1 ブログトップページ
昨年10月3日、本編を完結させた時点でこのブログを更新するつもりはなかった。
しかし製本版の出来の良さに、つい夢を描いてしまい、つまらない二稿を追加してしまった。それから半年間、とある事情でブログを更新していなかった。
その間も、何らかのワードがヒットするのか。アクセス数は継続的に有るようだ。
しかし、せっかく見てもらっても、おそらくトップページを見た時、よくわからない最終稿が一面に出て来る、中途半端なブログの典型作のようで、ずっと気になっていた。
このブログは、通常のブログとは違い、初稿から読む事で、その意義を感じられるものなので、ここにその初稿のホームページを示しておく。
kanpishi.hatenadiary.jp これで最終稿を掲載した意味の半分は終了した(´-`).。oO
2 螻蟻の災難
さて、しかしながら、前回の最終稿では、自分の完成させた製本が、多くの人に読んでもらえるようにできないか模索する方向性を示している。
したがってその結果どのようなことになったかについても話しておこう。
(1)出版企画書
この後、私はネット上で出版の支援してくれそうな出版社を探しアプローチを試みたが、どこも、ろくに原稿も読んでくれず、自費出版を勧め、手数料をもらいたがる面倒な会社ばかりだった
しかし、ある大手の出版社の親切な担当者から、「こういう場合は、本の「奥付け」(最終頁や裏表紙)に書いてある出版社所在地宛に「出版企画書」と言うものを送って、審査を受けるのが、正式な手続きである」と言うことを教えていただいた。この審査を受けなければ、出版社の編集者は決して本文を読む事はないと言う。
なので、同じような夢を持つ人たちに忠告しておくが、原稿をろくに読みもしないで自費出版を勧めてくるような会社は絶対に信用しない方が良い。
なお、その親切な出版社には、出版企画書を送ったが、回答はなく、どうやら不合格だったようだ(-"-)
(2)セカンドオピニオン
本編でも若干触れているが、私には、不眠症と多弁症という悩みが有り、睡眠薬と向精神薬を常用している。
TOEICチャレンジ辺りからやや様子がおかしかったのだが、その持病が悪化して、家庭内の平穏はおろか、社会的適応性でさえ危ぶまれる事態となった。
そこで、コロナ禍の中、外回りが無いうちにセカンドオピニオンを受け、治療の抜本的見直しを計ることにした。
その結果は燦々たるものだった。
あまり自慢できるような話では無いのだが、割と普通の方でも陥りやすい問題かと思うので紹介しておこう。
私の症状は、いわゆる「発達障害」が起因している。私の場合は、理解力・読解力・想像力においては群を抜いて優れているが、注意力・集中力・観察力において非常に劣っていると言う。簡単に言うと、弁は立つが、やらせてみるとミスが多いというわけだ。
私の主治医も、この発達障害については承知していたが、それは「個性」であり、「才能」であると考え、なるべくそれを損なわず、これを改善したいと考えていた。
しかし、セカンドオピニオンを請け負った医師は、発達障害についてそれほど寛容ではなく、「あなたは、優れた能力と劣っている能力との差が有り過ぎてもう治らない。」と断じ、「その格差は非常に危険な域に達しており、現状既に社会に適合できていない。」と言い切った。
人は目が見えないと、耳が良くなる。
同様に、能力に格差がありすぎると、劣っている能力を平均値まで引き上げようとする意欲を失い、優れた能力で全ての問題を解決しようと考える。
結果、優れている方の能力はさらに鋭敏化され、劣っている能力は、さらに退化していく。そうして、他人には理解できない、「どうしてあれが出来て、ここでミスする?」という、私に期待する人を失望させ、私を嫌う人をイラつかせる人格が形成される。
(3)ゴッホの主治医
セカンドオピニオンの結果は、私の主治医にも伝えられた。彼はとても残念そうにこう言った。
「僕はあなたの才覚をとても高く評価している。しかし、それを守ろうとすればするほど、あなたやあなたの周囲を不幸にしてしまうのかもしれない。
薬品によって、あなたの才覚を抑えてしまうことは、難しいことではない。しかし、医者として不甲斐ないところではあるが、私は今でも、治療の方向性に悩んでいる。」と。
私は、TOEICなどのいくつかのチャレンジの結果を報告し、一番自信の有った文才についてすらこの先役に立つ目途は無く、それが私の周りを不幸にするのなら、そんな才覚は抹殺してほしいと頼んだ。
主治医は言った。「ああ、まるで僕は、ゴッホの主治医のようだ。」
まあその言葉で十分だった。
ゴッホの主治医は、彼の才能を信じつつも、彼の命を活かそうとした。しかし、結果は両方を失うことになる。しかし、ゴッホは37歳までしか生きられなかった。私は彼より多くの可能性にチャレンジすることができたし、私の才覚を評価してくれた人にもたくさん出会えている。
(4)剣の反乱
発達障害に対する治療薬は、発達した能力を押さえ込み別の能力で問題を解決させようとするものである。しかしその治療は、理にかなっているとは言え、かなり厳しいものになった。
頭の回転が全くせず、読み書きが理解できない。パフォーマンスが極端に低下し、強烈な睡魔を伴った。だから、周囲の人たちは、急にトロくさくなった私を責めた。
しかし、何よりつらかったのは、精神面の苦痛だ。
幼少から運動神経が悪く、いじめられがちだった私を何とか助けてくれたのは学力と言う「剣」だった。逆に言うと、数十年もその剣一本だけで生きて来たのだ。これを奪われる辛さは、自分の人生の大半を否定されるようなものだ。
私の精神は次第に怒りと恨みに変わっていく。
「なぜ私の性格は抹殺されなければいけないのか?」「考えてみれば、注意力や集中力というものは、運動野の問題ではないか?」「運動神経の悪い私がやむを得ず選択した道ではなかったのか?」「普通の運動神経を持っている連中は、ろくに勉強もせず小学生でもわかるような問題を解こうともしないではないか?」
受け入れられない悔しさ。いくら説明しても、同情してくれるのは、精神科医とカウンセラーだけ。抹殺されていく私と言う人格・・・。
パニックに陥った私は、二週間で発狂した。
3 エピメテウス
妻は、私の襟首を掴んで、私の兄のところに私を連れて行った。彼女は、私の発達障害の原因は、私の家族に在ると考えていたから、責任を取らせようとしたのかもしれない。
兄は、私のコンプレックスの対象だ。
私が物心ついた時から、人気者で、周囲から期待され、街の有名人だった。社会人になっても、とんとん拍子に出世し、いつも人の中心にいた。
プロメテウスはご存知知恵の神で有名だが、エピメテウスはその弟でパンドラの箱で有名な女性パンドラを娶った愚かな神である(パンドラが有名すぎてあまり知られていないが)。
エピローグに代表されるように、プロは前、エピは後を表す。
転じて、プロメテウスは、先に考える賢者と称され、エピメテウスは後で考える愚者と揶揄される。
私は、兄がいつも称賛されるプロメテウスで、私はいつも揶揄されるエピメテウスであることを自覚していた。
しかし、一つだけ彼に勝る自信のあることがあった。彼は、決して職務上必要なもの以外に知識を得ようとはしなかっただろう。これに対し、私は職務上必要のない知識を好奇心のままに吸収することを好んだ。従って、おそらく本編の『説難』のような作品を生み出す事は彼には決してできなかったろうと思う。
だからこそ私は彼に単刀直入に尋ねた。「なぜ私の才覚は抹殺されなければいけない。」と。
兄の答えは一刀両断だった。
「個々の類稀な才能は重要なファクターだ。しかしそれは、事業者や芸能人・スポーツ選手には必要なものであって、組織や調整を重んじる職業、特に役人のような職には無用だ。」
身も蓋もない答えだ。
誰だって、自分の才能を信じている。しかし、20代そこそこで事業を越せる奴なんて、それこそプロ野球選手並みの才覚だ。だから、数年、十数年会社員として修業を積むのだ。
そのうち、家族ができ、住宅ローンを抱え、簡単には脱却できなくなる。
兄の言い分では、「その時点で、自分の才能を諦めて、凡人としての一生を選択せよ。」ということだ。
くだらない。まったく、昔から変わらない。プロメテウス的発想だ。
エピメテウスは、パンドラを妻に娶ることで、世界に最悪を振りまいた愚者である。しかし、私には、パンドラに魅かれる性向こそが、人類の発展の原動力のようにも思えるのである。
4 老兵は死なずしてただ去るのみ
しかしながら、兄の指摘は的を得ている。
私の才覚を発揮するには、私は歳を取り過ぎた。
私の好きな言葉にこんなものが有る。
所得税法における「事業所得」の定義について最高裁判例が例示した一文だ。長いので冒頭だけ、「事業とは、自己の計算と危険において独立的に営まれ・・・」。ここで言う、計算とは、一定の利益可能性、つまり勝算であり、危険とは不慮の事象による損失を指す。
つまり、最初から勝算のない趣味の延長や、投機や博打のような損失が有る程度当たり前のものは除かれるという意味。
逆に言うと、事業とは、確実な計算さえ立てておけば、よほどの不運に見舞われない限り、生業として成り立つと言う事である。例え、サラリーマンでもある程度の計算と「勇気」が有ればできない事ではないのである。
私は、家庭の安定を言い訳に、自分の才能を信じず、一歩踏み出す「勇気」を持つことができなかった。その時点で、兄の言うように、とっとと、凡人になることに徹するべきだったと言う事なのだろう。
私は、薬品による理解力と読解力の抑制に同意した。
おりしも、まさかこの歳て、新しい系統に転属となり、一から勉強を強いられることとなった。今までなら、マニュアルを3割も読めば、おおむねを掌握していたが、今の読解力では、3回読んでも5割も残らない。
しかし、おもしろいもので、以前のように短期間で一人前に成長していた私よりも、3か月たっても半人前の私の方が、周囲にはやさしくされて、気に入られている。
文章力・自己主張が格段に落ちたので、しばらくはブログは書けないだろう(この最終稿を書くのも半年かかった)。しかし、妻子から、「最近穏やかになった。」と言われ、肥満体型だった体重が10キロ痩せた。
オリ・パラでは、「己の才能を信じろ。努力は必ず報われる。」というメッセージが盛んに飛び交っていたが、どんな素晴らしい才能も、誰かに見出されなければ結局埋もれていくもの。一定のチャレンジをしても、表に出ることのできなかった才能は、ある意味「賞味期限切れ」として、パージした方が、本人にとっては幸福なのかもしれない。
そういうわけで、この稿を以って、私の執筆はこれにて一旦終了したいと思う。
それでは、みなさん、Adios.Hasta luego!
レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者聖ヨハネ』
ダ・ヴィンチ最晩年の作品であり、一説には絶筆とも呼ばれている。
輪郭線をぼやかすスフマート。両性具有的肖像。そして、魅了される不敵な笑み。
いずれも彼の代表作、モナ・リザに使われた技法で、かつそれを凌駕しているように思われ、絶筆の名にふさわしい。
しかし私が特に目を引いたのは、彼の突き出す人差し指である。
多くの解説は、イエス・キリストの洗礼者で、師匠でもあったヨハネが、天国を指しているというが、弟子であるイエス・キリストは一度もこのように、ガッツポーズスタイルで、いわば天を愚弄するようなポーズは取っていない。
これが、変人ヨハネらしい挑発的な態度なのか、ダ・ヴィンチの創作なのかは不明であるが、私は、ダ・ヴィンチの創作であると信じている。
彼は、最後の絵画を通じてこう言っているように思えるのだ。
「これが最後ではない。これが始まりの『一枚目』なのだ。」