説難

平和を画するのであれば、利を用いるのが上策であり、情を用いるとあらばその涙を数えず笑顔を摘むべきである

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「ラ・ジャポネーゼ」。知る人ぞ知る、印象派の巨匠クロード・モネの傑作である。

 モデルは、彼の妻カミーユ・モネ。彼女は本来黒髪なのであるが、金髪のカツラをかぶっている。西洋人の日本文化への憧れを強調しようとしたのでないかと思われる。

 この絵画に因むエピソードは多く、語り始めるときりがないのだが、今回はカミーユの無邪気な笑顔に注目してもらいたい。

 彼女は、残念なことに、この作品の数年後、32歳の若さで早逝する。

 失意のモネは、その後、人間の顔の表情というものを全く書けなくなってしまう。

 「光の画家」と称賛され、さまざまな光の表現を世に生み出すが、その中に、この絵画に描かれたような、「笑顔」は存在しない。

 モネの筆から笑顔を奪ったのは病魔であったが、世界では、もっと理不尽な形で多くの笑顔が奪われている。

 

 私は、このブログで、平和学の創設を目指している。

 

 私の主張の特異な点は、平和は、情や義に訴えて実現されるものでなく、合理的な計算に基づく「利益誘導型」、つまり利によって実現されるものだと考えている。

 その考えは、本ブログのもう一つの柱である韓非子の徹底した合理主義に倣ったものである。

 

 何度も伝えているように、私のような小生が、一つの学問を立ち上げることなど土台不可能である。しかし、私の考えが斬新であり、早い段階で世界に受け入れられれば、きっと多くの紛争が解決できると信じている。だから、このちっぽけなブログが、誰か優秀な科学者の目に留まり、私のアイデアをヒントにもっと完成度の高いものを作り上げ、世の役に立ててくれる日が来ることを望んで止まないのである。

 

 最終的には、本年の終盤までには、平和学の「アーキテクチャ」となる論文を完成させて掲載する。

 「アーキテクチャ」という表現は、すなわち、それが正解と言うわけではなく。そのスタイルが基本形になって、様々な論文が考案されることを企図するものである。そこで、論旨は記述するが詳細については本ブログを引用元にして、これを多用することで、そのフレームワークを際立たせる。

 

 経済学が最終的に諸国民の富を安定増加させ文字通り「経世済民」を目的としながら、様々な学派が登場しては消え、また復活するように、アプローチはいくらでもあると考えている。

 しかし、どうにも、ニュースや私が見聞きしてきた情報では、平和を願う活動家の多くが、「情緒」に訴え、正直、非科学的すぎるように思えるのである。

 一方で、戦争を唱える方は、孫子の時代から、「戦は外交上の一手段にして、効率的に行うのなら是とされる」行為として、その大義名分から効用まで科学的研究がなされてきた。

 私には以前からこの構図が、裸の平和主義者対完全武装の戦争主義者の争いに思えていた。平和論者はもっと科学的にならなければならない。

 経済学は、ヒトという掴みどころの無く予想外な行動を起こす集団の、「それでもこれを選択する。」「その可能性が高い。」を数値化した。それで目的が成せたかと言うと、あるいは逆効果なこともしているのかもしれない。それでも、今では為政者たちの必須科目だ。

 ハーバードでは「戦争論」と言う講義があるという噂を聞いた。必須科目か否かは定かではないが、とにかくモタモタしていると、あっちの方が先へ進んでしまう。

 平和学の目的は単純明快「世界平和」だ。そのためのアプローチに制限は設けない。しかし、科学的であることが条件だ。

 

 まだ、まるで未完成なのだが、フレームをイメージしてもらうため、現在検討している骨子を発表しておこう。

 

序章 前提条件と目論見

1 前提条件

 第一に、道徳や人情に訴えていても戦争はなくならない。

 第二に、そもそも人の信条・宗教というものは自由なもので、人種・歴史による環境もさまざまである。これらの相違を平準化しようとする考えは、多様性の否定であり、多様性を認める限り衝突を包括的に解決する手段は存在しない。

2 目論見

 目論見一、前提第一に対し、本論では、戦争における損益計算を示し、絶対的赤字であることを示す。翻って、平和のもたらす効用を数値的に表す。

 そのうえで、その万人において圧倒的優位である平和状態を是とせず、戦争を企図する一部の戦争受益者に対しては規制、若しくは罰則を設ける。

 目論見二、前提第二を認めることは、トマス・ホッブスの「万民の万民に対する闘争」ならぬ、「万国の万国に対する闘争」状態が継続されることを意味する。

 これを解決するには、各国が、自国の権益の一部を国際機関に委任して、衝突を避ける、いわば国際版社会契約を結ぶことが望ましい。その戦略を担うのが、すなわち国連と言う機関であるが、現状のところ十分に機能しているとは言えない。

 そこで、本論では、法理の徹底と賞罰の活用を説き、国連の取り得るべき戦術を示唆する。

 

第1章 戦争と平和の損益計算

1 戦争は赤字である

 ⑴ ブレイクアウト(勃発)

 戦争を勃発させるもの。

 ⑵ 戦火に消失するもの

 大赤字のはずの戦争をなぜ起こす?戦火に笑う者が居る。

 ⑶ ブレイクダウン(戦争の残すもの)

 「戦争は利益のためではなく、義理・人情のために引き起こされるものだ。」との主張に反駁する。果たしてその目的は果たされているか?  

2 平和の効用

 ⑴ 非戦の利益

 単純に前項の損失の反対勘定。

 ⑵ アップデート

 よく、戦争は科学を進歩させたという意見を言う人がいるが、誰もが納得する国際法、武力を使わずにこれを維持する方法、宗教・文化・習慣の違いをある程度受け入れる知恵、これほど人間の高い知性を求める課題は無いのではないか?。

 知恵と理性で、多様性を融合しながら、人類は進歩する。DNAという生命体は、そのようにプログラミングされている。

 ⑶ 笑顔

 感傷は科学的ではないのだが、このパラメーターは加えさせてほしい。

 強制労働者がいくら涙を流しても、労働力は低下しない。

 しかし、毎朝家族に見送られて、笑顔で働ける労働者の労働力が向上したという科学的な報告はいくつも出されている。

 私たちは、平和を唱えるにおいて、涙ではなく笑顔を数えるべきなのである。

3 平和に対する罪への処遇

 環境問題の影響で、多くのプラスチック加工業者が職を失ったであろう。彼らを潰して、他の産業は潰していけない法は無かろう。商業の自由は経済の根幹だが、より大きな公益の前に聖域は存在しない。軍需産業の人達にもそろそろ、縮小傾向に入ってもらうべきじゃないか?

 

第2章 万国の万国に対する闘争(紛争の解決)

1 法はすべての諸国民は救えない

 イエスキリストのようにすべてを寛容に受け入れるわけにはいかない。

 どの国の自由も常に「公共の福祉に反しない限り」という制限を受ける。わかりやすくいうと、他国に迷惑を掛けない限りの自由なのだ。

 例えば瀕死の難民であっても、その国の福祉を侵害するのであれば入国できない。

 何をもって、一国の福祉が侵害されたとするかは、国際法でこれを定める。

 結果として一部の難民は死ぬしかないのかもしれない。しかし、ここで情に流されてはいけないのだ。

 世界に法の理が確立し、紛争の種が無くなれば、暴君も減る。救済はそこから始まる。 

2 万国布法(全世界に法理を理解させる)

 信条・思想・宗教・国体の自由はこれを認めるが、教育を受けさせる義務・勤労の義務は、公共の福祉を守るため、これを義務化する。

 「法律は警官が怖いから守るもの。」などと考えているようなレベルの人間が、国家レベルになると怪獣になる。「自分たちの自由は義務を守ることにより存在する。」この単純なロジックを理解させる程度の教育は必要だ。

3 賞罰の制定

 国際法を遵守させるにおいて、メリデメ(守らないより守っている方が利益が有る状態)を明確化させるためには賞罰の制定が必要で、それを維持するためには、一定期間武力が必要である。このジレンマについては現在検討中である。

 また、この項と前章の3項は、まとめるべきではないかも検討中である。

 

第3章 日本

 できれば日本人が平和学の論文を作成する際は、この章を加えてほしい。

 要するに、持論の展開の後、その論陣の中で日本はどう振る舞うべきかを提議するのだ。

 

 フレームを示すだけのつもりが、つい力が入って、書き込んでしまった部分も有るが、大方のイメージは伝わったかと思う。

 ここから伝えたいことを整理し、端的で説得力のある言葉を探し、コンパクトで転用や変幻が可能な論文を目指す(仮想通貨を生み出したサトシナカモトの伝説的論文のように、8000文字くらいに納まれば格好良いのだが)。

 この論文の完成と、その引用元となる本ブログを第一稿から見直し、第一シリーズを完結させることが今年の目標である。