説難

 中国の古典、韓非子55篇のうちの一篇で、どのような良いアイディアでも、権力者に受け入れてもらうまでには様々な障害があり、場合によっては身の危険を伴うこともあるということを説く篇。

【参照】諸子百家争鳴 - 韓非子(かんぴし) 20巻55篇 - 生没年:前280? - 前233 姓:韓 名:非 出身地:韓国

 韓非子諸子百家の中では、孔子孟子ほど知られてはいないが、その卓越された合理主義は、東洋のマキャベリとも称され、かの秦の始皇帝にも重用された。しかし、皮肉にも彼がその著書で予測した、己の利益を守ろうとする同僚の讒言によって、自殺へと追い込まれる。

 

現代の説難

 韓非子の時代、権力者と言えば君主つまり王様と言うことになるのだが、これを現代に置き換えると、権力者とは何を指すのであろうか?一見国会議員や官僚、気の利いたところでマスメディアなどと言う答えもあるだろうが、制度的には民主主義である以上、国民一人一人が権力者なはずである。

    しかし国民一人一人が君主と言うのであれば、これはまた、扱いにくい代物だ。

     賢者もいるだろうが、多くは空気に流され、ろくに思考しないものも含まれている。本心から国の行く末を憂う国士の声は、いつも吹き荒む風の中のように感じるのは、私だけだろうか?

     韓非子は、説難篇以外でも、権力者の的確な判断を阻害する要素を示している。

    中でも、特に危惧する状況として、「権力者が情報を遮断され、奸臣にとって都合の良い情報しか入ってこない状況」を挙げているが、これはまさしく、今の社会で言う所の、「情報公開」の欠如と言うやつだ。

 しかし、多少なりとも権力者が有能であれば、奸臣の行動に気づくこともできるだろうに、歴史上滅びた国家の多くは、残念ながら、権力者に能力が足リなかったようだ。

 偏った情報のみを与えられ、一部の臣下とその身内だけが利益を享受する、適正公正を欠いた行政が行われていても、暗愚にして気付かず。

・・・国が亡びる手本ですな(-“-)。

 

民主主義って

 民主主義は、人類の政治形態の最終形で、争いの無い、洗練された文化的な、理想の世界へと人類を導いてくれるものと信じているが、その道は、君主制よりもずっと難しいのかもしれない。

 そもそも、民主主義においては、自分が主権者であり、権力者であると同時に、責任者であることを自覚しているかということから怪しい。「え?僕って王様だったの?安倍さんて、僕の部下だったの?」。そのような愚鈍な主権者に任せていては、一国家の安寧すら危ぶまれるのではないだろうか?

 しかし、韓非子は、権力者に多彩な才能や卓越した能力を求めない。ただ、賞罰の権力を離さないこと(これについては後日投稿する)と、説難を廃して、見て、聞くこと。これだけができればいいという。

 まあ、そこまで簡単ではないかもしれないが、自分が主権者であることを自覚し始めれば、説難に妨げられているものがいろいろ見えてくるのではないだろうか?

f:id:Kanpishi:20171228131058j:plain「ラスメニーナス」

 中世スペインの宮廷画家ベラスケスの傑作。日本語で女官(今で言うメイド) たちと言う題名なのだが、登場人物がたくさん描かれている。

   「さて、この場を実効支配している登場人物は誰でしょう?」と問えば、実は結構、知れば知るほど深い問いであることに気づくでしょう?

 答えの分かった方は、是非コメント下さい。