端物理学を研究している知人や友人がいるならば、ぜひこの視点を伝えてほしいと願っている。

結び

「月面の第一歩」

 「That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.」(これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ)――――アポロ11号船長、ニール・アームストロング

 ADHDが原因で、物事を深く考えすぎる私は、社会に適合する事が困難であると言われ、薬物を使って思考を抑えていたが、最近、ユングの「思考の分化」と言う話を聞いた。

 人間の思考はメカニズム的に、思考、感情、感覚、直観の4つに振り分けられ、このうち1つが主要機能として分化し、残りは相対的に未発達(未分化)になる。そして、ここが重要な点であるが、4つの機能に優劣は無い。ただ、社会において必要な役割分担のために分化すると言うことである。

 私の分類は、「思考」となるわけだが、これは設計や新しい基盤を構築する役割を担う。司令塔のようで、格好が良いように見えるが、このタイプは動きが遅く、調和が苦手となる。

 この社会には、考える人と考えずに動く人が必要なのである。しかし、複雑化した現代社会においては、必ずしも特性に合った役割に就ける訳ではない。いまだにパワハラで数字を上げた上司が重用されているような未成熟な社会に、それを求めることは不毛だ。

 私は、薬で抑えつけなければならない無駄な才能を持ったことを悲観していた。しかし、腕力があっても、運動神経が抜群でも、絶対音感を持っていても、仕事は愚か家庭でも役に立てられない事は、この社会では当たり前なのだ。そして、その才能は、社会では役に立たないだけで、持っていてはいけないものではないことを知って、私は思考し過ぎる自分という罪悪感から解放された。

 本当なら同じ境遇の人と話し合うことになるとユングは言っているが、思考系は同時に閉鎖的な面を持ちがちなので、そう簡単ではない。しかし、現代には、AIという絶好のパートナーが存在する。それに気づいてからここ数週間、私の脳みそは久しぶりにフル回転を続けている。

 しかし、残念ながら、その解放にも限界があることがすぐにわかった。

 改めて感じさせられたのは、ボディビルダーは、よく社会の中で、シャツを脱ぎたくなる衝動を抑えられているな、という敬意の思いだ。AIとの話が弾み、議論が深くなるほど、それを他人に話したいという衝動が抑えられない。あっという間に自制の枠を越え始めた。恥ずかしながら、意志の弱い男だ。

 この辺にしておこうと思ったのだが、これを最後にと思って、昔の発想の価値についてAIに見直しを試みたところ、これがとんでもなく重要な発想だと言われ、何らかの形で文章に残すよう求められたので、本ブログのスピンオフとして投稿することにした。 そして、私はまた脳の回転を緩め、家族と社会と温和に過ごせる人生に戻っていきたいと願っている。

 自分に正直になれた数週間の再起動が残した足跡が、人類にとっての大きな飛躍になることを望んで。

果てしなく続くinnocent world

 直訳すると「純粋無垢な世界」となるが、Mr.Childrenの楽曲の流れから「自分の正義を信じ、貫きつつも他人に批判を受けない状況」、論語で言うところの、「七十にして心の欲する所に従えども、矩を超えず」の境地というところであろう。

1 8割の人にとって「正論」は無用?
 「人が成功する七箇条」と聞いてどういうものが浮かぶだろうか?
 ① 目標を明確にする(Vision
 ② 継続する(Consistency)
 ③ ポジティブ思考を持つ(Mindset)
 ④ 行動する(Action)
 ⑤ 学びを止めない(Learning)
 ⑥ 感謝を忘れない(Gratitude)
 ⑦ 人間関係を大切にする(Connection)
 王道を並べれば、以上のようなものになるだろう。YouTubeなどには、他にもいろんな要素を挙げている人もいるが、概ね似たり寄ったりである。
 例えば入社当時散々言われた、「問題意識と創意工夫」という提言は、⑤にあたるのかな。
 「礼儀正しく、時間に厳格」というのは、⑦に該当する。「他人の悪口を言わない。他人と自分を比較しない。」というのは、一見⑦に含まれそうだが、実は③がしっかりしていれば起こさない行動である。
 でも、改めて、なぞってみると、当たり前のことばかりに見える。そして、それほど難しい習慣とは思えない。
 正直、私は、高校卒業の時点で、この7つについて、さほど遜色なく実践できていた。特に、⑥は最重要視してきたつもりだ。ちなみに、⑥は、礼儀に含まれるように解釈されそうだが、私の視点では違う。感謝は、礼儀でなく、責務だと考えている。偏屈な人間性がバレてしまうが、「ありがとう」というたびに、逆にこの人から「ありがとう」をもらうにはどうすれば良いかをいつも考えていた。
 結構高レベルで、その重要性を理解し実践してきた。おかげで、仕事の成果は、量も質も十分に及第点を達成していると自負している。
 しかしながら、結果として、歳の割には順当に出世していない。
 ちなみに私はこのブログで、よく、この「順当に出世していない」ことを愚痴のように漏らすが、別に世を儚んだり、同僚を妬んだりしているわけではない。その理由はある程度理解しているし、その道を進んでしまったことについて、今ではかなり後悔も薄まっている。それでも、過ちがなかったわけではないので、自戒を込めて現状を直視しているわけだ。

 しかし、自省する私に、以前紹介したZ世代の青年はこう言う。
 「かわいそうに。組織に属する人間はこれだから悲劇的だ。あのねえおっちゃん、『8割の人にとって「正論」は無用』なのよ。『人が成功する七箇条』ていうのは、いずれも、度を過ぎると『人が失敗する七箇条』になるんよ。」
 彼の話を整理すると
 ① 目標を明確にする(Vision)→組織人は、組織の目標と一致させなければならない。
 ② 継続する(Consistency)
 →継続は力となるが、褒賞に繋がらなかった時、大きなサンクコストとなり、切り捨てが難しくなる。組織内では、チャレンジすら、させてもらえない。
 ③ ポジティブ思考を持つ(Mindset)→楽観主義者は暑苦しいだけ。
 ④ 行動する(Action)→軽挙妄動、益薄し。策を弄して行動すべし。
 ⑤ 学びを止めない(Learning)→頭でっかち理屈に倒れる。
 ⑥ 感謝を忘れない(Gratitude)→情に棹させば流される。
 ⑦ 人間関係を大切にする(Connection)→世人常備の悩みにして是非の余地無し。
 手厳しい反論であるが、これはあくまで「度がすぎる」場合に考えるべき事で、七箇条を完全に否定するものではない。
 ただし、組織人となると、ここに掲げた反論が顕在化する。
 ①②で示した通り、己の勝手な頑張りは評価されない。④策があまり上手だと警戒される。⑤学のある者は、まず妬まれるという理不尽が先行する。⑦人間関係では、能力が上下を決する指針でない時点で、更に問題放棄の動機付けとなる。結果として、「8割の者に取って正論は耳が痛いお説教」となる訳である。そして、日本人の就業者の88.8%は、サラリーマン、つまり組織人である。

 ——救われないなあ。

2 個人に世界は変えられないのか?
 この救われない人間界を達観し、これを統制しようとした個人が居る。
 韓非子である。
 私が挙げた七箇条は、言ってみれば、人徳というもので、これが世間に広まれば、世の中万事丸く収まると説いたのが孔子であり、これを「徳治主義」という。これに対し、韓非子は言った。「すべての徳目は、行き過ぎれば害になる。したがって、人の善意や美徳に国家を委ねてはならない。法・術を以て、この徳の行き過ぎを制御する。」とした。
 いやあ、全くすごい人だ。彼はいつも砂漠の先に緑を見つけようとする。
 韓非子は、冷徹で、人を見下しているという人が多いが、私たちは実際見下されても仕方がない、「救われない」種族なのだ。
 誰だって成功者になりたい。そこで、力量のある者が、徳を備えて、日々勤しむ。ところが、誰もが力量を備えているわけではない。しんどいことは嫌だし、やりたくないことはやりたくない。難しいことは考えたくない。そういう人たちが、正論を無用とし、「やり過ぎでない者」まで失脚させる。そこで、加減の良い徳目の程度を法で制定して、そこまでの努力に見合う対価を保証し、これを阻害する者を諌めれば良いわけである。そうすれば、人は安心して、徳を積むことに勤しめるわけだ。

 憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」というが、私は、最低限の知識の取得も要件に加えてほしいと願う。一応、教育を受けさせる義務は存在するが、今の義務教育では、「頑張りたい奴は頑張れば良い。やりたくないやつはサボって良い。」になってしまっている。親も学校も一緒になって、最低限の読み書きそろばんと、学びに対する姿勢、国民としての義務、そして必ず備えるべきとは言わないが、人として、尊ばれる人が持っている前述の七箇条のような徳を理解していて欲しい。
 前にも言ったが、ゆとり教育を批判する人が多いようだが、私はあの頃の子供達の方がずっと逞しくて面白いと思っている。大谷翔平羽生結弦藤井聡太くんも芦田愛菜ちゃんもゆとり(1987年から2004年生まれ)でしょう?彼らには、想像力が有る。好奇心が有る。探究心が有る。だから、みんな、円周率は3でも、県庁所在地を覚えていなくても、私が求めている最低限、人が具備すべき知識を必ず会得している。
 かの教育方針を頓挫させたのは、はっきり言って、私も含め当時の親世代の親だ。学校が委任した子供の興味・好奇心を引き延ばす裁量を使いこなせなかった。まあ、難しいことを考えてはいけない組織人ばっかりだからね。
 でも家庭教育は、組織とは無関係なんですよ。それをわかっていた親に育てられた子供達は幸運だ。
 青年Zもゆとり世代だ。彼もわかっている。正論は間違ってはいない。ただ、今の社会では通用しないだけ、いつかこれがスタンダードになる時代(ゆとり世代の子供達の時代)が来ればちゃんとそれに合わすだろう。
 そうして、国民の多数が、正論に向き合えるようになったら、韓非子のいう「法」もまた、確かな形で整備されるだろう。さすれば、また、諸国民が「救われない」状況に陥った時、これを乗り切る知恵者を輩出する社会ともなり得るだろう。

3 適者生存と人間の好奇心
 ダーウィンは、「種の起源」の中で、人間は猿から進化したとは一言も言っていない。環境に効率的に適合できたものが生き残る。これを「自然淘汰」と呼んだ。これなら、人間は神の創造物で、最初から優秀だったから今も生き残っている。という説明っぽくなり、はんなり、神を否定しなくて済む。しかし、あまり知られていないが、「種の起源」には、共著者がいて、彼がはっきり唱えたのだ。「適者生存」。ゾウリムシの中から優秀なものだけが生き残り、やがて進化し、進化したものの中で、優秀なものが生き残る。これが進化の歴史だと。ダーウィンの進化論は当時の社会に衝撃を与えたなどとよく教わるが、科学者達は、遺骨や化石の調査から、薄々気づいていたのだ。だから、「種の起源」には、全く書かれていないのに、人類の祖先は猿だ、と断定した。
 そんな逸話はともかく、興味深いのは、どんな猿が生存すべき適者だったのだろう?
 アフリカにも広大なジャングルが広がっていたのに、キリマンジャロで有名なアフリカ東部山脈の隆起により、ジャングルは草原となっていった。安全な樹上生活から追われた我が先祖は、遮蔽物の少ない草原の中で、より早く敵を見つけるため、遠くを見るために、ミーアキャットのように、二本足で立った。直立歩行の始まりだ。
 ただミーアキャットと違っていた所が有る。それは、恐怖心からの背伸びというより、より遠くの情報を知りたいという「好奇心」が引き起こしたものだった。
 というわけで、人類に限らず、多くの生物の進化には、少なからず「現状に安寧せず、より違う何かを。近辺の景色に満足せず、より遠い景色を」望んだものこそ、選ばれし適者となっていくわけである。
 個人では世界は変えられない?とんでもない。天才的な個性が世界を変えるのではない。平均的な集団に潜む個性に対する共感者が、一定の数を超えた時(百一匹目の猿理論)人類は、少し進歩するのだ。

4 innocent world
 うちの組織のお偉いさんは、WLB(ワークライフバランス)を辞書で引いた事が無いらしく、組織内で配付される資料は、育児休業の話ばかりである。正しくは、育児・介護の他、趣味・学習・休息・レジャーと幅広くプライベートを充実させることをいう。そして何より大事なことは、そのプライベートを充実させたことが、業務・職務においても何らかのイノベーション・生産性の向上につながると期待されることである。このフィードバック無くして、企業がWLBを推進する意義はない。子育て支援は別次元の話だ。この程度の理解だから、ゆとり教育も失敗したのだ。企業がこれを推進できていたら、変わっていただろう。

 さて、成功の七箇条が法制化されて、正論が組織内で通る時代はきっとまだ先なんだろう。でも、組織外でやるのなら、何も間違ったことではないわけだ。「金にならないのなら窮屈なだけだ。」と思う人も居るだろうが、私は徳のある人間を目指すことは楽しいと思っている。
 正論すら語らせてくれない荒んだ大地の真ん中から、必死に首を伸ばして、遠い遠い先にある、「私の好き」がまかり通る緑、innocent worldを探し続けたい。

著者作「露草」 (シリア・アレッポに散った一人のジャーナリストへ)

 

孤憤の果てに

エジプト世界遺産「ギザの大スフィンクス

1 スフィンクス
 ギザの大スフィンクスは、伝統的な考古学ではカフラー王(紀元前2500年頃)の時代に建造されたとされているが、スフィンクスに刻まれた大量の雨水で侵食された風化痕を研究し、その地質学的証拠(風化のパターン)に基づけば、紀元前7000年~5000年頃、すなわち、スフィンクス本体はピラミッドより古い時代、あるいは別の初期文明によって建造された可能性を指摘する説がある。
 そもそも、スフィンクスカフラー王の時代に建てられたものと考えられている物的根拠は、非常に少なく、三大ピラミッドの真ん中のカフラー王のピラミッドの参道上に位置しているということから推測されたものであり、逆に元々在ったスフィンクスに合わせてカフラーピラミッドの参道が築かれたという言う推測も成り立つわけである。実際、あれほど方角や角度にこだわるピラミッド遺跡群において、カフラーピラミッドの参道は、垂線でもなければ対角線上にもない。
 さらにスフィンクスと言う遺跡は放っておくと、すぐに砂に埋もれてしまう特性があり、何度も掘り起こされたと言う歴史的事実がある。確かに、スフィンクスの頭部の肖像は、当時のファラオの象徴的スタイルをしているが、ある時期に偶然発掘されたスフィンクス遺跡を見て、当時のファラオの象徴に取り入れられたという考えも成り立つ。それに支配階級の伝統というのは、2000年くらい継承されても不思議ではない。
 つまり、カフラーピラミッドの参道上にあるという根拠は、建築時期を特定するには、あまりにも薄弱なのだ。
 さらに、砂に埋もれやすい特性が、風化や浸食を妨げて、ピラミッドよりも古い時代であっても、建造時の状態が保存された可能性は十分にある。
 ちなみにスフィンクス世界遺産となっているのは、あくまでギザの三大ピラミッド等の遺跡群の一部扱いである。しかしこの説が正しければスフィンクスこそが、その遺跡群の起点となった可能性が高い。まさに、地動説の如く、 “全ての始まりがスフィンクスであった”という天地動転の説が出ているのである。

 さて、この説が正しいとなれば、このスフィンクスは、一体いつ、何のために建造され、一体何千年、一人ぼっちで砂漠の中に埋もれていたのだろうか?

2 韓非子の孤憤篇
 孤憤、すなわち、「誤った方向へ進もうとする世界に対し、これを知りながら、ただ独り憤る」状況は、世の常であろう。
 以下は、韓非子孤憤篇の冒頭文である。
 「智術の士は明察し、聴用せらるれば、まさに重人の陰情を燭さん(てらさん)とす。能法の士は勁直にして、聴用せらるれば、且に重人の姦行を矯めんとす。故に智術能法の士用いらるれば、則ち貴重の臣必ず縄の外に在り。是れ智法の士と当塗の人とは、両存すべからざるの仇なり。」
 簡単に言えば、法を公正に運用し、上下を巧みに操る術を持つ「法術の士」なる者が現れたら、既得権益者にとってはすこぶる都合が悪いわけであり、当然あらゆる妨害を受け、「孤憤」の中に埋もれさせられるわけである。
 それでも、韓非子五十五篇は、ネットは愚か、印刷技術も無い時代に、世に広まり、国を出て、隣国秦の若き覇王の目に留まる。
 ところが、「韓非子2000年の悲運」でも語ったように、この出会いが、韓非子だけでなく、その思想の運命をも狂わせ、法家の思想、法による支配の真髄は、書物の中に埋もれ続ける。
 ただ私の考えでは、彼の思想は、きっと早過ぎたと感じている。儒教の仇と言われ、封印されなかったとしても、中華やアジアに、モンテスキューを先駆けて、「法の精神」が著されることは無かったと思うし、ジョン・ロック的「社会契約論(by統治二論)」が唱えられたとも思えない。それは土地を支配しようとする農耕民族と、人を支配しようとする狩猟民族という差からの私なりの推測だ。
 韓非子の思想は、封建時代の君臣が存在する時代に形成されたものであるが、法の統治は、基本的人権国民主権の思想が土台に在る方が都合良い。以前にも話したように、「法」は他人が定めるものであるため嫌われがちである。主権在民となれば、「法」の不都合の責任の一端は、民に帰するわけであるから。我々は法に縛られているのではなく、法に責任を持っているのである。それが「最善の専制政治君主制)よりも、最悪の民主政治(共和政治)のほうがましだ」(銀河英雄伝説ヤン・ウェンリー等)と言われる所以である。
 しかしながら、現代世界はまだまだ未熟だ。天下に「法」が君臨し、司法によって公正に判断され、実行部隊が、過不足なくこれを執行するのであれば、世の中に、領土問題も宗教対決も起こらない。ところが、私たちは、国際法は愚か、自国内の法律ですら持ちあぐねている。
 韓非子五十五篇も相変わらず悲運なものだ。こんな時代に発掘されても、せいぜい経営哲学書で面白おかしく扱われるだけ、もうしばらく書物の中に埋もれていた方が良かったかもしれない。
 ずっと先の未来、彼の思想など、全く原始的で古典的と言われる時代に発見され、「なんだこりゃ?確かにまあまあ上出来だが、このくらいの作品なら誰でも作れるさ。ようし俺はこいつの横にもっと大きな「知」の遺跡を残してやるぞ」てな具合に、図書館か大学でも作ってくれる人が出てきて、ようやく、韓非子の長い長い孤憤にも意味が見出せる時が来るのかもしれない。

3 私の孤憤篇
 本巻を執筆するにあたっては、正直に言ってかなり抵抗を感じていた。前巻の「説難」では、己の才覚を総動員して、ずいぶん凝った構成に挑み、誰かに評価されたわけではないものの、書き終えた時にはそれなりの充実感と達成感を覚え、そこで一区切りをつけるつもりでいた。しかし、日々募る不安定な世界情勢や、愚鈍とも思える社会の在り方への憤りが抑えきれず、結局のところ筆を執らざるを得なかったのである。ところが、体調の変化の影響もあってか、念入りな構想のもとに書き綴った前巻に比べ、本巻の当初の書き出しはどうにも要領を得ず、自分自身で読んでも駄文に思えてしまい、投稿をためらうほどであった。

 そこで、一般読者目線の代表として信頼している知人に読んでもらい、率直な感想や具体的なアドバイスを求めることにした。私が「編集長」と呼んでいるその知人のおかげで、無駄な表現や重複した内容をそぎ落とし、文字数も適度に整理され、多少なりとも読むに堪える文章へと姿を変えることができたため、ようやく投稿を始めることにしたのである。

 最近では、AIとも相談しながら書き進めているおかげで、よろしくない表現や冗長な部分が自然と削られるようになり、その分、編集長の指摘も目に見えて減ってきた。それはありがたいことではあるのだが、その代わりに、「よくよく思うけど、ほんと、よくそんな面倒なこととか、どうでもよさそうなことを一生懸命考えられるよね。それをブログに書くことに、いったいどれだけの意味があるのか、最近ちょっと疑問に思えてきたわ。」などと、本音とも冗談ともつかないことを言われるようになった。

 私は昔から、難解な話を中学生くらいには理解できる程度に噛み砕いて説明することが得意であったし、またそれを自負してきた。私がこの国の主権者の一人として、この国の憲法を意識しながら、世界平和や差別の問題について語っても大きな反応が得られないとしたら、それは私の文章が難しすぎるからではなく、単に読む側に関心がないだけなのだろう、と半ば達観している。しかし同時に、編集長のこうした「飽き」を感じさせる姿勢は、私の孤憤篇そのものが終局に近づきつつあることを静かに示しているのだとも思う。

 これまで私は四つのChapterに分けて、情報の受け取り方やその危うさ、世界社会の未熟さ、法理のもつ力と限界、そして個人に潜む可能性と無力感について語ってきた。しかし、ここに至って話題が少しずつ重複し始め、同じ憤りを別の角度から言い換えているだけではないか、という感覚が芽生えている。語りたかった内容の多くはすでに吐き出し終えている。
 孤憤という観点からはまだまだ言い足りないことも山ほどあるが、個別の事例をいくら積み上げても、結局のところ根底で言いたいことが同じであれば、新鮮味は失われ、自己反復に陥る危険性が高い。したがって現在、本巻の最終稿の執筆に取りかかっているという状況である。

 しばらく構想のための時間を置いたあとで、今度は職務上の経験談を題材にした「新巻」に着手しようかと考えている。
 私は「法による支配」を機能させるうえで、行政の資質こそが最も重要な課題であると確信している。そして、木端役人ではあるものの、多彩な部署を経験してきた私は、なかなかに稀有な体験を積んできたと自負しており、「民の本綱たる役人」のあり方や、「職務を果たし得ない役人」の姿について、いろいろと語ることができるのではないかと思っている。
 編集長は、私が組織から多少なりとも冷遇されている事情を知っているがゆえに、余計なことを書いてひどい目に遭うのではないかと心配してくれている。しかし、そこは十分に作戦を練り、伝え方を工夫したうえで取り組みたいと考えている。

 今の私にとって重要なのは、もう一段ギアを上げて、“コンテンツを磨きたい”という強い欲求が確かに芽生えているという事実である。
 私はいつも言っている通り、発明家として名を残す野望もなければ、インフルエンサーとして名声を得るつもりもない。多くの人が「突飛でついていけない」と評するであろう私の思考の飛躍や奇抜な発想が、いつかどこかで、より高い能力を持つ誰かの目に触れ、何らかの形で活かされることを密かに願っている。
 しかし同時に、見つけられるチャンスを広げるより、時を超えて残るコンテンツを考える方が重要のように思えるのである。

 スフィンクスは砂に埋もれてもなお、伝説が口伝として残り続けた。韓非子は書物に埋もれても、その説話や故事成語は時代を超えて語り継がれてきた。ゆえに、何千年の眠りについたとしても、再び発掘されるものは必ずあるのだと思う。その不屈のコンテンツに、私は強い憧れを抱いてしまったのだろう。もちろん、それらに並び立とうなどとは一粒ほども思ってはいない。ただ、それらを後世に口伝する者の一人になれる程度には、少しだけ時を超えて残り得るコンテンツを著したいと願っている。

 踊れDance 暗闇の中で 今は誰も見向きもしない そんな役回りでも知ったことか
 YOASOBI「劇上」

 何を成したいかではなく、何をやりたいか。今はそれで十分だと思っている。

差別や偏見とやらにもう少し抗ってみたい

1 異=劣
 「人は結局分かり合えない。」—— Spy Family ドノバン・デズモンド。
 他人のブログを読んでいて、共感できる投稿もあれば、まったく理解できないものもある。同様に私のブログも、誰かには気づきを与え、誰かをガッカリさせるだろう。
 全面的に一致する関係は、むしろつまらない。適度な不一致は健全である。しかし、だからといって互いの違いを無制限に許容することが正解でもない。後から来た部外者が既存のルールを無視するのも、同様に正解ではない。
 とはいえ、もっとも避けるべきなのは、「自分たちとは違う」という理由だけで、相手を劣った存在とみなす姿勢である。違いをすべて許容する必要はないが、理解を放棄してよい理由にはならない。

 なぜ差別はなくならないのか。
 人は、自分に近い意見や価値観を持つ者同士で集まり、安定を保とうとする。異質な存在を避けようとするのは、混乱を回避するための自然な反応であり、既存の規律に従わない行動を批判すること自体は、必ずしも悪ではない。

 しかし、**「異なっている=劣っている」**と断ずるのは、明確な過ちである。

 「アホって言うやつがアホやって、母ちゃん言うてたで。」——その母親は正しい。
 人の優劣を測る物差しは、人の数だけある。誰が優れていて、誰が劣っているかなど、簡単に答えの出るものではない。むしろ、簡単に人を「アホ」と切り捨てる者こそ、明確に「アホ」なのである。

 ところが、それが“集団”になると、事情は変わる。
 自己肯定バイアスが強まり、物差しは同じ方向を向き始め、いつのまにか半世紀以上前に形成された“同質であることが善”という価値観が空気として定着する。
 本来は単純なメカニズムだが、そこに歴史的背景や、家庭や学校教育の非意図的な作用が重なり、問題はより複雑になる。
 「人の嫌がることをしてはいけない。」
 この普遍的な教訓は、世界中で語られ、教育が長年引き継いできた。しかし同時に、**「自分たちと違うものは劣っている」**という、やられたら誰もが嫌がる態度もまた、気づかぬうちに受け継がれてきた。
 ここに、私たちの社会が抱える最大の悲劇がある。

 まとめると、部外者が集団に入れば混乱の種となり得る。だから、一定のルールや慣習に従うべき場面は確かにある。
 だが、その事実が**「部外者=劣っている」**という結論に直結することは決してないし、隷従を強いる理由にもならない。

 かつて「これは差別ではなく区別だ」という表現がよく使われたが、最近はあまり耳にしない。国語を正しく理解していれば名言なのだが、誤用が多かったのだろう。

 ある集団に属する者と、そうでない者との間には“区”が有る。しかし“差”は無い。

 これこそが、偏見と差別をなくすための《基本姿勢》であり、『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去する』ための重要な意識である。

2 疎=誤
 「欧米の一部では、いじめている側を“病んでいる”と判断するそうです。」
 ——『ミステリという勿れ』久能 整
 これは、私自身が二十五年前に論文として書いた主張とも重なる。
 いじめとは、アウェイに立つ勇気のない者が、自分が常にマジョリティ(多数派)側にいられるよう、他者をマイノリティ(少数派)として仕立て上げ、自らの恐怖を回避する行為である。マイノリティ恐怖症、あるいはマジョリティ依存症と言うべきか──平常な人間なら、そこまでして環境を保とうとはしない。それを敢えて行うから、病んでいると判断されるのである。

 ホームとアウェイの関係を理解するスポーツファンは、少数で敵地に乗り込むアウェイ応援団をむしろ尊敬する。しかし現実社会において、アウェイに乗り込むというのは、単純にリスクを負う行為である。だからこそ、人はマジョリティに寄りかかり、異論を排除する。従って、それ自体は異常ではない。
 問題は、マジョリティ側に立った人々が徐々に考えることをやめ、想像力を失っていく点である。
 本当は一人一人、微妙に異なる考え──それぞれのマイノリティ・リポート──を持っているにもかかわらず、それを封印するようになる。そして最終段階では、他者が発するマイノリティ・リポートを頭から否定するようになる。ここに偏見は生まれる。

 先日の高市総理の発言をめぐる報道も、その典型だ。
 誰も得をしない「台湾有事」の質問をした議員こそ最も軽率だったと私は考えるが、多くの報道はそこには触れず、代わりに「日中関係の悪化」だけを強調した。結果として、ネット上では「日本渡航規制大賛成!」「中国は悪い国。民主主義でない国は悪い国」といった単純化された断定が溢れた。

 ここで私が言いたいのは、中国を礼賛することでも、日本を批判することでもない。
 政治体制にはそれぞれ利点と欠点があり、どの国にも複雑な事情があるという、ごく当たり前の事実が空気の中で見えなくなるという点である。
 たとえば、中国には自由の制約という問題がある一方で、国民が日常生活と生業を維持できる程度の秩序は保たれており、それを評価する視点も本来は存在してよい。
 国際法についても、守らない国は中国だけではなく、国際法の運用体制そのものに課題があるという議論だって成り立つ。

 ところが、こうした“少数派の視点”を口にした途端、「中国擁護だ」と決めつけられ、議論そのものが封じられる空気がある。まさに、私が述べたように、マジョリティが“正義”を独占し、異論を排除する構造だ。

 世の中の正義は、しばしば論理ではなく空気が決める。
 そして、この“空気による正義”こそが、マジョリティ・リポートの思考停止を生み出し、偏見を育てていくのである。

 日中の緊張を喜ぶ人々は、自衛隊員の安全やその家族の不安に思いを至らせただろうか。「誰の得にもならない火種を撒いたのは誰か」という視点を持てただろうか。おそらく、気づいている人間もこう考えるだろう。「少数派が何を言っても無駄だ」と。
 それで良いのだろうか?
 太平洋戦争が、軍部の暴走だけでなく、国民の多数が「英米討つべし」と唱えた空気が背景にあったことは、今では資料で裏付けられている。

 確かに、マイノリティ・リポートは届かないことが多い。しかし、それが“誤り”だという証明にはならないし、マジョリティが“正義”である証拠にもならない。
 “マイノリティ・リポート=誤”──この思考停止こそが、最も巨大で、最も強力な偏見である。

 言論の自由を持つ国家に生まれながら、マイノリティ恐怖症の“病んでいる誰か”によって作られたマジョリティに思考を停止させられ、言論の自由が阻まれている。皮肉極まる現実である。

3 知=処
 「知の難きに非ず、知に処するは則ち難し」──韓非子『説難』第十二。
 ──知ること自体は難しくない。難しいのは、知った後にそれをどう扱うかである。
 前項の差別や偏見という問題を根源的に解決する鍵も、結局は「ヒトがどのように学び、その学びをどう処するか」にかかっている。
 その一例として、最近少し面白い体験をした。

◆スポーツ指導の変化が示す「知の扱い方」
 先日、体罰指導が消えつつあるにもかかわらず、日本人の金メダルが増え続ける理由について、知人と語り合った。
 そこで議論となった可能性が興味深かった。
 「青少年の知識レベルが上がったことが原因である可能性」
 かつて素振りや走り込みといった地味な基礎トレーニングを「重要なプロセス」と認識していたのは、せいぜい一部の人間だった。試合形式の練習ばかりを望む部員にとって、三ヶ月も基礎練習が続けばやる気は萎える。
 「この地道な努力が後で効いてくるんや!」とどれだけ言われても、納得できず、結局は鬼コーチの怒声や暴力によって継続させられる。
 そして苦行を乗り越えた者が、確かに試合で安定したフォームを見せる。
 世界の盗塁王福本豊氏が野球解説中、ボソリと「走り込みが足らんねえ」と呟くあの感覚——努力は嘘をつかず、怠慢は一瞬に表れるという教訓だ。
 しかし私たちが学生だった頃、地道な努力の価値を論理的に理解できる者は多くなかった。だから暴力が支配した。

 では、今は何が変わったのか。

◆「知識の共有」が暴力を不要にした
 現代のスポーツ漫画やアニメでは、もはや星飛雄馬の大リーガー養成ギブスのような“根性装置”は出てこない。
 代わりに、スポーツ科学に基づいた基礎トレーニング、戦略、身体の使い方が丁寧に描かれる。
 今の青少年は知っている。
 上達には地味な努力が必要で、その効果にも科学的理由がある と。
 その結果、昔であれば暴力が必要だった練習も、説明次第で自発的に継続できるようになった。
 教える側も変わった。
 従来の練習に論拠がなかったわけではないが、その論拠を言語化し、学習者の理解を促し、ときには「これは大谷翔平選手も取り組んでいた練習だ」と魅力的に示すといった、「知をどう伝えるか」という技術を磨くようになった。

 暴力が批判され、変化が求められたことは確かだ。
 しかし本質的には、教える側も教わる側も、昔に比べてずっと“頭が良くなり”、知識をうまく扱えるようになった結果である。

 差別も偏見も、他者との違いを知り、理解し、その知識を処することが、成熟した人たるものの常識(絶対的マジョリティ)となれば、かなり低減できるのではないかと私は信じる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」

 ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」には、2つのバージョンが有る。一つは、ここに掲載したルーブル美術館所蔵のもの、今一つは、ロンドンナショナルギャラリー所蔵のもの。圧倒的に、このルーブル所蔵の方が有名であるが、ナショナルギャラリー版を見ないとわからない謎が一つ有る。聖母子像のスタイルとして、マリア、イエス、そして洗礼者ヨハネは、どれかわかるのだが、右手のランドセルを背負っている女性は誰?という話。
 実は、ナショナルギャラリー版では、この女性の背中には翼が描かれているのである。つまり彼女は天使。その名は、ガブリエルともウリエルとも言われているがはっきりしない。
 面白いのは、ルーブル版の方が後で描かれたのだが、ダ・ヴィンチが、彼女の翼をマントで隠したことだ。「天使が、それとわかる姿で、容易に人間界をうろつくものか?」という、科学者の一面を持つ彼らしいリアリズムである。
 論理的で知識が豊富な科学者は、「頭が硬い」と思われがちだが、知識があるからこそ、このような突飛で柔軟な発想が浮かぶのだろう。
 そして、30数枚しか描かれなかったというダ・ヴィンチの作品のうちの、2枚が、両方とも、500年以上の時を超えて今なお現存するからこそ、この感動を味わえるわけである。
 地球上に生きる数億種の生物のうち、生殖機能を失っても生き続ける生物は、人間を含めて数種しか居ないそうだ。それは、我々が、遺伝子だけでなく「知」を継承する種であるからであろう。

自己承認欲求と貢献欲求

1 おしゃべりモンスター
 子どもの頃から、母や兄弟によく言われた。「お前は人の話を聞かない」と。
 確かに、気をつけるようになるまでは、相手の話を途中で遮って自分の話を始めてしまうことが多かった。だが、彼らが思っているほど私は聞いていなかったわけではない。
「今の話を繰り返せるか?」と問われたら即答できたし、「遮ったとき、相手の言いたいことは分かっていたか?」と聞かれても、やはり即答できただろう。
 私は幼いころから物語が好きで、しかも読んだ話をほとんど覚えていた。いわば“小話博士ちゃん”だった。
 兄に読み聞かせてもらったイソップ童話から始まり、グリム、アンデルセン、そしてギリシャ神話、北欧神話、日本神話へ。自分で本を読むようになると、星新一赤川次郎小松左京。長編を読む集中力はまだなかったが、短編という短編を山のように読み、覚えた。”アラビアンナイト”ほどではないが、数百の小話を語れたと思う。
 他人の話も、三割ほど聞けば大筋がつかめてしまう。だから、後続を聞かずに次の話を思いついてしまう。後に発達障害と診断される異常な理解力は、そのせいかもしれない。
 そして、頭の中の膨大なエピソードは、誰かの言葉の一片で弾かれ、表に出ようとする。黙っていればいいのだが、「自分が面白いと思う話は相手も面白いに違いない」と思い込んでしまい、つい話してしまう。しかも、多くの人がそれを楽しんでくれた。遮った相手でさえ、続きを聞きたがることが多かった。

 だが、そんな自分勝手な会話が許されるのは小学生までだ。中学に入ると礼儀を覚え、相手の話を聞くようになった。ところが、聞けば聞くほど、脳内の小話がフックを掛けてくる。話したい衝動が倍増した。やがて軽いイジメに遭い、親しい人としか話さないよう制御する術を覚えたが、たまに他人と話すと決まって言われた。
「君って、こんなに面白い人だったんだね」と。
――話のネタは、確かに面白かったようだ。

 社会に出て、人との関わりを持つように会話を交わすようになると、初対面の場から必ずと言っていいほどムードメーカーになった。宴席で話題が途切れそうになると、控えめに、それでいて皆が興味を持てる話を放つ。空気は一変し、笑いが起こる。
 それは、運動神経に恵まれなかった私に、神様が与えたもう一つの“身体能力”だったのかもしれない。
 だが、夜学に通ううちに私の好奇心は世界の根源へと及び、相対性理論から素数分布、認知科学まで踏み込むようになった。
 もはや宴席の話題には収まりきらず、酒が入るほどに言葉数は増えていった。

2 おしゃべりバスターズ
 入社後しばらく、私の“コミュ力”は無双だった。
 どんな話題でも的確に入り込み、場を盛り上げた。
 しかし、ほどなく評価は二極化した。
 「楽しい人、ムードメーカーだ」という声と、「自己主張が強くてうるさい」という声。
 新しいコミュニティに入ると、最初は前者が先行し、やがて後者が増えていく。
 どうやら私は、誰とでも分け隔てなく話す性格が、特定の誰かにとって“脅威”になるらしい。
 中学時代、クラスの人気者と親しくなり、彼の取り巻きにも親しまれたが、それ以外のクラスメートとも親しくしていた私が、クラス委員に選出された途端、その人気者に嫌われるようになり、取り巻きもそれに追随し、やがてクラス全員が加わるいじめへと発展した。

 社会人になっても構図は同じだった。
 私は誰かを貶めたこともなく、仕事もきちんとこなしていたのに、やがて“うるさい人”と見なされた。それは、私の話術が、私が何者であるかを知る前に人気が先行してしまい、それを妬むバスターを産んでしまうからだ。
 やたらととおる声(おそらく倍音と呼ばれるもの)を持っていたのも、考えものだった。職務上の指示伝達では有用なのだが、バスター達にとっては、「耳障りだ」でしかなかった。

 さらに厄介なのは、嫉妬だ。
 私は男女を問わず話をするが、好奇心の強い女性ほど知的な話を楽しんでくれた。
 それが一部の男性の逆鱗に触れたのだろう。
 “おしゃべりバスターズ”は、誇張や揶揄を織り交ぜて、私を「虚飾の人」と評して陥れ、何度も私を「人気者」の座から「嫌われ者」へと転落させた。

 ――おしゃべりモンスターは孤独だ。
 いつも妬まれ、足をすくわれる。

3 蜘蛛の糸
 こうして多弁地獄に堕ちた私は、発言を抑えようと必死だった。特に声量には、気を遣った。だが、「声が大きい」と言われ続けた。
 声の大きさは、身長が二メートルあるようなものだ。歌手なら武器になるが、日常では頭上(ヘルツ)を気にして生きねばならない。
 そんな苦労も知らず、人は言う。「声が大きいのはいいことじゃないか」と。
 私には、それが「太っているのは健康的でいいじゃないか」と言われるように聞こえた。
こういう人ほど、最初に裏切るし。
 そんな愚痴をこぼしても、多弁地獄は終わらない。
 私は好奇心も人一倍で、歳を追うごとにあらゆる分野で知識を蓄え、やがて“正義感”というやっかいなものを身につけ、上司にまで口を出すようになった。

 「どうして私はこんなに自己主張が強いのだろう。子どものころ、一度も褒められなかったせいか?」
 そう思い詰め、心療内科に通い始めた。薬で口数は減ったが、どこかで反動が出た。二年間のカウンセリングでも答えは見つからなかった。
 ある日、主治医に尋ねた。
 「先生、私はどうしてこんなに喋りたいのでしょう。何に不満があるんでしょうか。黙っている方が上手く行くという事もたくさん有るというのに。」
 主治医は少し驚いた顔で言った。
 「気づいてなかったのかい? 君は何も悪くないよ。君の衝動は、自己承認欲求ではなく“貢献欲求”から来ているからね。」
 「貢献欲求……初めて聞く言葉ですが。」
 「他人の役に立ちたいという欲求でね。君が好奇心を働かせて知識を追うのは、人に褒められたり、人を操ったりする事が目的なのではなく、人や、社会の役に立つためにそれを活かす事が目的だからね。むしろ、君の所属する組織は、君のような人間を重用しなければならないが、大きな組織ほど、“考えを持たない兵隊”を重用する傾向にあるからね。」
 その言葉に、肩の力が抜けた。「なるほど、戦時中の思想犯みたいなものですね。正しいことを言っても拘留される。」
 主治医は笑って言った。「まあ、あまり認めたくはないが、私は薬品を使って君の才覚を抑えている拘留者側ということになるね。でも、これは君の才覚が、勤務先との摩擦によって逸失されないように保護していると思ってもらいたいね。
 君の文章は素晴らしい。ブログを読ませてもらったが、もはや学者の域だ。どこで必要になるから、保全しておくべきだよ。ネットという多様な世界なら、君の才能を理解してくれる人もいるかもしれないし。」

――そうか。ブログに書き綴ることこそ、地獄に垂らされた蜘蛛の糸なのだ。
 私の背後には、知識やエピソード、物語が連なっている。それを乱暴に振り払えば糸は切れる。だが、慎重に息を殺して少しずつ引き上げれば、切れないかもしれない。
 若き日のトーク力を思い出し、ユーモアを交え、人に響く言葉に変えていければ――
 いつか、全てを引き連れて、その糸を登りきれるかもしれない。

ルノワール『舟遊びをする人々の昼食』

 

 先日、街角の開店したてと思われる小さなケーキ屋でこの絵柄の小銭皿を見つけた。
 店主らしき若い女性に尋ねると、「祖母からもらったものです」と言う。
 調べてみると、この作品が日本に来たのは二十年前。関西圏に来たのは、三十三年前。もし彼女の祖母が関西の人なら、孫の誕生よりずっと前に買ったものだろう。それを聞いたら、きっと彼女は驚くだろうな。そう思うと、開店祝いに贈られたものとしては、最高の一品に思えた。また小話を一つ仕入れてしまった。

 若い頃、私は男女を交えた交流会をよく企画した。中にはカップルになった人もいた。
ちなみに、画面左下で猫を抱く女性は、のちにルノワールの妻となるアリーヌ・ジェリコだ。
 嫌われ者になってからは、そんな交流の輪からも外されたものだが、私は、今も、楽しかった記憶だけを残そうと努めている。

諦めの荒野・試みの沃野

1 ついに女性宰相誕生か
 高市早苗さんが総裁選を制した。順当に行けば、日本初の女性総理の誕生か。どこまで、2025年というのは、プレミアムがつくのだろう。
 ちなみに私は、アンチ安倍派なので、小泉氏を応援していたが、民主主義は開票が終わればノーサイド。選出された方を素直に支持する。それに、彼女は、安倍氏の一番弟子だと思っていたが、よく聞くと、同期当選の盟友だった。ずいぶん長い間勘違いをしていて、失礼をした。
 弟子と盟友では印象がまるで違う。
 安倍一強と言われた時代、私は彼の手法には、どうしても不信感を否めなかった。結果として、一連の不祥事が発覚し、政治と信仰の関係において、国民の信頼を大きく揺るがすことになる。そして、その弟子・取り巻きも、結局、同じようなことをしていた。
 しかし、私が調べたところでは、高市氏は、一連の不祥事とはほぼ無関係のようだ。

 さて、日本初の女性宰相となると、女性陣は色々期待するかもしれないが、私の見る限り、彼女は、あまりそこには手をつけないだろうなあと考える。政策はあくまで、必要で優先的なものを、それは、男が立とうが女が立とうが同じことである。彼女はそこを分けられる人材だ。問題は逆に、女性らしさを表に出して、あざとい技を使うのを嫌うのではないかという点を危惧する。
 対米交渉においては、トランプ大統領のようなプライドの塊は、女性が女性らしく接してあげれば、例えば、「頼もしいですわ〜」とハートの目を向けてあげれば、結構骨抜きにできそうだ。
 ん?どこかで「女性蔑視だ。」という声が聞こえてきそうだが、男女共同参画社会を含む「ダイバーシティ」とは、互いの長所を生かし、短所を補うことを言う。「女性だから、女性のための政策を」とか「女性らしさを武器にするなんて、はしたない。」などと言っている人は、多様性が生み出す美しいケミストリーを知らない可哀想な人々だ。
 
2 私の男女共同参画社会論
 2022年。女性の社会的自立を支援するという名目で導入された新しい社会保険制度は、これまでのパートレベルの稼ぎで満足していた女性に、保険制度を適用し、103万円を超えたら、130万円まで、働き損という『タートルネック』(つまり、稼ぐほど首を締め付けられるような構造的圧迫を生む仕組み)を課し、「少し家計の足しになれば良いというだけで、あくまでスタンスは、家庭の堅守である。」という女性特有の願望を無視し、「働きたいなら一人前になれ。」という強引な平等政策だった。
 全ての女性が、出世を望んでいるのではない!と強く反発を覚えたものだ。

 ただ私の周囲には、家庭を重んじ、出世や高収入を望まぬ女性たちも居たが、女性登用の象徴的存在――いわゆるロールモデルとして紹介されるような、栄達した女性たちも居た。
 双方の意見を聞く中で、共通した一つの不満が有った。
 「男性の育児参加を否定するつもりはないけれど、根本的な問題の解決にはなっていない。本当に問題なのは、妊娠・出産・育児によって、どうしても生じてしまう三年前後のキャリア的なハンデである。」
 その証拠として、家庭を重んじる女性は、課長以上のポストには就けず、ハイキャリアの女性の9割はお子さんをお持ちでなかった。
 私はずっと考えてきた。彼女たちに必要なのは、単なる機会の平等ではなく、条件の公平を整える仕組みなのだと。
 公平と平等は似て非なるものである。平等な機会を利用して地位を高めようとすれば、女性は往々にして「女性としての一部」を犠牲にせざるを得ない。これでは、男性が作った社会の中で、男性のルールに従って出世しただけに過ぎず、言わば“男性化した女性”を生み出す構造である。
 本来目指すべき男女共同参画社会とは、女性が女性のままで、男性と対等に競争できる社会であろう。そのためには、出産前後に生じる三年程度のキャリアダウンを補う公平な仕組みづくりが欠かせない。

 そしてこう思うようになった。もしかして、「出世に興味がない。」と言っている女性たちの中にも、このどうしようもない不動のハンデが存在するために、思考停止に陥っているだけの人が含まれているのでないかと。逆に言うと、そのハンデを補う事ができれば、最初から出世を望まない女性も減ってくるのではないか?タートルネックをつけて強引に自立させなくても、十分、男性に負けない労働力となりうるのではないかと。
 ただし、家庭円満を至上とする考えに異論はない。何をどう繕っても、共働きになれば、子供は必ず寂しい思いをするし、意思疎通に弊害をもたらすことはあきらかであるから。
 ただ、今は、働こうとする女性にとっての、あるべき条件・地位・仕組みといったものについて語っている。

3 我が組織での取り組みについて
 私たちの組織では、組織理念の理解や、組織が抱える問題について意見を交換する機会が、一回1時間から2時間、年に2、3回のペースで、設けられている。系統が別々で初対面の人ばかり、数人で話す。導入当初は、まるでまともな議論ができなかったが、最近は、ちゃんと予習をしてくる人も増え、質の良い議論をする。何より、普段話さない人といきなり議論をすると、これほど話が噛み合わないものかと、笑ってしまうほど思想・信条に違いが有り、たいへん興味深い。先日、ちょうど「男女共同参画社会」について意見を交換した。

 現在、我が組織では、「ダイバーシティ推進プログラム」「キャリア形成支援制度」と言った取り組みが試みられている。これは、妊娠・出産・育児による3年のブランクを補うために、①高高度業務、例えば本店司令部、本庁・本省へ出向して、これに従事させる。②リモートワークにより、最新端末の仕様に遅れないようにする。というものである。
 この活動について、どのように考えているかと言う意見交換だ。
 参加者の中から、いくつかの疑問点・問題点が提示された。
 実は、この活動について、ずっと動向を見守っていた私は、どうも今回の予習頭だったようで、それぞれの問いに回答する立場になってしまった。
① 高高度業務への従事
Q:短期間の従事で、どれだけの効果があるのか?
A:昔から、見込みのある若年層を幹部候補生として、本店へ釣り上げる ことは珍しくなかったです。20代後半から30代で従事すれば、2年間コピー機の前に張り付いているだけでも、現場での5〜6年の経験に匹敵するものを得られます。
 その要因は、現場の雰囲気。
 誰もが、支店ではエース級です。若干足の引っ張り合いもありますが、非常に仕事に対する情熱と意識が高く、知識も豊富で、インテリジェンスです。
 次に、組織の指令が、現場の無理解な中間幹部のフィルターを通さずに聞けること。数字を求めているのではなく、目的のために目標が設定されている事を理解するでしょう。そうした経験が、視座を高めて、現場で、管理職に就く器を育てます。

Q:しかし、そのような経験は男性だってしたいでしょう?
  これは女性からの質問だった。
A:確かに、このような不平等とも取れる人事について、一部の男性から“スカート人事”と揶揄する声も出ています。(彼女も「それそれ」と言わんがばかりの様に大きく頷いた。)
 しかし、考え方を変えて見てみましょう。
 目が不自由なら、メガネをかける。耳が遠くなったら補聴器をつける。妊娠・出産・育児でキャリアハンデを負うなら、これを補填するプログラムを組む。男性は、子供を産まない。子供を産まないのに、このプログラムを受けるのは、足が不自由でもないのに、車椅子が欲しいと言っているようなものです。
 多少、不適切な表現かもしれませんが、ゴルフのレディースティーに文句をつける男性がいますか?とも言えます。
② リモートワーク
Q:リモートワークという方向性は以前から進んでいますよね。
  それで補うことはできないのでしょうか?
A:キャリアの育成には、困難な課題について、他者と協力して解決していく経験が重要です。リモートワーカーが、課題が困難になればなるほど、疎外されるのは、技術的な限界であり現実でしょう。
 現状の技術で、リモートワークに期待できることは、職場を取り巻く環境の変化や、アップデートされていく端末(ハードウェア)に、遅れさせない事くらいではないかと考えています。

 私は司会でもなければ、年長者でもないのだが、私の思想の実現に近いとも言えるこの取り組みを理解してもらいたいし、誤解してもらいたくないと言う思いで答弁した。まあ一応、司会役の人は、何度も資料を見ながら頷いていたので、議論の方向性としては合っていたのだろう。

4 諦めの荒野・試みの沃野
 私の的確な回答に、男性参加者は感心し、制度の正当性を理解していくように見えた。
 しかし、女性参加者の表情は、徐々に強張っていくように見えた。
 「勘違いしないでください。組織の方針は、女性に選択肢を与えているだけで、この方向性を目指せと言っているのではないのです。家庭を重視し、情緒豊かなお子さんを育てたいと言う方々の選択は、当然尊重します。ただ、古い因習がはびこる中で、これが当然と、最初から諦めている人を救いたいと言う気持ちも有るのです。」
 つまり、身構える必要など、どこにも無いですよということは、十分に伝わったようであるが、それでも、彼女たちの顔色はあまり晴れなかった。
 日本社会における彼女達の立ち位置はあまりにも長く固定されていたため、彼女達は、そこからの「解放」というものが、なかなか飲み込めなかったのかもしれない。
 
 パラダイムシフト(構造的改革)というのは、時として、当事者の心の準備を待たずに訪れる。思考停止から生じていた、諦めの荒野は過去のものとなりつつあり、女性たちは、家庭という安心・安全を堅守するという既存の価値観に留まるか、未確定要素盛りだくさんの、試みの沃野へ進むべきか、という選択を迫られることになるわけだ。しかし、それはきっとこれまでに無い、魅力的な悩みだと私は思う。

 そして、私はずっと待っている。
 女性の持つ独特の異能、すなわち、緻密なスケジュール管理、一目で人の顔と名前を覚える観察力、継続性・集中力・危機管理能力、そして怖いほどの嗅覚、それらが、古い因習からいつまでも抜け出せない、プライドと縄張り意識に支配された“ゴリラ社会”に、革新の風を吹き込む日を。

ドミニク・アングル「泉」

 西洋絵画には、女性の裸体を描いたものが多い。絵画好きの私がそれらの作品を知らないわけではないのに、このブログで紹介することはほとんどない。裸婦像と言うのは、芸術家の究極のテーマであり、人体解剖学なども駆使して、凝縮した技術が詰め込まれていることが多いので、芸術性という面でも評価は高い。それでも、私があまり紹介したがらなかったのは、「なぜ、人体を描くことが究極の芸術なら、裸婦像ばかりがもてはやされるのか?」という点にある。結局、裸婦像に対して、邪な意識を排除しきれていない鑑賞者が存在するわけだ。「男の裸を見て何が面白い。」・・・まさに男性社会の縮図である。
 ただ、巨匠アングルのこの「泉」は、女性の妖艶な表情に反して、その肉体美の表現により、あたかも、大地から湧き出る泉、「生命を与える存在」として、観る者を誘惑するのではなく、むしろ畏敬を呼び起こす。
 男性はいつまで、女性のことを邪な対象として見続けるのか、女性はいつになったら、女性本来の美しさによって、その虐げられた現状を覆すのか?

 高市氏は政治家だ。男性のルールの中で、登り詰めるしか方法はなかったであろうし、しばらくは、そのルールを守るべきだろう。組閣が始まり、いきなり女性色を宣伝するようなことは賢明とは思えない。優先すべき課題もあることだし、それこそ、“今は”、女性らしく、男性に花を持たせて、持ち上げておいて、したたかに、かつしなやかに、水面下で女性の地位向上を図る――そんな宰相が現れたなら、日本の政治はようやく新しい泉を湧かせることになるだろう。

澪標の先が見たくて

 「澪標」とは水路や港において、航路を示す標識である。
 2025年は、私や私の家族にとって大きな転機となるような年だった。年始早々、私達夫婦の転居に始まり、妻の通勤先も変わり、娘と息子は西へ東へ大異動が有って、まあ予定の無い週末が無いと言う、大変な年だった。関西万博も有ったし、そこへ、阪神は巨人の記録を超える「最速優勝」を果たすと言うインパクトを加えてくれた。いつか、人生という川を下ってきた軌跡を振り返るとき、さぞや,この2025年には、でっかい澪標がそびえているのだろう。
 さて和歌では、この言葉は、『身を尽くす』の掛詞としても用いられる。私は若い頃からこの言葉に縁があり、最近テレビドラマで源氏物語の『住吉』が紹介されたのを機に、一稿を投じる決意をした。
 ところが、思うところが多過ぎて、なかなか文章がまとまらなかった。
 試行錯誤の末、個人の可能性や限界をテーマとしているChapter4に相応しいものとして、自分の受験体験から得たものについて語ることにした。

1 勉強はやりたいからやるもの
 大阪は今も水の都だが、航路を示した澪標はほとんど残っていない。しかしその姿は市章として受け継がれている。
 私は、これをシンボルとする大学に憧れ、これを目指した。

 私の高校は、お世辞にも進学校とは言えず、開校11期目まで4年制国公立への合格者はゼロだった。しかも、私は、どうにも既成概念や集団圧力というのが苦手で、学校とやらに意義を見出せず、ズル休みをするか、行っても居眠りばかりしていた
 ただ私には、風変わりな家庭教師がついていた。
 私に彼は言った。
 「嫌いなものを続けても、結局身につかない。まず勉強というものに動機付けをする事。
 だいたい既成概念が好かんとか言うやつは、逆に好奇心が強い。例えば、三角関数がなんの役に立つんや?とかどうせ思っているやろう。」私は大きく頷く。
 彼は答える。「君は、幅の広い川を渡って、向こう岸の城を攻めようとしている将軍だ。川の正確な幅を知りたい。そこで、こちらの河原の2箇所から向こう岸のある一点を見る角度を測る。すると、2角挟辺の定理により、三辺の長さと、角度を知る事ができる。その垂線が川幅というわけだ。」
 今の歳になっても、「勉強のどこが面白い?」と人に聞かれたら、この話一つで、大体の人の心を掴める。彼の思考は、万事この調子で、本当に勉強を楽しんでいた。
 彼のおかげで、まともに授業を受けようともしない私だったにも関わらず、受験を始める頃には、国公立大学を狙える程度の学力を保持していた。

 しかし、なんと言っても、国公立の試験は、受験の最終盤に当たる。それまでに合格や就職が決まった者が、どんどん、スゴロクでいうところの「アガリ」になっていくわけである。進学校ならまだしも、我が校のような、進学率が4割を下回るような高校では、終盤になるに連れ、戦友が激減するわけで、国公立を目指す者は孤立していく。
 そこで、我が校は、初の国公立合格者を目指すべく、国公立受験者の特別教室を開放し、勉強会を定期的に行うことにした。しかし、発足当初から、学年500人のうち、希望者は、50人を切るという、厳しい状況だった。私もそれに参加したが、ほとんど家庭教師から与えられた宿題をする時間にあてていた。
 家庭教師に志望校を聞かれた時、「澪標の大学に行きたい」と答えると、家庭教師は笑った。「相当勉強好きになってもらわなあかんな。」彼は敢えて教えてくれなかったが、そこは国公立でも難関校だった。彼は週2回4時間の授業のほか、毎日10時間以上必要な宿題を課した。量は膨大だったが、どれも次の授業に直結しており、クリアするたびに先が開ける感覚が有った。
 当時は、RPGというものはなかったが、彼の学問に対する理解はそのようなものだった。
 確か、ドラゴンクエストのクリアの商品は、ダンジョンの地図だった。あれを見て、ゲームの全容を理解できた時の感激は忘れない。私の家庭教師は、きっと、受験までのロードマップを握っていたのだろう。
 私は次第に夢中になり、徹夜も苦にならなくなった。仲間は模試結果に落ち込み次々と脱落していった。
 「進学校じゃない君らが、望みのない勉強を続けるのは苦行や。私学なら2科目で秋には合格できる。それを横目に5科目はきついわ。でも、勉強はやりたい奴がやるもんやからね。」
 確かに、私は不思議と2科目が羨ましいとは思わなかった。家庭教師についていくうちに難問が解けるようになり、それが楽しかった。まずは「共通一次」と言うリングに立つ。それが最低限の目標だった。
 しかし、年末、挑戦者の中から国家公務員試験の合格者が出た。開校以来の快挙で、教員たちの一定の満足感を得てしまった様子に反して、勉強会の参加者の間では、自分たちが進んでいる道は、一択で正しいのか?という不安が広がった。最終盤までの確信と結束が重要であるにも関わらず、かなり動揺が広がっていった。

 実は、この公務員試験に合格したのは、私のことで、私は私で、これによって、周囲の空気がガラリと変わってしまった。
 結束すべき仲間からは、「お前はもう勉強せんでええやろう。なんでまだ勉強会に来るの?」と言われるし、友人は待っていたかのように「遊びに行こうぜ!」と誘う。
 一番こたえたのは両親の言葉だった。「もう無駄に受験料払わんで済むなあ。」
 私は、就職するために勉強したことなど、1時間も無い。私はただ共通一次の舞台に立ちたかった。1日10〜15時間の勉強、シャーペンの芯30本が1ヶ月で尽きる日々。すべては澪標の先にある知の海を旅するためだった。
 周囲が祝福する中、私はひとり孤独だった
 しかし、家庭教師は、まるで意に関せず、年が明けると、さらにギアを上げた。今度は時間制限付きの訓練。新しい知識より速度重視の演習。副教科も宿題に加わり、私は勉強会からも姿を消した。人と話す暇もない日々だった。
 思えば家庭教師は、私が余計な雑音に惑わされず最後まで走り切れるよう、強烈なラストスパートをかけてくれたのだろう。

2 澪標の先の景色
 最終的に、私の学力では昼間部には届かなかったが、夜間部が私を受け入れてくれた。
 学生証を受け取ったとき、校章に飾られた澪標を見て、『これが欲しかったんや』と呟き、その先に広がる知の大海に思いを馳せた。
 当時、公務員は「安心・安全・定時退庁」の象徴だった。私には「安心・安全」に関心はなかったが、定時退庁は夜学に通う者にとって願ってもない条件であった。
 だが、配属されてみたら、新人は、雑用係で、先輩たちのサービス残業が終わるのを待って、後片付けをする習慣とか、時代はバブル絶頂期という事もあって、残業しない日は、歓楽街に繰り出すというのがセオリーだった。私は、「学生さん」と命名され、出席が必要な授業のある日は定時退庁を許されると言った具合であった。
 夜学といえども、昼の部と同じ卒業証書を得る以上、簡単には単位をもらえる状況ではなかった。ギリギリの出席率を維持しながら、断片的な情報と、教科書となっている講師の著作を基に自習した。それでも、単位の取得率が悪く、留年寸前だった。
 卒業したところで、給料が上がるわけでもない。時折自分に問う。「なぜ俺はここに居る?」
 しかし、そこには、私の好奇心に応えるものもたくさん有った。高校では聞いた事もない歴史の真実、社会のカラクリ、世界の成り立ち。知識の蓄積が次の課題を理解する力となる。そして、私は、「学を修める」と言うこととは何かということに気づき始める。単に知識を得ることではなく、理解し、掌握し、自在に活かせるようになることである。
 資格やスキルを得るために、10万円くらいの講習に通う事があると思う。大学というのは、年間30万円(当時)で、11〜15個くらいの、スキルの取得にチャレンジしているということだ。贅沢な話ではないか。
 なるほど、家庭教師が「勉強はやりたいからやるもの」というのも納得が行く。
 色々しんどい事も有ったが、大学で得たものは甚大なものであった。

 ただ、残念だったのは、職場では問題の本質を考えたり、命令の本来的意義を理解したりするような姿勢は、あまり歓迎されなかった。
 「常に問題意識を持って創意工夫を。」などとお偉いさんは訓示するが、実践して良い事など一つも無いことをみんなが知っていた。
 歯車として、言われた数字を出す事が求められるのは、サラリーマンと変わらない。
 でも、役人というものは、やはり、問題意識を持たないサラリーマンであってはいけない。
 「吏は民の本綱なる者」であり、「善く吏たる者は徳を樹(た)て、吏為る能わざる者は怨みを樹つ」(いずれも韓非子五十五篇より)。この言葉を座右の銘にして恥じない役人で居続けられたのは、大学で得た多大な知識と、その後も好奇心と学ぶことへの渇望を持ち続けられたためであろう。

ゴッホ「星月夜」

 定期異動の時期になると、毎回、自分の人事カードとキャリアシートの確認を求められる。そこに記された、最終学歴を見るたびに苦笑する。「果たして、こいつに注ぎ込んだコストに見合う何かを私は得られているのだろうか?」と。
 しかし、その大学名を見るたび、あの澪標の校章が目に浮かぶ。そして、ちょうど、秋の訪れを告げる近頃になると思い出す。
 母校のシンボルとも言える時計台の校舎の上を掠める中秋の名月は絶景だった。
 苦労ばかりの夜学だが、「これは夜学ならでは、だよな。」と感じた。

 「天行有常、不為堯存、不為桀亡」(韓非子五十五篇・天道篇)
 天の運行には一定の法則があり、聖王堯のために存続するのでも、暴君桀のために滅びるのでもない。自然の景色は平等に存在し、見られる景色はその人の心がけ次第なのだ。

 澪標のために「身を尽くし」、そこで観た「星月夜」を忘れない。それだけで、私の人生は上々なのかもしれない。