説難

ようやく”note”への移転掲載を始めました

1 ”note"への移転掲載開始について

 正月の投稿から5か月近く経っていますね。

 実は、3月までTOEICにチャレンジすべく勉強していたのですが、これが予想外に難敵で、こちらの方まで全く手が付けられなかった次第で。

 このチャレンジについては、いろいろ思うところが有ったのですが、それは後述とします。

 

 それより、前回投稿で話題にしていた製本については、投稿の二週間後には届いて、これがまた、なかなかの出来栄えで、前回掲載の模造品のクオリティを優に凌駕しています。まあ、料金分の仕事はしてくれたな、と感心している。もし迷っているという人がいるなら、私は、激・お薦めです

 製本はB6版で行ったが、主治医の先生は、「ごめん、僕には字が小さくて厳しいわ。」と言われたので、現在B5版を発注し、どれだけ不細工になるかを検討する予定である。

 しかし、私の歳で読む限りにおいては、そんなに苦に思えるものではなかった。そもそも、どちらかというと30代以下をターゲットにした作品なので、B6版で十分かなと考えている。

 

※2021/4/24 B5版が到着したので、完成品の写真を掲載します。

 確かに文字は大きくなりましたが、娘は気に入らないようです。ご意見を頂けると幸いです。

f:id:Kanpishi:20210424223603j:plain

 

 それにしても、実際、製本で読んでみるとブログで読み返すのとはまた違った感激が有るもので、自分で書いた本なのに、やはり、自賛の念が抑えられない。

 こうやって、ブログで全原稿を公開しているのだから、わざわざ、製本を欲する人がいるかどうかわからないが、是非製本で読んでもらいたいと思う。

 そのためには、製本化に値する作品であることを立証しなければならない。

 そのための"note"のサイトへ移転掲載だ。

 

 以下、トップページとサイトアドレスである。

 こっちで読み切っている人には関係ない話かもしれないが、寂しい螻蟻を少々なりとも応援しくれるとありがたい。 

f:id:Kanpishi:20210418224916j:plain

https://note.com/kanpishi

 

2 TOEICのチャレンジについて

 50を過ぎて、いまさら何しにTOEICなのかということになるのだが、実は話せば長い。まあ、そこを何とか端折っていこう。

 私の父は、税務職員から50を前に会計事務所を開いた。いろんな理由もあったようだが、その中に「(監査先が)可哀想だ。」というのが有った。

 税の世界は、知る者と知らない者と間に格差が有りすぎる、そこに挟まるブリッジが必要だいうことた。しかし、その経営スタイルは、あまりお金を持っている顧客が少なく、儲けが少なかった。

 

 早期退職の上独立を果たした役人の息子が同じ道を目指すのは当然のことで、私も50までの退官を目指していた。しかし、格別のスキルが無ければ、都心で税理士家業は成り立たない。

 支援者がいないわけでは無いが、彼の条件は、父のやり方ではなく、「儲けを確保する。」ことである。(それは、顧客の安心を守るうえでも重要なのである。)

 

 そこで、私は3本の構想を立てた。「事は密にしてなる」わけであるから、あまり話す物ではないが、構想のうち2本は既に潰えたので話してもよかろう。

 その一つは、簿記1級を取得することであった。

 会計事務所に簿記1級は必要ない。現実離れした世界だからだ。

 しかし、人にモノを教えるときは、より高度な知識を持っている方が、分かりやすく説明できる。減価償却貸借対照表、それをケーキや風呂の水に例えて説明する。それは、そのプロトコルを理解しているからできること。私は、監査や窓口相談の場で、何度も悩める新規事業者を助けてきた。だから、どうしても会得したかった。簿記全体の世界にある真髄・プロトコルを。

 しかし、能力足らず、3年間チャレンジしたが、簿記の女神は最後まで私に簿記のプロトコルを見せてくれなかった。

 もしこのチャレンジに成功していたら、50を前に若手税理士として退官していただろう。

 

 機を逸した私には、失意の念もあったが、タイミング的にも次の2本目・3本目の柱を取りに行くには、3年近い猶予ができた。

 そこで始めたのがこのブログだったわけだ。

 その猶予の時間が過ぎれば、あまり好きなことをしている時間はない。その前に、死ぬ前に書き残しておきたかったことを書き綴っておこうと思ったわけだ。

 

 3年の猶予が過ぎた。次の機会、早期退職に向けて、2本目・3本目の柱を取りに行くことになる。

 

 もう一つの柱は、外国人に対する対応だ。つい最近まで、「I cannot speak japanese.」という来庁者が来ると、お化けが出たかのように、館内中大騒ぎだった。

 最近は優秀な大学を卒業した新人が増えたので、それほど大騒ぎにならならないが、若者・新人任せが体裁の良いものとは思えない。

 私は、困っている外国人を放っておけず、英語版の申告書作成手引きを独学で和訳して、震えながらも、怯えながらも逃げずにチャレンジしてきた。おかげで今では、相変わらずカタコトのぶつけ合いながら、当人の来庁の目的くらいは完結できるようになった。

 そこで、2本目の柱は、このような困っている外国人の企業者を適正な方向に導くというものだった。

 そのために、「私、ある程度英語は話せます。」と口で言っていてもだめだ。

 そこでTOEICのスコア(わかりやすい看板)が必要となるわけだ。

 

 最初、何も勉強せずにやってみたらスコアは320点だった。

 最低でも600、できれば650は必要だ。話にならない。

 3か月勉強したが、スコアは400点に満たなかった。

 

 妻が、なぜ娘に相談しないのか?と聞く。

 娘は、英語を話せる人だ。勉強のし方が違うことは目に見えている。

 それでも、わらをもすがるつもりで、娘に相談した。

 初心者がこなせる量とはけた違いの課題を出された(+_+)

 しかし、彼女は言った。「できるできないにかかわらず、もっと英語を楽しめ。」

 当たり前の指摘に愕然とした。私は、「受験は楽しい」と壁に張り、スコアが伸びないことや、何度も同じところを間違えることに腹を立てないようになった。

 彼女の出した課題の3分の2くらいしかできなかったが、何とか家庭内模試で、500点を超えるようになった。

 

 先日、試験結果が送られてきた。

 スコアは、300点。

 まったく勉強をせずにやった時より悪い。

 私は悟った。神様は、私が簿記の初心者を導くことも、可哀想な外国人を助けることも望んでいない、と。

 もう一つの柱を手に入れるには、資格が二つ必要だ。しかし、その柱は、どちらかというと、金もうけのためのアイデアだし、それなら、早期退職をする理由もない。

 そして、その資格は、毎年更新されるので、退職直前まで要らない。

 今年は資格取得で忙しくなる予定だったが、今、私は全くバイタリティの抜けた木偶の坊である。

 

 父親のように、お金儲けでなく、人の役に立つ税理士になりたかった。

 しかし、スポーツ選手の才能のように、なりたいものになれる才能を授かることは稀であり、「努力は報われる」などという妄想も、一部の才覚者にしか当てはまらないのだ。

 

 妻と付き合い始めたころ、「ズルや意地悪をされたことのない人生」を歩んできた人を初めて見た。美しさすら感じた。息子は、異常と言えるほど人に好かれ友達が多い。娘は才覚に恵まれたうえに、妻の影響かひねた性格が身につかなかった。

 私は違った。4歳のころには、ズルと意地悪に苛まれ、中学から「脳みそだけが頼り」というひねた性格が完成した。

 

 ブログを読んでもらったらわかるように、幅広く知識を持っているし、おそらくかなり正確に捉えている。(自信のないものは発言を控えているところもある)

 しかし、私は「賢い」と褒められた事がほとんどない。私の醸し出す何かが私を褒めさせない。だから、私は勉学の成果を誠実なものに活用し、例えば、困った人を助けることで人の称賛を得ようとした。

 

 神の答えは、スコア300。

 

 再雇用になって、老害になるのは嫌だったが、神がここまで私の将来を否定するのであれば、その選択がやむを得ないのかな。

 支援者からは、スキルなしでもいつでも歓迎の兆しであるが、私はやはり自分のやりたい形を少しでも通したい。

 

 今はもう、TOEICの結果がショック過ぎて、先のことは考えられないが、まあ取りあえずブログが、なるべく多くの人に読んでもらえるように、いろいろ工夫して、そのうち、先のことを考えなおそうと思う。

f:id:Kanpishi:20210420230336j:plain

「自画像」ゴッホ
 ゴッホの自画像はあまりあるが、この自画像はとくに有名なように思う。

 ゴーギャンとの悲しい別れの後、耳切事件を起こした後の作品だ。

 ゴッホの作品は、自殺に近づくにつけて、背景のうねりが強くなっていくのが特徴だ。この作品でも、残念ながらその兆候が見え始めている。

 様々なチャレンジの末に彼は何を得て、これを描いているのだろうか?

 しかし、私は、失敗を重ねても、空振りの人生を重ねても、背景にうねりを描かない。なぜなら、悔しい思いをしつつも、どこか、これが私の生い立ちか何かから背負ってしまった宿命のように思えるからである。