説難

大卒

エリートたる者 

 

 今春に就職したばかりの息子が、転職を考えているそうな。

 娘の場合もそうだったが、就職初年度というのは、覚えることも多く、仕事の成果は上がらず、時間が全く取れず、疲ればかりが溜まり、相当に精神的に追い詰められることがある。

 ここ数年、新卒の3年以内離職率が3割前後、そしてそれを支える売り手市場。私たちの時代では贅沢を超えて、考えることが罪とも思われた、「自分の選択が間違っていたのではないか?今ならまだ乗り換えられるのではないか?」と言う誘惑にさらされる。

 結果「転職しようかな。」と言う発言に結びつく。

 これは親の身勝手ではあるが、ようやく大学を卒業させ、めでたく就職してもらい、万歳三唱で見送って、さあこれから夫婦で楽しもうと考えているときに、これを言われるのは結構にきつい。

 娘がその言葉をちょっとこぼしたときは、妻が大激怒したそうな。

 

 息子の場合は、休みを取らせてもらえないことが一番辛いと言っているらしい。

 半年の現場職を経て、10月から営業マンになったそうだが、月に300時間働いて、2件アポが取れただけ。それでも、新人の中では多い方。

 同期は3割は辞めたとか。

 

 娘の時もそうだったが、こういう話は、私でなく、妻が聞く。

 

 私が聞くとこうなるからだ。

 大学を出て、建設業など2次産業系に入れば、従業員の学歴比率から、現場作業員ではなく、現場監督候補もしくは営業マンとなる。自慢でも驕りでもなく、それは義務としてのエリートだ。

(先に言っておくが、私は高卒で就職して、夜間大学を出ている。両方の立場から学歴というものを見ていて、後述の通り「偏見」で学歴を見ていないし、例外が多々有ることも十分承知している。)

 成績に応じた『高報酬』を得られる代わりに、短期間で資格を取得したり先輩のスキルを総なめしなければならない。

 同期3割辞職の真偽はどうやって確かめたのかしらんが、脱落者は雇用者側も想定済み。300時間と言っても、残業が100時間で、年に3か月程度なら、労働基準法の範囲内。休みが月に3日(労基上は4日)はちょっとはみ出しているが、その分金を貰えるならブラックとは言えない。

 車一台買ったことのない人間が、見ず知らずの人間に、リフォームなら100~250万円くらいの出費をさせるのだ。自分の血と肉を搾り取られるような思いをしたことが無いのだから、どれだけの勉強と研究と想像力が必要か?一般的高卒の社会経験値と学力では300時間でも足りない。

 だから大卒にやらせるのだ。

 とまあ突っ込み続きで、私が話すと喧嘩になるのは必至だ。

 

営業マンたる者 

 

 ただ、この情報は重かった。

 「自分が売っている商品に自信が持てない。客を騙しているようだ。」

  営業マンは、自社の商品に自信を失ったら終わりだ。本当に良いものだと信じる「キリシタン」か、金儲けのためジャンと割り切って平気で人を騙す「サタン」でないと、辛い臨戸の連続も、休みのない毎日も耐えられない。

 キリシタンは良い。少しでも社会のためになっている意識が、本当にお客様の笑顔が、地を舐める苦労も洗い流してくれる。

 サタンは誰だって嫌だろうが、この時、大卒には、比較的容易に乗り換え(転職)が可能という誘惑が現れる。そして、後述する通り、大学4年間で数々の経験と訓練を受けて、多分、社会のための何かの役に立てるという「何らかのスキル」を持ってしまっている。そうすると、サタンの選択が、「最後の選択」であり「敗者の選択」であるかのように見えてくる。

 こうなった営業マンに、高報酬・早昇進の目はない。

 初年度の苦しい時期など序の口、いずれ、ハンコを押してくれない上司、砂漠エリアを任される、家を買ったら単身赴任など、地獄の日々は何度も訪れる。

 サタンを選んだ後悔を引きずっていては、踏ん張りが効かない。

 

 一応は上場もしていて、福利厚生も整ったいっぱしの会社である。

 別に詐欺的な商品を売りつけているわけでもあるまい。

 多忙に対する怒りを治めて、冷静に商品を見直せば、あるいはキリシタンへの道も残っているのだが、それはもう個人の判断の世界だろう。

 

 というわけで、労働条件が云々言っているだけなら、「そのうち慣れる。技を磨け。」と言って追い返すつもりだったが、本当に自社の商品に自信が持てず、将来的にもキリシタンになることはないと確信できるというのなら、ここで引き返せるのも、受験を戦ったご褒美の内ということで、「好きなものを早く見つけなさい。」と言ってあげようかと考えている。 

 

大卒たる者

 

 さて、殊更に、大卒は高卒に比べ優位にあるかのように話を展開してきたので、幾分、気分を害された人もいるかと思うが、これより大卒の意義について考察する。

 これは、半高卒の私が生涯抱き続け、国家高揚の重要な理念と信じる持論であり、昨今、娘の提言をヒントにパワーアップしたものである。

 先ず第一に、私は「大卒=エリート」で良いと考えている。しかし、それは必ずしも幸せとは言えない。大卒採用者は、ある程度の問題解決能力を期待されており、当然複雑で困難な業務を任せられ、その代償として高卒採用者よりも若干給料は高く、出世も早いが、どこへ行っても、労基ギリギリまで働かされるだろうから。

 しかし、娘は言う。「企業は大卒にそのような素養を求めてはいない。」「というか、大卒か高卒かなども関係ない。」「企業が求めているのは、『コミュニケーション能力』いわゆる『コミュケ』だ。」と。

 そこで調べてみたところ、確かに経産省が発表している指標によると、企業が採用において重視する項目で、『コミュケ』が圧倒的にトップだった。

経産省指標リンクhttps://www.keidanren.or.jp/policy/2018/110.pdf

 

 しかし、この情報は、私の持論をさらに補足するものと考えられた。

 コミュケとは何か?また2番手の主体性とは何によって培われる?

 多くの高校はアルバイトを禁止している。せいぜい校則を破っても飲食店で10時までしか働けない。

 大学では飲酒を伴う夜間のバイト、営業を求められるバイト、人に物を教えるバイトまで、広範な経験を得るチャンスが与えられる。

 経験した者の多くが感じているだろうが、大学のサークルと言うものは高校の部活とは大きく違っている。多くの場合、強制力が無く自主性を重んじられるのだ。

 さらに、残念な事に多くの大学生が気づいていないが、「ゼミ」というのは、卒論を書くための強制サークルではない。

 ゼミナールとは、「演習」のことであり、大学で受けた各講義の知識を持ち合い、実際にブレインストーミング(知識を混ぜ合わせ)する事で、なにができるか?なにを生み出せるか?を「実践」しているのである。

 コミュケ、主体性、更に先程の経団連の指標に有るものだが、協調性、チャレンジ精神も、圧倒的に培われる環境に差があるのだ。

 まだ続けるが、高校では論文形式の解答は通常求められない。昔は短大卒の私の妻がよく、「私短大しか出てないから。」と言っていたが、序論・本論・結論で考える能力まとめる能力は、苦手な講義の期末試験に臨んだときの涙の数だけ刻まれている。

 それは持論を押し付ける技ではなく、「聞いてもらう。読んでもらう。」技に昇華されている。

 まだ続けよう。

 男女交際の経験も、金銭的な問題に遭遇するケース、車の免許の取得と行動範囲の劇的な拡大(海外旅行なども)、友人と道を違(たが)えていく経験、親の老や祖父母の死、私は、18〜22歳の経験が一番濃かった。おそらく多くの人がそうだろう。
 

 悪いが、これだけ条件が揃っていて、コミュケで高卒に負ける奴は、チコちゃんに怒られるぜ「ぼーっと生きてんじゃねえよ」

 

 受験者たる者

 

 以前、11年前にもブログを書いていたと話したが、そこで「大卒はもう少し評価されるべきであり、本人たちもそれを自負し、その期待に応えるべきだ。」

と主張したところ(2007年04月15日「ハンゲーム_韓 非のブログ_インテリで何が悪い」

http://blog.hange.jp/B0000390751/article/10841131/)、結構「学歴差別だ!」「決めつけだ!」と批判を受け、最後には、「ブログ、応援していたのにガッカリした。」とまで言われ、それが一番ショックだった。 

 最終的に誤解は解けたようだが、当初私の書き込みは、学歴のみで人を判断する「偏見」だと捉えられたようだ。

 「偏見」とは、論理的根拠を示さず、対象に対して、固定的観念を持つ事である。

 しかし、「大卒=エリート」とするには、上記に列挙した如く、いや本当はもっと有るのだが、書ききれない程の論理的根拠が有るのである。

 むしろ、残念なのは、その論理を知らないまたは理解できない親が、まさしくその偏見をもって、その意義を知ることもできないかわいそうな子息を、意義も知らせず、受験という戦地に送り込む。その方がよっぽど偏見の弊害である。言っておくが、受験だって、「キリシタン」になれたら、そう戦地とも言えないものだ。

 息子は、私が「受験勉強は、『好き』にならないと貫徹できない。」と言い続けたが、「大学に行くために仕方なくやっているもの。勉強を好きになる奴など変人だ。」と言い返し続けていた。大学に合格して、改めて、「結局最後は『好き』になったろう?」と聞くと、「まあ、苦ではなくなったかな。」と答えた。これも、受験を戦った者だけが見られる景色だ。

 だから、現在大学受験に挑む受験生もその親も、大卒がなぜエリートなのか?よく理解して、夢の4年間を企図して夢見て、学力が上がるほどにステージが上がっていく喜びを感じながら、勉学に勤しんでほしい。

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『大工の聖ヨセフ』 

 とあるルーブル展で、目当てのフェルメールを真っ先に見ようと突進していたら、一つの炎に足止めされた。それが「夜の画家」ラ・トゥールの炎との初対面だった。

 動くはずの無い絵画の炎の動きをずっと眺めてしまった。

 職務柄、何人もの新人を見る。そしてその度に、私は、ラ・トゥールの炎を思い出す。

 輝きではなく、暗闇に冴え、暗闇を拓く光。私が次世代に託した思いの象徴だ。

 私の組織も、出世を目指すとなると、ブラックな道を避けて通れない。しかし、それぞれに信じるモノが有るようで、その淡い炎は消えない。

 若者たちのバイタリティなら、信じる事、好きになる事、で闇の方がおののいてくれるだろうと信じる。