説難

教育は国家百年の大計1:租税

 以前、就学前の幼児向けに税について説明するための人形劇があり、その脚本の募集に応募したことがある。

 

 ストーリーを簡単に話すとこうだ。

 「動物村のリスさんの家には毎日たくさんの子供たちが遊びにくる。理由はリスさんから、読み書き算数を教えて貰うためだ。しかし、噂が広がり、リスさんの家は満杯。見兼ねた村の大地主のタヌキさんが、自分が金を出すから、学校を作ろうと言う。

  ところが、その費用を計算してみて、その高額なことに、タヌキさんはショックを受け、寝込んでしまう。

 そこで、村の人たちは話し合い、それぞれが少しづつお金を出し合う事にする。

 そして、見事学校ができる。」と言う話。

 

 就学前の幼児にはとっておきのテーマだったので、評価され、次年度の脚本に採用され、記念品を頂いた。

 しかし、その後プロの脚本家さんが補正して、まあ一応創作者として、実際の脚本を見せて頂いたが、タヌキさんが費用におののき寝込んでしまうところはカットされていた。就学前の幼児に話しても難しいと判断したか?現実に金額の話をするのは、支障を感じたのだろうか?

 でも、わかる人にはわかると思う。

 そここそが、税金というシステムが必要な理由で、なぜこの世に税が存在するかという本質を示しているのだ。

 当時、私にも同じような年頃の子供がいて、そちらにはこのバージョンで話をしてあげた。すると、「学校ってそんなにお金がかかるの?」という質問を受けた。

 この質問を引き出すことが重要である。

 当たり前のようにある学び舎、街を走るパトカー、救急車、信号、横断歩道。どれもただではないのだ。気のいいお金持ちが、札束はたいて買ってくれたものでもないのだ。しかも、もっと重要なことは、一人や二人のお金持ちが気前よく札束をはたいてくれたところで、信号機が2、3本立てば良いという、とんでもない現実を彼らには知っておいてもらう必要が有るのだ。 

 

 私は答えた。「学校を建てるのに大変なお金がかかる。それは、とても一人や二人ではどうしようもできないくらい。覚えておいてほしいことは、なぜ税金が必要かというと、みんなが楽しく安全な街を作るには、一人の力じゃ、結局何もできないということで、だからみんながお金を出し合いということだ。」と。

 

   もう一個作っていたが、半分どっかで読んだ絵本のパクリなので、応募は控えた。

 「象は象一頭、ネズミはネズミ一匹の仕事をすれば良し」

 という話で、もともと感慨深い話なのだが。我ながらとても上手く租税教育向けにアレンジできたと思っている。

 「どうぶつ村で、大事な橋が嵐で流された。村人達は、総出で橋を作り直す事になった。力持ちの象さんは、丸太を運び、ネズミさんは釘を運んだ。器用な猿は、縄を結び、トラはハンマーを振り下ろした。 

 おかげで、立派な橋ができたが、作り直してみて、前の橋が流されてしまったのは、重い動物が通り過ぎて、支柱がめり込み、橋全体の高さが下がってしまうことが原因だとわかった。

 そこで、象さんは、一日一往復しか橋を使用しないで欲しいと頼まれた。

 横で聞いていた象の子供が激怒した。

 「お父さんは一番重い丸太を何本も運び、誰より橋のために働いた。ネズミさんなんか釘しか運んでないのに、何度通ってもいいんだろう?それなのに、お父さんが一番使ってはいけないなんておかしいじゃないか!」

 しかし、お父さん象がこう言った。

 「坊や、お父さんは誰よりも働いたわけじゃないよ。確かにたくさん汗もかいたけど、ネズミさんほど辛くはなかった。ネズミさんは、汗びっしょりで、ゼーゼー言って、倒れないか心配したくらいさ。

 回数だって気にする事はない。お父さんは浅瀬ならあの川を渡るだけの力があるからね。まだ渡れない坊やが使えるなら十分さ。そういえば、カワウソ君なんか、使う時などないはずなのに手伝ってくれたな。

 みんなが幸せになるには、誰もサボらず、でも誰も働き過ぎず、ただ象は象一頭、ネズミはネズミ一匹の仕事をすれば良い。そういうことさ。」」

 

 察しの良い人には想起してもらえると思うが、累進課税を説明しているものである。ちょっと就学前の子供たちには難しいかもしれないが、どこかで絵本になっているくらいだから、きっと、子供たちの情操教育の中に組み込まれ、どこかでその知識がつながる可能性を信じて、是非、寝床話に加えてほしいと考えている。

 

 それにしても、秋の「税を知る週間」ともなると、「税金」と習字で書かせて、学校中に貼りまくって、作文を書かせているが、果たして、それでどれだけの税金の本質や重要性が、ちゃんと子供たちに伝わっているのだろうか?

 まるでどっかの国がやっているように、意味も分からず君主を仰めさせているようで、すこぶる見苦しい。

 社会インフラがなぜ税金で作られるのか?なぜ、所得税だけ累進課税なのか?税金のなぜを考えるのはいいことだ。小学校も高学年くらいになればもう少し判断がつくだろう。さっきの童話なら、低学年でもわからせることができよう。

 気持ちの悪いマスゲームをさせるはそろそろやめてみては?

 

 ただ、この点については、大人だって実は怪しい。大人も税金の本質を忘れているんじゃないか?いや、そもそも、教えてもらわずに成長して、ただ税務署に言われるから払っているだけじゃないだろうか?

 先ほどの説話も、確かに累進課税の話をしているが、決して富裕層にのみ訴えるつもりはない。みんなが幸せになるために、富裕層も貧困層も応分の負担を担うことが、民主主義社会では重要なのだが、そう捉えることができただろうか?

 そうだ、そうだ、象はたくさん税金を払うべきなんだ!と短絡的に感じているようなら、それは誤りである。

 やむを得ない事情で福祉を受けるのは、仕方がないが、擬態して福祉を受けている人の存在は憂慮すべきである。

 日本国憲法30条

 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 日本は、洗練された民主主義国家であるが、この義務を果たさない限り、その主権を主張することはできない。特殊事情を持つ者のみが受けられる福祉制度を、それを擬態した者が受けている人々に主権は保障されるべきでない。また、そのような行為が漫然と放置されるようでは、まじめな納税者の公正と言う、権限が保障(担保)されない。

 

 高福祉国家で知られるフィンランドでは、「良き納税者を育てる。」教育が進んでいるらしい。

 しかし、現在の日本のように、その高福祉がザルのように行われているのでは、優秀な納税者を育てる事は難しいと考える。日本に必要なのは、その問題点を認識し、その解決策を模索する優秀な「有権者」である。

 そして、確立・維持しなければ、自らの負担の公正が危ぶまれる、租税と言う分野を十分に理解する租税教育は、その入り口として至って重要だと考えるし、それは、就学前の子女を対象にしてでも初めておく戦略だと心得る。

  何しろ、有権者の責務の本質は、収税された税金の使い途を決める事だからだ。

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『マタイの召命』

 バロック期(16世紀末から17世紀頭)のイタリア人画家、カラバッジョ出世作。 

 イエス・キリストが存命のころ、徴税人(今でいう税務職員)という嫌われ者の仕事をしていたマタイは、「どうせ自分は嫌われ者。神など信じるだけ無駄。」と考え、その頃、イエスが喧伝していた「神の国」など信じていなかったが、イエスの神秘的な誘い(召喚)を受け、改心し、十二使徒に加わる。

 しかし、まあ、国の支えの基(もとい)なる、明日の税務を担う税務職員が、こんな時代では嫌われ者だったんですね。

 小学校の壁に、「税金」の習字を張りまくる習慣は、税金は何だか知らないにしても、社会に必要なものだという考え方を定着させ、徴税人を悪人とする考え方から、マタイを救ってくれた点ではよかったと言えよう。