日本語で「完璧」と書かせると、「完壁(カンカベ)」と書いてしまう人が結構いると思う。むしろその方が、堅固で強力なものを感じるし。しかし、正しくは「完璧(カンペキ)」と書く。さていったいなぜ『壁』と書かず、『璧』と書くのだろう?そして、『璧』とは一体何を表すのだろう。
韓非子 和氏篇の一説
春秋戦国時代は楚の国、文王統治の時、山麓で三日三晩泣き続け、血の涙を流している農夫がいると聞く。
興味を持った文王が直接会いに行く。
すると、刑罰によってそうなったと思われる、両足の無い農夫(昔の中国では、足を切るくらいの刑は普通だったようだ)が、小汚い岩を抱いて泣きじゃくっている。
農夫が言うには、自分が抱いている岩はたいそうな宝玉の原石であるというのだ。
中国では古来、原石を削って得られる貴石を『璧』と呼び、中でもくすみ・傷の無い『完璧』を所持していることは、天がその国の王の王位を祝している証と言われた。
農夫は、前々代の王のとき、これを献上したが、宮廷付きの鑑定士が「これはただの石です。」といったため、王をたばかろうとした罪により、片足を切られた。
王が代わって、鑑定士も代わったころ、農夫は再度原石の献上を試みた。しかし、またも「ただの石」と判定され、残りの足も切られた、という。
文王は、鑑定を省略し、とりあえず原石を削ってみることにした。
すると、これまでにない美しさと完成度を誇る璧が現れたという。
この璧は、泣いていた農夫の名から「和氏の璧」と呼ばれ、伝説の璧として、その後中国の古典文学でもたびたび登場することになる。
さて、この話を聞いた多くの人は、文王の慧眼を称え、歴々の鑑定士を蔑むであろう。
しかし、私たちは本当に歴々の鑑定士を蔑むに値するだろうか?
例えば、これを、現在の世界平和や憲法9条と重ね合わせてみよう。
すなわち、農夫が抱く原石は憲法9条で、そこに潜まれた『璧』こそは、世界平和ということだ。
私たちは、彼の持つ実現すればそれは素晴らしいかもしれない璧を含んではいても、最初から、実現不可能とあきらめて、その原石に慧眼を向けようとはしないだろう。
しかし、世界平和など実現不可能だと言うことが「絶対神話」であると誰が決めたのだろうか?
私は、微力ながらこの、実は何の根拠もない「絶対神話」に挑み値と思う。
ただ何分、また考え始めたところで、体系的なものは何もまとまっていない。
とりあえず、今日のところは、先の大戦に対する人々の考え方(その多くは、戦争を知らない世代が教育で学んだ知識に過ぎない)について、一言を呈し、感情論ではなく、科学的に平和について検証することを提言したい。
終戦記念日。官庁では、正午から1分間の黙祷をする。
来庁者の人も、会話を止めて、協力してくれる。
広島長崎は知っていても、沖縄、東京、大阪、他の東南アジアでの犠牲者にどれだけの思いを馳せることができたのだろうか?そもそも、私たちは戦後何年まで、その鎮魂の心を持ち続けることができるのだろう。
残念ながら、どんなに風化を防ごうとしても、「先の大戦の結果を顧みて平和を守りたい。」という説明は、そのうち説得力を失うだろう。
憲法9条は、悲惨な戦争の結果、その反省から打ち上げられた理想であることは否めないが、「先の大戦」とは切り離してそれを考える時期が来ている。
憲法9条の批判には、主だったもので、以下のようながある。
①結局はアメリカの軍事力の傘下における平和にすぎない。
②ならず者がはびこり、世界平和を欲しない国が大多数の現状では、理想以外の何物でもない。
③自国の平和だけを望んでいても孤立する。世界平和に貢献してこそ発言力が得られるのでは。
④の反論はもともと嫌いな論調であるが、「先の大戦」と切り離すという観点からも、議論の外でいいだろう。
①②については、「ごもっとも!」としか言えないのであるが、③については、武力の行使を「国際紛争の解決手段としては、永久にこれを放棄する。」と宣言している以上、わざわざ、よその国に、武器をもって介入するのは、やはり違和感を覚える。
私は、長い間、大の反戦論者だったのだが、武力に代わり、ならず者を抑える手段が「経済制裁」しかなく、それをすると、首領は知らん顔で、その国の国民が苦しむだけだったという経験と、大の嫌われ者と思っていた北朝鮮が、意外と国交国が多く、核兵器の開発に成功し、いよいよ世界への発言権を得たという2例から、自信を無くした。
日本の理想は早すぎたのではないか?武力(国外に派遣できる)の無い国には、世界平和を叫ぶ前に発言権がないのでは?
でも、だからと言って、今の世界に合わせて、武力を海外派遣させようとする動きや、核兵器禁止条約に反対することは、とても納得いかないのだ。
私の乏しい知識では、上記の①②の問題を解決する秘策は思いつかない。
ただ、大戦前から使っている「経済制裁」という名の村八分では、問題は解決しないのだ。なのに、なぜ100年経っても、やっていることは同じなのだろう?
私は、大学で経済学を学んだが、聞くところによると、経済学という学問は、比較的新しく歴史が浅いらしい。ノーベル賞ができたのも1968年だとか。
しかし、学者も国家もこぞってこれを研究し、血眼になって、万民が幸福になる世界を追及し続けている。
平和に関しても、ノーベル平和賞があるわけだが、その受賞理由が批判されることが多い。歴史の浅い経済学でさえ、ちゃんと実効性がある研究が評価されるのだ。
平和賞だって、恒久的世界平和に向けて、例えば「経済制裁」が効かなかった場合の国際紛争の解決方法を考えつくなどが、評価されるべきではないか?
私は、これを「平和学」と呼び、国際紛争の解決策について、経済制裁や武力行使以外の方策を研究する学者が、食べていける程度の社会整備がされ、将来的には、大学生が学ぶ時代が来ることを望む。
そして、いつか両足を切られても、9条を抱きながら泣き続ける、私たちの国に「よく守ったね、もう武力の必要な時代は終わったよ」と言ってくれる人たちが現れることを望むばかりである。
『アテネの学堂』ルネッサンス3大巨匠のひとり、ラファエロ・サンティの傑作
中央のプラトン・アリストテレスを始め、当時知られていた著名な賢人・哲学者・科学者が同時代に勢ぞろいした設定の学堂を表している。
もしこの光景が実現するなら、世の中の大概の悩みや問題は解決しただろう。
日本の抱えた和氏の璧は、アテネの学堂でも解決できない厳しく辛い道のりなのかもしれない。しかし、少なくとも、私が、この絵画の中心に立ち、「どうすれば、国際紛争の解決策から、武力を廃絶できるのか?」と尋ねれば、半裸で寝転がっているディオゲネスですら、座って議論を始めるだろう。