説難

Reboot

 諸事情があって休筆していたが、昨年10月からブログを再起動していた。全体の構想の第2編にあたるので、同じアカウントのサブブログに掲載していたが、掲載ワードの差が段違いなので、いくら新しい投稿をしても、こっちのアクセスの方が多いことになんとも残念な思いが募るばかりで、そのうち、第2編の方も文字数が増えてきて、ヒット数も増えるかなあと持っていたが、インボイスが導入されるまでに見てもらいたかった投稿がいくつかあって、メインブログに掲載することにした。

 

 ただ、持病の治療のため服用している向精神薬の作用で、発想力、想像力、理解力が格段に低下してしまった。社会に適合できるように、自己主張と多弁症を抑えているのが目的だから、止むを得ないのだが、前編の「説難」に比べると、明らかに語彙力がなくワードセンスが壊滅的だ。ユーモアもキレもオチもなく、無駄に文章が長い。
 それでも今回再起動に踏み切った心境を、令和風の歌詞で表現すると「孤憤」ってやつが光り輝くから、好きなことに向き合うことは楽しいだけじゃないことはわかっているつもりだが、透明な自分でいる事にも限界が来て、名文を書けなくても、宿命に抗うことにした。てとこかな。
 「孤憤」とは、「五蠹篇」と並んで、いわゆる秦の始皇帝をして、「この著者に会えることができたら死んでも構わない。」と言わしめた、韓非子88篇でも、傑作中の傑作である。
 その意味は簡単にいうと、「自分ひとりではどうしようもない世間の仕組みなどに、一人憤りを覚えるさま。(Weblio辞書)」をいう。
 私は、管理職にもなれなかった木端役人だが、ありがたいことに幹部候補生として教育を受けた経験がるため、周囲の同僚が気にも留めない国家の裏の考え方に気づくことができる。

 

 「説難」では、そういうやばい話はあまりしなかった。エビデンスもなく偏った意見を言うと、批判されたとき反論できないし、万が一炎上でもしたら、処分の対象になるかも知れないなどと考えていたからだ。でも、なんのことはない。市井の木端役人のブログなど誰も興味を持たない。もうちょっと言いたいことを言っても良さそうだな、と確信を得た。
 よって、今回はもっとBLACK kannpisi になって、どぎつい話を言葉を選ばず語っていこうかと考えている。どうせ、語彙力が壊滅して、言葉を選ぶ余裕も無いし。

 

 というわけで、第2編のタイトルは「孤憤」。

 皆さんの知らない間に、いろいろ大変なことが起きていますよ〜。とか、「いい加減目覚めなさい。いつまで家畜のような人生を送っているのですか?」という話をする。

 しかし、私の投稿は原則として、問題提示と解決案の模索はセットである。

 現在第2編は、16話まで進んでいる。今は、日本人のポテンシャルの喚起に勤めているところだ。

第2編「孤憤」のメインチャプター エジプト遺跡「スフィンクス