説難

e-Taxは一日にして成らず 2日目

1 初回来署型
 2006年、政府は行政手続きの電子化について、具体的な数値目標を掲げる。確定申告等重点項目は、5年以内に50%という目標が掲げられた。これを実現する戦術として掲げられたのが、署相談に訪れる納税相談者の教育であった。
 作コナの当初の名称は、「初回来署型・確定申告d作成サイト体験システム」であった。
 その意味するところは、「初回だけ、非常勤職員を含む税務職員等が、その操作を指導・支援するが、翌年以降は、自宅からの送信を促す。」というものであった。わざわざ、アプリの起動パスワードが「Shokai(現在は違う)」となっており、“このサービスは、初回だけ”という意識を内部の者しか知ることのないものに仕込んでいる時点で、上庁の絶対的命令の徹底を示していた。

 しかし、翌年配属されてきた、私の一つ年上の連調官は、この戦術について懐疑的であった。「申告書の仕組みすら知らず、毎年タッチパネルで作ってきてもらった人達が、一度作り方を説明したところで来年まで覚えている事は難しく、ましてや(まだまだ初期設定が複雑だった)、電子申告を行うなんてありえない。」
 彼は形だけは上庁の命令に従い、作コナによる指導・支援体制を設けながらも、別の戦術を進めていた。
 すなわち、税理士や、自主的に郵送で申告を続けてきた人を対象にした講習会の充実だ。なるほど作り方がわかっている人達なら、後は設定の仕方を説明してあげれば、電子申告へ導くのは、署相談に来る人よりもずっと近い。私はこの考えに賛同し、その講習会場の設営、資料作成や講師を行う、別動隊に専従していた。
 そして、その道を歩む中で、私は初回来署型の参考から、来年の電子申告者が現れる可能性の低さを痛感していた。
 例えば、電子申告を行うには、まずサイトに入るだけではダメである。IDパスワードを作り、ソフトを動かす資源をダウンロードし、インストールするなどと説明すると「ダウンロードとインストールは何が違うんだ」と言う質問が普通の時代であった。
 「家電屋さんで大きな液晶テレビを買って家に持ち帰ることがありますよね。これがダウンロードです。その後配線をつなぐのに業者に頼む位難しいですよね。これがインストールです。」といった具合に説明するものだから、昨年とは大違いに、私は連調官の超お気に入りだった。

 しかし、事件は、事前相談会場で起き始めていた。比較的パソコンに詳しい職員が連調官の指示の下、少しでも電子申告に近い人間の指導に割り当てられている分、相談会場には作コナを指導する人間が極端に少なかった。
 結果、どういうことになるか、そう指導したり、支援するよりも、こっちで打ってあげる方が早いと言う結論に至っていたのだ。もはや“操作補助”とは言えず、完全に「代打ち」が当然になってしまっていた。
 みんなタッチパネルの時よりも大喜びだった。住所氏名も手書きで書かなくていいわけだし、彼らが持ち帰る作コナの打ち出す「申告書控」は、とてもきれいで、例年の大業を成し遂げた満足感をもたらすのに貢献した。
 「新しいパソコンの時代になると、自分で操作しなければならなくなりますよ。」と、昨年散々脅していたが、何の事はない、やっぱり作ってくれるんじゃんと言うことになってしまった。。
職員の間でも「初回来署型どころか、来年もドーゾ型じゃねーか!」と言う強い批判が出ていた。
 私はあちこちの説明会場を回り、自分で何とか来年は自宅から送信しようと一生懸命メモを取る人たちを見ながら、どうして相談会場の職員たちは、せめて住所と名前位自分で打たそうとしないんだと考えていた。

2 代打ちの仕組み化の定着
 期前相談の時期が終わり、私たち説明会チームも相談会場に配備される頃には、代打ちは完全にシステム化を極め始めていた。特に、タッチパネルの頃は、単に申告に必要な書類を分類するだけだったものが、「提出書類整理票兼添付台紙」というものがすごい進化を遂げていた。
 この台紙は、本庁が、作コナに合わせ、画面のステップの通り、添付書類を確認していくために考案したものであり、本来、納税者向けのものであったが、いかんせん文字が大きく、ケースごとに違うものを渡さなければならないという煩雑性を持っていた。
 これを、職員及び非常勤用に改良したもので、字は結構細かいが、大半のケースに当てはまり、作コナの操作を熟知しているものには、とてもわかりやすく整理されており、これにより、控除漏れや打ち間違いを防ぐように工夫されていた。
 さらに、その台紙は「このような申告で来られた人はこのような書類が必要である。」といった部分を強調するようにデザインされていた。これは待ち時間の間に必要な書類を準備させると言う工夫でもあった。相談会場の人間は、打ち方の怪しい人にパソコンを打たせ肩越しに説明するような技術はなかったが、それなりに来所者に申告の仕組みを伝える努力を怠ってはいなかったのである。
 ちなみに一緒に自宅から電子申告を行うためのリーフレットも配られていたが、このリーフレットは会場の出口のゴミ箱にたんまり捨てられていた。
 代打ちのほうは、もっぱら非常勤職員の仕事となっていた。私たち職員は持参された書類をいかに素早く分類し、添付書類以上に必要な数字がわかるように配置し、場合によってはホッチキス留めし、重要な数字に赤丸をつけていた。そのため「書類整理コーナー」と言うカウンターが設けられ、その前に行列が並ぶ方式になっていた。
 私もその「書類整理コーナー」を担当していた。作コナの動きをほとんど記憶している私にはとてもよくできた添付台紙に見えた。
 ちょっとした自慢だが、私の書類整理は他の人と比べて圧倒的に早かった。レジを並ぶ客が時々「こちら空きましたよ。」と呼んでもそちらにはいかず、レジ処理の早い従業員が立っているレジを待つことがある。同じように他の人が「こちら開きましたよ。」と呼んでも、私の処理を待つ人がいたのが面白かった。

 確かに代打ちを続けていればリピーターは減らない。戦略的には大きな損失になる。しかし、この添付台紙が洗練されて行けば、相談会場に来る前にある程度準備をしてくれたり、順番を待っている間に自分で書類を整理するような場所を設けるという作戦も考えられる。などと、私は次の作戦を考えていた。
 その年、さらに将来を期待させてくれたアイテムがここで生まれている。
 喫茶店のメニューのようにラミネート加工された形の、「ID・PW設定(初期設定)ガイド」である。これは、本人に、住所・氏名を入力させ、PWは任意だが、迷ったら、署名や自分の名前+誕生日という、今では決して許されない優しい選択肢を明示していた。相談会場の担当も、何も考えていないわけでない。常に変化を求めていた。

3 一番槍の向こう側
 翌年、作コナも降臨して3年目になると、この傾向はさらに顕著になっていく。
 折しも、内部事務が独立し、新たに管理運営部門が設立され、現場には新しい時代というものが、まさに音を立てて差し迫っていた。多くの職員から、新しい知識をいち早く会得し、「一番槍」を立てようと言う野心が漲っていた。
 普通の人ができるようになったものには食指が動かない私は、戦術が進化していくことを歓迎するだけで、たいしたアイディアは提示しなかった。
 ただ、一つ気がかりなことがあった。彼らのアイディアは、いずれも効率を追求するものだった。しかし、その効率化は、本当に納税者の利便性の向上につながっていたのだろうか。

 そんな中、私は期前相談会場が閉会すると、留任した連調官の命令で、署に戻された。
 電話相談が増え始めたのだ。相談会場に設けられている作成コーナーは、相談会場用に特化して開発されているので、実際のインターネットで見るサイトとは若干違っている。たいした違いでは無いのだが、その小さな違いに多くの職員が戸惑いを感じていた。
 例えば、本番のe-Taxでは、電子申告送信後、アンケートが設けられている。来署型にはそんなものはない。納税者はこのアンケートをどうしたもんかと聞いてるだけなのだ。
 私は自分でも初期設定から電子申告の送信までチャレンジしているし、講習会で何度も他人が送信しているものを見ている。送信後の画面も送信後にしなければいけない。メッセージボックスの確認もちゃんと知っている。
 わからなければ、本番e-Taxの操作マニュアルは、同じサイトに公開されている。
 少し、一番槍を目指している人たちの真意が見え隠れしているようで複雑だった。

 ところで、操作マニュアルにも例外が有った。税理士が行う「代理送信」の場合の送信後の資料だ。これは、どこを探しても見当たらなかった。
 同じ年にe-Tax電話相談コーナーが設立されていたのでそこへ尋ねてみた。しかし即答できないということで折り返し連絡となった。そして私は自分の所属する税務署の番号を言ってしまった。すると、電話相談コーナーを統括している偉いさんから、私の所属する税務署の総務課長に電話がかかってきて、「職員だったら自分で調べろ。」とずいぶん厳しいお叱りを受けたらしい。
 「自分で調べろと言うなら、画面資料をマニュアルに載せとけって言うんだ。お前たちまでユーザーの立場を忘れてどうする?」という怒りに駆られたものだ。
 やむを得ないので、他局の同僚等にも相談した。でもその資料はなかなか見つからなかった。結局その前の年に講習を行った時、知り合った税理士さんからいただけることになった。下手に他局の同僚たちに相談していたために、私が彼らにその資料を配信する羽目となった。もちろん個人情報はマスキングしてある。

 「相手の立場に立て」と人は簡単に言う。しかし、想像では人の立場に立てない。情報が必要なのだ。道なき道を進む本当の「一番槍」はいつも泥まみれだ。

4 非常勤職員慰労会
 電話応対に追われつつ、要領の掴めない内部事務に奔走する中、バレンタインの日にチョコレートをくれた非常勤職員の女性から連絡があった。
 申告期間が過ぎたら、仲間を集めて慰労会をしませんか、というものだった。
 私は、特定の人を呼んで行うと、来年のリピート率に影響を及ぼす。それに、私は前半しかいなかった身だから、相談会場チーフのH先輩を通すべきだと考え、彼のメールアドレスを伝えた。

 後で聞いた話だが、彼女は現役の大学生で、期中会場に移ってからは、覚醒したように人数をこなし、三十代、四十代の非常勤職員をぐいぐい引っ張っていく存在になっていたらしい。

 程なくして、非常勤職員の慰労会が開かれるという噂が囁かれるようになった。しかし、私には招待の声がかからなかった。
 ところが、彼女から直接、日時と場所を確認するメールが届いた。参加してもよさそうだったので、顔を出すことにした。ホワイトデーのお返しもしていなかったことだし。
 残念ながら、多忙のため、三十分ほど遅れて到着すると、参加者はほぼ全員がそろっていた。そんな中で、H先輩がだんじりに乗ったようなはしゃぎようだった。きっと、自分の運営がこの結果を引き起こしたと思っているのだろう。

 「あれ? 君、呼んだっけ?」
 確かに、私は期前相談しか参加していない。私はただ、彼女に会いに来たまでだ。

 彼女の周りに集まっていた非常勤職員たちは、私を見るなり、彼女の横の席を空けた。どうやら、彼女たちの間では、この慰労会が開かれるきっかけとなった経緯は、すでに知られていたらしい。しかし、職員側には、そんな事情を知る者はいなかった。
 彼女たちの計らいもあって、私は彼女としばらく話すことができた。

 「期中会場では、大活躍だったそうやね」
 「皆さん、期前会場で教えてもらった気遣いを忘れているようでしたので、私はその仕組みを復活させたり、応用してみただけです」
 彼女が語った「気遣い」とは、行列に並んでいる人に添付台紙とクリアファイルを渡し、「立ちながらなので無理はせず、出せるものは出しておいてください」「証明書のハガキの宛名の方は不要ですから、カットできる人はカットしておいてください」と声を掛けることだった。
 また、一定の年齢の人には、少し早めに空いているパソコンへ案内し、ラミネート加工した「ID・PW設定ガイド」を渡して、「これを設定しながら、担当者が来るのを待っていてください」と伝えていたという。

 「気遣いねえ。あれは、こっちの都合でものを考えているだけだから、気遣いと言えるのかなあ」
 「声の掛け方が違いました。あなたは決して無理強いはせず、それでも『皆さん一人一人が少し準備するだけで、この行列はもっと早く進みます』とも言いました。ハガキを落としてしまった人のところに行って、不要な方をカットしながら、『無理はしなくて良いですよ』と、その人のクリアファイルに入れてあげていました」

 「どうしたら、あそこまでできるのだろうと考えて、わかりました。あなたはきっと、皆さんと一緒に並んでいるんだ、と。そう考えれば、私にも真似ができました」

 とんでもない美談になっている。

 私は、次の戦略に必要となるので、行列の待ち時間を如何に利用するかについて、試行錯誤していただけだ。
 待ち時間を無駄に感じているのは、こちらの論理である。多くの人は、例年のこととして受け入れ、読書をしたり音楽を聴いたりしている。説明書など渡されても、「メガネを忘れた」という人もいる。そんな情報を収集していただけだった。
 「気遣い」などと言われると恐縮する。

 しかし、韓非子『喩老』篇は言う。
 「目は自らの睫を見ず」
 彼女の目に、私の睫毛がそう見えたのなら、良い誤算だったのだろう。

 しかも、彼女は、知識も経験も劣るのに、会場の雰囲気を和らげ、他の非常勤職員を牽引したという。役人の都合が見え隠れする私と違い、彼女は本当に、行列の人たちの待ち時間を減らそうと努力したのだろう。だからこそ、来所者の心も動かせたのかもしれない。
 戦場で汚れてしまった私には、真似のできないことだった。

5 表彰
 さて、役人の都合で、行列に果敢に話しかけていた私は何をしていたのか?
 私は、現状の「代打ち」は、緊急処置であり、継続すると危険と考えていた。リピータは増大し、援軍は来ない。これを脱却する戦術が必要だった。そこで、目をつけたのが、行列の待ち時間だった。しかし、前述した通り、純粋な心を持った大学生でもいない限り、集団心理は変えられない。私は、将来来るこの問題の解決策を模索していた。

 ところが、びっくりたまげることが起きた。
 国税庁長官が、大阪局における電子申告の急速な普及を称え、表彰してしまったのだ。
 これはいかん。
 その数字は、「代打ち」によって作られたものだ。電子申告の普及を示す数字ではあっても、納税者が自ら申告できるようになったことを示す数字ではない。
 それなのに、表彰は、その数字を生み出した方針に、お墨付きを与えてしまった。
 冒頭で語った、「初回来署型どころか、来年もドーゾ型じゃねーか!」という批判も、いつしか鳴りを潜めていった。
 こうして、「代打ち」は、批判されるべき例外的な措置から、表彰によって正当化された成功事例へと姿を変えてしまったのである。

「発見のモニュメント」ポルトガル

同 ディテール

 観光雑誌や教科書に載っているのは、圧倒的に、この人物像のディテールの方だろう。私も、これしか見たことがなかった。だから、実物を目の前にして、その全体像がこれほど巨大なものだとは知らなかった。
 あの長大な頂は、何を意味しているのだろう。帆船の帆なのか、それとも別の何かなのか。設計者が、そこにどのような意図を込めたのか、私には分からない。
 ただ、発見の劇的なシーンを表現する人物たちの上に、これほど長大な頂がそびえている。その姿を見て、私には、偉大な発見ですら、まだまだ道半ばであることを示しているように感じられた。
 長官表彰をいただき、喜びに沸く私たちは、e-Taxが切り拓くはずだった新しいパラダイムの高さに比べれば、あまりにも低い場所で万歳三唱をしていたのではないだろうか。
 「目は自らの睫を見ず」
 ここでも使える言葉だな。

乱世の奸雄・治世の能臣

 「乱世の奸雄・知世の能臣」とは、三国志の神将・曹操につけられたあだ名である。それは、「平時なら優秀な役人であったろうが、乱世に生きたがゆえに、悪知恵や権謀術数を働かせることにその才が振るわれた」という意味を持つ。

1 乱世の奸雄
 私が入庁した頃、単独で調査に出るまでは、かなり丁重な準備期間を頂いていた。
 1年3か月に及ぶ教練を積んだ後、各署に配属されても1年から2年内部事務をして,調査班に配備されても2、3件の同行指導を受け、ようやく単騎出陣となる。

 先輩たちからは、この間「役人は、嫌われてなんぼ。我々は役人の中でも雄一、人が、命の次に重要視する「お金」という財産に直接手を突っ込むわけだから、対象者も厳しい感情や態度になる事もある。言葉遣いや振る舞いには重々気をつけよ。」と教わっていた。一度臨場に出れば、そこは戦場であると言われているようなものである。

 初陣の日、私は、十分な準備とシミュレーションをして臨場した。おかげで、質疑は半日で済み、狙っていた科目で非違事項(問題点)を把握した
 しかし、署に戻ると、統括官から、「聞き忘れたことがありました、と言って、もう一度行ってこい」と言われた。こっちの話は全く聞かずだ。
 統括官も先輩達も、怒っているようで愉快気だった。なぜなら、私が初心者にありがちな過ちを手本のように示していたからだ。

 最初に見つかる非違事項を国税では「端緒」という。それは,それだけかもしれないが、何か大きな誤りによって起きてできた綻びの過ぎない事が多い。だから一つ端緒を見つけたら、その解れの先を見極めてこなければならない。
 新人の多くは、一つの誤りを見つけるとそそくさと帰ってくる。そうさせるのは、現場の強烈な圧迫感、アウェイ感、そして恐怖である。

 私は少しすねていた。私は臆病な性格だが、それは運動神経にコンプレックスが有るからで、銃も刀も無い戦場にひよったつもりは無かった。一応話くらい聞いてくれれば良いのに、しかも妙にからかったような雰囲気も気に食わなかった。
 しかし、午後から、端緒をたぐって行った結果、非違事項は、午前中の6倍になった。
 改めて、自分がどれほど、戦場を離脱したいと考えていたかを悟り、震えながらも戦場に残る勇気の重要性を思い知らされた。

 この経験以来、私は「退かぬ勇気」を身につけようとした。知識を蓄え、相手の行動を予測し、質問を考え、言葉を選び、表情や仕草を観察する。時には、ハッタリも使ったし、少々のズルもした。
 そうやって私は、戦場で生き残る術を覚えていった。
 当時の私は、特別に正直な人間だったわけではない。ただ、嘘をつくのが下手だった。だから、嘘をつかずに相手を追い込む方法を考えた。

 先輩たちは、そうやって言い訳を紡ごうとする私に対し、「至上の命題は、誤りを正すことであり、区区たる理由などさほど重要ではない。」と、とにかく勇気を称えた。
 当時は、個人事業者の帳簿も今ほど精緻ではなく、調査する側が強く踏み込むことも、ある意味では当然のように受け止められていた。奸雄が求められる乱世だったのだ。

 そんな頃、私は6歳年上の女性調査官、S先輩と知り合った。
 女性の調査官がまだ珍しかった時代に、彼女は男顔負けの調査力を発揮し、時には「ガサ」と呼ばれる強制的な調査にも躊躇しなかった。
 私は、そんな彼女を見ながら、「そこまでやるか」と思ったこともある。

 しかし、彼女は、私のような後輩のやり方にも関心を持ち、こちらが工夫しているところをよく見ていた。「争わない方向性を探すことは決して悪いことではない。しかし、私たちは、対象者だけを見ていてはいけない。むしろ、大半の国民が、私たちに厳しさを求めていることも忘れてはいけないと思うわよ。」
 なかなかに慧眼のある言葉だと感じた。ただの勢いだけの奸雄では無いと感じていた。

 S先輩は、やがて「士官学校」へ進んだ。
 そして、そこで彼女は、私が想像もしなかった世界を見つけることになる。

2 治世の能臣

 卒業直後、とある席でお会いしたので、士官学校のことなどを尋ねてみると、
 「私はあそこで、別の地平というものを見つけてきたわよ。」
 と言っていた。
 ほどなくして、彼女は法律問題がこじれた時にそれを検討する、審理担当という職務に就いた。

 私達の組織で栄達するには、大きく二つのコースがある。

 華々しい戦果を立て続けに上げる「官軍系」と、本店の官房で経験を積んだり、その数年分に匹敵するスキルを短期間で取得できる士官学校を通る「官僚系」である。
 審理担当は、官僚系にとって大きなアドバンテージを得るポストだ。「正義なき権力は暴力」を標榜する以上、これほど最適なポストはない。

 しかし、戦場で戦果を上げる官軍系は、ほとんど、このポストに就かない。
 「力なき正義は無力」を標榜する彼らにとって、煩わしい「手続きという知識」は、かえって現場判断を鈍らせる。乱世の奸雄にとって、ジュネーブ条約は疎ましい枷なのかもしれない。
 その結果、審理担当の多くは、名だたる戦果を持たない。
 にもかかわらず、審理担当は、戦場で危険な任務にあたるソルジャーに対して、「やりすぎです」「法令に違反しています」と注意する役割を担っている。
 「戦場に出たら、30分も立っていられないような連中が、あれはダメ、これは足りない、やり直し、て、うるせえんだよ。」
 とまあ、そうなるわなあ。

 しかし、この対立を、両派の当事者だけの問題とするわけにはいかない。
 現場で勲章を立て続けに手にするような者は、お上品な「お勉強の座敷」に上げてもらえない。そこには、勉強のできる者は現場で数字を上げられない、という昭和の思い込みが、いまだに人事の根底にあるのではないかと感じている。結果的に、両派の分断は止む気配が見えない。

 しかし、バブルが弾け、公務員がバッシングされる中、納税者の権利意識も高まった。消費税の導入などを経て、レジが普及し、記帳精度は上がってきていた。時代は、乱世の奸雄より、治世の能臣へと移りつつあった。いつまでも両派がいがみ合っている場合ではなく、互いに足りないものを補完し合うことが求められていた。

 2年後、S先輩は、複数の署の審理担当を束ねる審理専門官という役職に就いていた。
 よほど勉強したのだろう。こういう人が、ソルジャーの気持ちも分かりつつ、戦場に秩序を届けてくれるのだろう。私はそう思っていた。

3 重加算税はそんなに簡単に課せんぜい

 ここで、重加算税について、誤解されてるところが多いので、説明をしておこう。
 国税通則法68条は、事実の「隠蔽または仮装」があった場合、過少申告加算税に代えて35%の重加算税を課す規定である。

 一方、70条は、「偽りその他不正の行為」が認められる場合、通常3年間遡ることができる調査年分を7年間に延長できる規定である。

 ところが、この二つを取り違えている税務職員が少なくない。
 「わざとやったら」「悪いことだとわかっていてやったら」重加算税だと言われたことはないだろうか。
 しかし、それらは「偽りその他不正の行為」の問題であって、それだけでは重加算税の要件を満たさない。

 仮装・隠蔽というからには、何を、どのように仮装し、あるいは隠蔽したのかが問題になる。ところが、もともと日々の記帳をせず、年末に慌てて数字を集めているような個人事業者については、隠蔽・仮装の対象となる事実そのものが、明確でないことも少なくない。
 法人の経理は違う。複式簿記という、小さなミスやごまかしがすぐ綻びとなって現れる仕組みのおかげで、「正確な帳簿」が普通の世界である。だから法人の調査で売上除外などの不正が把握されると、それは仮装・隠蔽に直結しやすい。

 これをどう勘違いしたのか、個人課税職員が、なんとか法人課税のように「重加算税」を課して成績を良く見せようとした。その結果、生まれたのが「質問応答記録」という自白調書だ。

 納税者本人に、
 「私は、わざと、悪いことと知って、売上を除外しました。だから、いかような処分も受けます。」
 と言わせ、印鑑を押させる。すると重加算税を課せるという。
 待て待て待て待てい!
 それは「偽りその他不正」の証言であって、「仮装・隠蔽」など、どこにも存在していない。

 とまあ、どうしてこの話をしているかというと、ある時、S先輩が、私のいる署に審理研修の講師として来られたのである。

 「お久しぶりです。」
 「久しぶり。ちゃんと聞いといてや。居眠りしてたら、後で指すからね。」
 そう言われて受けた講義で、この重加算税の話が出た。
 乱世に秩序をもたらす、官僚系のホープだ。きっと、無茶な重加算税の賦課はやめなさいと言ってくれるのだろう。私は期待していた。
 ところが、語られたのは、おぞましい自白至上主義だった。
 がっかりした私は、すっかり眠ってしまった。

 「はい。だいたい、こういうことになりますが、そこで気持ちよく眠っている人は、理解できましたか?」
 宣言通り、当てられた。
 私は答えた。
 「まず、68条の要件と70条の要件が混同されています。事例のケースでは、68条重加算税は課せません。そもそも、質問応答記録だけをもって厳しい行政処分を課すことは危険です。憲法38条は、証言のみをもって罪を問うことを禁止していますが、これは刑事罰のみならず、国権の発動たる行政処分全てに適用される、と私は考えています。」
 ここで憲法を引き合いに出すのは、士官学校独特の思考である。周囲は「なんでここで憲法やねん?」という反応だった。
 しかしS先輩は平然と受けて、
 「確かに、その考えは尊重すべきです。しかし、それでは、面前の明白な悪意を放置しろということになりませんか?」

 私には、いくらでも反論の余地があった。しかし、ここで先輩をやり込んでも誰も私を支持しまい。
 彼女が何を考え、どこまでの覚悟を持って、あの講義をしていたのかは分からなかった。少なくとも、憲法という言葉に反応しているうちは、まだマシだろうと思った。
 もっとも、私は、個人事業者に重加算税を課すこと自体に反対していたわけではない。その後、会計ソフトが急速に普及し、正確な帳簿を備えた個人事業者も珍しくなくなると、私自身、重加算税を課すことに納得できる事案をいくつも経験することになる。
 あと5年、いや、せめて5年早ければ。今でも、そんな思いが残っている。

4 ケルン(Cairn)

 士官学校では、法の美しさを学ぶ。私たちは、その理想的運用の世界の夢を見させられる。しかし現場では、それは「綺麗事」と言われる。
 じゃあ、なぜそんなことを教えるのか。
 綺麗事を捨てて出世していった者を、私はたくさん知っている。
 しかし、彼らは全てを失ったわけではない。剥がされ、脱がされ、引き裂かれながらも、小さな綺麗事を頂上まで持ち込む。それは少しずつ積み上がり、山頂に飾られるケルンとなる。

 S先輩は、その後すごい勢いで出世し、局の審理課、税大主任教授、数署の署長を経て、女性としてかなり稀有な、局総務部広域公聴専門官という役職まで上り詰めた。そこは、もう我が組織内の最高裁判所のようなポストだ。
 彼女もまた、全てを失ったわけではないだろう。その前人未到の頂にケルンの一つ目を置いたとしたら、それは、とても気高い功績だ。

 小さな綺麗事ひとつ捨てられず、60前で、部下一人いない私は、いくら法律の美しさを語ったところで何にもならない。

 いずれ、治世の能臣の時代が来た時、そのケルンが道標となろう。

アルフォンス・ミュシャ「ヒヤシンス姫」

 ヒヤシンス姫は、画家の生まれ故郷チェコで作られた演目の一つである。鍛冶屋の娘が魔法使いにさらわれ、魔法によってヒアシンス姫とされ、癖の強い求婚者たちに翻弄される物語だ。
 大国の間に挟まれ、その都合で翻弄されるチェコという国の実態を語ったかのような物語である。
 しかし、ミュシャが描いたヒヤシンス姫は、その物語に登場する受動的な存在とは真逆で、ゆとりのある笑みを湛え、不敵な眼差しを向けている。
 その姿は、理不尽な運命に翻弄されながらも、精神的には勝利している女性を想起させる。

 S先輩が退官される前年、電車でばったり会った。
 お互いの近況を話していると、私の職務に関連することで聞きたいことがあると言って、質問してきた。それは、当時署長になっていた彼女が、地域の有力者を通じて普及させようとしている、納税者の利便性を図る政策の件だった。

 話が高度すぎて、「そんな話が進んでいることを初めて聞きました。」となったが、質問そのものはマシンの技術的なことだったので、「その進め方で問題はありません。」と答えた。
 「ありがとう。どうも機械は相変わらず苦手でね。」

 管仲の聖と隰朋の智とを以てして、其の知らざる所に至れば、老馬と蟻とを師とするを難(はばか)らず。韓非子五十五篇・説林上。

 人に傅き尋ねることを憚らず、なお、精神的には勝利している。
 全く変わっていない。
 でなければ、あの高みにまで到達はできまいな。

クロマニヨン人は、事実でないことを語れる

1 冤罪の裏にある役人の都合
 2025年、障害者福祉事業所の女性職員(当時16歳)が暴行容疑で誤認逮捕され、その後不起訴となったものの、精神的ショックによる摂食障害(PTSDなど)で約半年後に死亡したのは兵庫県警や神戸地検の違法捜査が原因だとして、遺族が国と県に損害賠償を求める国家賠償請求訴訟を起こしました。
 現場、事件の発端となった暴行の通報した通報者は、自身の誤認を認めて遺族に謝罪しているため、女性職員の冤罪は明白となっている。だが県警としては、結果論であり、福祉施設の暴行の未然防止の観点からやむを得ないところが有ったと主張するだろう。
 遺族側は、事前の確証、裏付けも無く、本人を始め、多くの関係者が、当該事実の不存在を訴えていたのに、なぜ、発端となった通報者の捜査もせず、拘留延期までして、未成年が、10キロも体重が減るまで、取り調べを続けたのかを追及するだろう。

 もし、当該事件の関係者かお知り合いの方はこのブログに目を止める機会がありましたら伝えてください。
 『その論点で争っても、亡くなった少女は救われません!』
 福祉施設での暴行・虐待の案件は、昨今問題になっていますが、子供の虐待事例同様、警察にとっては、とっても認定が難しい割に、手遅れになると必ず、警察はひどく叩かれます。しかし、共通した問題として、被害者の証言に確証が得られにくく、加害者周囲が様々な都合で、加害者を庇う証言をしたら、手が出ません。
 そういう意味では、警察の抜き打ち逮捕、施設側の嘆願無視もある程度理解されてしまうのです。
 しかし、今回のケースは違う視点で、モノを見ないと危険です。

 警察官も馬鹿じゃない。今回逮捕した少女は施設長の娘で、幼少より施設の人たちと関わりがあり、利用者の利便・不便を熟知し、施設職員だけでなく、利用者からの信頼も厚かった。これに対し、通報者の通報の信頼性は、正直、福祉施設関係者を疑うくらいの視点で見れば、至って信頼性が低い。
 私の予想では、逮捕から三日以内には、「誤認」であるという結論に至っていたのではないかと思う。とは言え、善意の通報者に、「あなたの言っている事は本当に事実ですか?」とも聞けない。それも人権侵害だからね。
 ここで本来警察が取るべきだった行為は、施設に対しては「こちらの過剰反応だった。」と頭を下げ、通報者には、「逮捕して、48時間以内という規定の中で努力しましたが、起訴に至る証拠が出ず、立件出来ませんでした。何か他に証拠はありますか?」という、それが、法令通りの対応だったのだ。
 しかし、彼らはそうしなかった。なぜか?

 たった一言、被疑者の少女が「誤認されるような行為をしたかも」と言えば、警察だけがトンマで貧乏籤を引いたような話は、180度変わるのだ。
 福祉施設にはそれなりの注意をし、通報者にも顔が立つ。
 これこそが、逮捕直後には「誤認」の可能性が有った事案を、歪曲し、福祉に熱心だった若者を死に追いやるという重大な社会的損失に導いた、『役人の都合』であり,一億数千万円では、誰も救われないと私が最初に言った理由だ。

 この裁判で問われるべきなのは、まさに「いつ、誰が誤認の可能性に気付いたのか」ではないか。

 弁護士だけではダメだ。警察の内部の問題を調査するには、司法の公権力が必要だ。警察の冤罪問題に詳しい検察官を選び、調査に当たらせるべきだ。
 警察内部の調書、動画、データ、メモを押収し、事件担当者だけでなく、事件を知る全署員を取り調べ、どの時点で「誤認」の可能性に気づき、誰が、もはや虚偽でしかない“証言・自白”を手に入れるような方針を指示したか?
 この案件は、警察が呼吸をするように起こしてしまう冤罪の典型的ケースなのだ。
 悲しいことに、今回、その被害者に死者が出た。だからこそ、この機を逃さず、司法はその因習にしっかりタッチすべきなのだ。
 私は同じような仕事をしているから知っている。彼らは、ある勘違いのために、これを正しいことだと信じている。彼らだけではない、私たちの組織も、国民の多くも同じ勘違いをしている。だから、このような残酷なことが、呼吸をするようにできるのだ。

2 証言なんてものは、なんの証拠にもならないという鉄則
 憲法38条3項にこうある。
 「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」
 国民の多くが、そして法を扱う役人の多くも、「証言」は重要な証拠だと思っている。
 しかし、私が思うに、裁判において、「証言」なんてものは、クリームソーダのさくらんぼうのように、人によっては、邪魔なだけで、クソの役にも立たないものなのだ。
 私は、税務訴訟以外の判例を、それほどたくさん読んできたわけではない。それでも、冤罪事件の判例と、それ以外の事件の判例を見比べたことがあるが、冤罪事件以外では、「証言」という言葉はほとんど出てこなかった。
 ファクトチェックのため、大阪地裁本年1月から8月末までの殺人事件を調べるため、「死亡させ」のキーワードで検索。致死を含め、5件の事件がヒットした。全文PDFについて語句検索をかけた。4件でヒットしたのは、本人の反省の証言1件。ところが、再審請求事案では、90個もヒットした。
 確かに、刑事裁判では、自白による「秘密の暴露」というのが有る。半径2キロ以内に刃渡り15センチの凶器を探せと言われても、それは本当に、物理的に見つからないわけである。本人の証言があって初めて見つかる。これは、証拠力を感じる。
 しかし、有名な、袴田さん事件では、証拠の写真を見せられ、「はい、それを穿いて犯行を行いました。」という証言が、物証と結び付けられ、冤罪となった。
 まあ、判決文を検索して、語句検索で、「証言」がいくつもヒットするような事件は、危ないという証明だ。

 ドラマ「VIVANT」を見ている人は多いと聞く、公安外事課と言われる、日本の表の諜報機関の職員(阿部寛さんが演じている)が、とある組織に潜入し、超高度AIの嘘発見器の前で、証言の信ぴょう性を試される。訓練された彼は、見事にこの試練を切り抜ける。ところが、死んだはずの相棒が握っていた暗号キー(π)により、極秘連絡の客観的証拠を突きつけられ、何も言えなくなる。
 訓練されれば、人は、自白剤だって、超高度AIだって騙せるのだ。ところが、たった一つの客観的証拠の前では、何一つ反論できなくなる。
 証言というものの脆さを感じたのは私だけかもしれないが、日本の憲法は、80年以上前に、「証言を重視する愚かさを心の髄に刻め」と国民全員に訴えているんだと、私は思った。
 にもかかわらずどうだろう?世の中、どいつもこいつも、証言させたら勝ち、証言したら終わりと勘違いしている。
 しかし、実際には、「証言」などというものは、至って主観的で、本人次第で、事実にも虚構にもなりうるものなのである。

 少し話が飛ぶが、表題の件を回収しておこう。人類と言うのはもともと40種類ぐらいいたらしい進化の過程で39種類が絶滅し、クロマニヨン人の子孫である、我々ホモサピエンスのみが生き残っている。
 最後の決勝戦に残ったのはネアンデルタール人だ。彼らは我々のよりも大きな脳みそを持っており、死者を埋葬したり、抽象的な表現を理解できたりしたと言われている。にもかかわらず、肉体的にも劣る我々クロマニヨン人に駆逐されてしまった。それはなぜか?
 歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『サピエンス全史』で紹介されている、4万年前のクロマニヨン人が利用していたとされる洞窟から発見された、顔がライオンで、体が人間の彫像。通称、ライオンマン。
 ハラリ氏は、これを“虚像・フィクション”と呼び、これを扱えた事が、クロマニヨン人の勝因であると言う説を述べている。
 「兵法は詭道なり」は、『孫子(始計篇)』にある極めて有名な一節である。戦におけるフィクションは、戦局を支配する。フィクションを理解できなかった、あるいは巧みに操れなかったネアンデルタール人にクロマニヨン人の戦術は、まるで読めなかっただろう。

 というわけで、その子孫である。我々は、事実でないこと、フィクションを語ることによって進化してきたわけである。嘘を言うことが悪いことだとわかっていても、必要な時は使うのである。困ったら言いたくない嘘をつくのである。こんな簡単な原理がなぜわからないのか?
 良いですか、みなさん。証言などというものを金科玉条のように尊んでいるということは、その人はネアンデルタール人だということです。
 まぁ、高卒の行政官は、ネアンデルタール人でもいいですけど、司法試験を通った裁判官や弁護士・検事がネアンデルタール人では困りますなぁ。でも、それが現状。だから、彼らに言ってあげなければいけない。憲法38条3項を知っていますか?あなたたちはなぜネアンデルタール人が生き残れなかったか知っていますか?と。

 いい加減、皆さん、クロマニヨン人の子孫としての誇りを取り戻しませんか?

3 証拠のかけらにもならない証言をなぜ書面に起こす
 これは私の職場で行われている問題で、後日「重加算税はそう簡単に課せんぜい」と言う投稿を執筆中で、そこでも出てくるのだが、本人が悪いことをしたと認めた時、私たちは「質問応答記録」と言う、まぁいわゆる自白調書を聴取する。これは、我が組織の内規において、“裁判において、証拠資料として用いられる場合があることも踏まえ、聴取せよ”と定められているからなのであるが、判決文に登場することはある。しかし、私がこれまで重加算税の争訟事例を調べてきた経験からすると、質問応答記録そのものが決定的な証拠として扱われている例は多くない。

 じゃあなんでそんなものを作るのか?・・・さあみなさん、次がテストに出ますよ。

 これは本人に裁判に訴えさせないための詭道である。
 行政処分は、不服があれば、申し立て、審査請求を経て、裁判に持ち込むことができる。しかし、この自白調書をとっておくと、結果として、本人に「裁判にでは勝てない」と思わせる効果を持っている。

 質問応答記録は、事実に即して作成される。でも、本人の言葉をそのまま起こしたものとは言えないのは、取られたことのある人はきっと知っているだろう。重加算税を課すのに必要な客観的証拠を補佐するようにこちらで作文をし、「異論はありますか?」と尋ねてサインをさせる。交通違反の切符を切られたようなもので、誰もその中身を一生懸命読んではいない。
 税金を誤魔化し、しかも工夫を凝らして仮想・隠蔽したのだから、罰金を取られて当然。その気持ちは、それで合っている。泣いて反省する行為者を何度も見てきた。行政官としての仕事はそれで十分。過去を精算し、来年からちゃんと申告すれば良いのである。
 しかし、上司からは、そこへ塩を塗るような「質問応答記録」の聴取という命令が飛んで来る。何時間も掛けて、文章を練り込んだ作文が回ってくる。単に、裁判を怖がる又は面倒がる役人の都合で、泣いて反省する行為者にさらに、“脅し”をかけるのだ。
 これは、税務署・警察だけがやっていることではない。おそらく、監督官庁と呼ばれる役人の多くが、それが正しいと信じて、呼吸をするように毎日行っている。

 ここで大事なのは、やっている役人も脅されている国民も、証言というものがそれほど重いものだと勘違いしているために起きている現象であることだ。そして、その勘違いの行き過ぎが冤罪であり、ついに、前途ある若者が犠牲になったということだ。

 最後に、この悪循環を正す処方箋を示しておこう。
 行政を正すのは、司法の役目。憲法38条の意義を全国民に知らしめるのも司法の務め。今回の裁判、もし、司法が動かないなら、日本という国は、ネアンデルタール人として衰退していくだろう。

ランシスコ・デ・ゴヤ「1808年5月3日」

 本作は、1808年5月2日、ナポレオン率いるフランス軍の占領下にあったスペインで、市民によって起こされた反乱を描いた連作の一つである。1枚目が反乱を起こす市民を描いた「1808年5月2日」、2枚目が翌5月3日、反乱が鎮圧され、フランス軍による市民の処刑が行われる場面を描いた本作である。いずれもプラド美術館に所蔵され常時展示されているが、圧倒的に、後者の方が有名だ。私も今回取り上げるまで、連作であることを知らなかった。

 この「1808年5月3日」は、「静と動を描いた傑作」と評されることがある。
 画面中央では、両手を大きく広げた男性が、恐怖と絶望に震えながら命乞いをしている。その一方で、彼に銃口を向けるフランス兵たちは、まるで氷か石像のように、無機質で無感情だ。
 多くの鑑賞者は、この絵を見れば、当然こう思うだろう。
 哀れなのは、両手を挙げている男性。
 そして、降伏した市民に銃口を向けるフランス兵は、なんと残酷な連中なのだろう、と。

 しかし、少しだけ見方を変えてみよう。
 この男性は、本当に無抵抗なのだろうか。
 前日の戦闘で、フランス兵を何人も殺しているかもしれない。
 両手を挙げてはいるが、まだ武器を隠し持っているかもしれない。
 もちろん、そんなことは絵からは分からない。
 だが、分からないからこそ、疑い始めたらキリがないのである。
 もしかすると、隊列を組んで銃を構えているフランス兵たちの方が、目の前の男を恐れているのかもしれない。
 戦場とは、そういう場所なのだろう。
 命のやり取りをしている以上、相手が何をするか分からない。自分の判断が間違っていたら、次の瞬間には自分が死ぬ。
 だから、人は怖くなる。
 そして、怖くなると、自分一人では判断できなくなる。

 これは、役人をやっていると、似たような場面に出くわすことがある。
 もちろん、命のやり取りではない。
 しかし、国家権力という強力な後ろ盾を持ちながら、所詮は生身の人間である。
 特に、こちらには圧倒的な状況証拠が揃っているのに、相手が頑なに否定してくるような場面。
 小さなミス、ちょっとした見落としで、この圧倒的な有利が覆されるのではないか。
 もしかしたら、自分の方が間違っていることにされるのではないか。
 そういう不安は、膨らむ。そして、大声で助けを求める。すると、後ろから「組織」が現れる。頼もしく隊列を組んでくれる。体制を立て直してくれる。
 そして、上司からの命令を待つ。
 その命令が「Go ahead」であろうと、「Cease fire(撃ち方やめ)」であろうと、当人は救われる。

 それが、軍隊的思考を共有する役所という組織の強さだと言う人もいる。

 しかし、そこに危険が潜んでいる。

 組織は、個人の不安を取り除いてくれる。
 同時に、個人が抱いていた「もしかしたら、自分が間違っているのではないか」という疑念まで、取り除いてしまうことがあるからだ。
 自分一人なら迷っていたはずなのに、後ろに組織が並ぶと、「これでいい」と思えてしまう。
 そして、組織は基本的に、自分たちに都合のよい選択をする。

 私は、今回の事件で自白を強要した警察官たちも、ひょっとすると、そういう「メカニズム」の中にいたのではないかと想像する。
 彼ら一人一人が、最初から少女を陥れようとしていたとは限らない。
 「もしかしたら、こちらの見立てが間違っているのではないか」
 その疑念を抱えたまま、組織の中で判断を続ける。やがて、誰かが「こういうことではないか」と言う。別の誰かが、それを補強する。上司が方針を示す。
 そうして、最初は小さかった疑いが、いつの間にか「間違いない」という確信に変わっていく。

 人間は、そういうことをする。
 だからこそ、人間の判断だけに任せてはいけない。

 こうした「疑い始めたらキリがない」という問題は、戦場でも同じだったのだろう。だからこそ、人類は戦争にもルールを作ってきた。1864年の最初のジュネーブ条約を出発点として、国際人道法は、戦闘員や非戦闘員、捕虜などをめぐる様々なルールを積み重ねてきた。もはや、人道精神を離れ、殺傷して良いケースを定めているようになっているところが皮肉なものだが、交戦当事者たちは互いに救われている。

 戦場で、目の前の相手が本当に敵なのか、攻撃してよいのかを、その都度、恐怖に支配された一人の人間に判断させていたら、どこまでもエスカレートしてしまう。
 だから、ルールを先に決めておく。
 これは、役所でも同じなのではないか。
 現場で困ったとき、組織に頼れば、上司の判断に自分の不安を預けることができる。しかし、それで思考停止してしまえば、組織全体が間違った方向へ進むこともある。
 だから、怖くなったときこそ、組織ではなくルールに戻る。

 疑い始めたらキリがない。
 だから、ルールがあるのである。

 怖くなったら、組織に頼るのではなく、ルールに従えばいいのである。

e-Taxは一日にして成らず 1日目

1 素通りの実演販売ブース
 その署の喫煙コーナーは、自転車置き場を改装して作ったようだった。三方を壁に囲まれ、屋根もあり、野球場のベンチのような造りだ。私は、中に入らず、壁の外側に寄りかかり、携帯灰皿を持ちながら一服していた。
 喫煙コーナーというのは、設置され始めた頃から、密談OKの憩いの場になっていたが、私は密談が苦手だったので、そうやって、外壁に寄りかかっていることが多かった。
 確かに、猛暑日は多くなったかもしれないが、20年以上前も今も、彼岸過ぎの日差しは、真夏に比べれば穏やかなものだ。

 「おう、個人の連調やないかい。2年目で多少は楽になったか?」声をかけているのは、他系統の幹部で、かけられているのが、我が系統の連調官という事だ。
 「2年目も何もありませんよ。毎年、無理難題を押し付けてくるのが、本店の仕事みたいなもんなんでしょう。今年は、確定申告相談会場に、30台のパソコンを配備して、その稼働率を報告させるそうですわ。」
 「あの、確定申告書を作成してくれるとかいう、ソフトが入ったやつか?」
 「まだ、画面資料も届かんし、旧式と併用やから、使い道なんかないですよ。」
 「ほんでも、君んとこは、ほら、東京の事務管(情報システム部門)帰りがおるって聞いたで。その子やったら、使いこなせんちゃうの?」
 おやおや、厄介なことに私の話のようだ。
 「いやそういう人もいるんですけど、私あの子嫌いですねん。」

 「!?」いや、こっちに来てから、あなたと会話を交わしたことありましたっけ?

 2001年、“蜃気楼”と揶揄された森喜朗内閣は、大胆なIT国家戦略を打ち出し、各省庁は、行政手続きのIT化に躍起になっていった。国税庁の情報システム部門(以下情シス)の急速拡大のため、東京国税局は、深刻な人員不足に陥っており、全国に人員派遣を要請した。大阪局は、年100人ずつ、3年で300人という大幅派遣を約し、これに応えた。私は、その第2陣、2年目の100人のうちの一人だったが、行き先は、その火の車になっている情シスの本部だった。

 内内示(家族にも内緒の内示)を受けた時、副署長に「私、パソコンなんかまるで素人ですけど」と泣き顔で言うと、
 「心配するな。君のケースは、本庁が進めるIT化戦略や命令を理解し、指示文書・行政文書を作成できる人員の補充だ」
 実際、急速に膨張した本庁の情シスには、システムを扱う専門家は大勢いた。私などより、はるかに優秀な人たちばかりである。ただ、それぞれの専門分野を越えて、本庁の戦略やセキュリティ規程、法律、規則、組織の仕組みまでを理解し、それを組織として動かせる形にまとめ、連絡調整する人材が不足していたのだ。
 「逆に言っておくが、ここは全国情シスの総本山。現場は常人離れした技官ばっかりだ。ゆめゆめ、それを理解しようなどとは考えないように!

 二年間、黙って上司の命令に従い、言われたことだけをしておけ。帰ってきたら、本店の係長か、支店の連調官なんだからな!」

 その言いつけをしっかり守っていれば、話したこともない連調官に嫌われるどころか、その連調官になっていたかも。

 結局のところ、お荷物30台のお守りは、私の担当となった。
 「初回来署型・確定申告作成コーナー用パソコン=通称:作コナ」との初のタッグだ。

 当時、確定申告相談会場には、「タッチパネル式申告書作成機」と言うものがあり、ATMのようなGUI(グラフィック・ユーザー・インターフェイス)、つまり、タッチ式の画面の操作に答えていくと、申告書を作ってくれると言う優れものがあり、相談に来た来場者は、皆この機械の世話になっていた。
 しかし、問題は、その操作をするのが、来場者本人ではなく、100%非常勤職員を含む、税務署側の人間だったことである。
 硬いことを言うと、確定申告書は、本来提出者本人が作成しなければならない。他人で、これを代筆できるのは、税理士の資格を持ったものだけ(税理士法 第52条)。
 この機械のGUIがなぜ、ATMのようにわかりやすくなっているか?それは、私たちでなく、納税者本人でも作成できるように、である。
 私たちが代打ちするのなら、Excelの画面で十分である。
 この悪しき慣習を取り除かんと登場したのが、タッチパネルのGUIを引き継いで、パソコンに埋め込んだ「作コナ」である。
 作コナと、タッチパネルとの違いは、このシステムが、相談会場用のパソコンにだけ搭載されているのではなく、ネットに公開されている“サイト”であるという点である。
 その売り文句は、「相談会場に来なくても、自宅で作成できる。」である。

 一応「新型申告書作成機コーナー」と言う看板付きのブースを設けてもらったが、最初は、20台の配備からで、担当者は何と私一人とアシスタントの非常勤1名だった。
 それもそのはず、運用姿勢は、まず例年通りタッチパネル優先。用事が済んで「ご用とお急ぎのない方は、よってらっしゃい、見てらっしゃい。」であるから、ブースに立ち寄る者など全く居なかった。
 それに、タッチパネルの前には、操縦席のような椅子があり、そこに税務署の人間(手練れの非常勤キーパンチャー)が頼もしく陣取っているので、みなさん大船に乗った気で、その列に並んでいる。それに比べて、こちらのパソコンは、20台に対し2人、つまり、頼もしく代打ちしてくれそうには見えない。
 「これが来年から主力になるんです。見ていきませんか?やり方を覚えたら家でも作れるんですよ。」と声をかけ、なんとか足を止めてもらおうと頑張る。
 本当は、「主力」どころではない。旧型のタッチパネルは、今期いっぱいで廃棄がすでに決定している。来期には、唯一無二の選択肢になる。しかし、残存を熱望する現場の声が残っており、公にはまだ発言できない。
 それから、みなさん、代打ちしてくれるから、タッチパネルの方が良いとお考えのようだが、その悪しき慣習を取り除かんと言うのが、「作コナ」の目的。来年からは、自分でマウス操作をして、入力することになると聞けば、もう少し、こちらのブースに興味を持たせることもできただろう。しかし、それも公には言えない。本庁が口酸っぱく、「タッチパネルは代打ち用に開発したんじゃない」といくら言っても、来場者にさせると、人数が捌けないと言う、効率化の原理のもとに、現場では、その命令は無視されてきた。
 「作コナ」は、代打ち禁止、と言っても果たして守られるだろうか?

 声掛けは怠らず続けたが、まるで素通りされるスーパーの実演販売ブースだった。
 やむを得ず、私と非常勤のアシスタントは、二人で、いろいろなケースを想定して、シミュレーションを繰り返すばかりだった。

2 壁いっぱいの地図とハンカチ大の地図
 これは、つい先日のことだが、Google AIと話していて、「下士官というのは、壁いっぱいに貼られた地図を見て、自分の任された目標の戦略上の意義を理解し、ハンカチ大の地図だけを持って現場に行くものだ。」と発言すると、えらく感激された。「組織論、戦略論の観点から非常に本質的で深い洞察を含んだ比喩だ。」と。
 本当は、大きな地図を見るのも、ハンカチ大の地図をドームルーペで見るのもうんざりなのだが、本庁の電話番(ヘルプデスク)をしていた私は、毎日、11局500署のアラートゼロ(オールグリーン)を保持するため、現場の下士官にそれを求め続けていた。

 きっかけとなったのは、アシスタントの非常勤さんの態度の変化だった。
 器量がよく、物覚えも良い女の子だった。冗談にもよく反応してくれるので、素通りの実演販売ブースと言っても、楽しいものだった。
 その会場の会期は、3週間。1週目が終わって、2週目に入った途端。急によそよそしくなった。冗談どころか、話しかけるのも迷惑そうだ。
 「私、ずっとこのブース担当なんですかね。みんな一生懸命働いているのに、毎日しゃべっているだけなんて。」
 おやおや、どうやら、二人で楽しげに暇を持て余していたせいで、この子に迷惑をかけてしまったようだ。
 この装備に、この陣営、私のことを嫌いな連調官は、どうやら本庁の押し付けも気に食わないようなので、成果を挙げる気はなかったのだが、国策の先陣に立っていることは理解していたし、ハンカチの地図は書けていた。
 2週目に入って、行列も伸び始めた。待ち時間は30分を超えただろうか?
 私は、行列に沿って、住宅借入金控除で来ている人を探した。大きな封筒を持っているから分かり易い。
 「もしかして、住宅借入金控除で来られた方ですか?」とそっと聞いてみる。当たりであれば、「どうですか?ここで待っている時間を利用して、あっちのパソコンで作ってみませんか?あなたの順番が来たら、ちゃんとここに戻れるようにしますし。」
 タッチパネルを待つ人たちは、事前のコーナーでまとめられた、提出書類をクリアファイルに納めて待っている。私は、すぐ後ろの来場者に、「すいません。この人をしばらく連れてゆきます。あなたの順番が回ってくる前には、戻ってきます。その時の目印としたいので、ご協力願います。」と言って、その人のクリアファイルを赤色に替えさせてもらう。
 住宅借入金控除は、総額200万円の税額控除である。タッチパネルのキーパンチャーも書類を確認する。時間のかかる客だ。だが私なら、その人を、パソコンブースに連れて行っている間に確認し、控除額まで計算できる。
 住宅控除を受ける人の多くは、働き盛りで、面倒なローン計算を必死でやってきた経験がある。パソコン操作はお手のものだ。
 「こちらに、ID・PWを登録する手順があります。住所と名前と・・」説明している間に、もう打ち始めている。さすがに、初めの頃は20分かかった。赤いクリアファイルを預けた人に、あの人は先に終わりましたので回収しますと言いに行けたのは、タッチパネルまで後数人のところだった。
 住宅取得控除は、その年の申告しか来ない。だから、多少代打ちも交えた。リピーターを作らないことが戦略的勝利である。そして、今は、このブースで、誰かがパソコンを触っていて、その人が、行列を並び切るより先に帰る所を見せるのが、戦術的勝利である。

 でかい封筒を持って、列の最後尾に並ぶ人を見ると、後ろに次の人が並んだタイミングで、ススっと寄って行って、同じことをする。
 インセンティブは人を惹きつける。目ざとい者は、何が起きているかを理解する。
 「俺は、住宅控除じゃないがあっちのパソコンでチャレンジはできるか?」と尋ねてくる人が出始める。書類を見てみると、年調済の医療費控除だ。こんな人、並ばせる方がかわいそうだ。
 タッチパネルは、住所・氏名を手書きする。なので、パソコンに誘導した方には、まず、住所・氏名を入力してもらう。これは、実は、ID・PWを設定する画面だ。これができる人なら、概ね歓迎だった。申告書自体の入力は、少し困れば、代わりに入力することを認めた。後に「代打ち」ではなく、「作成補助」と呼ばれる作戦である。
 赤いクリアファイルがどんどん増える。素通りの実演販売コーナーに列ができ始めた。私は、殊勝な態度で連調官に頼み込み、非常勤の増員を要請した。
 ターゲットはタッチパネルのキーパンチャー達だった。彼女たちは、半日または1日交代のローテーションを組んでいた。それだけ重労働のポジションだったのだ。
 「その息抜きの合間に、新機種の入力補助をさせる?」連調官は、訝しんだが、キーパンチャーは、申告書の構造を熟知している。何より、志願者を募ったら、彼女たちから、一斉に手が上がったものだから仕方がない。

 私は、彼女たちには、タッチパネルが今期限りで廃棄されることを伝えていた。
 運用レベルの裁量は、現場にあるかもしれないが、ハード機種の配備は、現場の要望如きで覆らない。だから、「君たちが得たスキルは、来年からこの端末で問われる。」と強い口調で断言できたので、2週目あたりから、操作方法を覗きに来る子が現れ始めた。
 そこで、私は、来場者の対応を引き受け、アシスタントの子に説明を依頼した。
 更に、「双方教え合って、タッチパネルとの違い、特にタッチパネルより劣る所を探して、そのカバーリングを考えて欲しい。」とお願いしたものだから、これまで、この会場を支えてきたメインキャストたちのやる気に火をつけた。
 更に、もう一つ仕掛けを入れておいた。実は、私は、両方の長所・短所、カバーリングを理解している。暇だった1週間、アシスタントにそれも教えておいた。彼女はそれを鼻にかけてマウントを取るような性格ではなく、むしろ、おずおずと正解であるアイディアを出すものだから、和やかな雰囲気の中、「1週間、勉強すれば、その域に達することができる」という、静かな闘志も生まれていた。
 
 3週目は、毎年、大変な混雑となり、タッチパネルを待つ列は、会場の外まで連なると言われていた。
 しかし、その年、4台稼働していたタッチパネルのうち、1台は、休眠していた。
 その年の4列目の行列は、「作コナ」ブースだった。
 だんだん、要領をつかんだ、場内案内の職員が、パソコンが打てる人をより分け、「作コナ」に誘導するようになったのだ。
 なお、この会場は、期前相談会場と言って、長い確申期の前哨戦。本番となる「期中相談会場」では、レイアウトから、その思想が取り入れられた。
 最初からこうすればよかったんじゃないか?という人もいたが、そこには、非常勤さんたちのノウハウの見事なバトンの受け渡しがある。

 まあ、「作コナ」初年度としては、どうにか上々の滑り出しだったかな。
 しかし、翌年、タッチパネルがなくなってしまうと、「作コナ」は、新たな難題に遭遇し、私が戦術レベルで押さえていた手抜きを戦略レベルに広げて行ってしまう。
 

ヨハネス・フェルメール「手紙を読む女」

 フェルメールの絵画には、よく地図が登場する。フェルメールの活躍した17世紀のオランダは、海洋貿易で財を成し、世界の中心とまで言われていた。その象徴として、地図の壁掛けが当時流行していたらしい。フェルメールは、背景であるにも関わらず、その地図を極限まで精緻に描いている。
 諸説争われているが、私は、フェルメールは「自国がどれほど精緻に世界を捉えているか」を表現していたのだと考えている。
 その、世界地図というバックグランドの前で、女性は小さな手紙に目を向けている。
 手紙も、フェルメール作品ではよく出てくるが、この絵画ほど、その内容が予想できないものはない。これも私の考察だが、この絵画において、手紙の内容は意味を持たない。世界という大きな地図を広げたまま、小さな目前の対象物に集中するという、人のみが与えられた異次元の交錯する風景が、日常のように描かれていることに深い意味を感じる。

 先日、国連は、長く愛用されていた、メルカトル図法の世界地図を否定する決議を発したそうな。
 確かにグローバルサウスから見れば、国連合意のイコールアース図の方が正しい。
 だが、世界を股にかけて活躍する船乗りたちに渡しても、「コンパスが使えない」「目的地にまっすぐ進めない」と突き返されるだけだ。
 歪んだ地図(メルカトル)の利便性も、新しい地図の正しさも、現場ではどっちでも良いこと。重要なのは、その地図上の戦略において、その自分が与えられた目標の意味するところを理解し、手元のハンカチに落とし込む技術なのである。



内申という言葉が大っ嫌い

1 時間を守ることは醜い
 私の家は、私が小学生だった頃は、毎年家族旅行に行った。
 毎回、出発2時間前から、母は、子供達を起こし準備を促した。しかし、彼女の化粧は、歌舞伎役者並みに時間がかかる。
 ようやく、準備を整え家族が家を出ると、母が言う「新幹線のチケットが無い!」慌てて取りに戻る母、家族は欧米人のように、両手を挙げて、「ハイハイ」のポーズ。
 父は、黙って前へ進む。「母ちゃん乗り遅れるかもしれんよ。」と聞くと、「まあ、少なくとも、電車はここには来ない。」と言う。

 ある年、従兄弟姉妹と叔母さんも一緒に行くことがあった。私は迎えに行く役だった。
 従兄弟の家を出てすぐ、叔母さんが言う。「鍵をかけ忘れたかも。あんた悪いけど先に駅に行って切符だけ買っといて」、と言って千円を渡された。言われた通り、従兄弟を連れて駅へゆき、切符を4枚買った。叔母は電車に間に合った。しかし、私に渡された切符とお釣り見て激怒した。「なんで、大人4枚やの!?この子ら子供料金でええんやよ!」まあそれだけなら、普通の叱り方だが、余計なことを言う。「本当、お姉ちゃん(母)も言っていたけど、あんたは、お兄さん(実兄)に比べてグズね。」

 従兄弟姉妹が口を揃えて言う「グズだ。グズだ。」トラウマだぜ。

 小学校はよくサボった。嫌いな昼食を、夕方の掃除の時間になっても残って食べさせるのだから、自分の食べ残しとは言え、それはもう残飯だ。
 体育は、最も苦手だ。運動神経は悪いが、それでも体育館内の競技ではそれなりに活躍できた。しかし、「適当に3人でグループを作れ!」と言う無配慮な教師の号令がトラウマになっている人は意外と多い。

 「遅刻・早退・忘れ物?だからなんだって言うんだ。学校は勉強だけ教えておけばいいんだ。生活態度が良ければ、テストの点数が上がるのか?俺は、毎週の30個の漢字テストを落としたこともないし、算数と、社会なら、塾に行っているやつよりできるぜ。」

 中学になっても同じ。嫌いな授業の上に、イジメなどと言う障害物も現れて、余計出席率は悪くなった。
 そのうち、同じように、学校以外の行き場を探している連中と合流していくのは、自然な流れだった。問題行動はエスカレートを続けたが、学力は落ちなかった。中学レベルの知識は、小学の頃から本で読んで会得していた。もちろん、真面目に授業に出て真剣に勉強している人には勝てないが、真面目に毎日遅刻せず登校して、きっちり授業を受けて、宿題もきっちり出している人より、良い点数を取るのは造作もなかった。「お前って、いつ勉強しているん?」と尋ねられて、「お前らこそ、授業とやらを受けて何をもらっているんだ?」と思っていた。

 中学3年になって、高校受験のため、どうせ塾など行かないだろうと、家庭教師をつけられた。この人が、悪い人じゃなかったのが、私にとっての幸運だった。関西で三番目に位置する大学生だった彼は、「自分は家庭教師なので、君の生活態度に興味は無い。勉強の面白さを伝えるから、それを会得してくれれば良い。」と言う。まあ、正確に言えば彼もまだ大人ではなかったのが、私から見れば、初めて、納得できる評価軸を持った大人だった。
 彼の口癖でもあり、私の口癖にもなっているように、「勉強は、面白いからするもの」。逆に言うと、やりたく無いならやらなくて良いのだ。学校に行かなくなるのは、学校が「やりたい」と思わせる指導をしていないからだ。
 私は、この先生の指導のもと、ただの物知りから、受験生へと変貌した。

 しかし、実際の受験を前にした三者面談で、ちゃぶ台を返される。
 学習塾主催の実力テストの偏差値は、50を優に超えていた私が、勧められたのは、偏差値40以下の定員割れで入れそうな学校だった。卒業生の進学率は0。卒業率自体が70%超えていたかどうか?
 私の志望校は、進学率5割、偏差値は56〜57。まだそこまでには達していなかったが、狙えない的ではなかった。

 その格差の理由。それがご存知「内申書」だ。
 私の内情を何も知らず、私のポテンシャルなどまるで計算できない、私と向き合ったこともない教師が、好き嫌いでつけた成績表だ。
 「てめえら。勉強もまともに教えられないのに、人の性格まで勝手に決めつけてんじゃねえよ。」
 進路指導の先生が言う。「君のような子はね、あんまり難しいところに行くと、ついてゆけなくなって、中退する可能性がある。境遇が似たような人と高校生活を過ごしたほうがいいんだよ。」
 「君のような子」ってどんな子だよ。学校サボっているヤツがみんな授業についていけないと思っていたら大間違いなんだよ。てめえらの授業がつまんねえから、てめえらの指導方針が納得できないから、行かねえだけだよ。
 
 家庭教師に聞いた進学校では、「遅刻」という概念がないらしい。8時30分に門の前で立っている先生もいなけりゃ、必死で駆け込んで「セーフ」と胸を撫で下ろす生徒もいない。
 言わなくても、始業時間には、全員着席している。
 なぜなら「授業の最初10分が一番重要であり、これを聞き逃したくない。」という目的のためである。逆に、重要事項の連絡が済むと、各自、勝手な勉強を始めるという。

 全ては、原因が先にあるのだ。
 原因をつくらず、結果の美しさだけを追いかける姿こそ醜い。
 内申書など書いている連中は、そういう醜い固定観念を金科玉条のように敬っている。なんでそんな奴らの評価のために、ポテンシャルの高い俺が、中退率の高い不良学校に行かなきゃいけないんだ。

 家庭教師は言う。「俺には経験のないことだが、それがハンデだというなら、それを超えるしかないのだろう。勧められた学校に学びたいものがないなら、レベルをできるだけ、上位に上げるしかない。」
 身も蓋もない発言を平気でする大学生のおかげで、なんとか、進学率は低いが、中退者はほとんど出ない、平均的な高校に入ることはできた。

 家庭教師は、国公立しか受けていないので、私に“推薦”というものを教えなかった。
 従って、高校時代は、ふざけ倒した。中学の旧友は、皆中退して、どんどん不良度が上がっていったが、どうにも好かれていて、離れることもなかった。
 おかげで、大学受験でまた苦労することになるが、もうそれは、私の生き方になっていた。ちなみに、公務員試験も、学力一本だ。私が、実力試験では、500人中100番前後なのに、成績表では、450番以下であることは、全く影響しなかった。

 

2 朝顔と水仙
 税務大学校普通科というところは、全寮制で、軍隊式教育方針を敷いていた。高卒のガキどもを、1年で「国の質(チカラ)の基なる明日の税務を担う」知の尖兵に仕上げるのだから、ある程度は当然であったろう。
 このような目的のハッキリした強制は、歓迎だった。
 多くの者は、「私達は徴兵されたわけでなく、志願してここに来たのだ。」と、すっかり日の丸の鉢巻をしていた。
 真面目にやるのも悪くないなあ。と感じ始めていた時、つまらない争いをきっかけに、所属していたグループからハブにされた。本当につまらない争いだ。とある女性が、「自分ともう一人のどちらを好んでいるか?」という話で、答えは、「どっちであろうと、お前はもう彼女に近づくな。」だった。しかし、告白を受ければ、その勇気に応えるのは、私の流儀だったので、その流儀に従ったまでのこと。
 気づかなかったのだが、ライバルになった男は、グループのリーダー格だったらしい。しかも、私の所属していたグループは、研修生の中で、上位のカーストグループだったらしい。
 いつの間にか、あることないこと広められ、大悪人に仕立て上げられた私は、一斉に交友関係を断たれた。
 そういう経験は、初めてではなかった。いやというほど受けてきた。ただ、ショックだったのは、社会人にもなって、しかも、国家の知の尖兵となるべく、切磋琢磨してきた仲間同士で、そんな、ガキみたいな“カースト”が存在していたことだ。

 私は、「真正直に生きてきた。」という人間を信用しない。考えが甘く、相手の心を鑑みる能力に欠ける。自分が正しいと信じきっていて、世の中の現実を知らない。
 そして、憎んでいた。こういう者たちに、「内申」という下駄が授けられる制度を。

 しばらく、殻に籠り、孤独を楽しむことにした。いつもの対処法だ。立ち止まっていたら、新しい道が見えてくる。
 私は、『朝顔』だ。その道に障害が有り、先に進めないなら、立ち止まって次の道を探る。大きくツルを振り翳して、少々遠いホールド(Hold)でも、指をかけ、新しい進路をとる。その軌跡は、ボルダリングを攻略した時のように、ジグザグのグネグネだ。だから、その分、まっすぐに生きてきた人達より、多くの知識を得ていた。

 全寮制の研修を終え実家に帰っていたので、毎日のように友人から連絡が来たが、「ただいま“修行中”」と応えると、地元の友人達は、「ああ、なんかあったわけね。」と簡単に納得した。慣れたもんだ。
 夜学にも通い始めていて、新しい交友関係が広がっていた頃であったが、「ちょっと所用があって」と断れば、それ以上を追うほどの仲にはなっていなかった。
 
 そんな時、その大学の交友関係で知り合った女性グループの一人から誘いを受けた。
 これといって、特徴のある娘ではなかったが、やけにその女性グループのみんながその子を大事にするので、きっと性格が良いんだろうと、こちらの男性陣の方でもやや人気があった。さて、そんな“良い子”とまた、抜け駆けのようなことをして、せっかくの友好関係をややこしくするのはごめんである。というわけで、「修行中」を理由に2度ほど断った。しかし、その後、彼女の友人と、私の友人双方から、「その誘いを断るな。」という打電が有った。そう言えば、グループ同士で交流している時から、彼女は私に好意的で、双方が、二人の仲がうまくいくことを応援している雰囲気はあった。
 満を持して、想いを告げたのに、真剣に受けてもらえなかった経験も複数有る私は、女性からのアプローチに対しては、その勇気に応えるべきだと考えていた。男よりずっと、恥ずかしいし、勇気が必要なことだと思うからだ。しかも、今回は、まあ、心が幼いライバルは居ないようだし、さすが、大学生は少しは大人なのかもしれない。
 天の岩戸を開いて、少しは一緒に出かけるようになった。

 しばらくすると、彼女がなぜ、友人達に大事にされるかよくわかってきた。
 その子は、まず、時間に遅れない、約束を忘れない、人の話を最後まで聞く。それでも、慌てて走ることはない。なぜなら、いつも準備が1時間以上前から始まっているからだ。自分だけじゃない、私の予定や他人の予定も覚えていて、必要なら準備をしている。彼女に「ギリギリ」という言葉は存在しなく、彼女といると、自分のギリギリもなくなる。なるほど、誰にとっても優秀な秘書として大事な存在になるわけだ。

 じゃあ、都合よく使われる人間になるかというとそうでもない。
 彼女に時間を聞いて、「もう少しで6時くらい。」というと、だいたい4時半くらいだ。彼女は、彼女の時間軸で生きている。都合よく使うにも、自分が彼女の時間軸に入らないといけない、そんなゾーンのようなものを宿していた。
 別に、クソ真面目でつまらない子でもない。ちゃんと、寮に連絡して外泊許可を得ると、朝まででも付き合ってくれた。正式な手順を踏むためなら、嘘はかまわないようだ。
 ある時、授業があるので、帰るというので、「その講義は出なきゃいけないほど重要なものか?」と聞くと、「出なくても良い講義というがものあるの?」と聞き返された。
 そして、私はある結論に達した。
 「わかった!この子は、“ルールというものは守るもの”と盲目に信じているのだ。」
 くだらない、内申教育の被害者がここにも居る。
 しかし、私は、彼女のその信仰を否定することはできなかった。なぜなら、彼女は、それについて何も苦渋を感じていないからだ。生まれつきなのか、長い年月をかけて身につけたのか、時間を守る、約束を守る、規則を守る、礼儀を保つ、全てが、“当たり前”であり、その通りにしないほうが、彼女にとっては辛いことのようにまで思えたのだ。

 

 しばらくして、面白い先輩と知り合った。
 彼は、大卒で就職してきたのだが、我が組織は当時高卒全盛期で、大卒でも現場で成績を上げられないと平気で馬鹿にされていた。しかし、彼は、まるで成績を追うことはなく、私より上がりが悪かった。でも、彼の話は私の好奇心をそそるものが多かった。
 そんな彼の趣味の一つが、高級ホテルのケーキバイキングに行くことだった。
 時折誘われたので、彼は、奥さんを連れてきて、私は、前述の彼女を連れて、一緒に行った。

 女性二人がケーキを選んでいる間に先輩が言った。「君とは正反対の性格の子だね。」「そうなんですよ。でもつまらない子でも無いんですよ。」
 「大事にしたほうがいいよ。あの子は、君に欠けているものを持っている。」
 ほほう、これは先輩らしい新鮮な切り口だ。
 「うちの組織は、対象者のことも考えず、都合の良い数字ばかりを張り合っている。それは正しい役人の姿ではない。君は、夜学に行っている分、少しわかっている。権力は何のために存在しているかを。にもかかわらず、無正義に数字を追っている奴らより数字を上げる。きっと、頭の回転が良いのだろう。
 でも残念なことに、ちょっと飲みすぎたくらいで、翌日電話をかけて休んだりする。あれはみっともないし、せっかくの輝きを曇らせている。」
 「昔から、規則とか生活態度とかをとやかく言われるのが苦手でして、すいません。」
 「彼女は良い。僕が課長の立場で、誰か本店に推めたい部下がいるか?と聞かれたら、彼女を推す。
 どんなにすごいスポーツ選手でも、子供の差し出したサインペンをはたき落とせば、それで終わり。かといって、あからさまに媚を売っても本性は表に滲み出る。逆に、“当たり前”のことを“当たり前”にできる人間は、何をやらせても信頼できる。」

 “当たり前”のことを“当たり前”にできること。それが努力の成果にしても、生まれつきの育ちのせいにしても、信頼の根源になる。
 私はこの時、初めて、ふっと、大人が“内申”なるものに翻弄される理由に触れた気がした。

 遠くで、人気のケーキにたかる人々の半歩後ろで、あまり決まってもなさそうな“順番”を意識して待つ彼女を見て、私は思わず先輩に言った。
 「水仙みたいなやつですよね。」
 「いい表現だね。その小さな花より、立ち姿の方が褒められる。派手な花のような君にとっては、皮肉かもしれないけど、それも美しさの形の一つなんだよ。」

 

3 でも、内申は認めない
 私は、それ以来、業務開始時間ギリギリに着いたり、電話連絡で休んだりするのをやめた。
 生真面目がなんぼのものかは、知らない。ただちょっとした努力不足で大損するのが馬鹿らしくなったからだ。

 但し、それでも私は、内申で成績を左右するのは否定する。大人になってまで、きっちりルールを守れない奴はガキだ。でも、ガキに大人のルールを適用するのは誤っている。

池坊「水仙一種生」

 華道(いけばな)における「水仙」は、冬から早春にかけての最も格調高い花材として尊ばれ、多くの名作や伝統的な型(様式)が受け継がれてきた。特に有名な流派である池坊には、「一種生(いっしゅいけ)」という、水仙の持つ清澄な佇まいを表現する様式がある。
 結局、妻となるその女性の実家に行った時、荒んだ成長期を過ごした私の価値観を塗り替えるほどの経験をした。古くから商業を営み、今は四代続く日本料理店と言う、とんでもない名家だったが、そんなことは鼻にかけず、冗談好きの楽しい一家だった。ただ、すごいと感じたのは、みんな揃って、“当たり前”のことを“当たり前”にする人たちだったことだ。
 彼女の性格は、学校が押し付けたものでも、人によく見られようとして身についたものでもない。ただ、水仙の家に生まれ、水仙のように育てられたにすぎないのだ。
 内申というのは、こういうところを見て判断すべきなのだ。これが本物の、学力に下駄をはかせても良いレベルというのだ。
 でも、彼女は私の「水仙のような性格だ。」と言われるのが大嫌いなのだそうだ。
 冬に咲く水仙は、雪中花とも呼ばれるが、そのイメージが、辛い修行に耐えている可哀想な花というイメージを彷彿とさせるらしい。
 こうも言っていた。「皆勤賞」をもらうのが嫌いだった。よく頑張ったと言われるのも嫌だったが、「格好つけやがって。バカは風邪引かないだけだ。」と酷いことを言われることもある。
 彼女の言い分としては、「自分は、普通のことをしているだけで、別に辛い思いもしていないし、我慢もしていない。頑張ってもいない。」という事らしい。
 確かに、どうして、普通のことをしているだけなのに、みんな、珍しがるのか?
 彼女は、最近(五十代後半)になって、「どうして、世の中にはこんなに普通の人が少ないの?」と怒るようになった。私や子供達までもが、この歳になってようやく、普通が普通でないことに気づけるのだから、本当に幸せな人生を送ってきたのだなと感嘆している。

私が役人をやっていてうんざりする時

1 国士・列士
 公務員は親方日の丸で倒産がなく、滅多にクビにもならないと言われ、安定した職業としてもてはやされていた頃、私は、普通に「世のため国のために働きたい。」と志願した。同僚の多くは、それを全く信じないか理解しなかった。
 入った頃はバブル景気で、民間に就職した人たちは派手に遊んでいた。しかし、私たちの給料は、民間の給与水準が上がったことを受けて半年後に改定される。実際に懐が民間に追いつくには9ヶ月から1年かかる。この間同僚たちは、不満タラタラだった。
 公務員の給与は安定している。だから、不景気の時は安心だが、好景気の時は貧乏籤を引いたような気分になる。
 私は、安定給与が目的ではなかったので、学費と車のローンで極貧の中も、スキルを吸収することに専念していた。
 私には目標があった。活躍して本店に呼ばれることだ。
 当局採用二次試験の際、地下鉄天満橋から、階段を上がってすぐのところで出迎えてくれる大阪城の天守閣を横目に、大手前合同庁舎に入って以来、そこへ通勤することは、私の夢だった。
 当時本店では、泊まり込みの残業が普通だった。残業手当が時間通り出ないことも普通の時代だったが、それでも、皆が不満に思っている給与水準は確保できただろう。
 先輩たちは、「あんなところは命を削りにいくようなところだ。まともな人間の行くところではない。」と言っていた。「離婚するか、過労死するか、無事に帰ってきても、まともな目つきはしていない。」とまあ、ボロクソに批判していた。
 ドラマ「踊る大捜査線」でも描かれていたように、支店職員の本店アレルギーというのは本当に酷く、指示文書一つを取っても、「また現場を知らん奴が、無茶な方針を打ち出している。」と反目する一方だった。

 しかし、私は昔から、自分のやったことのないことをする人を批判するのは嫌いだった(プロ野球選手には遠慮なくヤジを送るが)。どうせ、批判するのであれば、まず行ってその部署を経験してからと考えていた。

 本店に行く前に、士官学校で大勢の本店職員と知り合った。
 残念ながら、「踊る大捜査線」で出てくるような利己主義で、ガツガツした奴は一人もいなかった。
 本店の業務の多くは、チームプレーで行われる。個人の手柄という概念が無い。
 部署の役割は明確に切り分けられており、部署間で競い合うようなことはない。
 班別に分かれて、ディベートをする際は、容赦の無い追及と反駁の嵐を浴びせてくるが、ゼミ以外の教科の試験においては、お互い対策資料を作成し合い、多くが高得点を取ることを目指した。士官学校の卒業時の成績が、今後の出世に大きく関わってくることを知っていてもだ。
 じゃあ、仕事バカの面白みのない連中かというと、これまたとんでもなく、支店の連中が度肝を抜かれるような遊びようだ。士官学校に合格すると、「懲役1年、罰金○百万円」などと言われていたが、その罰金の大半は飲み代だ。

 「成績のために、魂を打った連中。慈悲のかけらもなく国権を振りかざす。」と先輩たちからは聞かされていたが、めちゃくちゃ人情味があり、国権の根源なるものをよく理解し、その濫用にはとても慎重だった。
 何より、彼らは、自分たちが何のためにその業務を行うのか?という国家戦略を一部理解していた。だから、非情を貫くべき時とそうでない時を弁えていた。

 私は、「やはり、本物に会いもせずとやかくいうのは間違いだな。彼らは、立派な国士・列士じゃないか?支店の先輩たちは、きっと彼らの高度な思考に辿り着けず、盲目にやっかんでいただけじゃないのか?」と思い始めていた。

2 法・術・勢

 先日、大河ドラマ「豊臣兄弟」で、秀吉は、弟・秀長の「この世の中は何かが間違っている」という言葉から、織田信長が見ていたものに気づく。そして、それを変えなければ戦国の世は終わらないと考えるようになる。

 私も今、同じような感覚を持っている。

 ウクライナ、イラン、イスラエル、アメリカ、ロシア、中国――こいつらを見ていると、「国際法はどこへ行ったのだ」と思う。
 日本がようやく、低賃金・低価格販売の経済の愚を見直し、賃上げとインフレへと舵を切って、大きく成長しようとしている。その一方で、戦争をしている国の通貨のほうが価値が高いという市場の判断によって、円安がいつまでも日本経済の足を引っ張っている。

 「この世の中は何かが間違っている」。

 では、どうすればそれを正せるのか。

 私は、その処方箋を韓非子の「法治」に求めてきた。第1部「説難」では「法」を掲げ、第2部「孤憤」では「術」を取り上げ、その方向性について語ってきた。

 しかし、ここで一つ、どうしても避けて通れない問題がある。
 法が、どれほど公正であっても、それだけで人が法を守るとは限らない。
 なぜなら、法が示す正義と、その人が自ら信じる正義は、必ずしも一致しないからだ。
 むしろ、法治主義には、法治主義だからこそ背負わなければならない宿命がある。
 人は、自分が正しいと思えないものを、いつまでも守り続けることはできない。

 では、どうするのか。

 ここで、韓非子の「勢」が登場する。
 韓非子五十五篇のうち、「勢」を正面から論じた「難勢篇」がある。韓非子のいう「勢」は、現代の言葉一つで簡単に言い換えられるものではない。権力、地位、権限、そして、それらが人を動かす力――そうしたものを含んでいる。

 韓非子の時代には、それは主として「権勢」として語られた。人を従わせるだけの力を、君主が持つこと。それが「勢」の大きな意味だった。
 しかし、現代の自由民主国家で、国家権力を振りかざせば、それで人々の心まで動かせるわけではない。
 いや、韓非子の時代でさえ、権勢だけで十分だったわけではない。
 そこで私は、もう一度、韓非子の言葉に戻る。

 「善く吏たる者は徳を樹う。能わざる吏たる者は怨みを樹う。」

 これまで何度も紹介してきた、私の座右の銘である。
 韓非子は、身分制度が絶対的だった時代に、すでにそのことを見抜いていた。
 「法」がどれほど公正でも、それを運用する官吏に問題があれば、民の正義と法の正義は一致しない。

 そして、こう言う。
 「吏は民の本綱なり。故に明主は吏を治めて民を治めず」
 
法を作るだけでは足りない。
 それを運用する術があっても、それだけでは足りない。
 法を法として機能させ、人を正しい方向へ導くには、それを支える「勢」が必要なのだ。
 そして私は、現代の行政において、その「勢」を支える鍵を握っているのは、“吏”――すなわち「役人」なのではないかと考えている。

 私は、士官学校にいた頃、まだ韓非子に出会っていなかった。
 この世の中の、どうしようもなく困った状態を解決する最後の鍵が「役人」にあるという結論に至るのも、まだずっと先のことである。

 しかし、振り返ってみれば、士官学校で出会った彼らこそ、その素養を持った「国士・列士」だったのではないか。
 そう、私は今になって思う。

3 みんなどこへ行った?
 士官学校は、全国からの集まりである。卒業すると、それぞれどこへどう配属されたかは分からないが、時折便りを聞くとご活躍のようだ。大阪から出向した同じ職務系統の20人ほどとは、仲が良く、今でも連絡を取り合っていて、毎年のように飲みにいく。しかし、その飲み会ではいつも仕事の話は出ない。それに、あれだけ酒好きの連中の集まりだったのに、ほとんど2次会などには行かない。ただ、会うたびにみんなすごい勢いで出世していて、驚かされてきた。
 まだ、卒業して10年ほどだったと思う。同い年で一番仲が良かった同僚と、たまたま、帰りが同じ方向だったのでそれとなく聞いてみた。
 「みんな、2次会とかしないのかな?偉くなったから、偉くなった人の愚痴とか聞きたいのになあ。」
 「みんな、解散した後、落ち合って話し合ったりしているよ。本音の話はよほど気が合わないと話せないからな。」
 「ええ!そうなのか?何だ、やっぱり俺って、浮いているのかな?」
 「いいや、心配しなくても、お前は昔からずっと人気者やよ。
 何度か、相談という形で、この後の会合に参加したことがあるけど、よくお前の話が出て来るよ。「あいつが、今年も元気で良かった。」ってな。」
 「俺も不思議なんや。上に睨まれて全然出世できてないのに、なんでみんな、こんなに歓迎してくれるんやろ。」
 「こっちからは、お前の情報をキャッチすることは簡単でな。よく噂をきくよ。
相変わらず「地上の星」やっとるなあと思うんや。」
 中島みゆき「地上の星」
 🎵風の中のスバル〜 砂の中の銀河〜 みんな何処へ行った〜🎶
 
 前稿でも取り上げたが、士官学校で習った正道を貫くのは、とても難しい。出世の機会には、兎角、その正道との引き換えを要求される。かつての、国士・列士達も、苦渋の選択の上、今の地位にいるのかもしれない。
 ただ、その同僚の話では、それほど苦渋を感じてはいないという。みんな、インテリではあるが、私が思っているほど、“世のため、国のため”とか“組織の理想的姿”なんて考えていないらしい。もし、本気でそう考えているのなら、多分、すぐ辞めるだろうとも言っていた。
 そんな彼が、その話をした、翌年、退官して税理士事務所を立ち上げた。

 なるほど。「地上の星」を貫き続けることは、出世できないだけでなく、やがて組織に所属し続けることそのものが嫌になる、ということなのか?
 私が出会えた国士・列士は、新入社員のようなものだ。彼らの瞳は眩しく、煌めいているが、指導する人間が悪いと、3年目には、その瞳はグレーになり、別人になっている。
 各部署のエース級で、将来の幹部候補生として、前途洋々の船に乗った彼らも、理想と希望を抱いて、国や国民のために奉仕するつもりでいたのだろう。
 しかし、それを快く思わない集団もいる。特に、後日詳しく書くが、同じ幹部候補生となり得るルートで、学力より現場での経験や根性論を重んじるルートがある。このルートの幹部候補生は、学力主義の士官学校卒をライバル視もしくは敵視している。また、支店では、最初に言ったように、本店アレルギーがあり、士官学校卒は、その対象に入る。そのような文化と習慣に阻まれて、彼らの明晰な頭脳は、別の戦略に使われてしまう。すなわち、今は我慢して、上に上がって、少しでもやりたいことができるようになろうという戦略だ。
 しかし、その戦略も見透かされていて、3年も経つと、同僚が言ったように、正道を曲げることを苦渋とも思わないよう、考え方そのものが変えられてしまうようだ。

 平成30年、森友問題に端を発した、財務省職員の劣化の露呈を受けて、信用回復のため、「財務省再生プロジェクト」という組織が発足し、これまでの不祥事の反省を並べたような組織理念を掲げ、懸命な努力を続けていてくれている。私は、その組織の年次報告を毎年チェックしている。
 そこには、6年目まで、年次目標に必ず「引き続き組織風土改革を継続」が掲げられていた。古い風土がどうしても邪魔をしていると言わんばかりだった。一昨年から、「時代の変化に応じて組織風土改革」に言い換えられているので、多少、古い慣習の打破が見えてきたのかもしれないが、相変わらず、根性至上主義のパワハラ族は存在するし、本店アレルギーも続いている。
 “善く吏たる者”が、組織の中心となり、“民の本綱”たる役人の時代が来るのはいつのことだろう?

パブロ・ピカソ作「ラ・ヴィ」

 私たちの組織の公開されている階級では、事務官・調査官・上席調査官・統括官と単純であるが、詳細を説明すると、当然もっと細かく分かれる。事務官は見習い、調査官が上等兵、上席は係長級と言われているが、実際に何かの係長をすることはあまり無い。
 戦争映画で出てくる「軍曹」みたいなものだ。その上に同じ上席の中に“小隊長”を担う少尉が存在する。よく、戦争映画では、小隊長が、軍曹に意見を求めるように、現場のたたき上げの上席と、本店育ちや、士官学校卒の尉官がこれにあたる。映画のように、両者が反目するケースはもちろん少なくない。
 さて、この小隊長は、実際には、専任の部下を持たない。チーム業務の際のリーダーを任されるに過ぎない。我々はチーフと呼ぶ。その後、統括官となると、やっと、自分専任の部下を持つ。ちなみに、統括官は、1統官を筆頭と呼び、他をナンバー統括と呼ぶ。
 しかし、チーフ上席から、統括官に昇格する前に、「連調官」という、避けては通れない官位を経験しなければならない。
 この仕事は、筆頭統括の補佐として、チーフ上席達と、ナンバー統括達の間を取りもち、関係を調整する役である。まあ言えば、現場指揮官たちの幹事みたいなものなのだが、これが、とても大変な業務で、せいぜい3年が限界と言われ、4年やらされるとドロップアウトする(統括官への道を諦める)と言われている。
 掲載したピカソの絵画は、とある署で見た可哀想な初心者連調官を象徴している。
 彼の上司の筆頭統括官は、いわゆる現場根性主義の巣窟育ちで、10年前でも十分パワハラ認定1級の人物だった。関係者が読めばすぐばれてしまうが、それを覚悟で、これは、一部の異端者である意味も込めて、今後彼のような人物を「米男」と呼ぼう。
 私も噂には聞いていたが、確かに、昭和の遺物、竹刀を持った体育教官みたいな人だった。連調官は、毎日のように、30分以上、自席の前に立たされ説教されていた。私は、訴えてやろうかと、その時間を日々記録していた時期もあった。しかし、この人は他部署ではとてもご機嫌な方で、「米男」族は組織内に広いネットワークを持ち、顔も効く。当時は、パワハラを奏上した側が無傷では済まず、加害者がむしろ出世するような世界だった。だから、やめた。
 ところで、「米男」さんたちは、私たち士官学校卒をライバル視、または毛嫌いしていると語ったが、多分に漏れず、私もパワハラのターゲットにされた。
 連調官は、この2、3年を踏ん張れば、統括官への道が見えている。しかし、私には、そんなものはなかった。正直、割に合わないパワハラだったが、ただ、さすが本店に長くいただけあって、指摘は正しかった。まあ他の統括官なら、修正で済むところ、「書き直せ」だったのがきつかったが。
 ちなみに、この絵では、右の女性が左の二人を見つめている。その二人のうち、一人は相手に正対して話を聞いているようだが、女性の方は身を縮め、怯えているようにも見える。
 本来、立場的には、この男性の方が連調官であってもらいたいところだが、現実的には、連調官の方が、身を縮めている女性であったと言えば、笑っていただけるだろうか。

「海大魚」— 水を離れれば、蟻にも及ばず —

 韓非子・説林篇下に、こうある。
 「船を飲むほどの大魚でも、水を離れれば、螻蟻にも及ばない。」

 力は、場所によって裏返る。
 人も同じだ。無能に見える者が、ある場面では誰よりも際立つことがある。逆に、優秀とされる者が、環境を外れた途端に凡庸に沈むこともある。
 私たちはしばしば、人を一つの尺度で測ろうとする。
 だが現実はモノラルではない私たちは常に多層的な現実の中にいる。評価は常に前提に依存し、一面的な「正しさ」は、容易に別の側面では誤りへと転じる。
 長けたる者は欠ける所あり。欠けたる者にも長ける所あり。
 そのような実例を挙げる事は、さほど困難な事ではない。

1 呑気でとろいお姉さん
 私の職場では、1月から4月が最繁忙期にあたり、多くの短期職員が雇用される。
 毎年来てくれる熟練者もいるが、たいていは初心者だ。私は例年、序盤の工程を任されるため、自然と彼らに作法を教えつつ、次工程へ送り出す役割を担っている。
 ある年、飲み込みの早い人材(彼らを便宜上「初期メンバー」と呼ぶ)が揃い、おかげでその年は、異例の速さで私の担当の工程が仕上がり、そのまま次工程まで引き受けることになった。チームの人員が倍以上に増えたが、初期メンバーが忠実かつ楽しげに働いてくれたおかげで、後続のメンバーにもそのムードが伝播し、現場は円滑に回っていた。
 ところが、若干一名、このムードに乗り切れない人が居た。
 呑気で、とろいお姉さんだった。
 質問が多く、仕事も遅い。気を抜くと居眠りしている時もあるという。
 基本的に「例外」というものを作らない私であったが、彼女については隣に座らせることにした。私としては、フォローのつもりだったが、他のメンバーからは「監視」に見えたようだ。
 流石に居眠りはしなかったが、私の隣に座ったからと言って、彼女の仕事の速度が上がるわけでも無かった。
 やがて、初期メンバーを中心に批判のようなものが聞かれるようになった。
 みんな成果を上げようとスピードを競っているのに、私が彼女を叱責することがなかったからだ。

 私は言った。
 「私は、短期職員について、早い・遅い、できる・できないで序列は作らない。区別もしない。同じ時給で不公平だと言う人も居るだろうが、よくできる者には、私からスキルという褒賞を授ける。よくできない者には、できる事を探すか、できるようにフォローする。
 “ゾウはゾウ一頭分、ネズミはネズミ一匹分”の力を発揮すればいい。」
 熟練者や、飲み込みの早い者をリーダー格に据えて、ヒエラルキーを作って運営するのが定石と言われていた時代であったが、私は、その根拠の薄いラベリングが大っ嫌いだった。
 私たち正社員にエリート主義があっても一向に構わないが、時給が同じの、しかも短期雇用者にそんな差をつけて、何を以ってそれに応えるのか?特別に酒席に誘う?キッショ!

 私の見る限り、彼女はわざと時間を稼いで時給を貪っているわけではない。私としてはそれで十分だったのだが、せっかくよくまとまっているチームが、こういう人材を浮かせて、崩壊していくのも防がなければならない。だから、よくできる者には相当の賛辞を捧げ、より高度な業務を教えることで、宣言を実践した。

 さて、やがて終盤、督促葉書を大量に手書きする業務が発生した。
 当時は差し込み印刷もなく、すべて手書きである。
 まずは事務処理に長けた、初期メンバーに任せてみたが、督促状という性格上、一定の字の綺麗さが求められるわけであるが、悉く不適格だった。
 “長けたる者には、欠ける所あり”

 ふと隣を見ると、彼女が相変わらずの調子で、ゆっくりと仕事をしている。
——丁寧さだけは、ある。かな?
 そう思って、試しに一枚書かせてみた。
 賞状のような字だった。
 「書道の経験があるの?」
 「はい、二段です。」
 二段にもいろいろあるが、書道の経験がある私にはわかる。これは、高校生の部活レベルが取得する高度な二段だ。
 “欠けたる者には、長ける所あり”

 初期メンバーに見せると、誰もがおし黙った。
 そして、最も優秀だった一人が言った。
 「この分野では、この人の方が“ゾウ”ですね。」

 彼女はその後、二千通の葉書を書き上げた。速さも、正確さも、群を抜いていた。
 チームのムードはさらに向上し、次工程も異例の速さで完了させた。そして、幾人かは、4月まで続く繁忙期の全体像を理解し、そこで必要となるスキルの一部を会得するに至っていた。その貪欲な向上心の背景には、あの呑気でとろいお姉さんの影響が少なからず有ったものと、私は確信している。

2 自閉症の非常勤職員
 私はなぜか他系統に回されることが多く、そのたびに対外的接触の少ない業務に就く。新しい職務を会得するまで、ご指導や対外的トラブルを避けるためである。これはそうした職務に就いていた時の話だ。

 そこには、定常業務を支える「レギュラー」と呼ばれる非常勤職員がいた。

 その中に、自閉症で雇用された青年Mがいた。引き継ぎの際、私は一枚の“取扱説明書”を渡された。

・困難な仕事は任せるな。
・焦らせるな。
・同時に複数のことをさせるな。
・叱るな。
・大声で話しかけるな。

 精神に障害を持っていなくてもあまり褒められる行為とは思えませんが。と突っ込みたいところをグッと堪えて、黙って受け取ったが、その日以来見ていない。
 さて、まず彼の仕事を見てみた。
 組織内文書の受け払いを記録する業務だったが、必要以上の情報を記録させ、意図的に時間をかけさせている。しかも、本来重要であるはずの残高照合は行われていない。
 ——これは仕事ではない。
 与えられているようでいて、遠ざけられている。

 私は様式を整理し、必要な情報だけに絞った。
 彼はそれを、正確にこなした。
 当然時間が余ってくるので、さらに発送文書のチェック業務を任せると、彼は一つ一つの手順を正確に守った。
 数百枚単位の文書の枚数確認も、ほぼ一度で一致させる。違えば、淡々とやり直す。
 私にはできないやり方だった。

 彼は「要領がいい」タイプではない。だが、一度定まった手順を、極めて高い精度で繰り返す力を持っていた。
 三ヶ月もすると、彼は、残高照合から、自らの誤りを見つけ、修正できるようになっていた。
 気がつけば、私の業務の半分以上を担っていた。

 自閉症になる前、彼は名のある企業に勤めていたという。
 人と関わるのが苦手だからといって、能力まで低いと見なすのは短絡的だ。
 欠けたる者には長ける所あり。

 ちなみに、同じ机のレギュラーの人たちは、彼を特別扱いしていなかった。
 口数の少ない、少し気の小さい人——その程度の認識で、自然に接していた。
 あるとき、その一人が言った。
 「Mさん、変わりましたね。昨年に比べて仕事の種類も量も増えて、大丈夫かな?と思っていたけど、むしろ明るくなった感じ。」
 その人には、彼が変わったように見えていたのだろうが、おそらく変わったのは彼ではなく、彼の立ち位置、前提条件の方であろう。

3 学力は無力か実力か

 初任の頃、私は「生意気」と言われた。
 当時の税務職員は、刑事ドラマでもあるように、規則や法律よりも、経験や交渉上手が持て囃されていた。コツも技術も、先輩からの口伝。だから先輩に気に入られてなんぼだった。そんな中、私は、夜学に通っていた関係で、残業にも付き合わず、雑用もあまり引き受けず、「学生さん」と呼ばれていた。
 その言葉の裏には、こんな徒弟社会で、お勉強に励んでなんになるの?と言う揶揄が含まれていたように思う。
 私は、運動神経が悪く、臆病なので、問題解決の方法は、もっぱら勉学に頼っていた。
 先輩たちの技術の中には、時折、こちらに都合の良いことだけを話すとか、現場を探索し(いわゆるガサ)、相手の弱みを握るなど、私が苦手とするものも多かった。
 なんとか、相手もこちらも納得のゆく形で丸く収める方法はないものかと、いつも悩んでいた。

 勉学に勤しんだ甲斐あって、十年後、士官学校に進んだ。
 そこに集っていたのは、全国から、部署のエース級と言われる連中で、彼らの多くは、私の悩んでいた答えを自分なりに見つけていた。
 そして、士官学校は、彼らが独自で習得したそれらの手法の正当性を学ぶ場所であった。

 “行政手続きにはルールが有る。それを守っていれば、臆病になる必要は無い。また、強引な手法を使わなくても、相手を納得させる方法はいくらでも有る。”
 実は私が嫌いな言葉にこう言うのがある。「これは決まっていることですから。」
 だから、なんだって言うんだ。何様のつもりだ。なんでそう決まっているのか教えてくれよ。いつも、私の心は叫んでいた。
 “全ての法には、立法根拠があり、運用の限界があり、解釈の異なりがある。そして解釈の異なりは、司法によって調整されている。我々はプロであり、責任義務があり、公正で誠実でなければならない。”
 そう言う条件の下、全国各地から集まったエース級が、切磋琢磨して、最適解を話し合うのだ。私は、悟った「学力は無力じゃない。最大の武器だ。」

 現場に戻り、私は教わった通りに仕事をした。
 相手にとって都合の良いことも、不利なことも、すべて説明する。
 中には、最初から聞く耳を持たない人もいる。しかし、公正と誠実を守る姿勢を見せると、やがて、話を聞いてくれるようになり、対立は解けていった。
 頭でっかちのような私のやり方は、周囲から疑念を抱かれることもあったが、数字がそれを補ってくれた。

 しかし、ある事案が私の運命を変えた。
 その対象者は、消費税そのものを認めていなかった。
 制度の成り立ちに納得できないという理由だった。
 そして自分は、消費税の申告義務があることを認めながらも、あえて申告せず、税務調査が来るのを待っていたという。そして、行政処分を受け、これを不服として裁判を起こしたいそうだ。
 私は、「そんなことをしても、消費税の非合理性や制度の成り立ちが争点となることはないです。」と説明し、さらに、消費税がなぜ、少子高齢化が進む先進国では必要となるかなどを説明した。
 そして、決定的な言い分として、「もし、あなたが消費税を申告する義務を自覚しているのなら、その収めるべき税金は、あなたが、お客さんから預かったものであり、あなたはそれを着服していることになりますよ。それが、所得税と消費税の違いですから。」と訴えた。

 とにかく、裁判がしたい彼は、20回ほど臨場したが、帳簿一つ見せることは無かった。

 1年近くが過ぎ、次の3月が過ぎた頃、突然、彼がその前年分の消費税の申告を提出した。
 この年分は、私の調査の対象外であり、私の成績にはならない。だが、あれほど、「消費税は間違った税金だ。」と言っていた彼が、自主申告したのだ。きっと、流石に預かり金を握っているのは良くないなと思ったのだろう。
 なお、私は、臨場を続けながら、銀行取引や商業取引を隈なく調査していたが、どうしても、彼が見せてくれない「現金収入」を抑えられないので、彼の過年分の申告に誤りがあることを立証するだけの証拠は集められずにいた。私の調査記録は、茶表紙3冊に及んでいた。

 しかし、そんなことはどうでも良かった。
 彼は、これから消費税を申告し続ける。それは、数字には現れない変化だったが、行政としては、十分すぎる成果だと、私は考えていた。

 私は、調査経過を取りまとめ、本事案の打ち切りを上司に申し出た。しかし、判断は保留され、7月の異動で、私は担当から離れ、当該事案は別の職員に引き継がれた。

 しかし、引き継いだ後任の上司の考えは、私とは全く違っていた。
 “これだけの調査を行いながら、成果0というわけにはいかないだろう。これでは税務署が舐められる。この調査結果からなんとか増差税額を導き出そう。”
 そして、僅かだが、彼は、所得税の増額更正を受けた。
 しかし、その基準となった売上が問題となった。私が立証できる書類を集めた売上は、3000万円に僅かに届かなかった(現金収入を加算できていないからね)。
 当時の消費税は、2年前(基準期間)の売上が3000万円を超えないと、申告しなくて良い免税事業者になる。
 というわけで、この無意味な意地を通すだけの増額更正の結果、彼が提出した消費税の申告は無効となり、税額は返却された。

 私には理解できなかった。
 目の前の数字を整えるために、長期的に築かれた関係と行動の変化を、切り捨てる判断がなされたことを。
 私が積み上げてきた、手順も、説得も、信頼も、彼らにとっては、なんの評価の対象ではなかった。彼らにとっては、「調査に行けば、必ず増差を出す。」ことの方が重要なのだ。

 ただ結論だけが求められていた。

 私は、正しい手順を学び、それを守れば、誰に文句を言われる筋合いはないと考えていた。
 だが、それは現場の理解度によって、すなわち前提によって変わることを悟った。
 学んだ理論も、整えた手順も、それを受け止める前提がなければ、機能しない。

 学力は無力なのではない。

 ただ、それだけでは足りなかったのだ。

エドガー・ドガ 「14歳の踊り子」(彫刻)

 数々のレプリカがあり、世界の主要な美術館には必ず飾られる有名な彫刻だが、写真のものは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーのオリジナルである。蝋で作られ、髪は、実際の毛髪を使用している。
 なんとも汚らしいと思う人もいるだろうが、なぜかとても人気がある。
 この像について、14歳の踊り子は、しばしば最下層の少女の現実を写し取った作品だと語られる。その生々しさゆえに、否定的な評価も少なくない。
 だが、私には別のものが見える。
 突き出した顎。張った胸。
 そこに有るのは、卑屈さではなく、むしろ意志の形ではないか。
 今は、身体中が泥沼になるようになり、シュシュが破れかぶれになるような練習を続けていても、彼女の視線の先には、華やかに活躍する“プリマドンナ”しか見えていないように私には見えるのだ。
 彼女が身につけているものや、置かれた境遇がどうであれ、彼女自身が何を見ていたかまでは決めつけられない。
 この像は、惨めさの象徴なのか、それとも、まだ届かぬ場所を見上げる姿なのか。
 見る者の前提によって、その答えは変わる。
 例えば、モデルになった彼女の4歳上の姉が、実際に舞台に立って、活躍する踊り子の一人であったと言う事実を知れば、多くの人は、私の視点にも同調するだろう。ただし、私の印象は、その事実を知る前からのものだが。