説難

上杉鷹山

 「為せば成る」は普通に使われる慣用句。時折丁寧に「為さねば成らぬ何事も」と続ける方もいるが、「成らぬは人の為さぬなりけり」と続けられる人は、なかなかの通であろう。私の父は、それが極貧の米沢藩を救った名君、上杉鷹山の言葉であることを知ってか知らぬか、酔っぱらうとその下の句を満悦に唱えた。

 おかげで、小学生にして、鷹山には、心惹かれるところ多く、信奉していた。

 知る人ぞ知る、炭火の話をしたい。

 関ヶ原で敵側に加担した上杉家は、肥沃な新潟から従者(従業員)の数はそのままで、年商半額の米沢藩に転封される。

 折しも、当時の米沢藩は飢饉に見舞われ、極貧で皆が希望を失っていた。

 その光景を目にした着任したての藩主、上杉鷹山(当時は改名前で、治憲)とその一行は、暗澹たる思いで愕然としたという。

 しかし、鷹山は、廃屋のくすぶっていた残り火を見つけこれをかざし、「まだ火は残っている。今は、ちっぽけな火種だが、使いようによっては大火となろう。我に策有り、火種を絶やさずしばらく耐えよ。」と檄を飛ばした。

 数年後、米沢藩は財政再興を果たし、他の模範となる豊かな藩へと変貌する。

 

 もう15年も前になる。

 私の役所は、ある行政手続きを電子化するため、ネット上で申請書を作成できるシステムが開発した。

 私は、何の因果か、その直前、それを開発する部署(というか建物内に居ただけだが)に出向していたため、当然のごとく、この「システム」の普及のプロジェクトチーム(PT)に組み込まれた。

 しかし、PTの方々は、機械には多少詳しいようであったが、その雰囲気は、鷹山が赴任した時の米沢藩の様だった。

 実はこれに始まらず、私の組織は、何度かその手続きの機械化を検討し、いろんなチャレンジがされていたが、利用者は、自力で手続することを怖がった。

 「自分で作って、間違っていたらどうしよう。とにかく一度提出先の人に見てもらいたい。いくら自動計算システムがあっても、自分で打つのは嫌だ。」なのだ。

 しかも、新システムはあまりにセキュリティが堅牢であったり、初期設定が複雑であったり、とても、利用者に操作できる代物でなかった。

 

 しかし、私は知っていた。私の組織が望む未来を。平成15年に電子政府構想が打ち出されるずっと前から、その手続きを機械化すること。訪れた利用者が、ATMのように無人対応でも、手続きができるようになること。

 などというと、すぐに「老人や障害者はどうするんだ?」という声を上げる人がいるが、今、そのシステムは、15年前に比べ、高校生レベルでも自力で、しかも自宅で操作できるレベルまでが平易になったにもかかわらず、窓口に訪れる人の数は一向に減らない。

 私たちは、老人や障害者を切り捨てる気など毛頭ない。「打てる人が打ってくれたら。作れる人が作ってくれたら。専門家に頼める人が、頼んでくれたら。」本当の社会的弱者に手を差し伸べる時間ができるのである。

 

 話がそれてしまったが、15年前、そういった当局がその数年前から嘱望し、全力をもって実現しようとしている未来を見てしまっていた私は、やる気のなかったPTのメンバーに、前述の鷹山の話をし、「今は始まったばかり。新しいシステムはいつも扱いにくいものだ。火種をそっと心に灯し続けて、いつか良くなる、その内誰にとっても当たり前のものになる、これを信じましょう。」と言った。

 それから、数年、夢想的な未来を想像できず、多数の人の反感を受け、アウェイな時期が続いたが、いくつかの灯(ともしび)が残ることができたであろうか?

 しかし、現状、その手続の70%以上が、そのシステムを利用してのネット送信か、自宅で作成しての郵送提出となっている。

 結局は、霞が関の指令が大阪本店を通じて徹底され、現場指揮官が四の五の言えなくなって突き進んだ成果であって、私たち黎明期のメンバーなど眼中にに無いと評されるだろうが、私は、転勤の先々で、指揮官の指名を受け、推進の矢面に立ち続けることができた。たぶん灯(ともしび)をしつこく握っていたからだろう。

 おかげで、後続する人たちに理想を語り、火種を分け続けることができた。

 不要・複雑な取引は簡略化され、セキュリティはそのままに、利用しやすいシステムへと例年進化を続けている。

 パソコンを知らないモバイル世代(そんな世代があることを最近知って驚いたが)に対応したインフラ整備も完成間近だ。

 さらなる普及と発展が楽しみである。

   

f:id:Kanpishi:20181201170223j:plain

エドゥアール・マネ作「フォリー・ペルジェールのバー」(1882年)

 19世紀末、写真の出現とともに閉塞感を増す絵画界において、多くの画家が「道」を模索し続ける。その多くは、後にその因習から完全に解き放たれ、自由の翼を存分に広げる「印象派」以降の作品の発火点となる。

 その中でも、マネの革命的でセンセーショナルな作品は、当時まだ若手であった印象派のメンバーに絶賛され、兄と慕われる。

 まさに、マネは、印象派にとっての火種になったわけであるが、私は、彼を有名にした「草上の食卓」や「オランピア」といった、問題作を推奨しない。

 この絵画は、印象派が立ち上がった10年近く後に描かれているが、私が注目している事項は、「草上の食卓」でも現れ、印象派もそこに注目している。

 女性の後ろは、鏡に映った鏡像という設定であるが、女性の後ろ姿の角度が、まったく合っていない。

 これこそが、絵画にとって重要な部分。「そう見えるからそう書いた。その角度が気に入ったから同時に書いた。」だ。

 この火種は、印象派も伝承し、マティスピカソへと続いていく。

 

巧詐(こうさ)は拙誠に如かず

 「韓非子 説林上」に掲載されている逸話。

魏の将軍、楽羊は中山という国を攻めた際、中山の君主は、楽羊の子息を捕えただけでなく、その子を煮て汁物を作って楽羊に送りつけた。しかし、楽羊はこれに動じず、座してその汁を啜り、一杯を食べ尽くした。

魏の文侯は、「楽羊は私のために我が子の肉を食べたのだ」と称賛したが、幕臣の堵師賛は、「我が子の肉ですら食ったのです。一体誰の肉なら食わないというのでしょう」と。返って警戒を促した。

 

孟孫が狩りに行き、子鹿を捕らえた。

秦西巴に命じて車に乗せて持ち帰らせようとしたところ、子鹿の母がついてきて啼くので、秦西巴は憐れんで子鹿を母鹿へ返した。

孟孫は帰ってきて秦西巴に子鹿を持ってくるよう命じた。

秦西巴が答えて言うには「憐れに思って母鹿に返しました」と。孟孫は大いに怒って秦西巴を追放した。

ところが三ヶ月後、再び秦西巴を呼び戻して自分の子の守り役に任じた。

御者が尋ねた。「先日は罰しようとしていたのに、今は召し戻して守り役にしたのはどうしてですか」と。

孟孫が言うには「子鹿でさえ憐れみいたわったのだから、私の子を可愛がらないはずがない」と。

 

息子を殺されても主君のために戦った将軍は忠信が巧妙すぎたことが仇となり、翻意を疑われ、小鹿を哀れんだ凡庸な家来が重用される。というもの。

 

巧詐(こうさ)は拙誠に如(し)かず

巧みにいつわりごまかすのは、つたなくても誠意があるのには及ばない。

 

世の中は理不尽に近いほど、不合理だ。

 

  さて、今回は、現代社会にこの逸話について考えさせられるケースがあったという話。

 

  息子の通う人文学部という学部は、私はよく知らない学部だったが、人間とういうものを観察してそこから何かを得ようという学問らしく。ホスピタリティ(もてなし)の研究もその一つのようだ。

 ある日、そのホスピタリティとやらについて、息子と話した。

 日本が外国からの観光客に人気が有るのは、「お・も・て・な・し」、すなわちホスピタリティの高さが評価されたものであるが、息子が言うには、その中で特筆すべきところは、日本の神社なのだそうだ。日本の文化の中枢だけに、それをわかってもらうため、外国人向けに英語のアナウンスを流したり来訪者に様々な便宜を図っているとのこと。

 

 しかし、私は、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂を訪れた時のことを思い出した。

 入る直前、礼拝堂内での作法について、多言語のアナウンスが流れてきて、日本語のアナウンスも流れて来たことを思い出す。日本人もよく来るのかなと言った面白みは感じたが、これからヴァチカン芸術を堪能しようとするところに、飛んだ興ざめだった。

 娘と美術館に行った時、無駄に詳しい私は、良かれと思って説明していたら、「素直な気持ちで観たいから余計な説明は要らない」と言われた。

 日本の寺社仏閣は、その建築様式がすでに芸術だ。アナウンスは時に邪魔になる。

 過剰な接客の要不要は常に議論の的だが、私は、行き過ぎたサービスに対しては懐疑的な方だ。

 

 その頃、息子はとあるメガロステーションの結構人気の有る洋食店にバイトで行っていた。立地もムードも良く、連日大盛況で大忙しだったらしい。

 しかし、そんな中でも、処遇・接待については非常に厳しかったという。机の上はもちろん、椅子の下まで注意し、決して客の手を汚したり、わずらわせたりしない事が徹底され、更に食事の進み具合やグラスのドリンクの残量を観察し、さりげなく追加注文の有無を尋ねたりと、なかなかの気遣いである。

 ただ、残念なことに、ドリンクは逸品だが、料理は三流だったらしい。

 

 彼が、そのバイトに疲れを感じ始めていた頃、近所にちょっとした日本料理店が開業することになり、オープニングスタッフを募集していた。

 オープニングスタッフの経験は、就活を控えていた彼にとっても必需品だったので、前述のバイトの後釜にもなろうかと、応募したら、喜んで迎え入れてくれた。 

 ところが、ここの主人とその妻が、ビックリするほど、接客の知識がなかった。

 せっかく良い食器を持っているのに、洗い方や置き方が雑。グラスが飲み物に合っていない。立ち位置、座席案内、オーダー受け、バッシング、会計、洋風和風の違いもあろうが、そもそも最適を目指したルールが存在しなかったという。

 しかし、主人はとても人柄も良く、料理は抜群に美味かったという。

 

 私は嬉しくなった。私には、息子の言う接客ルールの必要性は感じられなかったから、世の人は、「少々不味くても、計算されたホスピタリティとやらと、未熟でサービスは拙いが、腕の良い料理人。」どっちを選ぶのか?面白い実験材料に思えたのだ。

 息子も私の興味に共感してくれて、観察に力を入れること約束してくれた。

 

 就活等の都合も有り、観察できたのは3ヶ月ほどだったが、結果はある程度集約できたという。

 日本料理店については、主人は料理しか出来ず、奥さん(女将さん)は大学生の息子より世間を知らず、頭を下げることを知らなかった(妻も実際に会ったが、誇張では無いようだ)という。結果、匠の技は、逸品はおろか良品とさえ評価されず、ただ、出てくるのが遅いのと、無駄に高いという印象しか与えられなかったという。

 宅配ピザの配達員でさえ礼儀に厳しいおり、1時間、場合によっては数時間滞在する飲食店において、ホスピタリティがゼロというのは致命的だったろう。

 一方、洋食店の方は、もともと数年営業しているのだから有利なわけであるが、最近、系列会社から派遣されてきたマネージャーが異常に接客重視で、あまりの厳しさにバイトが辞めてしまい、その分を厨房から引き抜いて補おうとしていたらしい。

 接客担当は、忙しいながらも、厨房がサーブしてくれるから成り立つ職業であることを十分に理解している、如何に計算されたホスピタリティをもってしても、程度を超えた待ち時間や、粗雑な成果物の提供が横行してはフォローすることはできない。続けて行けば破たんは免れないだろうと、さらにベテランが何人か辞めてしまったらしい。

 

 拙誠が巧詐を破ったかというと、残念ながら勝敗つかず。いやどちらかというと、やはり、やや巧詐の方に軍配が上がった感が有る。

 

 冒頭に挙げた韓非子の逸話には、韓非子らしくなく、その者の質実(実績や実力)を問うところがない。

 息子の通った両店の観察結果から思うところは、まず「誠」有りき、「技」有りき。しかし、それだけでは埋没する。その「誠」と「技」を損なわない範囲でホスピタリティも不可欠。ということになろう。

 人は情によってのみ動くわけではない。こと商売においては、誠のみで成り立つほど甘くは無いのでなかろうか?

 ちなみに私は、2000円以上する夕食で、給仕の腕の悪い店は大嫌いだ。

 高架下で、安い酒を飲むのも大嫌いだ。

 食事は良いものを良い雰囲気で堪能したいタイプである。

 

f:id:Kanpishi:20201007224952j:plain


 「印象派」の語源となった、クロード・モネ作「印象 日の出」

 19世紀末、カメラの出現により、被写体を精緻に描く技術は、一部の天才や努力家のものではなくなった。

 しかし、時同じくして、「光・感情・印象・雰囲気」なるものを瞬時に捉え、キャンパスに残そうとする人々が現れ始めた(当時のカメにはできないことだ)。

 早書きで稚拙に見える印象派絵画は、発表当初は酷評をうけ、今でもあまり好まない人も居るようだが、当然のことながら、彼らにはしっかりとした「技」が有り、光を追う姿勢においては、「誠」も存在していたように思う。

 この絵は、拙誠の中に巧詐が隠れている。そこが素晴らしい。

教育は国家百年の大計2選挙権

 

 

  「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。(憲法41条)」

 私のお気に入りの条文の一つだ。

 憲法に関する記述の多くは、日本国憲法の三本柱の一つである国民主権(主権在民)について、憲法の前文で示されているという。

 憲法の前文は宣言である。多少拘束力は持つが、具体性を欠く。そんな所信表明のような、「つもりです発言」に載っているなどと言っているから、この憲法の素晴らしさを知ることのできない国民が増えるのだ。

 私は幼少の頃、よく新しい遊びを思いつくので、友人たちには重宝された。しかし。その新しい遊びは、人数が増えるごとに、ズルや不公平が生じ、新しいルールの設定が求められた。

 遊びの発案者として、私が考えることも多かったが、私より上の実力者がいて、そいつが決めることも多かった。もちろん相談で解決する事も有った。そして漠然とした感覚では有ったが、自ずと、ルールを決めるものが、人であろうとシステムであろうと、最高権力であると悟った。

 そして、この41条を初めて読んだ時、その悟りを代弁してくれた、一行足らずの条文に戦慄を覚えたのである。

 教師は、憲法の前文を暗記させようとしていたが、私にとって、主権在民は41条に有った。正しくは、その国権の最高機関の構成員を選出する権利は、国民固有の権利とする憲法15条「選挙権」とセットでなければいけないのだが、宣言なのか理想なのかよくわからならない御託を並べている「前文」よりも、よほどはっきりしていて、何よりイサギが良かった。

 後年、韓非子に出会い、法を基軸とする国家運営を学ぶと、ますますあの時の戦慄は正しかっと感じられる。

 

 選挙権も18歳以上に引き下げられたことだし、中高の教育で、あるいは、国の成り立ちを教える段階ならいつからでも、主権在民は、憲法の中で「宣言」されているだけではなく、条文に明確に定められていることを教えて貰いたい。

 

 ところで、主権在民(民主主義)には一つ条件が有る。

 有権者が、一定の知識を持ち、主権者としての義務を怠らないことである。

 トランプ大統領を始め、いくつかの例で、無能な有権者が、雰囲気に呑まれて、正確な議論をしていないという、いわゆる「ポピュリズム」が問題視されているが、それでも国民が自由意志で選挙権を行使できていて、実際投票率が上がっているなら、それでいい。

  問題視する者の声が聞こえてこない国(結構存在しているが)や、選挙権の価値が失われて行く方が問題だ。

 

 ある出来事を知った時から私は国政選挙はもちろんのこと、なるべくどのような選挙にも投票に行くようになった。

 

 激しい虐殺合戦が続いたカンボジア内戦を見かねた国連が、各勢力の間に割って入り、休戦合意と普通選挙の実施に漕ぎ着けた。その監視役として国連が派遣したのがpeace keep organization (国連平和維持活動)=PKOだった。

 各国から日本からもPKOに参加する人たちがいた。

 しかし残念な事件が起きた。

 1人の学生と文民の警察官(自衛隊員ではなく、武器を持たない普通の警察官)が、休戦合意に不満を持つ勢力のポル・ポト派によって殺害されたのだ。

  強引に平和貢献のためといい、人を出したために日本人が死んだではないかと世間の人達は国の姿勢を批判した。

 しかし、彼らは、日本の国際貢献をアピールするためにPKOに参加したわけでは仲経ったでしょう。悲しいことに、彼らが守ろうとしたのが、日本人には意識すらされていない「選挙権」ですよ、と報道してくれるチャンネルは無かったように記憶している。

 

 元大阪府知事大阪市長橋下徹は、大阪府民を二分する、大阪都構想が、住民投票の結果、49:51で否決された時、「これだけの大戦をして、一人の死人も出ない。民主主義って素晴らしい。」と語った。

 

 私の子供達も、特に息子は18歳になって、初に施行される選挙に参加する機会があったので、必ず投票に行くよう勧めた。

 別に理由は聞かれなかったが(小さい時から親が行っているから、格別疑問は感じないらしい)、聞かれた時の答えとして用意していたものを、ここに掲載する。

 

①選挙権を行使するには一定の知識が必要だ。その知識を備えることは、民主主義における主権者の義務であり、必要なコストだ。

②日本の選挙権は、先の大戦における、国内350万人、アジアで1000万人の屍の上に成り立っている。

③年代別など何らかのカテゴリーで投票率を分析すれば、当然投票率の低い高いが現れ、高投票率のカテゴリーに合わせた政策(例えば若年層の投票率が上がれば、若年層に合わせた政策)が優先される。

 

 勉強不足で、選べなかったとしても、勉強はしたが、自分の考えを代弁してくれる人はいなかったとしても、消去法で「こいつだけは嫌」「だからそれ以外で一番若い人にした」でいいのだ。

 自分の属するカテゴリーの投票率を上げられたら。まずそこからなのでしょう。

  この簡単なロジックを是非、学校でも家庭でも、教育に取り入れ、有能でなくても、民主主義を支えるに足る有権者を育てて欲しいものだ。

 

 最後に

 第12条は言う。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。」

 

 憲法は主権者を拘束する法律であると以前語った(マグナ・カルタ参照)。

 この12条は、我々国民に課せられた義務なのである。

f:id:Kanpishi:20181224211153j:plain

ルーベンス「パリスの審判」

 トロイ王の息子パリスは、二男であったこともあって、のんきに羊飼いをしていた。

 しかし、美しさを競い合ったギリシャ神話の三女神、ヘラ・アテナ・アフロディーテのいざこざに巻き込まれて、誰が最も美しいかを判定させられる。

 三女神は、それぞれ「地位」「勝利」「愛」を与えると約束し、パリスの投票の証である黄金のリンゴを得ようとする。

 そして、パリスは、愛を約束したアフロディーテを選択し、リンゴを渡す。

 その選択は、後のトロイ戦争の引き金となっていくのだが、パリスがどれを選択していたら、正しい選択だったのかなど予想のしようが無い。

 しかし、彼が選択を断っていたら、女神たちは人類の無能さに対し、何らかの報復を与えていたことは間違いない。

 

 フランダースの犬で有名なルーベンスだが、人体描写にしわが多すぎるので、あまり好みではない。多くの画家がモチーフにして画題で、選択肢はたくさんあったが、結局、献策で一番に出てくるこの作品を選んでしまった。

 それでも、本日の投稿に最も合う画題であり、ルーベンスは、私の好き嫌いを排除すれば、選択に値する画家だ。(選挙も同じようなものだ。)

 

善く吏たる者は徳を樹う

 4月に入ってから、ある事案をきっかけに上司との関係に小さな亀裂が入り、修復を心掛けて、細心の注意を払っていたのだが、5月の連休明けの事案で、決定的なミスを犯し、とうとうキレられてしまった。

 おかげで、とてもふさぎ込み、ブログのほうは更新する余裕がなかった。

 私の仕事はしがない木っ端役人である。

 現在の上司とは昨年の異動で配下に付くことになったのだが、いわゆる体育会系の上に、我が組織の特殊強襲部隊に所属していた経緯もあり、残業はもちろん、昼抜き、休日勤務も屁の河童、WLB(ワークライフバランス)などくそっ喰らえというような方で、「役所のような公共機関は、時短においてもWLBにおいても、社会のメルクマール(模範)として、最先端を進むべきだ。」と考える文系色白役人の私とは、水と油な関係だった。配属当初から、「これは合わん。」とお互い思っていたであろうが、そこはお互い50歳前の大人なので、正反対の意見が出ても、どちらかが引いて合わせてきた。

 正直言って、現場の彼の実力はピカイチであった。

 法律の方はあまり得意ではないようだが、現場での情報収集・確保についての抜かりはない。特に驚かされるのは、情報技術(いわゆるIT)が秒進分歩のこの時代に、新しく開発された情報収集技術を即座に会得して行くところだ。

 彼の方も、私の知性派的なところには敬意を表し、お互いにリスペクトし合って、良好な関係を続けていた。

 

 しかし、どうしても相容れることができないところが有った。

 それが、彼の言う、「自分たちは役人であり、調査をする権利があり、国民はこれ受忍する義務が有る。」という考え方だ。

 連休明けの決定打となった原因も、彼の指令した情報を私が持ち帰らなかったため、「上司の命令不服従」(国家公務員法98条であることはきっと知らない)だと、声を荒げて怒り散らしたわけだ。

 めんどくさいので、その場で弁解はしなかったが、その情報は、極めて複雑な情報で、整理した回答表でも作らない限り、容易に得られるものではないと判断したのだが、彼の考えでは、その整理表も、相手が作ればいいということになるのだろう。

 彼には彼の目標があり、今度の事案は、やや特殊なもので、これを基に、新たな手法を編み出すことも視野に入れているようだ。私とて、木っ端とはいえ役人の端くれ、そのことは理解しているし、国益に利するとあらば公務に服す。しかし、相手の方は、それに付き合う義務はない。

 

 役人の権限を拡大解釈して、相手に無用な負担を負わせることは問題があると考えずにいられない。役人の権限に対する彼の誤解は、役人という仕事を多少なりとも誇りに思っている私にとっては、看過できない。

 役人の権限とは、法治国家における担保(法律を守る者がバカを見ないという保証)として役人が存在する事に由来する。そのバックボーン有っての権力なのである。役人だから権力があるのではなく、真面目な国民のために権力を付与されているのである。前述したような、傲慢とも取れる考え方は、本店の特殊部隊なら通用するかもしれないが、支店の木っ端役人が吐いたら、たちまち大炎上である。

 まあ実際、大炎上したという話を聞かないところを見ると、酒場で息巻いているだけかもしれないが、その方が却って悪質だ。

 

 ここで一つ、韓非子から逸話を紹介する。

 役人たるもの、こうあるべき。と信じさせてくれた逸話であり、時折、新入社員に聞かせることがあるお気に入りの逸話である。

 

韓非子55篇 外儲説篇】

 孔子の弟子の子皐(しこう)が衛の国の裁判官をつとめていたとき、一人の男を足切りの刑に処した。刑を終えた男はやがて城門の番人にとりたてられる。

 

 その後、衛の国に内乱が起こり、身に危険が迫った子皐は城門から脱出しようとした。すると、くだんの番人に呼び止められる。「これまでか。」とあきらめたところ、番人は彼を自宅の地下室にかくまい、子皐は事なきを得る。

「私はあなたの足を切らせた男ですよ。なぜ助けてくれたのですか?」子皐が尋ねたところ、番人はこう答えたという。

 

 「わたしの罪は逃れようもないものでしたが、あなた様は取調べの時、なんとか罪を免れさせてやろうと一所懸命のご様子でした。また、罪状が確定して判決を申し渡される時には、いかにもつらくてならんといったお気持ちがありありと見て取れました。あのときから、わたくしはあなた様を徳としているのでございます」

 

 のちに孔子はこの話を聞いて、「善く吏たる者は徳を樹う」と語ったという。

 

 いかにも徳を重んじる孔子の言で有るが、重要なのは、この逸話が、論語に掲載されているわけでなく、法家の韓非子によって紹介されていることである。

 すなわち、その心は、「上に立つ者には「徳」が必要だ」などという解釈ではなく、法を執行する者の姿勢を説いているのである。この話が、役人に優しさ(徳)を求めているものなのであれば、足を切らなければよかったのだ。

 法が無味寒村とわかっていても、執行官が、余計な裁量(去年の流行りで言う所の忖度)を挟まず、ただ法にのみ忠実であったからこそ、罪人は法に則り罰を受け入れ、役人を恨まなかったのだ。

 

 役人には、本来ノルマというものはない。ただ情勢に応じ処理しなければならない、要処理件数というものは存在する。あるタイプの不正を、社会的影響が及ぶ程度摘発すれば、そのタイプの不正は抑制される。という計算だ。

 しかし、思惑通り不正摘発件数が伸びないこともある。

 それが担当者の責任であるか指令した上官の責任であるかはケースバイケースだが、要は、ノルマとは呼ばないが、「任務」に追われることが有るのだ。

 50歳前で、ヒラの私でも、現場の踏み込みが甘かったと反省することは多い。

 しかし、時々そういうことが続き、「任務」が全うできなくなると、上司の苛立ちもボルテージが上がるもので、日大アメフト部のような、「待て、待てえ」と言いたくなる指令が飛んで来る。

 民間で営業している人たちの話を聞いていると、もっと厳しく露骨だそうだが、役人の世界では、ご法度でしょうと思う。

 

 そんな理不尽な命令を受けたくない一心で、善吏たるには実力がなくてはならないと、調査技術を磨き、人に劣る事績とならないよう頑張ってきたが、本店しごきのムキムキマッチョには勝ち目なく、軍門に下るより他はなさそうだ。

 

 「善く吏たる者は徳を樹う」。韓非子は、この言葉にこう続けた「吏為る能わざる者は怨みを樹つ」

 過剰な圧力は、国益に利すらないのだ。

 しかし、それを主張するには、「任務」を貫徹にこなし、やり方に文句を言わせない技量と知識を探究するしかない。

如何に崇高な理念が有ろうとも、今の私には、彼を屈服させるだけの技量が無いのだから。

さて、どこまで善吏の矜持を守りきることができることやら。

  f:id:Kanpishi:20180526232818j:plain

「夜警」 知る人ぞ知るレンブラント・ファン・レインの代表作ですね。

 バックブラックにライトアップされる人物像は、レンブラント特有の輝きを放ち、絵画の中に、初めて「光」が持ち込まれたバロックの象徴といえます。私が絵画に興味を持ち始めるきっかけとなった一枚でもあります。

 有名な逸話ですが、夜警と言っても、実際には昼間の光景だったのが、保存状態が悪く、黒ずんでしまったため、「夜警」という名がついたそうです。

 登場人物は、中世の商業都市アムステルダムで組織された、とある「自警団」であります。

 社会が勃興すれば、ルールが必要になります。つまり法です。

 法あるところ、法を守る者と、守らない者が現れ、それを守らせ公平を保つ組織が必要となります。

 「役人は憎まれて何ぼ。」任官当時よく言われました。

 しかし、憎んでいるのは、不正を摘発された人たちだけです。私たちは、その社会が必要としたから生まれた組織だと信じて来ました。

 そして、韓非子の言葉に触れ、不正を摘発される人たちにさえ、徳を樹うことができることを知りました。

 これからも「善吏徳樹」を胸に、「任務」を遂行していきたいと思います。

 

 
 

 

マグナ・カルタ

 高校くらいで習うのだろうか?知る人ぞ知る、世界最古の憲法である。

 習ったころは、受験のための暗記用語の一つくらいの意識だったが、30歳を過ぎて、立ち読みした本(痛快!憲法学:小室直樹著)から、この法典が、世界最古の憲法と言われる本当の理由を知り、それ以来、歴史上の人物のように、この法典がお気に入りである。

 

 そもそも、憲法とは何か?

 私のそれまでの知識では、「法律の中の法律」「国のあらましを宣言したもの」といった感覚で、漠然と「法律の中で最も強い法律」と考えていた。

 確かに憲法はその国の最高法規であり、これに反する法律は無効である。

 しかし、その知識だけでは、憲法の本質を理解しているとは言えない。

 憲法とは何か?

 憲法とは国家権力を制限もしくは統制するために存在する。

 現行の日本国憲法では、国民の義務や権利について記述されているところが多く、国民に対して義務や権利を示した法律であるかのように勘違いされがちであるが、憲法とは国家権力に対して、権限と義務を指し示しているものである。

 

 「立憲主義」と呼ばれるこの考え方は、憲法を議論する上では絶対不可欠な認識なのだが、私は、大学でも職務上でも、何度となく憲法を学んで来たが(それこそ砂川事件などディープな話まで)、30歳になるまで 、その立憲主義という考え方を知らなかった。そして、その後も、情報番組で護憲派的なコメンテーターがたまに発言するのを聞くくらいで、全くそのフレーズや意味合いが話題に上がることはなかった。

 私が無知なだけで、常識過ぎて今さら言わないのか?と感じるほどであったが、私の周囲に立憲主義を説明できる人間はほとんどいなかった。一応彼らもそれなりの大学を出て、法に仕える者として法理に明るい連中である。

 年に四、五回は、憲法改正を巡る話題が取りざたされるのに、こんな根本原理が無視されていて大丈夫なのか不安になる。

 

 表題のマグナ・カルタは、そもそも、1215年、時のイングランド王ジョン王に対し、統治を受ける貴族や地主が、王の権利の濫用を防ぐために、その権力の範囲を規定し、権力を制限するために作成されたものである。

 (参考:このページが詳しいhttp://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-007.html)

 その後、アメリカ独立宣言、アメリカ合衆国憲法の起草においても多大な影響を及ぼし、我が国の日本国憲法においても、立憲主義の理念は脈々と引き継がれてきた。

 私が、マグナ・カルタが大好きでたまらないのは、別にその六十数箇条を全て把握している訳ではないが、それが、現代の余計な修飾がなく、国家権力を統制するという、憲法の純粋的な目標のためだけに作成された、いわば憲法のアーキテクト(ゼロ号機的存在)であるからである。

 

 遅れる事400年、同じイングランドからトマス・ホッブスが登場、人類社会における国家権力の必要性を唱えつつも、その著書の題名「リヴァイアサン」は、伝説の怪物の名であり、国家権力を歯止めなく認めると手のつけられない怪物となる事を示した。

 

 国家権力には、憲法という鎖が必要なのである。

 

 国民が、治安や国際情勢の不安から、より強力な国家権力を求めるのであるならば、鎖を緩めるのも、正しいと言えば正しいが、今のように、内閣総理大臣や一部の政党から言い出すのは、本来筋が通っていないのである。彼らは、言ってみれば、マグナ・カルタ制定時のイングランド王(ジョン王)の立場であり、「どの口がいうとんねん!」という話なのである。

 それでもまあ、自民党は、この国の本当の自主独立のため、自主憲法を欲するのが党是であり、それに賛同する者が集まっているのだから、改憲を望むのも一つの考えと認めましょう。

 しかし中身もろくすっぽ理解していない有権者に、「アメリカに押し付けられた憲法なのでダメな憲法」という触れ込みで宣伝するのはやめてほしい。

 日本国憲法の起草原案の出所については諸説有り、機会を設けてその誕生の秘話を話せたら良いとは思っているが、少なくとも、当該憲法交付時においては、近代の憲法理想の結実とも言われるワイマール憲法に、更に平和主義を付け加えるという、ウルトラC的進化を遂げた、最も成熟された最新型の憲法であったことは、疑う余地はない。

 ただ最新型過ぎて、考え方が終戦時か終戦時以前の状態のまま70年以上遅れている諸外国とは、折り合いがつかないのだ。

 古いのは日本国憲法ではなく、いつまでも武力を最上の解決策と信じている世界の大半の人類なのである。

 

 ただ、どっちが遅れていようが進んでいようが、現時点で齟齬があるのなら、憲法改正が本当に必要かどうかは意見が分かれるところとなるだろう。

 しかし、少なくとも「立憲主義」の考え方からすると、主権者である国民の世論からでなく、一部の政党の施策として改正論が出るのは理屈が合わない。単に国民に行政の長を付託されたに過ぎない臣下である総理大臣や一部の政党が、己がやりたいことがあるだけで、国権のなんたるかを定義し、自分たちの暴走を抑えるために存在する縄をほどけと言っている理屈になっていることに気付いてほしい。

 わかりやすく言うと、

 「私達からこんなこと言える立場ではないのですが、これ以上、諸外国になめられるのは耐え難いので、この手錠を外してくれませんか?」

 「その昔、西欧の力に屈しないためだったとは言え、国民を騙し、支配地の庶民を虐げ、自国だけで350万人、アジアに1000万人の死者を生み出す大惨事の原因となりましたが、今度はうまくやりますから、いい加減、縄を解いてくれませんか?」

 と言うべきで、その上で、国民の理解と総意を求めるべきなのである。

f:id:Kanpishi:20201213020235j:plain

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」

 印象派の巨匠、ルノワールの傑作。

 その美しさに目を奪われるが、被写体のイレーヌ嬢は、なんと当時8歳。

 とてもそうは見えないが、手元の辺りのあどけなさなどから、有り得るともいえる。

 絵画において、実在する被写体は憲法であり、キャンパスはその解釈の場である。

 絵画も進歩の過程で、被写体を忠実かつ精密に描くことが正解だった時代から、解釈を広げた表現が模索され、最終的には、ピカソのように、原型がまるで無視されたかのような絵画に至る(ちなみにピカソのデッサンは、極めて忠実で、かつ精密である)。

 印象派は、その中間に位置し、被写体というコードを守りつつ、表現の限界に挑んだ集団である。

 8歳という、素朴で派生のしようの無い被写体を、ここまで美しく表現できた、ルノワールの優れた観察眼と技術に感銘を覚える。

 翻って、ろくにそのコードも理解できていないのに、「被写体が悪いからうまくいかないのだ」と主張して、「被写体を変えれば、良い絵が描ける」と短絡的に考えていては、おそらく、いつまたっても、美しいものからは無縁であろう。

 

想像

 「百聞は一見に如かず」とは、古今を通じて名言だと思う。

 

 先日、家族で香港・マカオに行ってきた。

 ちなみにうちはそんな金持ちではない。10数年ぶりの家族旅行だ。

 海外に限らず、旅行をすると、この「百聞は一見に如かず」を圧倒的に痛感できる。

 インターネットの普及により、かなり具体的な情報を得ることができるようになっても、情報から、想像していたものと大きく違っていて感激するのはもちろんのこと、想像していた通りであっても、「本当に有るんや!」と感激できる。

 さらに、海外旅行ともなると、沖縄や北海道に行くのと飛行時間がそう変わらなくても、私のような庶民は、言葉が通じないというそのシチュエーションに、テンションバリ高なのである。

 そして、それはおそらくネットでの情報だけでは実感出来ないものであろう。

 

 「想像」という言葉は、実は韓非子55編から引用された故事成語として有名である。

 韓非子55編に[解老篇]というのが有り、「死象の骨を得、その図を案じ、その生を想う。」という言葉からきている。

 その心は、当時の中国では生きている象を見ることはできなかったようだが、時折、象の骨を発見することは有ったらしい。そこで、人は、骨と言う断片的な情報から、生きている象を「想像」したと言う。この「想像」という表現を初めて用いたのが、この一説であると言われている。

 もちろんこのような、断片的な情報から、他の不明瞭な部分を想像によって補ったものが、正確なものであるはずがないのだが、韓非子はここでその行為を全く否定していない。

 大いに「創造」を働かせ、後刻、大局を知る者(生きている象を見たことが有る者)が、思い違いや認識のずれを修正すればよい。としている。

 

 似たような説話に「群盲象を評す」というものがあり、こちらの方は結構有名だ。

 これも韓非子の出典とされていて、私も昔、書物で確かに読んだ覚えがあるのだが、投稿に当たり、改めて韓非子55篇の中を検索したが、見当たらなかった。

 

 説話の示すところは以下のようなものだ。

 昔の中国では、象と言う動物は滅多に見られない珍獣であった。

 ある実力者が、これを手に入れた際、試みに、数人の盲人(目の見えない人)を呼び、これに触れさせ、「それは何物かわかるか?」と尋ねた。

 

 足元を触っていた盲人は「これは切り株です。」と答えた。

 鼻を触っていた盲人は「これは蛇にございます。」尻尾を触っていた盲人は、「馬」と言い。耳を触っていた盲人は、「鳥ではないか?」と、答えはまるでまちまちとなった。

 この説話について、モノは、人の見方や立場によって変わるもので、合間見えないものだと説明する人が居るが、それは誤りである。

 この説話の意味するところは、仏法等でも盛んに取り沙汰されている比喩で、「それぞれの視点の過ちも、同じもの(例えば、道や真理)を求めて思考を巡らした結果であり、それぞれが尊い。だから、もし実像を知る者が居るのなら、補足してやればそれでよい。」というものである。

 

 「想像(イメージ)」することは重要な思考活動である。しかし、想像だけでは、無意味である。把握できるのであれば、「事実(ファクター)」によって、正確な事象へと「修正(リロード)」されなければならない。それが韓非子の説いた「想像」である。彼が、思考活動に初めて「想像」という文字を当てた。つまり、「想像」という言葉を創造したために、多方面で引用されている「群盲像を評す。」も彼の作品と勘違いされたのかもしれない。

 

 さて、かくのごとく、わずかな情報から思考により想像を巡らせるのは、決して悪いことではないと、古来より言われているようだ。しかし、一見の真実による修正もまた重要な活動であるとも指摘されている。

《結論》

 「百聞は一見に如かず」は、「(情報からの)想像」に対するアンチテーゼと思われ勝ちであるが、その原点をたどると、実は、両者は何れも同じベクトルのテーゼを示している。

 すなわち、「想像」は大いに奨励されるものであり、一見というファクターにより補完されることにより、更なる浮力を得ると言う事である。

 

 考えても見よ。私の手はそんなに長くはない。この香港旅行だって、いつかは行ってみたいと言っていた時から数えると25年もかかっている。

 さらに言うなら、逆に一見した程度で、まさか中国人にはなれない。

 生きている象を一見したところで、かの生態・棲家・好物を理解できるわけでもない。

 「一見」もまた断片的な情報に過ぎず、想像がその大半を補って、不確実とは言え、全体を捉えているのだ。

 思えば、今日の科学の発展は、大方その想像力を原動力としている。すなわち、想像力は、人類固有の能力で、人類発展の源であったのではなかろうか?

 そう考えると、「百聞は一見にしかず」は名言だが、「想像」はそれを凌ぐものと言えよう。

 

 さて、現代の一般庶民は、果たして「想像」の翼を広げているのだろうか?

 上司・同僚・顧客など、直接かかわりのあるものと対面する場面では、きっと、ある程度、頭を回転させて、先を見越す程度の想像は、常に駆使しているだろう。

 しかし、一会の顧客がその日の対応によって、どれだけの人にどれだけの影響を与えるのか?とか、所属している組織や団体のビジョン・戦略、さらには、この国はどこへ向かおうとしているのか?そんなことを想像しながら働いている人は、どの程度いるのだろうか?

 そして、ジョン・レノンのように all the people living life in peace(みんなが平和に生きている世界)なんて想像ができるだろうか?

 私は、できると信じている。

 一番広い宇宙は、人間の頭の中だからだ。

 しかし、そのためには、それを想像したいという積極的意思と、死象の骨のように、その取っ付きとなる情報が必要となるだろう。

 

f:id:Kanpishi:20180128164227j:plain

香港島・シンフォニーオブザライト」(向かいの九龍半島より本人撮影)

 今回の家族旅行では、各人が行きたいことしたいことを、一つは持ち寄り、それをミッションとして掲げていた。

 私を除く3人は、無事ミッションをコンプリートできたが、私のミッションは、音に聞く「100万ドルの夜景」を、山か高層ビルの展望台から見ることで、あいにく、天候に恵まれず、高所からの展望は叶わなかった。

 しかし、その日は、なぜか香港のクリスマス(日本より1か月ほどずれる)だったので、毎晩やっているという、香港島ビル群のライトアップショーがひときわ美しく、高所からの夜景も十分に美しいものであることを想像させてもらえた。

f:id:Kanpishi:20201027210243j:plain

ローヌ川の星月夜」フィンセント・ファン・ゴッホ

 この絵は、実際現物を見たことがあり、その時はあまり感動しなかったのだが、香港島のイルミネーションを見ていると、思わずこの絵が浮かんで来て、ゴッホの書きたかったものが急にわかったような気がした。

 なんじゃこりゃ?と思う絵でも、一応名作と呼ばれるものくらいは、ちゃんと記憶にとどめておくもんだな。感心した。

教育は国家百年の大計1:租税

 以前、就学前の幼児向けに税について説明するための人形劇があり、その脚本の募集に応募したことがある。

 

 ストーリーを簡単に話すとこうだ。

 「動物村のリスさんの家には毎日たくさんの子供たちが遊びにくる。理由はリスさんから、読み書き算数を教えて貰うためだ。しかし、噂が広がり、リスさんの家は満杯。見兼ねた村の大地主のタヌキさんが、自分が金を出すから、学校を作ろうと言う。

  ところが、その費用を計算してみて、その高額なことに、タヌキさんはショックを受け、寝込んでしまう。

 そこで、村の人たちは話し合い、それぞれが少しづつお金を出し合う事にする。

 そして、見事学校ができる。」と言う話。

 

 就学前の幼児にはとっておきのテーマだったので、評価され、次年度の脚本に採用され、記念品を頂いた。

 しかし、その後プロの脚本家さんが補正して、まあ一応創作者として、実際の脚本を見せて頂いたが、タヌキさんが費用におののき寝込んでしまうところはカットされていた。就学前の幼児に話しても難しいと判断したか?現実に金額の話をするのは、支障を感じたのだろうか?

 でも、わかる人にはわかると思う。

 そここそが、税金というシステムが必要な理由で、なぜこの世に税が存在するかという本質を示しているのだ。

 当時、私にも同じような年頃の子供がいて、そちらにはこのバージョンで話をしてあげた。すると、「学校ってそんなにお金がかかるの?」という質問を受けた。

 この質問を引き出すことが重要である。

 当たり前のようにある学び舎、街を走るパトカー、救急車、信号、横断歩道。どれもただではないのだ。気のいいお金持ちが、札束はたいて買ってくれたものでもないのだ。しかも、もっと重要なことは、一人や二人のお金持ちが気前よく札束をはたいてくれたところで、信号機が2、3本立てば良いという、とんでもない現実を彼らには知っておいてもらう必要が有るのだ。 

 

 私は答えた。「学校を建てるのに大変なお金がかかる。それは、とても一人や二人ではどうしようもできないくらい。覚えておいてほしいことは、なぜ税金が必要かというと、みんなが楽しく安全な街を作るには、一人の力じゃ、結局何もできないということで、だからみんながお金を出し合いということだ。」と。

 

   もう一個作っていたが、半分どっかで読んだ絵本のパクリなので、応募は控えた。

 「象は象一頭、ネズミはネズミ一匹の仕事をすれば良し」

 という話で、もともと感慨深い話なのだが。我ながらとても上手く租税教育向けにアレンジできたと思っている。

 「どうぶつ村で、大事な橋が嵐で流された。村人達は、総出で橋を作り直す事になった。力持ちの象さんは、丸太を運び、ネズミさんは釘を運んだ。器用な猿は、縄を結び、トラはハンマーを振り下ろした。 

 おかげで、立派な橋ができたが、作り直してみて、前の橋が流されてしまったのは、重い動物が通り過ぎて、支柱がめり込み、橋全体の高さが下がってしまうことが原因だとわかった。

 そこで、象さんは、一日一往復しか橋を使用しないで欲しいと頼まれた。

 横で聞いていた象の子供が激怒した。

 「お父さんは一番重い丸太を何本も運び、誰より橋のために働いた。ネズミさんなんか釘しか運んでないのに、何度通ってもいいんだろう?それなのに、お父さんが一番使ってはいけないなんておかしいじゃないか!」

 しかし、お父さん象がこう言った。

 「坊や、お父さんは誰よりも働いたわけじゃないよ。確かにたくさん汗もかいたけど、ネズミさんほど辛くはなかった。ネズミさんは、汗びっしょりで、ゼーゼー言って、倒れないか心配したくらいさ。

 回数だって気にする事はない。お父さんは浅瀬ならあの川を渡るだけの力があるからね。まだ渡れない坊やが使えるなら十分さ。そういえば、カワウソ君なんか、使う時などないはずなのに手伝ってくれたな。

 みんなが幸せになるには、誰もサボらず、でも誰も働き過ぎず、ただ象は象一頭、ネズミはネズミ一匹の仕事をすれば良い。そういうことさ。」」

 

 察しの良い人には想起してもらえると思うが、累進課税を説明しているものである。ちょっと就学前の子供たちには難しいかもしれないが、どこかで絵本になっているくらいだから、きっと、子供たちの情操教育の中に組み込まれ、どこかでその知識がつながる可能性を信じて、是非、寝床話に加えてほしいと考えている。

 

 それにしても、秋の「税を知る週間」ともなると、「税金」と習字で書かせて、学校中に貼りまくって、作文を書かせているが、果たして、それでどれだけの税金の本質や重要性が、ちゃんと子供たちに伝わっているのだろうか?

 まるでどっかの国がやっているように、意味も分からず君主を仰めさせているようで、すこぶる見苦しい。

 社会インフラがなぜ税金で作られるのか?なぜ、所得税だけ累進課税なのか?税金のなぜを考えるのはいいことだ。小学校も高学年くらいになればもう少し判断がつくだろう。さっきの童話なら、低学年でもわからせることができよう。

 気持ちの悪いマスゲームをさせるはそろそろやめてみては?

 

 ただ、この点については、大人だって実は怪しい。大人も税金の本質を忘れているんじゃないか?いや、そもそも、教えてもらわずに成長して、ただ税務署に言われるから払っているだけじゃないだろうか?

 先ほどの説話も、確かに累進課税の話をしているが、決して富裕層にのみ訴えるつもりはない。みんなが幸せになるために、富裕層も貧困層も応分の負担を担うことが、民主主義社会では重要なのだが、そう捉えることができただろうか?

 そうだ、そうだ、象はたくさん税金を払うべきなんだ!と短絡的に感じているようなら、それは誤りである。

 やむを得ない事情で福祉を受けるのは、仕方がないが、擬態して福祉を受けている人の存在は憂慮すべきである。

 日本国憲法30条

 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 日本は、洗練された民主主義国家であるが、この義務を果たさない限り、その主権を主張することはできない。特殊事情を持つ者のみが受けられる福祉制度を、それを擬態した者が受けている人々に主権は保障されるべきでない。また、そのような行為が漫然と放置されるようでは、まじめな納税者の公正と言う、権限が保障(担保)されない。

 

 高福祉国家で知られるフィンランドでは、「良き納税者を育てる。」教育が進んでいるらしい。

 しかし、現在の日本のように、その高福祉がザルのように行われているのでは、優秀な納税者を育てる事は難しいと考える。日本に必要なのは、その問題点を認識し、その解決策を模索する優秀な「有権者」である。

 そして、確立・維持しなければ、自らの負担の公正が危ぶまれる、租税と言う分野を十分に理解する租税教育は、その入り口として至って重要だと考えるし、それは、就学前の子女を対象にしてでも初めておく戦略だと心得る。

  何しろ、有権者の責務の本質は、収税された税金の使い途を決める事だからだ。

f:id:Kanpishi:20180707210846j:plain

『マタイの召命』

 バロック期(16世紀末から17世紀頭)のイタリア人画家、カラバッジョ出世作。 

 イエス・キリストが存命のころ、徴税人(今でいう税務職員)という嫌われ者の仕事をしていたマタイは、「どうせ自分は嫌われ者。神など信じるだけ無駄。」と考え、その頃、イエスが喧伝していた「神の国」など信じていなかったが、イエスの神秘的な誘い(召喚)を受け、改心し、十二使徒に加わる。

 しかし、まあ、国の支えの基(もとい)なる、明日の税務を担う税務職員が、こんな時代では嫌われ者だったんですね。

 小学校の壁に、「税金」の習字を張りまくる習慣は、税金は何だか知らないにしても、社会に必要なものだという考え方を定着させ、徴税人を悪人とする考え方から、マタイを救ってくれた点ではよかったと言えよう。