説難

少子高齢化問題にアバタケカブラ(アブラカタブラ)

1 産めよ増やせよ
 最近新聞、テレビ等の報道を見ていてどうしても耳障りな表現が有る。
 「高齢化社会を支える為に出生率を上げなければならない。」
 じゃあ、これから生まれてくる子供達は、自らの幸福追求よりも、身内か否かも定かでない高齢者の扶養を最優先課題とされるのか?それで「育児環境を整えるから、産めよ増やせよ」と言われて、どれだけの若者がその気になるというのだ。まだ、先進国の帝国主義に対抗するため、産めよ増やせよと言われた戦時中の大義の方が納得できる程だ。
 私達、昭和戦後世代の先代は、この国を敗戦の廃墟から世界第2位の国家にまで引き上げてくれた。しかし、我々が次世代に残したものはなんだ?
 富裕層だけが得をする莫大な借金、それを理由に低所得層に課せられる社会保障費。
 それを作り出している黒幕の思惑と、それが生み出している国民経済の歪みについては、後日語るとするが、惰眠を貪った我々昭和戦後期世代は、次世代はともかく、孫世代にまでそのツケを回すような事が有っては断じてならない。
 ではどうするというのか?
 打開策としてよく取り上げられるものに、「世代間扶養式から当世代自己扶養式への転換」と言うのが有る。要は現役世代の負担により引退世代の扶養を賄う現在の方式から、現役世代は、自己の貯蓄によって自己の引退期間の扶養を賄うという事である。
 それが叶えば、さぞかし、社会保険料を払うにしても、年金を積み立てるにしても、皆、今よりは積極的になるだろう。だから、当然、多くの学者がこの夢の制度転換を実現しようと考察を繰り広げているが、どうしてもいずれかの世代に過大な負担がかかるという事で、実現には至っていない。
 その打開策を探り続ける私に、ある平成生まれの青年が言った。
 「もはや日本の社会保障制度は、論理的に継続不能で破綻が決定付けられている、いわゆるネズミ講と同じだ。どの世代で破綻するか、破綻した世代に運が無かったと言うことだ。
 それでも私は、結婚して子供をもうけるつもりだ。自分の子の世代がその破綻の世代でない事を祈ってね。
 子供なんて欲しいからもうけるものだろう?経済的な理由をごちゃごちゃいう連中にはうんざりだ。」
 
 彼の言う事は最もだ。しかし、その高尚な覚悟も、諦めに満ちたこの社会に対する虚しい開き直りに思え、あまりに悲しい!
 やはり、彼らをそこまで追い詰めた責任を我々は取らなければならない。脳みそが軽石になるまで知恵を絞らなければならない。

2 年金制度の回天
 「回天」は人間魚雷のことではない。明治維新前夜、時勢を一変させると言う意味で多用されたいわば革命的発想の転換のことである。
 私が掲げる回天策は、前述した「世代間扶養式から当世代自己扶養式への転換」を実現する事である。それが夢想であるか否かは、以下の構想を見て判断願いたい。
⑴ Strategy(戦略)
 現在既に年金を受給する高齢者は、恩義ある先代ではあるが、社会保障についての支援額を20%カットさせてもらう。
 残りの8割は、昭和後期(40年以降)生まれの世代(これをX世代とする)がこれを負担する。さらに、彼らが次世代から受けられる支援は、40%のみとする。単純計算で、X世代は、老後の扶養のために、140%負担することになる。概ね40代後半から50代を超えているため、今から10から20年と言う短いスパンで、この目標を達成しなければならない。
 平成生まれのY世代には、上記のX世代に対する40%を負担しつつ、自己の貯蓄を行ってもらう。彼らも、同じように140%負担することになるが、X世代よりは、時間的余裕はある。
 この結果、令和生まれのZ世代は、完全自主独立となる。つまり、先代への負担はゼロ。全て、自分の老後のために社会保障費を積み立てると言うこととなる。そこで、彼らには、自分の社会保障費の貯蓄額を示す、積立通帳を交付する。その積立は、下限はあるが、上限は己が才覚次第とする。
⑵ Tactics(戦術)
 ⑴の戦略だけを聞けば、誰もが絵空事だと笑うだろう。当然、それぞれの世代が負う負担をどう克服するかと言うことが問題となる。
 そこで、得意の韓非子を活用させてもらう。
 韓非子・外儲説篇 左下「有術の主は、信賞にして以て能を尽くさしめ、必罰にして以て邪を禁ず。(信賞必罰)」
 韓非子の法治理念には、常に、賞と罰が存在する。
 しかしながら、現代の法治国家の多くは、刑罰には体系的なものがあるが、報奨に関する基準が体系的である国は少ない。ノーベル賞国民栄誉賞も基準は曖昧だ。
 ふるさと納税の熱狂や、わずかな還付金のために、サラリーマンに対し、あたかも事業者にでもなったかのように、せっせと領収書を保存せしめる医療費控除などを見ればわかることだが、国民は、わずかな褒賞でも、血眼になって勤めるのである。
 私は、褒賞を持って、この難題に対峙する。
① Xup 現年金受給世代=健康高齢者ポイント制
 私のストラテジーでは、20%支援がカットされる。これをいかにしてカバーするか?
 令和5年度国家予算の社会保障費36兆円のうち、実は年金よりかかっているのは、医療費負担12兆円である。そして、75歳以上の高齢者一人当たりに対する医療費の国庫負担額は、75歳未満の人の4〜5倍である。
 歳を取ったら、あちこち具合も悪かろう。しかし、日々健康管理に努め、バリバリ働いている人だっている。ところが、国は、そのような、健やかに頑張る高齢者を「現役扱い」という名目で、自己負担割合を3割にし、自堕落に寝そべってばかりいたり、不規則な食事や生活をしていたりで、体を壊した者も含めて、収入がなければ、1割負担にしている。これでは、健康を維持して働いている人の方がバカみたいである。
 楽しく健やかに長生きする方が、本人にとっても、周囲にとっても良いことこの上ないだろう。しかし、今の制度では、そのモチベーションに水を差す。だからと言って、本当に弱っている人もまとめて、自己負担割合を上げろとは言わない。
 そこで、健康を維持している高齢者の方々には、特典を授けよう。
 前年度の一人当たりの国庫負担等から、一定の基準額を設ける。
 基準額を下回った金額に応じて、永久不滅ポイントを付与する。
 ポイントの還元率(円に替えるといくらになるか)は、その度の基準額(つまり一人当たりの医療費の国庫負担額)と制度初年度の基準額との差額で決まる。全体の平均が下がれば、換金率が上がると言うことだ。
 基本的にこのポイントは、自分が大病にかかった時の治療費として換金できるが、最終的に遣わずに亡くなられたときは、保険金として相続財産となる。
②  X世代=アナログDX要員
 私のストラテジーでは、140%の負担が求められ、しかも準備期間が短い最も厳しい要求を突きつけられる世代である。
 ただ、非常に期待できるところは、基本的にITを使いこなせるか、今からでも、使いこなせる人間になれるという点である。
 デジタル化が進むと、コンビニの店員がアバターになって、セルフレジが当然になり、労働者はさらに不要となる。という人が多いが、日本はそんなことを心配しているような立場ではない。2022年9月「世界国家デジタル化ランキング」で、日本は29位。完全に後進国並みなのである。

 IT業務を若手に任せっきりにしているからこんなことになる。IT=若い人とか、頭が禿げているから、パソコンは打てないなんて時代は、もう20年以上前に終わっている。若い人には、他のイノベーションを追って働いてもらわなければならない。

 その昔、テレビやラジオを解体して修繕できるような人たちがいた。今でも、パソコンを部品から組み立てる猛者がいる。しかし、これらの技術は電子化が進むにつれて全く無用になる。
 実は今の日本にはこのようなもっと電子化が進むと必要なくなる技術や業務がたくさん有る。私はこれを「アナログDX」と呼ぶ。
 例えば、携帯電話会社、IT機器販売店の販売相談カウンター、及びカスタマーズセンター業務。
 携帯電話を買い換える度に、おっかなびっくりしながらバックアップをし、説明書をグダグダ読みながらインストールをする。それでもうまくいかないのでカスタマーズセンターに電話するが、散々待ち受け音楽を聞かされた挙句、対応する人は、日本語が怪しかったりするケースは誰にでも経験あることだろう。
 今サービスカウンターを占領している若い子達に、これらの業務を頼むと4000円から5000円かかる。
 このような、基本的に、マニュアルを読破し、クレーマーをうまく交わすことさえできれば、座ってできる仕事が、前述した「アナログDX」に当たる。
 つまり、若い人たちが覚えていても仕方がない、いずれ消えていく技術であり、逆に高齢者でも充分務まるものだ。今の高齢者(Xup世代)にこれを求めるのは酷な話であるが、X世代が高齢者となる10〜20年後に、カウンターに若手を置いている企業は、正直無能だと言って過言ではない。
 見映えが気になると言うのであれば、それこそアバターボイスチェンジャーを使えばいい。
 
 政府は、X世代で、ITパスポートくらいは持っているという人間には、高齢者であっても、優先的にこのような労働現場で採用するよう働きかける。特に彼らは、自分の社会保障国庫負担を減らすためにこのような労働を行なっているのだから、彼らの社会保険料の企業負担分は無しとする。
 また、日本の税制には、やたらと、機械化・電子化に取り組むことに対しての優遇措置が設けられている。この点は、「信賞にして以て能を尽くさしめ」ていると言えるわけだが、上記に挙げたような、DXアナログにX世代の高齢者を採用する場合も税制面で優遇すると良いだろう。
 それだけ差がつくと、スキルに差がなければ、X世代高齢者の独占市場となろう。
 
 このほかにも、アナログDXはたくさん存在する。
・最近の充電ケーブルはすぐ内部断線を起こし、繋がらなくなる。高いものでは無いが、もしカウンターに持って行って、パンク修理のように500円で治してくれるとしたらどうだろう?私なら、UVERマクドナルドを持ってきてもらうより得だと考える。
・ある企業が、一気に電子化に踏み込んだはいいが、紙媒体の昔の研究記録をなんとか残しておきたい。
 印刷物ならテキスト読込付きでPDF化してあげますよ。手書きだったら、タイピング、いや今なら読み上げ入力か?どっちもAIにはできない。
・電子化してから、ずいぶん経つと、不要データが蓄積されて、サーバがパンパン。最初にフォルダポリシーをしっかり決めてなかったから、フォルダの管理がむちゃくちゃ。どれを捨てて、どれを残せば良いのやら。
 私なら、とりあえず、一旦全データをバックアップして、別の環境で整理する。戻すときに(トランザクションジャーナルを使ってロールフォワードするとか)ちょっと頭を使うけど、2ヶ月も勉強すればできるようになる。
 作業時間はかなりかかる上に、非生産的な仕事なので、これもアナログDX仕事。
・写真データや見積データの類似・重複を解消する。・社内機器のバージョン、スペックの一括管理。・フォルダや社内ソフトへのアクセス権(デシジョンテーブル)の整備や確認テスト。
 急速な電子化で発生しがちな負の遺産を整理する。若い子に任せるのは勿体無い。それがアナログDXだ。例を挙げるとキリが無い。
③  Y世代=今のところノーアイデア
 ずっと、この世代の救済措置を考えていたのだが、結局思いつかなかった。
 ただ、Xup世代には、健康でいてくれれば良いとし、X世代には、政府の後押しはあるとはいえ、基本的に自分でスキルを上げて、働けるところまで働け、という厳しい要求となっている。
 それに比べれば、Y世代は、まだ少し余裕があるということになる。
 また、②で掲げたアナログDXは、おそらく電子化が進む時代時代に存在すると考えられる。自分たちが生きた世代に活用された技術が、陳腐化され、次世代にとっては邪魔なだけだが、整理せざるを得ないもの。それが、その時代のアナログDXだからだ。
 それにY世代には、一つ大きな褒賞が有る。「自分たちの世代で、くだらない世代間負担制度を終わらせ、自分の子供達は、頑張っただけ余生を楽しめるという当たり前の幸せを残せる。」ということだ。これだけでも、X世代の私は、Y世代に生まれたかったと思う。

 以上、少子高齢化解消のボトルネックとなっている、最悪な社会保障制度を、この三代で、叩き潰す。しかし、少子高齢化問題に完全にアバダケダブラ(最終滅失魔術)をかけるには、もう一点、男女雇用均等の虚飾を剥がす必要が有る。その点は、次回「タートルネックのマドンナ達」で論じたいと思う。

ラファエロ・サンティー「キリストの変容」

 ゴルゴダの丘での十字架処刑から、奇跡の復活後、改めて、死の瞬間が訪れ、天に召されていくキリストを描いたもの。よく見ると、画上の構図は、8の字に描かれており、救世主が、二重螺旋の中を昇るかのように演出されている。ルネサンス三代巨匠の一人、ラファエロならではの天才的御業に感激する。
 表題のアブラカタブラは、ハリーポッターではアバタケダブラという、敵を滅失させる最終にして最強の呪文だが、その語源は、諸説あるが「我、思いのままに事を成すなり」というのが、最も有力な説とされている。
 今回この絵画を選出したのは、救世主が、「我、思いのままに事を成すなり」と唱え、三代の人々に螺旋を作らせ、諸悪の根源の一つ、“世代間負担制度”を昇天させている様と重なり合わせてみたものである。その美しさから、諸国民の献身と勤勉の必要性を感じ取ってもらいたい。おそらく、私のストラテジーは一部の優れた国家にしか叶えられないだろう。