説難

教育は国家百年の大計2選挙権

 

 

  「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。(憲法41条)」

 私のお気に入りの条文の一つだ。

 憲法に関する記述の多くは、日本国憲法の三本柱の一つである国民主権(主権在民)について、憲法の前文で示されているという。

 憲法の前文は宣言である。多少拘束力は持つが、具体性を欠く。そんな所信表明のような、「つもりです発言」に載っているなどと言っているから、この憲法の素晴らしさを知ることのできない国民が増えるのだ。

 私は幼少の頃、よく新しい遊びを思いつくので、友人たちには重宝された。しかし。その新しい遊びは、人数が増えるごとに、ズルや不公平が生じ、新しいルールの設定が求められた。

 遊びの発案者として、私が考えることも多かったが、私より上の実力者がいて、そいつが決めることも多かった。もちろん相談で解決する事も有った。そして漠然とした感覚では有ったが、自ずと、ルールを決めるものが、人であろうとシステムであろうと、最高権力であると悟った。

 そして、この41条を初めて読んだ時、その悟りを代弁してくれた、一行足らずの条文に戦慄を覚えたのである。

 教師は、憲法の前文を暗記させようとしていたが、私にとって、主権在民は41条に有った。正しくは、その国権の最高機関の構成員を選出する権利は、国民固有の権利とする憲法15条「選挙権」とセットでなければいけないのだが、宣言なのか理想なのかよくわからならない御託を並べている「前文」よりも、よほどはっきりしていて、何よりイサギが良かった。

 後年、韓非子に出会い、法を基軸とする国家運営を学ぶと、ますますあの時の戦慄は正しかっと感じられる。

 

 選挙権も18歳以上に引き下げられたことだし、中高の教育で、あるいは、国の成り立ちを教える段階ならいつからでも、主権在民は、憲法の中で「宣言」されているだけではなく、条文に明確に定められていることを教えて貰いたい。

 

 ところで、主権在民(民主主義)には一つ条件が有る。

 有権者が、一定の知識を持ち、主権者としての義務を怠らないことである。

 トランプ大統領を始め、いくつかの例で、無能な有権者が、雰囲気に呑まれて、正確な議論をしていないという、いわゆる「ポピュリズム」が問題視されているが、それでも国民が自由意志で選挙権を行使できていて、実際投票率が上がっているなら、それでいい。

  問題視する者の声が聞こえてこない国(結構存在しているが)や、選挙権の価値が失われて行く方が問題だ。

 

 ある出来事を知った時から私は国政選挙はもちろんのこと、なるべくどのような選挙にも投票に行くようになった。

 

 激しい虐殺合戦が続いたカンボジア内戦を見かねた国連が、各勢力の間に割って入り、休戦合意と普通選挙の実施に漕ぎ着けた。その監視役として国連が派遣したのがpeace keep organization (国連平和維持活動)=PKOだった。

 各国から日本からもPKOに参加する人たちがいた。

 しかし残念な事件が起きた。

 1人の学生と文民の警察官(自衛隊員ではなく、武器を持たない普通の警察官)が、休戦合意に不満を持つ勢力のポル・ポト派によって殺害されたのだ。

  強引に平和貢献のためといい、人を出したために日本人が死んだではないかと世間の人達は国の姿勢を批判した。

 しかし、彼らは、日本の国際貢献をアピールするためにPKOに参加したわけでは仲経ったでしょう。悲しいことに、彼らが守ろうとしたのが、日本人には意識すらされていない「選挙権」ですよ、と報道してくれるチャンネルは無かったように記憶している。

 

 元大阪府知事大阪市長橋下徹は、大阪府民を二分する、大阪都構想が、住民投票の結果、49:51で否決された時、「これだけの大戦をして、一人の死人も出ない。民主主義って素晴らしい。」と語った。

 

 私の子供達も、特に息子は18歳になって、初に施行される選挙に参加する機会があったので、必ず投票に行くよう勧めた。

 別に理由は聞かれなかったが(小さい時から親が行っているから、格別疑問は感じないらしい)、聞かれた時の答えとして用意していたものを、ここに掲載する。

 

①選挙権を行使するには一定の知識が必要だ。その知識を備えることは、民主主義における主権者の義務であり、必要なコストだ。

②日本の選挙権は、先の大戦における、国内350万人、アジアで1000万人の屍の上に成り立っている。

③年代別など何らかのカテゴリーで投票率を分析すれば、当然投票率の低い高いが現れ、高投票率のカテゴリーに合わせた政策(例えば若年層の投票率が上がれば、若年層に合わせた政策)が優先される。

 

 勉強不足で、選べなかったとしても、勉強はしたが、自分の考えを代弁してくれる人はいなかったとしても、消去法で「こいつだけは嫌」「だからそれ以外で一番若い人にした」でいいのだ。

 自分の属するカテゴリーの投票率を上げられたら。まずそこからなのでしょう。

  この簡単なロジックを是非、学校でも家庭でも、教育に取り入れ、有能でなくても、民主主義を支えるに足る有権者を育てて欲しいものだ。

 

 最後に

 第12条は言う。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。」

 

 憲法は主権者を拘束する法律であると以前語った(マグナ・カルタ参照)。

 この12条は、我々国民に課せられた義務なのである。

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ルーベンス「パリスの審判」

 トロイ王の息子パリスは、二男であったこともあって、のんきに羊飼いをしていた。

 しかし、美しさを競い合ったギリシャ神話の三女神、ヘラ・アテナ・アフロディーテのいざこざに巻き込まれて、誰が最も美しいかを判定させられる。

 三女神は、それぞれ「地位」「勝利」「愛」を与えると約束し、パリスの投票の証である黄金のリンゴを得ようとする。

 そして、パリスは、愛を約束したアフロディーテを選択し、リンゴを渡す。

 その選択は、後のトロイ戦争の引き金となっていくのだが、パリスがどれを選択していたら、正しい選択だったのかなど予想のしようが無い。

 しかし、彼が選択を断っていたら、女神たちは人類の無能さに対し、何らかの報復を与えていたことは間違いない。

 

 フランダースの犬で有名なルーベンスだが、人体描写にしわが多すぎるので、あまり好みではない。多くの画家がモチーフにして画題で、選択肢はたくさんあったが、結局、献策で一番に出てくるこの作品を選んでしまった。

 それでも、本日の投稿に最も合う画題であり、ルーベンスは、私の好き嫌いを排除すれば、選択に値する画家だ。(選挙も同じようなものだ。)